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もう䞀床、線む

僕は線み物を習いたい。
正確に蚀うなら、もう䞀床、習い盎したい。

今日、地䞋鉄に乗りながら呚りを眺めおいたずき、䞀人の女性がバッグから線みかけのものを取り出し、静かに手を動かし始めた。

その姿はずおも自然だった。今の僕たちがスマヌトフォンを取り出し、画面を芋始めるのず同じくらい、萜ち着いおいお、圓たり前のこずのように芋えた。

その女性を芋お、母を思い出した。

母は線み物が倧奜きで、ずおも䞊手だった。やがおそれを仕事にするほどになり、母の䜜るものにはい぀も買い手がいた。

でも、母の物語を正しく話すなら、最初から線み物ができたわけではない。

線み方も、基本の目の䜜り方も知らなかった。䜕より、線み物の本や雑誌に茉っおいる線み図を読み解くこずができなかった。

正確には、ここで蚀う線み物は、棒針線みではなく「かぎ針線み」のこずだ。僕が子どもの頃、母が芚えたかったのは、かぎ針線みだった。

母は長い間、掋裁の仕事をしおいた。おそらく独身の頃に身に぀けた技術で、家から出ずに生掻費を補うこずのできる仕事でもあったのだず思う。

ただ、母が本圓に掋裁を奜きだったのか、僕は知らない。子どもたちが䞀日䞭䞖話を必芁ずしなくなり、党員が孊校ぞ通うようになるず、母は家に瞛られない別の商売を始めたからだ。

でも、それはたた別の母の物語だ。

たぶん僕は、子どもの頃のこずを少しず぀忘れ始めおいる。

そしお母がもういない今、倱われおいく蚘憶を取り戻したり、もう䞀床組み立お盎したりするこずは、きっず難しい。確かに芚えおいる぀もりのこずたで、少しず぀砕け、混ざり合い、別の蚘憶ず重なり始めおいる。

話を戻そう。

圓時、本や癟科事兞、雑誌などを売りながら、䞀軒䞀軒家を蚪ねお歩く人たちがいた。僕の蚘憶では、たぶん党員が男性だったず思う。

圌らは䞻婊たちにいろいろな本を勧めおいた。週払いや月払いができる代わりに、倀段はかなり高く蚭定されおいたのだろう。ただ、そのあたりはもうはっきり芚えおいない。

芚えおいるのは、圓時の僕は勉匷にずおも興味を持぀子どもだず思われおいお、䞡芪から少しだけ特別に扱われおいたこずだ。

ただし、その特別扱いは、勉匷に必芁な本や教材に限られおいた。

その頃の僕はギリシャ神話に倢䞭だった。そこで母は、蚪問販売の男性に、ギリシャ神話に぀いお曞かれた癟科事兞を探しおほしいず頌んだ。

埌日、圌が持っおきたのは、僕たちが頌んだもののようでもあり、たったく違うもののようでもあった。

ギリシャ神話の癟科事兞ではなかったし、たしおや、今の僕が知っおいるようなギリシャの神々の物語が詳しく曞かれおいる本でもなかった。

それは䞖界の歎史を広くたずめたような癟科事兞で、その䞭にギリシャ文化に぀いおの短い項目があるだけだった。確かにギリシャに぀いおは曞かれおいた。でも、もっず倧きな歎史の䞭の、ほんの小さな䞀郚分ずしお扱われおいるだけだった。

けれど圓時は、具䜓的な本の題名も䌝えずに癟科事兞を頌み、販売員がそれらしいものを持っおきたなら、受け取っお、家に眮いお、代金を払うしかなかったのだず思う。

たた話がそれおしたった。

でも、すべおは぀ながっおいる。もう少し先でわかる。

同じ販売員が、母にも䞀冊の倧きな本を売った。本だったのか、分厚い雑誌だったのか、今ではもううたく説明できない。

それは線み物、特にかぎ針線みに぀いおの本だった。ずおも分厚く、党線にわたっお、かぎ針で䜜られた矎しい䜜品がたくさん玹介されおいた。

今になっお考えるず、父方の叔母たちも、同じようなものをよく䜜っおいた。叔母たちは、たるで䜕の苊劎もないように、ごく自然に線んでいた。

ただ、母ず叔母たちの関係はあたり良くなかった。だから母が、圌女たちに線み方を教えおほしいず頌むこずは絶察になかったず思う。

おそらく母は、誰の助けも借りず、自分で芚えようずしたのだろう。

ずころが、その本を開いおみるず、そこには数字、線み図、蚘号、目数、段数、蚈算、そしおたた数字が䞊んでいた。

掛け算をしお、進んで、戻っお、数え盎す。
正盎に蚀えば、頭がこんがらがるような本だった。

でも、先ほども曞いたように、圓時の僕は「勉匷のできる子」だず思われおいた。

母は、僕ならこの本を理解できるだろうず思ったのか、たず僕に読たせるこずにした。僕の力を蚌明しおみなさい、ずでもいうように。

そしお母を愛する息子ずしお、僕は迷うこずなく勉匷を始めた。

ただ䜕も知らなかった、かぎ針線みの䞖界。その謎を䞀぀ず぀、糞をほぐすように読み解いおいった。

正盎に蚀うず、それはずおも、ずおも面癜かった。

僕はたぶん、物事を論理的に考えるこずが奜きなのだず思う。だから、線み物の䞖界にすぐ倢䞭になった。

そこにはきちんずした順序があり、曖昧なずころがなかった。曞かれおいる手順を正確にたどれば、必ず最埌たでたどり着き、䞀぀の圢が完成する。

そうしお僕は、基本的な線み方から、かなり耇雑な線み方たで芚えおいった。

芚えた埌は、母に教える番だった。

母はずおも噚甚で、頭のいい人だった。だから、僕の説明を理解するのに、それほど時間はかからなかった。

線み図は、たるでピログリフのようだった。䞀぀の蚘号が䞀぀の動きを意味し、その動きが次の蚘号ぞ、そしおたた次の動きぞず぀ながっおいく。

それらすべおを䞀本の糞が぀なぎ、少しず぀圢を䜜っおいく。

途䞭で間違えたら、ほどいお、もう䞀床やり盎すしかない。

そしお母は、ほどいおやり盎すこずも含め、い぀の間にかその䞖界の達人になっおいた。

少し前、東京に䜏む友人の家を蚪ねたずき、テヌブルの䞊に、かぎ針で線たれた小さな敷物が眮かれおいるのを芋぀けた。

僕はなぜかそれがずおも気になり、少し倱瀌なくらい長い時間、じっず眺めおいた。

僕がずっず芋おいたので、友人が「母がこういうものをたくさん持っおいお、䌚うたびに新しいものを䞀぀持っおくるの」ず話しおくれた。

僕たちは、少し困ったように笑った。

僕も同じだず思い、「実は僕の家にも、䌌たような理由で残しおいるものがある」ず話した。

䜕かを線む母芪がいお、それを受け取る子どもがいる。そしお、その小さな物の䞭に、芋た目以䞊に倚くのものが残されおいく。

たしか今も、母が䜕幎も前に送っおくれた、手線みのバッグがたくさん入った倧きな箱を持っおいる。

今でも、それをどうすればいいのかわからない。

䜿うこずも、誰かにあげるこずも、売るこずも、もう違うような気がする。でも、捚おるこずは、それ以䞊に難しい。

僕はずきどき、突然、䜿っおいないものを党郚捚おたくなる。掃陀ず敎理の発䜜のようなものに、よく襲われる。

い぀か、あの線み物もその勢いに巻き蟌たれる日が来るのかもしれない。

でも、本圓に捚おられるかどうかは、自分でもわからない。

話を線み物に戻すず、それはもずもず僕が本圓に興味を持っおいた趣味ではなかった。

だから、その埌はすっかり忘れおしたった。もう䞀床やっおみようずも、調べおみようずも、思わなかった。

今日の朝たでは。

地䞋鉄の䞭で、たったく知らない女性が静かに線み物をしおいる姿を芋たこずで、これらの蚘憶が突然、僕の䞭からあふれ出した。

幎霢のせいなのかもしれない。

懐かしさや、もうそばにいない倧切な人がしおいたこずを繰り返したいずいう気持ち。それをするこずで、その人がもう䞀床、自分のそばにいるように感じられるのかもしれない。

耳元で、䜕かを静かに教えおくれおいるように。

生きおいる間には受け取れなかった教え。あるいは、受け取っおいたのに、そのずきの僕には倧切さがわからなかった教え。

そのささやきは、もういなくなった人の消えかけた声を、僕の䞭に呌び戻しおくれる。

䜕幎たっおも、その声はただそこにある。僕が今、消えおしたわないように集めようずしおいる蚘憶の䞭に、静かに隠れおいる。

もしかするず、もう䞀床線み物を習うこずは、母ず過ごした時間ぞ戻る方法でもあるのかもしれない。

少しず぀ほどけ始めた蚘憶を手に取り、䞀目ず぀、もう䞀床線み盎しおいくように。



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