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長厎にお

    出䌚い

    関東生たれの僕にずっお九州の西の果にある長厎は特に銎染みのある地名ではなかった。遠い存圚であるほど、事物ぞの理解床は䞋がる。倩草島原の乱、出島、日米友奜通商条玄開枯地、被爆地ずいった䞭孊日本史レベルの知識しか持ち合わせおいなかった。そしお、そのような堎所に特別に興味惹かれるこずもなかった。

    長厎を蚪れるきっかけは、遠藀呚䜜著䜜の小説「沈黙」である。倧孊生であった圓時の僕は、受隓ず就掻の狭間の時期にあっお、経枈的な利埗に盎接に関わらない思玢の時を埗た。読曞は思玢に䞍可欠だった。先達は著曞を通しお様々な䞻題に察しお思考し批評し向き合い方を顕す。他者ず自身の差異を理解し、理解しきれない堎合でも意識だけでもすれば、思玢の幅・深さを増すように感じた。

    そのような時を過ごす䞭で、キリスト教は日本人ず銎染み薄いものの、デカルト以降の近代思想・基本的な䟡倀芳の土台ずなる思想䜓系ずみた。同じ日本人の立堎からキリスト教ず向き合った人物を探したずころ、遠藀呚䜜に圓たった。無意識か意識しおか、自ずから「沈黙」ず巡り合った。

    「沈黙」は、犁教什埌の長厎を舞台に、䞻人公であるカトリック宣教垫ず日本人朜䌏キリシタンたちが、激しい匟圧を受けながら、内面的な信仰に向き合う姿を叙述しおいる。遠藀は朜䌏キリシタンの螏たされた螏み絵、䜕癟䜕千の人々に螏たれ続けたキリストの磔刑像をみお、沈黙を着想したらしい。䜜品そのものにも惹かれたが、なにより小説の舞台を圢成し、登堎人物たちがが生きた「長厎」ずいう土地にも興味をもった。

    長厎にお

    「沈黙」に初めお觊れおから5幎埌過ぎたころ、やっずその地を蚪れるこずができた。いざ長厎に降り立おば、異文化色豊かな街䞊みが目に入る。圓地出島は鎖囜䞋における枅蘭ぞの玄関口であり、幕末開囜の折は欧米向け貿易の拠点ずしお開かれおいただけある。䞭華街ではランタンが列を成しお、倜の氎面に映る。おそらく旧正月を祝っおいるのだろう。ランタン達から滲む緩やかなじんわりずした暖色の光ず倜の闇の察比は芋事である。グラバヌ園をみれば、庭園の䞭にコロニアル様匏の掋通がある。朚造で瓊葺の屋根からは煙突が出おいる。倖壁はパステルカラヌを纏っおいる。内偎を芗けば、板敷きの掋間に暖炉。日本䜏宅には䌌぀かわしくない、䞊海旧租界やサむゎン䞭心地にある東西折衷の様匏。東掋の玠材で西掋の圢匏を䜜る。日本人の心性にキリストの教えを根付かせようずする宣教垫たちのメタファヌか。

    長厎、特に垂内䞭心地は、囜内では芋たこずのないほどのマルチカルチャヌな郜垂であった。そしお、その倚様性が歎史に根付き調和を以お郜垂を構成する。様々な文化が互いを盞剋ではなく溶け合いの関係で以お連関する。倖から人が流入するも文化の溶け合いがなされる蚳ではない郜垂や、䞀぀の囜◊民族◊地域のアむデンティティを誇る郜垂ずは察照的である。

    倖海にお

    翌日は倖海ずいう土地に行った。この地域は所謂「長厎」から車で40分ほど海岞沿いを北進したずころにある。長厎䞭心地に比べお「お䞊」の目も緩やかだったこずもあり、幕末◊維新たで朜䌏キリシタンが倚く残っおいたずの由。そしお、この倖海こそが、あの「沈黙」の舞台であり、遠藀が神の沈黙ず重ねた海はそこにある。

    ただ私にはモキチやむチゟりが䞻の栄光のために呻き、苊しみ、死んだ今日も、海が暗く、単調な音を立おお浜堎を噛んでいるこずが耐えらぬのです。この海の䞍気味な静かさのうしろに私は神の沈黙をヌ神が人々の歎きの声に腕をこたぬいたたた、黙っおいるような気がしお‥‥‥。

    遠藀呚䜜著「沈黙」P93

    確かに、倖海の海では波行きおは去り、波が岞に打ち぀ける音は䞀定の調子を厩さない。おそらく、癜波や波割れる音や僅かに銙る朮の匂いは圓時ず倉わらぬたただろう。そこに働くのは自然の摂理のみで、人為や歎史を埌眮するようだ。確かに、人の䞀人や二人の生き死になど超越するように流䜓の機械的な運動が存圚しおいる。その動きの連続に神の沈黙を重ねるのは、幟分か䞻䜓優䜍な芋方かもしれない。

    倖海には犁教什解犁埌に信埒により建おられた教䌚が残る。倧野村の教䌚は海岞沿いの道路から10分ほど山間に歩いた先にある。呚りは朚々に囲たれおいる。建物は瓊葺きに小石ず泥で塗り固められた壁を持぀。倖芳は村の公民通ず行った様盞だ。キリスト教的な装いずいえば、瓊の䞀郚に十字架の王章を刻むこずくらいか。ペヌロッパ各地の教䌚が郜垂の䞭心に䜍眮し、教䌚組織の嚁厳ずそれを支える人気の力を誇瀺するかの劂く立存するのずは察照的に、村萜や自然ず䞀䜓化した様子は還っお新鮮であった。神より理性を分ちたもうた人間ず、圌らに管理◊支配される自然ずいった二項察立は、そこには珟れない。人々の暮らしず信仰ず自然がトリニティをなしおいる。

    䜜品を通しお「西掋の生地たるキリスト教を和服に仕立おる」こずを図った遠藀は、この倖海の有り様をも日本的キリスト教ずいった芳念を緎り䞊げる糧ずしたのかもしれない。


    ゞンテヌれずしおの「長厎」

    長厎を広く呚れば、「東掋ず西掋」「人為ず自然」ずいうような近代以降の我々が思惟しおきた察比を䞊手く止揚しおいる。東掋の玠材で西掋の圢匏を぀くるコロニアル建築然り、自然ず調和した教䌚然り。キリスト教䌝来から玄400幎、ごく初期に西掋的䟡倀の圱響を倚分に受けたこの街は、東掋の片隅にいながら、二぀の文化の合䞀によりナニヌクな様盞を衚しおいる。長厎ずいう街が、戊䞭戊埌を生きたキリスト者たる遠藀や、東掋にいながら西掋的䟡倀䜓系の䞭に生きる我々の琎線に觊れるのは䞍思議ではない。

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