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恐れ・回避型のトリセツ

    同じ言葉が何度か出てきますが、章ごとに役割が違います。最初はリスト、次に解説、最後に実際の体験という順番で読んでいただけると、より伝わりやすいかと思います。


    まえがき 


    愛着スタイルとは、幼少期の親(養育者)との関わり方などをベースに作られ、大人になってからの家族、恋人、友人との距離感の取り方に深く影響します。そして、固定されたものではなく、大人になってからも変容します。


    私自身の話

    ここからは、私自身がこの愛着スタイルとどう向き合ってきたかをお話しします。

    なんとなく気づいていることがあっても、なぜそうなるのか分からない、という人も多いと思います。安心した途端に離れたくなる、傷つく前に傷つけてしまう、同じようなことを繰り返している、そんな感覚を持ったことはありませんか。この文章が、その「なぜ」を探る一助になれば幸いです。

    私は長年、自分自身や周りの人との関わり方に悩みを抱え、生きづらさを感じてきました。愛着スタイルを知ったことで、自分の中にある種のパターンがあることに気づいてきました。今ではその気づきのおかげで、以前のような衝動的な反応も出にくくなっています。さらに、自分だけでなく、家族それぞれにもパターンが存在することに気づきました。

    愛着スタイルとの出会い、AIとの対話を通じて思考を整理したこと、そして家族という最も身近な観察対象の存在が、転機になったと感じています。

    私自身は、幼少期は不安型で、大人になると恐れ・回避型に変容しました。


    家族の愛着スタイル

    母親は回避型愛着、父親は鬼籍に入っているため断片的な記憶と聞いた話からの推測ですが、恐れ・回避型愛着だったと考えています。きょうだいは3人で、3人とも恐れ・回避型です。姉は回避型優勢、兄は回避型に移行した人、私は不安型優勢から獲得された安定型への移行途中(メタ認知を鍛えている最中)です。それぞれの違いは、後の「タイプ別の整理」で詳しく説明します。

    母の失感情症

    母は、論理よりも事実を優先して話すタイプで、深く込み入った対話は避けます。表面上は穏やかでも、内側にある傷つきや弱さをそのまま言葉にすることは少なく、感じているはずの痛みが、身体の感覚として結びつかないまま処理されているように見えます。これは失感情症(アレキシサイミア)の傾向だと考えています。不快感そのものは消えないため、ため息や苛立ち、機嫌の悪さという形で漏れ出てきます。本人はどう言葉にすればいいか分からず悩んでいるだけなのに、それが表に出ると、相手には「生意気」「何を考えているか分からない」「馬鹿にされている」と意味づけされてしまうことがあります。

    事実をもとに主観を語ることもあります。例えば、「あの時私はこう感じていた、あなたは今の話を聞いてどう思った?」と聞くと、「あのときはあなたたちを食べさせないといけなかったから、子ども一人ひとりと向き合えなかった」という返答が返ってきます。

    そして話が続くと、拒絶に入ります。最初は言葉ではなく態度で示します。沈黙し、顔を背けてテレビを見始め、相槌がなくなります。それでも話が続くと手で制し、やがて笑いながら「もうその話飽きた、疲れた」「しつこい!」「人は人だから、私に何を言っても変わらないよ」「あなたの話の8割もわからない」という言葉が出てきます。

    悩みを打ち明けても、「もっと気楽に考えたら」「そんなことは自分で試行錯誤しながら考えるもの」「思い込みが強い」と返ってきます。こうしたやり取りが積み重なって、私の中で内面のロジックが完成していきます。これは私個人の感じ方かもしれませんが、単なる想像ではなく、他者が何気なく誰かに言っていたことも情報として取り込み、積み重ねた末にできあがる、自分の中では筋の通ったロジックです。ただ、それは他者と共有されていないため、「思い込みが強い」と言われることが多いのだと思います。

    心理学という知識を得た後は、「難しいな」「あなたは賢いわ」「なるほど」と言うようになりました。

    失感情症傾向にある母親に育てられると、自分の考えや感覚はおかしいのか、どのように処理をすればいいのか分からなくなり、それが自己肯定感の低さの一因にもなっていました。

    母との変化

    しかし、学んでいく中で、母は不器用ながらもとても正直に生きているということが分かりました。分からないから「わからない」、そう思ったから「そう言った」というように、自己一致ができているのです。

    感情をうまく言語化できないでいると、身体に症状として出やすくなることがあります。私自身も、ぐるぐる思考が続く時期には頭痛や身体の重だるさとして現れていました。母の場合は、二次的な要因によって不安が出るようになってから、フラフラする、少ししんどいと横になるなど、身体のしんどさを言葉にする場面が増えてきたように感じています。

    母は感情(喜びや悲しみ)を乗せて話すことが少なく、私が意味付け(時に思い込みを含む)をしなければ会話が完了しない感覚がありました。今思えば、私の反芻思考(ぐるぐる思考)の起因は、ここにあったのかもしれません。

    今は、母の1次感情を私が翻訳することで、自分の渇望感が満たされるようになっています。例えば、母が、友だちに「私はあなた(母)みたいに何でもいいってわけではなくて、ちゃんとこだわりを持っているから美容室に通うけどね」と言われた話をしてきたことがありました。母は笑いながら「そんなことを言われたら、まるで私がこだわらないみたいじゃない?」と言いましたが、その笑いの奥に怒りと寂しさが見えた気がして、私は「えー、それは失礼だね。母もこだわりを持って髪屋さんに行ってるよね」と言いました。すると母は「なー、ホンマに」と返しました。

    母とのやり取りを通じて気づいたことがあります。Iメッセージが全ての人に通用するわけではありません。以前、母にIメッセージで気持ちを伝えたとき、「だから?何が言いたいの?」と少し笑いながら返ってきたことがありました。一方、姉は「もう私がやる、貸して」という言い切りで母と関わります。私は母の1次感情を読み取りながら、自分の心の状態に合わせて境界線を引いたり、助けたりするという形で関わっています。相手に合わせて出力を調整することも、一つの実践です。これは誰にでもある行動ですが、相手が何を感じているかを読み取る作業と、それが伝わる言葉に組み替える作業の両方を、毎回意識的に行っている分、労力が大きくなりやすいのだと思います。気だるさのような抽象的な不調も、母には伝わりにくいため、身体の痛みという形に変換して伝えることがあります。

    気持ちを言語化できない相手といると、相手の心を翻訳する負荷と、自分の気持ちを理解してもらえないというジレンマを、同時に抱えることがあります。自分は相手の気持ちを察して動くのに、相手は同じようにしてくれない、あるいはできない、という非対称性です。

    実際に母に聞いたことがあります。「他者が怒ったり不機嫌になったりするのは分かる?」「うん、分かるよ」「でも気にしないんだよね?」「気にしても仕方ないから」。傷つくことについても、「何かは感じてるだろうとは思うけどわからん!」とあっけらかんと答えていました。鈍感なのではなく、気づいた上で「気にしない」を選び、そして自分の内側で起きていることそのものを、はっきりとは掴めずにいるのだと分かりました。


    恐れ・回避型の特徴

    不安型、回避型は比較的シンプルで純粋な思いに基づいていますが、恐れ・回避型は、その両方が同時に存在するからこそ複雑なのだと思います。

    恐れ・回避型の根底にある願望は、「愛されたい」というよりも、「向き合ってほしい」「理解されたい」「気持ちを分かってほしい」という願いであることが多いように思います。反対に、根底にある恐れも「嫌われること」というよりは、「利用される」「都合のいい関係として扱われる」「遊ばれる」「騙される」という感覚に近いのかもしれません。違和感を察知すると論理的な思考に支配され、ジャッジされることを恐れているのに、トリガーが引かれると他者をジャッジしてしまうのも特徴です。本当は自分こそ理解してほしいと思っているのに、相手の言葉のやり取りそのものに気を取られて、その奥にある気持ちまで届かなくなってしまうのです。

    涙が出るのも、悲しいというより、尊厳を傷つけられた悔しさからくることが多いように思います。分かってもらえない悔しさから言葉を尽くし、それでも届かないと、存在価値を否定されたように感じて涙が出る。これらを総称して「悲しい」と呼んでいるだけかもしれません。特定の人との間でこの「傷つく」という感情が解離してしまうと、涙ではなく勝ち負け思考として表れることもあります。

    恐れ・回避型には不安型優勢と回避型優勢の2つがありますが、根底にあるものは同じです。どちらが優勢かは相手や状況によって変わるグラデーションで、どちらも同時に出ることもあります。

    1. 人が好き

    2. 情緒的な関わりも論理的な関わりもできる(関係性や相手による)

    3. 思慮深い

    4. 感知センサー装備(人間関係における脅威検知に特化したアンテナ)

    5. 意味付けする(時に思い込み)

    6. 目的がすり替わる

    7. 他責思考

    8. 損得勘定

    9. 条件付きの愛(承認)

    10. 勝ち負け思考

    11. 試し行動

    12. 等価交換(被害と加害を行き来する思考)

    13. (特定の人にだけ)失感情症傾向

    9番の条件付きの愛と、12番の等価交換は、根底で繋がっています。罪悪感や見返りへの期待があるとき、そこには「見えない契約書」が結ばれているように思います。もちろん、すべての行動が契約というわけではなく、純粋な優しさからくるものもあります。


    「目的がすり替わる」について

    トリガーが引かれると、本来は「繋がりたい」「わかってほしい」という気持ちが、いつの間にか「相手を試す」「相手を責める」といった別の目的にすり替わってしまいます。文脈によって、その現れ方は様々です。

    関係性や相手によって、不安→回避→不安と続き、共依存のループに陥ることもあります。

    拒絶や沈黙の気配を感知センサーが察知する→追いすがる(少しストーカー化)→相手の無反応で諦める→相手が戻る、または受け入れる→安心して休憩する(距離を置いて一人になる)が、その間に虚無感に襲われることもある→相手の反応次第で最初に戻る。これがトムとジェリーの構図です。

    (不安型優勢)どこまで許されるか試したくなり、最初の目的とは異なってゲームに変わることもあります。これは幼少期に、母の機嫌を確認していた体験から来ているのかもしれません。声のトーンが低かったり、苛立ち気味だったり、怒鳴られたりすると、家では泣くか怒り返し、外ではフリーズしていました。優しい時と怒る時の差を確認する行動だったのだと思います。対応に一貫性がないと、満たされない虚無感が残り、この試し行動が大人になっても繰り返されます。

    例えば、相手にデートしたいと伝えて承諾してもらえた瞬間、安心感が満たされてしまい、実際にデートに行くことよりも「声を聞いてもらえた」という確認自体が目的になっていたことがありました。本来の目的はいつの間にかすり替わっていたのに、当時はそれに気づいていませんでした。


    タイプ別の整理

    移行タイプは、不安型・回避型どちらの土台からも生まれ得ます。出発点が違うだけで、起きていることは同じです。メタ認知によって元々の性質が制御され、機能するようになる、というプロセスです。回避型移行は有能さを示すことで関係性を築く傾向があるのに対して、恐れ・回避型は相手より優位に立つことを目的にする優位性アピールが出やすい、という違いがあります。

    基本の型 トリガーが引かれると、不安→回避→不安という順番で反応が出ます。拒絶回避型や不安型は、それぞれに不安や回避が出ても切り替える形で現れますが、恐れ・回避型はこれが一度に同時に出ます。アクセルとブレーキを同時に踏むような状態です。

    恐れ・回避型→回避型に移行した人(メタ認知を鍛えている) 勝ち負け思考や損得勘定があるため、隙を見せたら負けだと考え、知識や経験を豊富に蓄えています。それを表情や言動にあまり出さず、内側に留めています。ディベートに強いのは関係性に関わらず一貫していて、相手に自分の有能さを教えてあげるような感覚で行われます。

    安全基地が機能している人は、弱さを小出しに吐き出せるため、比較的安定しています。機能していない人は、安全基地を求めて新しい人との出会いを探す傾向があります。

    恐れ・回避型は本音(1次感情)を知っていながら、それを言わないように隠すための盾を使います。一方、拒絶回避型は本音そのものをうまく言葉にできず、事実や正論を盾にするという違いがあるように思います。

    恐れ・回避型:回避型優勢 ディベートに強くなるのは関係性によります。勝ち負けをあからさまに言動で表現し、内面のロジックや他者から得た知識、正論を武器にします。傷つけられたらそれ以上に返す、という感覚が強く、基本的に負け知らずですが、弱点もあります。「分かってもらえない」と感じることがトリガーとなり、不安側面が出て衝突に発展しやすいのです。被害と加害を行き来することも多く、発言はオブラートに包まれていません。

    恐れ・回避型も、認められたい気持ちを持っています。回避型優勢は、幼少期からの積み重ねで大人になると達観しているように見えますが、トリガーが引かれると、その下にある不安側面が表に出てきます。見放す直前には、内面のロジックを伝えることがあります。以前、愛着スタイルを学んでまもない頃、幼少期の体験を被害者的な立場で語っていると、姉に「はぁ?お前には分からんかもしれんけど、私が一番責任が大きいねん。自分だけだと思うな」と言われたことがありました。本当は「分かってほしい」という気持ちが核にあるのに、それを直接言葉にすることはなく、責任の大きさという事実の裏に隠れたままなのです。

    ディベート以外の場面では、内向的か外向的か、愛着の傷の種類によっても違いますが、遮断する傾向が多く見られます。回避行動に至るまでには、必ず最初に向き合おうとした事実があります。何を言っても聞いてもらえない、伝わらないと感じたときに、回避行動に出ます。ここが拒絶回避型とは少し異なるポイントかもしれません。静かに去る、沈黙する、言葉で相手を制する、といった形です。限界に達すると人前で泣くこともありますが、涙は続かず、頭の中ではすぐに「どうすればいいか」という論理に切り替わる傾向があります。小出しに弱さを表現できないため、弱さが漏れ出たときはSOSのサインであることが多いです。

    純粋な拒絶回避型(回避型)との違いは、深い対話に向き合えること、内面の気持ちを言葉にできることです。何を感じているかを伝えられるため、「これは等価交換だ(傷ついた分は同じだけ返ってくるべきだ)」と自分で言葉にできてしまいます。拒絶回避型も、会った時の言動や、メッセージでの「落ち着いて」「信じて」といった短い言葉で、向き合おうとしているサインを見せていることがあります。対応できる話題には反応しても、感情的な話題や即答を求められる場面では反応しないことが多く、そのサインに気づかず踏み込もうとすると、相手は黙る、または既読のまま終わらせる、という回避行動につながるのかもしれません。一方、恐れ・回避型自身は、他者に感情移入して人前で涙を見せることもあります。ただ、特定の人の言動に対しては失感情症の傾向が見られ、特に「傷つく」という感情が解離してしまうことがあります。そのため、デリカシーのない発言が出ることもあります。

    メッセージの文体にも傾向があります。拒絶回避型は短文、回避型優勢は要約、不安型優勢は長文になりやすく、回避型に移行した人は相手に合わせられますが、基本は短文や既読のみで済ませる傾向があり、拒絶回避型に近い特徴を持っています。

    恐れ・回避型:不安型優勢 我慢ができずにすべてを噴出させてしまいます。本来内に留めておくべき、凶器のような言葉も外に出してしまい、人を追い詰め、傷つけてしまうことが多々あります。これは万能感や特権意識を求めてインナーチャイルドが暴走している状態と言えます。そこに疾病利得が加わると、それを盾に使います。根性論や経験、知識などを盾にしてディベートに挑みますが、相手に突っ込まれると脆く崩れてしまいます。依存的でありながら支配的、という側面も持っています。また、衝突の後には一人反省会がセットになっていることが多いです。人間関係では、フレネミー(友達でありながら敵でもあるような関係)になることもあります。

    愛情を求めているというより、理解を求めているのかもしれません。「愛してる」のような抽象的な言葉より、かわいい、面白い、一緒にいて楽しい、といった具体的な体験の中で「好き」を感じるタイプです。感情より観察から入るため、目に見えない抽象的なものより、実感として確認できるものに安心を覚えます。双方向性を求める傾向もあり、感情の交流、つまりキャッチボールのように互いに反応し合うことを大切にしています。繋がりたい気持ちがある一方で、繋がることで不安も生まれます。だからこそ疲れてリセットしたくなる。切りたいわけではなく、安心して繋がれる形を求めているのだと思います。


    ケーススタディ:姉との関係

    姉との関係にも、同じ力学がよく表れます。

    姉とのやり取り

    等価交換的な場面としては、私が夕飯を作ったり家事やマッサージをした後は、姉が「〇〇あげる」と食べ物をくれることがあります。何もしていない時は「あげる義理はないけど、慈悲であげる」と言います。料理をしている時、しんどいのに大丈夫?と心配すると、「自分が食べたかったから」と返してきます。ついでに家族の分も作ってくれますが、それはあくまで気まぐれです。それでも有難がられるのは、すでに実績があるからだと捉えています。姉も気まぐれでマッサージをしてあげようかと言ってくれることがありますが、後でお返しを求められるのが怖くて、断ってしまいます。

    姉は察してほしい気持ちを、口に出さずに遠回しな言い方で表します。例えば、姉が仕事で腰を痛めた日、「中高年世代はみんなどこか痛めてるよね」と声をかけると、「お前より私のほうが痛いわ」と返ってきました。このように相手を「ジャッジ」してしまうのは、恐れ・回避型らしい反応だと感じます。対照的に、回避型の母は同じような場面で笑って「ほんまやな」と返すだけで、比較や評価をしません。ただ、母が比較や評価を全くしないわけではありません。「みんな(気持ちの)処理をしている」「周りの人に笑われるよ、誰もあなたみたいなことしてないよ、恥ずかしいよ」「姉ちゃんや兄ちゃん見てみ、そんなのしてるか?」というように、比較で諭す場面もあります。また、姉がその場で「言葉にするかしないかの違いで、お前だけじゃない、みんなそうしている」と言い添えることもありました。母にとっては、心強い助っ人だったのかもしれません。姉や兄、そして私自身の比較・評価の傾向も、もとは母から受け継いだものなのかもしれません。

    以前は、こうした言葉がトリガーになり「アンタだけじゃない、私も痛いわ」と言い返して喧嘩になっていました。今はメタ認知を鍛えたことで「わからないよ、痛みの程度は人それぞれだから」と返せるようになり、姉も何も言わなくなりました。

    トイレのドアを修理した時も、歪みを直した後に姉から「うわ、最悪。前より酷くなってるやん、信じられへん」と、一旦の受け止めがなく言われ、何も悪いことをしていないのに不安感に襲われました。事実を述べているようで、責任の所在を匂わせる言い方がトリガーになっていたのだと気づきました。その場では「前より酷くなってる?また挑戦してみるね」と返せましたが、心身の疲れと苛立ちを感じ、すぐに「これは相手の課題だ」と切り離してその場を離れました。それでも心の疲弊が出て、一時間ほど眠ってしまいました。

    姉は一人の時間を好み、話しかけられるのを面倒に感じながらも、聞いて返事はしてくれます。くどく話すと、「アンタが言いたいのは〜ってことやろ?それやったら〜でいいやん」というように、要約と助言をセットで返してくれることが多いです。全体を把握する力があり、自分がどう動けば物事がうまく進むかを見極めるのが得意です。私と母は語り方の違い(時系列で話す私と、結果重視で事実に基づいて話す母)で噛み合わないことがありますが、姉はどちらの言葉も翻訳できる、通訳のような役割を担っています。

    物事の処理の仕方にも違いがあります。私は、意図を推測する→ずれがないか確認する→合意を作る、という順序で進めます。姉は、不明点はその場で強めに切る→解釈を確定させる→会話を終わらせる、という完結優先型です。

    母は「腰が痛い」のように身体の痛みで気持ちを表現することが多くあります。失感情症の傾向があるため、心の疲れは言葉にできず、身体の痛みとして出力されるのだと思います。私が気づいて代わろうとすると、母は「大丈夫、できるから」と言いますが、私は「腰が痛くなると心配になるから、私自身が安心したくてやりたいの。ゆっくりしてて」と伝えます。行動の理由を「自分が安心したいから」という、自分側の動機として伝えることで、母の尊厳を傷つけずに済みます。

    母に「腰が痛いって、マッサージしてほしいってこと?」と聞くと、「そんなこと思ってない、ただ言っただけ」と純粋な共有だと主張します。でも「試しにマッサージしようか?」と申し出ると、「じゃあお願いしようかな」と即答します。言葉にしないまま察してほしいという気持ちが見え隠れしているように思います。

    一方、姉は同じ母の「腰が痛い」という言葉を、「歩けている、ご飯も食べられている、外出もできている=介入は不要」と捉え、「寝る前に湿布貼ったら?」で終わらせます。母も、相手によって出す顔を変えているのかもしれません。

    ぐるぐる思考と実績

    私には反芻思考があり、内なる批判者も存在します。内側にいるときは自分を裁きますが、それが外に向かうと、相手やこれから起きることへの警告(内なる警告者)として機能します。これまで償いの延長線上に家事やマッサージがあったため、何かが起きるたびに脳内で高速の連想が始まります。

    姉はこれまでの実績と信頼によって母から頼りにされているため、積極的に家事をしなくても何も言われません。一方、私は子どもの頃、母や姉が家のことをしている間、何もしていない側にいました。そのため自分の実績を作る必要がありましたが、それは大変な道のりで、他責になり感情が爆発し、その後に償う、というサイクルを繰り返して心身を消耗させていました。しかし母も姉も、いつしか私の償い(主にマッサージや家事)に静かに依存するようになっていました。

    最近気づいたのは、この罪悪感からくる償いそのものが、他責や反芻の元になっているということです。「何もしたくない」という気持ちを、幼児的万能感を持つインナーチャイルドの暴走と意味づけることで、「今やっておく方が結局都合がいい」と理解できるようになりました。償ってからやるより、先にやってしまえば安心できる。この繰り返しによって行動がパターン化し、ルーティンとして定着しました。

    今は、償いとしてではなく、未来の自分への投資として、母や姉に気まぐれでマッサージをしています。相手に合わせるのではなく、主導権は自分にあるので安心していられます。行動そのものは以前と変わっていませんが、それをどう捉えるか、どんな視点で行っているかが変わったのだと思います。

    ぐるぐる思考の正体

    ぐるぐる思考の正体は、誰かを通してでなければ納得感を得られない、ということなのだと思います。どれだけAIと話して整理しても、目の前の相手が認めてくれなければ話は完了せず、未完了な状態が続きます。この反芻思考は、恐れ・回避型の中でも不安型優勢の側面が強く出ているときに表れやすい特徴だと感じています。


    おわりに

    恐れ・回避型を理解する上で、一つ気をつけたいことがあります。不安型優勢は、このトリセツでさえも、相手を攻撃するための盾として使ってしまうことがあります。人間は複雑なので、必ずしも愛着スタイルだけで測れるものではありません。ここに書いてきた私自身の話も、可能性の一つであり、あくまで予測に過ぎません。

    心理学を深く学んだ人ほど、断定的なことを言わなくなる傾向があります。一見すると無難で曖昧な表現を好むように見えますが、それは逃げているわけでも知識がないわけでもなく、視点を増やし、可能性の中に留まろうとする姿勢の表れです。拒絶回避型もまた、無難で曖昧な表現を好む傾向があり、表面的には心理学を深く理解しているように見えることがありますが、理由は異なります。深く学んだ人の曖昧さは可能性を保とうとする意図的な姿勢から来ていますが、拒絶回避型の曖昧さは、抽象的な感情にアクセスしにくいことから来ているのかもしれません。以前の交際相手も母と同じように、のらりくらりとかわす傾向がありました。交際相手の場合は、具体を求めても答えてくれないことがあり、そのたびに「騙されているのでは」「利用されているのでは」という恐れを感じていました。母の場合は、そうした恐れというよりも、「なんか違うんだよな」というズレの感覚や、「分かってもらえない」という感覚を抱くことが多かったように思います。

    不安型優勢は外に承認を求め、具体的な言葉や行動を欲しがります。回避型優勢は基本的に自分軸で物事を判断しますが、特定の人の言動によって心が揺れ動くことがあります。

    コミュニケーションのささいなズレが、エスカレートして大きな事件になることがあります。被害者と加害者の立場が、状況次第で入れ替わることもあります。だからこそ、自分の中にある加害性に目を向け、トリガーを知り、メタ認知を鍛えることが、加害をしないための一番の備えになるのだと信じています。同時に、それは安心の得方や、他者とどう関われば自分が落ち着けるのかを知り、自己理解を深めていくことでもあります。トリガーへの気づきは、自分を縛るためではなく、自分自身がもっと生きやすくなるための希望でもあるのだと思います。

    今日もお読み頂き、ありがとうございました🌱

     
     
    知的障害がある私にとって、社会の中で暮らすこと、人と関わることは、いつも試行錯誤の連続でした。 名前の「歩みの途中」は、今の自分のありのままを表しています。 読んでくれる方と、ゆるやかに繋がれたら嬉しいです。

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