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許せるといい

やつれきった保護者が、アポなしで来た。

40代前半の母親だった。

見た目は普通だった。
でも背中が、申し訳なさで丸くなっていた。
目線は、ずっと机の真ん中に向いていた。

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話を聞くと、こういうことだった。

小学2年から、母親主導で中受をしてきた。
娘は頑張った。
でも、落ちた。

落ちた瞬間に、何かが壊れた。

「あんたらのせいで落ちた」
「あんなに頑張ったのに、何も得られなかった」
「だから私はこれから好きに生きる。文句は言わせない」

娘はほぼ引きこもりになった。

母親の言うことは一切聞かなくなった。
父親の言うことも聞かなくなった。
母親を止めなかったから、という理由だった。

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そして迎えた中学3年。

受験をどうするか、という相談だった。

家庭での主導権は、全て娘に委譲されていた。
塾だろうが学校だろうが、娘の気持ち次第。
母親にできることは、もう何もなかった。

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2回目の面談に、娘が同席してきた。

体験授業をした。

数学がサラサラと解ける。
中受したというのも頷けた。
才能とはこういうものか、そう感じる解き方だった。

勉強は好きかと聞くと、

「嫌いじゃない」

そうなんだ、と返すと、

「まあ、続けたいとは思えないんですよね」

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燃え尽きていた。

いや、燃え尽きというより、
自分への諦めだと感じた。

勉強するたびに、悲しくなっている。
そういうものを感じた。

サッカーが好きでプロを目指して、
怪我をしてプロになれなかった。
そんな感覚に近かった。

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結末を書く。

この子は、塾には入らなかった。

本人が「勉強しない」と言ったから。

私の至らなさだったのかもしれない。
「ここならやれる」と思わせることが
できなかったからかもしれない。
もっとできることがあったのかもしれない。

なぜ体験授業だけ来たのか、今でもわからない。

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あの子のことが、頭から離れなかった。

状況は違う。
でも、何かが重なった。

あの子は、頑張ったのに傷を負った。
私も、頑張ったのに傷を負った。

あの子は、母親を許せるのだろうか。
私は、上司を許せるのだろうか。

その答えが出ないまま、
自分のことを振り返っていた。

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私はある塾の教室長を任されていた。

一般的に言えば、店長に近いポジションだ。
授業を担当するのではなく、
生徒・保護者対応と講師のマネジメントが主な仕事になる。

前任からバトンタッチしたとき、
生徒数は30名を切っていた。

潰れかけだった。

「今いる生徒に全力を尽くす」

それだけを掲げてやってきた。

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最初にやったのは、自分が授業に入ることだった。

教室長が授業に入るのはタブーとされている。
でも、自分がやらなければ、講師の気持ちはわからない。

生徒から直接フィードバックをもらった。
「わかりにくい」「この説明の方がいい」
そういう言葉を、そのまま受け取った。

その姿が講師には「なんか知らんけど頑張っている奴」
として映ったらしく、少しずつ信頼の土台になっていった。

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月次の会議を始めた。

最初はほとんど誰も来なかった。

会議の中身よりアイスブレイクに全力を注いだ。

講師の多くは大学生だった。
楽しくなければ来ない。

こじつけでも
「これ、教育に活かせますよね?」
というオチを用意して、
「そんなわけあるかい!」
というツッコミをもらいながら進める会議を作った。

次第に、講師が自分でアイスブレイクを企画するようになった。
会議の内容も、講師が考えるようになった。
私は方向性を示すだけの存在になっていった。

「垣村さん」と呼ばせることにした。

肩書きの壁を取り払いたかった。
チームで動くものである以上、
一人だけ呼称が違うのはおかしい。

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ここで少し、背景を話しておく必要がある。

この業界は、売上至上主義だった。

新卒の最初の等級は、一般的に1年で上がるとされている。
私はそれに3年かかった。
所謂、劣等生扱いだ。

売上を上げることが全てで、
売上の上がらない人間は人ではないと言わんばかりの空気があった。

だから、売上を一瞬で爆増させようとする者が出てくる。
生徒・保護者に営業をかけて数字を作り、
昇級してその教室を部下に押し付け、
失敗したら部下のせいにして逃げ切る。
そういう構造が、あちこちにあった。

私はそれをしなかった。
売上を先に追いかけなかった。
目の前の人と向き合い続けた。

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講師が定着し、授業の質が上がり、
生徒の成績が上がり、在籍数は過去最高を更新した。

5年かかった。

売上は、最終的に4.2倍になった。

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その後、私は管理職になった。

受け持ったエリアの売上前年比は、
他のエリアと比べて圧倒的だった。

それでも、こう言われた。

「適性がない」

なぜそう言われたのか、正式な説明はなかった。
数字ではなく、この上司の「感覚」がそう言った。
それだけのことだった。

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深夜3時にメールが来た。

数値確認の会議があるからという理由で報告を求めるが、
フォーマットは出してもらえない。

こちらが作ったフォーマットが意に沿わないと、叱責が来る。

実際に届いたメッセージを、一部記しておく。

「恫喝に近い指摘で皆直った。いつまで直らないの?」
「もう無理ですね。はい、また失格」
「管理職だから言われても当たり前ですよね」
「職人タイプに何を言っても無駄だな」
「普通に育ってこなかった人には無理ですね」
「昔何か辛いことがあった奴は素直になれない」
「将来に影響しても文句は言えませんね」

正解は言わない。
でも叱責はする。
答えは、その人の頭の中にしかなかった。

過去を持ち出す。
変えられない事実を責める。
そのロジックで言えば、
パワハラをする人間の言うことを聞く必要はないとも言えるが、
そんなことを考える余裕は、当時の私にはなかった。

「指摘するのが愛情だ」

こういう指摘をする人間はなかなかいない、だから貴重なのだと。
言ってもらえることが、改善の最短距離なのだと。

恫喝や脅迫を、愛情という言葉で包んでいた。

1分に1通のショートメールが、3時間続いた。
そのメールが半年続く。
長時間、人が見ている前で叱責された。

画面を見るたびに、胃が重くなった。
でも返信はしなかった。
返信したら、認めることになる気がしていた。

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その上司の門下生も、同じマネジメントをした。

エリアの8教室で、8名全員が退職した。

退職代行が出てきて音信不通になった者。
精神的に病んだと申告した者が3名。

退職者の数が、教室の数を上回った。

それでも、上司も門下生も、お咎めなしだった。

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異動が決まった。

「異動はさせるが、行く場所はまだ決まっていない」
「ここから出ていくことは決めている」
「お互い足の引っ張り合いは良くないから、今日でやめよう」

自己都合ばかりの、空虚な話だった。

私は鬱状態だったのかもしれない。
でも、こんな奴といて鬱になってられるか、という気持ちもあった。

何を言われても、犯罪の加担はできない。
叱咤叱責のみを部下にするという命令は、絶対に聞けない。
ただ部下を守る。それも管理職の責務だと思っていた。

プライドが高すぎる、と言われれば、犯罪に加担しないプライドに決まっている。
言うことを聞かなければプライドが高いとは、何事だ。
むしろプライドがなければ、この仕事はやっていられないだろう。

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後輩にも同じことが起きるかもしれない。

それが、一番の後悔だった。

しかし、上司は後から訴訟リスクを理由にマネジメント業務を外れた。
後輩への直接的な被害は、なかった。

その事実で、後悔の一部は消えた。

消えなかったのは、別のことだ。

上司が辞めたのは「自分が悪かった」からではない。
「訴えられるのが怖かった」からだ。
自分のマネジメントを改めたわけでも、
部下への影響を省みたわけでもない。
ただ自己保身で、人に関わらないポジションに移っただけだ。

自分の中の何かを変えることなく、
今日もどこかで同じ衝動を抱えて生きている。

それが許せるほど、私の正義は死んでいない。

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「復讐は無意味」というのは、
やられたことのない人間の言葉だと思っている。

人としての尊厳を傷つけられたとき、
多少のことで自己尊厳が戻るはずもない。

ただ私は、その衝動と、自分の人生を切り離すことにした。

上司の性質は、一生変わらないだろう。
そういう割り切りはできる。
その怒りを抱えたまま、
自分の人生を汚すほどのことにはしたくない。

それは許すことではない。
ただ、自分のための線引きだ。

「誠意」とか「自戒」とか、
そういうものを上司が見せてくれれば、
私の自己尊厳は少し回復するのかもしれない。
でも、それは来ない。

だから私は、今も完全には許していない。

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2年ごとに、私の体は壊れていった。

円形脱毛症。帯状疱疹。複雑骨折。

そしてパワハラを受けた後、悪性リンパ腫が見つかった。

その後、尿石が出た。

異動してからは、出ていない。

体は、正直だった。

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先日、元教室の講師陣から飲み会の誘いがあった。

私が来た瞬間に、皆が爆笑した。
お笑い芸人の出番のようだった。
それもまた懐かしくて、嬉しかった。

元生徒が講師になっていた。

各々の近況が話され、
私が最後にこう言った。

「社会人になってわかったと思うけど、
上司に直接クレームを入れられる職場って、最高じゃない?」

皆が「確かに!」「間違いない!」と爆笑した。

すると、こんな言葉が返ってきた。

「ウチの親、先生のこと崇拝してました。また聖地巡回したいって。ありゃ垣村塾でしたよ」

各々の話を聞いて、ホッとした。

パワハラを受けてからの5年近く、
自分は無価値だと思っていた。

出世コースから外れた。
後任のマネージャーも、私のことを笑っているのだろう。
教室の後任も、私のことを適当に思っているのだろう。

自己肯定感がない、なんてもんじゃなかった。
自己否定から、社会否定に入るくらいのものだった。

私も間違ってなかったんだな。
私のやったことが、役に立っていたのか。

そう思うと、救われるものがあった。

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数学がサラサラ解けた、あの子のことを思い出した。

「あんなに頑張ったのに、何も得られなかった」

あの子の母親が言っていた言葉が、
そのまま自分にも当てはまった。

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あの子も、私も、
夢中になってやっていた時、
すでに何かを成していたのかもしれない。

それが何かのきっかけで、見えなくなった。
希望が持てなくなった。
自分が嫌いになった。
何もかも、燃え尽きた。

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あの子はまだ、将来がある。

親を許せるかどうかはわからない。
でも、違う道を選ぶことはできる。
親と距離を置いてもいい。
違うことに情熱を向けることで、
いつか、あの頃の自分を許せる日が来るかもしれない。

あの子の母親は、深く反省しているように見えた。
その誠意が、いつかあの子に届くといい。

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数学がサラサラ解けた、あの子。

声を上げられなかった、あの頃の私。

あの子には、許せるといい、と思う。

私は、まだわからない。


この話の全部の始まりは、もっと前にある。


▶︎砂糖をおやつにしていた子が、教育業界の裏側に入るまでの全部


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