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☕ Café Solas: < Fragments > – 記憶のレシピ  第三章 黒崎という男


    「それを、探していました」

    男は静かにそう言った。

    カフェ・ソラスの店内は、しんと静まり返る。

    アキラはカウンターの上に置かれた手帳に、無意識に手を添えた。

    男は一歩、店の中に入る。

    黒いコートの裾が、ゆっくり揺れた。

    年齢は四十前後だろうか。  
    整った顔立ちだが、どこか冷たい印象を与える男だった。

    その視線は、手帳から一度も離れない。

    「失礼」

    男はカウンターの前で立ち止まり、軽く会釈した。

    「突然の訪問をお許しください」

    声は穏やかだった。

    だが、その穏やかさの奥に、妙な圧力がある。

    タクヤが口を開く。

    「お客様……ですか?」

    男は少し笑った。

    「ええ。ある意味では」

    そしてゆっくりと言った。

    「私は黒崎といいます」

    その名前に、女性が小さく息をのむ。

    アキラがそれに気づく。

    「知ってるんですか?」

    女性は戸惑いながら頷いた。

    「祖父の研究ノートに……何度か名前が」

    黒崎はそれを聞くと、軽く肩をすくめた。

    「そうですか」

    そして視線をアキラに戻す。

    「では話が早い」

    彼はカウンターの上の手帳を指さした。

    「それは、佐伯教授の手帳ですね」

    アキラは答えない。

    代わりに質問を返した。

    「あなたは、祖父の研究者仲間ですか?」

    黒崎は、わずかに笑った。

    「仲間、という言い方は少し違います」

    「では?」

    「競争相手、でしょうか」

    ケンタが思わず言う。

    「競争?」

    黒崎は頷く。

    「佐伯教授は、非常に優秀な研究者でした」

    ゆっくりと店内を見回す。

    「しかし、彼の研究は危険でもあった」

    女性が口を開く。

    「危険……?」

    黒崎は彼女を見た。

    「あなたが孫の方ですね」

    女性は小さく頷く。

    黒崎は続けた。

    「あなたの祖父は、“記憶を再現する技術”を研究していた」

    アキラは静かに言った。

    「味覚と記憶の関係」

    「ええ」

    黒崎は頷く。

    「しかし途中から、研究は別の方向へ進みました」

    ケンタが眉をひそめる。

    「別の方向?」

    黒崎は少し間を置いた。

    そして言った。

    「記憶を“体験として再生する”技術です」

    店内の空気が変わった。

    アキラがゆっくり言う。

    「体験……?」

    「そう」

    黒崎の声は落ち着いていた。

    「ただ思い出すのではない」

    「もう一度、その記憶の中に入る」

    タクヤが小さくつぶやく。

    「映画みたいな話だな」

    黒崎はうなずいた。

    「そうかもしれません」

    そして静かに続けた。

    「もしそれが完成すれば」

    「人は過去をもう一度生きることができる」

    沈黙が落ちた。

    ケンタがぼそっと言う。

    「それ……すごいのか、怖いのか分かんないな」

    黒崎は少し笑った。

    「両方でしょう」

    そして再び手帳を指さす。

    「その研究の核心が、そこにある」

    アキラは手帳を閉じた。

    「もしそうだとしても」

    黒崎を見る。

    「あなたに渡す理由はありません」

    黒崎はまったく驚かなかった。

    むしろ、当然だという顔をした。

    「そうでしょうね」

    そして、静かに言った。

    「ですが、あなた方は知らない」

    カウンターの上の手帳を見つめながら。

    「佐伯教授が、最後に何を残したのか」

    女性が前に出た。

    「祖父は……どこにいるんですか?」

    黒崎は答えなかった。

    代わりに、ゆっくりと言った。

    「その答えは」

    窓際の席を見る。

    「研究室にあります」

    アキラの眉がわずかに動く。

    「研究室?」

    黒崎は頷いた。

    「佐伯教授の最後の研究施設です」

    そして言った。

    「もし本当に祖父を探したいなら」

    「そこへ行くべきでしょう」

    ケンタが腕を組む。

    「で、あんたは?」

    黒崎は静かに答えた。

    「もちろん」

    少しだけ笑った。

    「私も行きます」

    カフェ・ソラスの静かな午後は、  
    その瞬間、もう終わっていた。

    物語は、店の外へ動き出そうとしていた。


    第四章 祖父の研究所

     
     

    和人

     
     
    和人 52歳。 放送大学で学びながら、 小説『Café Solas』を執筆中。 就職氷河期世代として、 仕事・学び直し・健康・老後について考えています。 50代のリアルな日常と、 学び直しの記録を発信しています。 小説とエッセイを中心に更新中。

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