おしゃれなケージと、最高級の抗生物質について。
☑️この記事はAmazonアソシエイトのリンクを含んでいます。
▪️充実した暮らしについて
朝5時に起きて白湯を飲む。お気に入りのサプリメントを摂取し、週に数回はピラティスやジムで身体を追い込む。タスク管理アプリを駆使し、1日の終わりに「今日も生産性の高い1日だった」と充足感に浸る。
SNSの世界を開けば、こうした「丁寧で、洗練された、QOL(生活の質)の高い暮らし」がこれでもかと溢れている。画面の向こうのインフルエンサーたちは、心地よいBGMと美しいフィルターに彩られ、実に見事に自らの生活をコントロールしているように見える。
しかし、これらの映像を眺めていると、私の脳裏には決まってある古いロックナンバーの、無機質な機械音声が呼び起こされる。
イギリスのロックバンド、レディオヘッドが1997年に発表した歴史的名盤『OK COMPUTER』というアルバムがある。その中に収録されている「Fitter Happier」というトラックだ。Macintoshの読み上げ機能が、現代社会における「理想的な人間生活」のチェックリストを淡々と読み上げていく、不気味なディストピア・ソングである。
その歌詞の冒頭は、まさに現代のおしゃれVlogなどのSNS投稿そのものだ。
「より健康に、より幸せに、より生産的に……週に3回、ジムでの定期的なエクササイズ」
そしてこの曲は、あまりにも強烈なパンチラインで幕を閉じる。
“A pig in a cage on antibiotics.”(ケージの中で、抗生物質漬けにされた豚)
私たちが日々SNSで目にする「洗練されたルーティン」の正体は、実はこの「抗生物質漬けの豚」の最新版なのではないか。そんな不穏で皮肉な問いが、どうしても頭を離れない。
▪️「QOL」を他者にアウトソーシングする現代人たち
フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、近代社会の権力構造を「生政治(Biopolitics)」という概念で説明した。権力とは、逆らう者を処刑するような分かりやすい暴力ではなく、むしろ人々に自発的に「健康で、まともで、生産的な人間になろう」とさせる形で作用するという分析だ。
「週に3回ジムに通う」「徹底した食事管理をする」という行為は、誰かに脅迫されて強制されているわけではない。私たちは自分の意志で、進んで自らの身体を管理し、社会の規律に当てはめている。
これこそが、権力が最も洗練された形で成功している状態と捉えることもできる。ここで見失われているのが、QOLの「Q(質)」の主体性だ。
本来、人生のQuality(質)とは主観的で、脆く、個人的なものであるはずだ。時には泥水をすするような夜があっても、当人がそこに価値を見出していれば、それは「質の高い生」になり得る。
しかし、現代のシステムが提示するQOLは、あらかじめ市場や世間によってパッケージングされた客観的な評価基準が支配している。インフルエンサーのVlogには、どれも同じような生活が映し出されているように、固有の「質」を定義することを放棄し、世間から「それ、クオリティ高いね」と承認されるための記号的なものを必死に買い集めて提示している。つまりQOLの「Q」を、完全に他者やアルゴリズムにアウトソーシングしてしまっているように思えて仕方がない。
そしてそれは、まともな「生産」といよりも、「生産」を演出することが目的となっている。
彼らが生産しているように見えるもの。例えば、引き締まった身体、整理されたタスク、おしゃれなVlog動画は、すべて既存のシステムが「価値がある」と定めた枠組みの中の話である。
社会を揺るがすような真の創造性や、個人の内面から湧き出る狂気のようなものは、綺麗に除菌されている。単に「従順で扱いやすい身体」という商品を、自ら労働市場やSNSで披露しているという皮肉を私はそこにみる。
▪️「本人が納得しているならいい」という最強の罠
こうした指摘をすると、決まって「本人が納得して満足しているなら、それでいいじゃないか」という反論が返ってくる。自己責任と自由主義の、一見するともっともらしい一言だ。
しかし、これこそがシステムが完成した、最も根深い罠かもしれない。
家畜の豚に抗生物質が日常的に与えられるのは、必ずしも病気を治療するためだけではない。不衛生で過密なケージの中でも「病気で死なさず、効率よく肉(商品)として出荷するため」の予防措置でもある。
現代人がサプリメントを飲み、ジムに通い、高級な食事をSNSに投稿することは、自分が豊かな人生を送るためだろうか。それとも、明日もSNSの世界で、効率よく働き続けるための「メンテナンス」なのだろうか。現代人は、自分がケージの中にいることにすら気づいていない。それどころか、「私のケージは最新設備で、最高級の抗生物質が支給されている」と、隣のケージの豚とマウントを取り合っている。
「本人がいいならいいじゃん」という冷笑的な一言は、思考を停止させ、人間がゆっくりと家畜化していくプロセスを全肯定するための暗示として機能しかねない。
▪️おわりに
システムからはみ出したノイズや、非効率な葛藤、時には病みや無駄の中からしか、人間の真の文化や創造性は生まれない。全員が「システムにとって都合の良い、納得した豚」になってしまえば、社会全体の精神的な生は実質的に枯れる。SNS映えが日々追い求める「Fitter Happier」の終着点は、最高に効率的で、絶対に病気にならない、檻の中の家畜のような生だ。
タイムラインに流れている『充実した暮らし』に、ほんの少しの不気味さとグロテスクさを私は感じる。
