
👧 Episode 5:店に迷い込んだ小さなお客さま
午後の陽射しが、ガラス越しにやわらかな模様を床へ落としていた。
豆を挽く音だけが静かに響く店内で、アキラはコーヒーの香りに耳を澄ませるように目を閉じる。
「今日は、本当に静かだな」
独り言のようにつぶやくと、厨房からケンタが顔をのぞかせた。
「たまには、こういう日もいいよ。プリンもきれいに固まったし」
「平和すぎて眠くなりそうだけどね」
奥のテーブルでは、ノートパソコンと向き合っていたタクヤが苦笑する。
「企画書だけは、全然平和じゃないよ」
三人が小さく笑った、そのときだった。
カラン――。
ドアベルが控えめに鳴る。
振り返ると、入り口には五歳くらいの女の子が立っていた。
麦わら帽子を両手でぎゅっと握りしめ、不安そうに店の中を見回している。
アキラはすぐにカウンターを回り込み、女の子と目線を合わせるようにしゃがんだ。
「こんにちは。」
女の子は小さくうなずく。
「どうしたの?」
少しだけ間があってから、小さな声が返ってきた。
「……ママが、いなくなっちゃった。」
アキラは驚くより先に、優しく微笑んだ。
「そうか。でも大丈夫。」
その声には、不思議と人を落ち着かせる力があった。
「お名前、教えてくれる?」
「……ハルナ。」
「ハルナちゃんか。いい名前だね。」
少しだけ緊張がほどけたのか、ハルナは照れくさそうに笑った。
事情を聞くと、向かいの雑貨屋で母親が買い物をしている間、気になった青い扉に引き寄せられるように店へ入ってきてしまったらしい。
ケンタがそっとスマートフォンを手に取り、近くの店へ事情を伝える。
「お母さん、探してるみたい。」
その一言に、店内の空気が少しだけ安心へ変わった。
「見つかるまで、ここで待ってようか。」
アキラがそう言うと、ハルナは小さくうなずいた。
「プリン、好き?」
厨房から戻ってきたケンタが、小さなガラスの器をテーブルへ置く。
「……うん!」
さっきまで曇っていた表情が、一気に明るくなった。
「よかった。」
ケンタは嬉しそうに笑う。
その様子を見ていたタクヤが、棚から画用紙とクレヨンを取り出した。
「時間つぶしに、お絵描きしない?」
「する!」
返事だけは、とても元気だった。
窓際の席で、ハルナは夢中になってクレヨンを走らせる。
赤。
青。
黄色。
真っ白だった紙が、少しずつ色で埋まっていく。
その集中した横顔を見ながら、タクヤは思わず笑った。
「子どもって、すごいよな。」
「何が?」
ケンタが尋ねる。
「目の前のことだけで、ちゃんと幸せになれる。」
その言葉に、誰も返事をしなかった。
でも、みんな少しだけ頷いていた。
カラン。
再びベルが鳴る。
「こんにちは。」
現れたのはサチだった。
「……あれ?」
窓際の小さな後ろ姿を見て目を丸くする。
「迷子なんだ。」
アキラが小声で説明すると、サチは「そっか」とだけ言ってハルナの隣へ座った。
「何描いてるの?」
「おみせ!」
紙いっぱいに描かれた青い扉。
大きな窓。
コーヒーカップ。
そして、少し不格好だけれど、笑顔の三人。
「かわいい。」
サチがそう言うと、ハルナは照れくさそうに笑った。
「おねえちゃんも描く?」
「いいの?」
「うん!」
二人は同じ紙に並んでクレヨンを動かし始めた。
サチが花を描く。
ハルナが空を描く。
その横でアキラたちは何も言わず、その光景を見守っていた。
やがて。
店の外から慌ただしい足音が近づいてくる。
ドアが勢いよく開いた。
「ハルナ!」
振り向いたハルナの顔が、ぱっと明るくなる。
「ママ!」
小さな体が駆け出し、母親の胸へ飛び込んだ。
母親は何度も頭を下げながら涙ぐんでいた。
「本当にありがとうございました……。」
「いえ。」
アキラは穏やかに微笑む。
「青い扉が気になったそうです。」
その言葉に、母親もようやく笑った。
「また今度は、一緒に来ます。」
「ぜひ。」
そう言って親子は手をつないで帰っていった。
夕暮れ。
閉店後の店内は、昼間とは違う静けさに包まれていた。
窓際の席を片付けていたサチが、小さく声を上げる。
「あ。」
一本だけ、黄色いクレヨンが残っている。
その横には、さっき描いていた絵。
アキラがそっと裏返す。
幼い文字で、たった一言だけ書かれていた。
『またくるね』
三人は顔を見合わせて笑った。
アキラは絵を店の壁へ静かに飾る。
そこには、少しいびつな青い扉と、大きな笑顔が描かれていた。
この店には、今日も誰かの小さな記憶が増えていく。
急いで忘れなくてもいい思い出が、またひとつ。
――今日の「記憶のレシピ」。
『また来るね』
その短い言葉は、コーヒーの香りよりも長く、ソラスの午後に残り続けた。
🕊️ 次回予告
Episode 6「アキラ、占いにハマる」
——まさかのスピリチュアル回!? アキラの“謎の依存”がソラスに波紋を呼ぶ!