
翻訳
はじめに
わたしは英語が苦手である。生まれてすぐ英語圏に放り込まれ、成人してしばらく経った今でも英語話者と対峙することは少なくないが、とにかく苦手である。環境的に第二母語程度に扱っていても不思議ではないのに、毎回苦しみながら英語のメールを打ち、英語達者な翻訳家たちに深く頭を下げるのだ。
このように翻訳といえば一般的には言語を異なる言語に変換することを指すことが多いように思う。ただ、ここでは和訳や通訳という意味よりも、もう少し広い意味での翻訳活動についてしたためていこうと思う。
広義の翻訳
先に述べたように翻訳とは、言語を目的の別の言語に変換する行為も指すが、もう少し広い意味も持つ。同じ日本語であっても鹿児島弁母語話者の世間話を福島県民に標準語で伝えることも翻訳と呼ぶし、難解な技術文書を役員向けに噛み砕く行為も翻訳である。
翻訳とは「別の形に作り変えてあげる行為」に他ならない。DNAの塩基配列が消化酵素として出力される過程も、QRコードでアンケートサイトに出向くのも疑いようがなく翻訳なのである。
「別の形に作り変えてあげる行為」、人類は例外なくコミュニケーション活動としてこの翻訳をしている。先日電車で遭遇したエピソードをカフェで友人に話す時、下腹部の痛みを訴える5歳児の大泣き、「ヤバい」などあげればキリがない。ゆるキャラやイスラムの詩も間違いなく翻訳だ。経験や感情、文化などの抽象概念を、絵や文、音やリズムなど五感で受け止められる粒度で出力する。全部翻訳である。
「しなかったこと」
ようやく本題である、翻訳する際には多かれ少なかれ原義を削る必要がある。わたしはこの削り方にこそ、その人が宿ると考えている。同じ丸太とノミを渡されても、出来上がるクマは千差万別なのだ。経験なのか、気分なのか、プーさんアンチだったのかは定かではないが。
通訳で削ぎ落とした意味、作曲で使わなかったコード進行、選ばなかったファッション、日常会話で選ばなかった話題、日々の決断で選択しなかった道、「何をしなかったか」がその人らしさであり、何をしたかよりもずっとその人の輪郭を表すと考えている。
そしてここから後半はこの文章そのものを遡りながらわたしらしさの一端を見ていってもらいたい。少し戻ってみよう。
選ばれなかったものたち
わたしの好きな言い回しとして、単語の列挙がある。今回も例に漏れず使用している。例えば
鹿児島弁母語話者の世間話を福島県民に標準語で伝えることも翻訳と呼ぶし、難解な技術文書を役員向けに噛み砕く行為も翻訳である。
結局のところ、翻訳とは「別の形に作り変えてあげる行為」に他ならない。DNAの塩基配列が消化酵素として出力される過程も、QRコードの読み取りも疑いようがなく翻訳なのである。
このような形でいくつかの例を列挙している。この内、DNAの翻訳の結果は本来はタンパク質の方が正確である。ただ、ここでタンパク質を選択しなかったのは「粒度が大きすぎた」のである。他の例では、受け取り手がそれ単体で役割や意味を認識もしくは想起できるよう形を選択していた。このようにわたしは言葉をある規則に沿って揃える、並べ替える癖があるようだ。
さらに先の例では「鹿児島弁」を挙げている。ここでは翻訳例として「得体の知れなさ」を感じてほしかった。人によってはスペイン語よりも聞き取れないので是非体験してみてほしい。他にも候補はあったが、特徴的である一方で意味は比較的通じる名古屋弁や、聞き取りづらいが癖そのものが有名になっている青森弁などは例として選ばなかった。
「ヤバイ」についても粒度や規則調整の目的でいれてある。3つの例から具体性を徐々に減らして、最後は多くの意味を包括するヤバイで区切る意図があった。Fワードとも迷ったが、日本人向けの文章なのでこちらを選んだ。
英語
冒頭に述べたようにわたしは英語が苦手である。一向に上達しない、そんなに何度も言わせないでほしい。ちなみに数学も苦手である、赤点もとった。世界史や物理に至っては選択すらしていない。
「勉強という行為を選ばずに、詭弁紛いのアナロジーをこねくり回すことを選んだのか?」うるさい。ここではぜひとも言葉を選んでほしい。