メインコンテンツへスキップ
見出し画像

☕ Café Solas — Season 8 Episode 5「タクヤ──距離が消えるとき」

    夕方の店内。

    光の色が、ゆっくりと薄くなっていく。
    境界が、少しだけ曖昧になる。

    タクヤはノートを開いている。
    書いてはいない。

    ページの白さを、そのまま見ている。

    音が並んでいる。

    ケンタのスプーン。
    ミユキのキー。
    アキラの布巾。

    同じ距離で、並んでいる。

    ひとつだけ、近い。

    タクヤは、視線を外す。

    ~~~

    数年前。

    編集室。

    モニターの光だけが、動いている。

    歩く。
    止まる。
    振り返る。

    同じ映像を、繰り返す。

    再生。
    停止。
    巻き戻し。

    その一瞬だけ、
    視線が外れる。

    タクヤは戻す。

    コマ単位で。

    もう一度。

    外れる。

    巻き戻す。
    同じ、一コマ前。

    再生。

    ……今度は、合う。

    タクヤの指が、停止ボタンの上で止まる。

    合う。合う。合う。

    脳内で、その二文字が、
    完璧なリズムで整列する。

    呼吸が、わずかに遅れる。

    ……切り出さない。
    言葉にするには、あまりに完成されすぎている。

    そのまま、次に進む。

    ~~~

    「タクヤ、今日さ」

    ケンタが言いかけて、やめる。

    ミユキは画面を見ている。
    アキラはカップを置く。

    タクヤの前に。

    少しだけ、近い。

    タクヤはノートを見る。

    白いままのページ。

    編集室のモニターが、脳内で重なる。

    視線。
    距離。
    修正。

    ……けれど、ペン先が、触れない。

    ~~~

    数年前。

    深夜の編集室。

    同じ映像。
    同じ動き。

    その一瞬。

    合う。

    タクヤは動かない。

    時間だけが進む。

    再生も、停止も、しない。

    合う。合う。合う。

    その、完璧な合致(フィックス)だけが、
    タクヤを深夜の闇から繋ぎ止めている。

    まばたきが、ひとつ遅れる。

    やがて、モニターを閉じる。

    何も残さない。

    ~~~

    店内。

    タクヤはノートを閉じる。

    音が、少しだけ強い。

    「……今日はやめる」

    誰にも向けていない。

    ケンタが顔を上げる。
    ミユキは気づかない。
    アキラは、何も言わない。

    タクヤは席を立たない。

    外の光が落ちきる。

    店内の静けさは、変わらない。

    ただ、タクヤの視界の中で、
    “誰か”の視線が、あの編集室のように、
    完璧に合うまま、残っている。

     
     

    和人

     
     
    和人 52歳。 放送大学で学びながら、 小説『Café Solas』を執筆中。 就職氷河期世代として、 仕事・学び直し・健康・老後について考えています。 50代のリアルな日常と、 学び直しの記録を発信しています。 小説とエッセイを中心に更新中。

    あなたへのおすすめ