
☕ Café Solas ― Season 6 Episode 9 「常連・奥田さんの滑らない話⛽️」
新年最初の週末。
Café Solasには、
正月特有の少し緩んだ空気が
流れていた。
「正月のお笑い、見ました?」
ケンタが何気なく言うと、
カウンターの奥でコーヒーを飲んでいた奥田さんが頷いた。
「見た見た。“滑らない話”ってやつだろ」
タクヤが笑う。
「絶対ひとつは、
“それ本当かよ”って話ありますよね」
奥田さんはカップを置いてから、少し考えるように言った。
「まあ……
本当に滑らない話ってのはさ」
一拍置く。
「だいたい、
本人が一番恥かいてる話なんだよ」
アキラは何も言わず、静かに次のコーヒーを用意している。
「そういう意味なら、
一個あるな」
ケンタが身を乗り出した。
「聞きたいです」
奥田さんは軽く息を吐いた。
「セルフのガソリンスタンドが、
まだなかった頃の話なんだけど――」
当時、奥田さんの職場には
三十代前半の同僚たちが集まっていた。
その中で一番偉かったのが、課長の吉川さん。
声がでかくて、態度もでかい。
典型的な“課長然とした人”だった。
ある日、その吉川さんが
おばさんから中古の車を譲ってもらった。
問題はそこからだった。
吉川さんは、
筋金入りのペーパードライバーだったのだ。
平日は一切運転しない。
週末だけ、おっかなびっくりで練習。
それを月曜になると、
同僚たちに逐一報告する。
「昨日はここまで走った」
「交差点が怖くてさ」
「駐車が難しくてさ」
同僚たちは同い年。
「はいはい」「すごいですね」と適当に流す。
――そして、座席に戻った瞬間。
吉川さんは、急に上司になる。
「おい、奥田」
奥田さんは一番年下の部下だった。
「ガソリンスタンドの入り方、教えろ」
だから奥田さんは、普通に説明した。
どこに止めるか。
窓をどう開けるか。
店員さんが来るまで待つこと。
すると吉川さんは、椅子にもたれて腕を組み、
「……わかってねーな」
と、超・偉そうに言った。
「そんなこと聞いてねーんだよ」
「ペーパーだってバレないようにしたいんだよ」
その言い方に、
奥田さんは少しだけイラッとした。
――ほんの、少しだけ。
そこで、悪い虫が働いた。
「スタンドで、
みんなカード出してるじゃないですか」
吉川さんが頷く。
「あれ、免許証だって知ってますよね?」
「……もちろん」
少し吃りながら、吉川さんは答えた。
「かっこよく決めるなら、
窓を少し開けて、
免許証を指に挟みながら」
奥田さんは真顔で続けた。
「“吉川だけど、いつもの”
って言うといいですよ」
一瞬の沈黙。
そして吉川さんは、
ぱっと顔を明るくして言った。
「そう!
俺はそういうのを聞きたかったんだよ!」
週明けの月曜。
奥田さんが出社すると、
無言で肩を抱かれた。
相手は別の課長、増田さん。
元・暴走族あがりの強面上司で、
今なら確実にアウトな人だ。
そのままトイレに連れ込まれる。
「……お前、吉川に教えたろ」
「えっ、あれは――」
「お前、吉川だぞ」
「吉川だぞ」
連呼したところで、
増田さんの顔が崩れた。
「……っははは!」
週末、増田さんのところに
吉川さんから電話がかかってきたらしい。
「おまえにやられた!」と。
何のことかわからず話を聞くと、
吉川さんは必死に運転しながら、
家の近所のガソリンスタンドまで行き、
直前で窓を全開。
免許証を指に挟み、
片手ハンドルでスタンドに突入。
すると店員が、淡々とこう言った。
「レギュラーですね。満タンでいいですか?」
「免許証はいらないですよ」
「現金で大丈夫です」
近所のスタンドだったため、
恥ずかしさと行き場のない怒りで
吉川さんは荒れていたらしい。
「まあ、
真に受ける吉川もどうかと思うが」
増田さんはそう言って笑い、
「とりあえず宥めておいたから、今日は普通に仕事しろ」
と解放された。

席に戻ると、
吉川さんは黙々と仕事をしていた。
しばらくして、ちらっと奥田さんを見る。
「……おまえにやられたよ」
その一言に耐えきれず、
奥田さんは吹き出した。
「おまえな!」と吉川さんが立ち上がり、
同時に周囲の上司たちが取り押さえる。
羽交い締めにしたのは、
元アマレスの課長・山川さん。
「確かにこいつは悪い。
でも、
それを間に受ける吉川もどうかと思うぞ」
まったくフォローになっていなかった。
話を聞き終え、
Café Solasに笑いが広がる。
アキラが静かに聞いた。
「……その人、
今も運転してます?」
奥田さんは笑った。
「ええ。
今は堂々と、セルフです」