霞んだ脳裏をいく
最悪だ。
ツバメの雛が雑草の中にちょこんと座っている。ちょこん、なんて言えば可愛く聞こえるが、状況は絶望的だ。それは桃太郎の桃がアマゾン川を流れているようなもんで、果肉と共に中の赤ん坊もピラニアに食い荒らされるだろう。
この場面に立たされた人間は二択に迫られる。
見殺しにするか、一生面倒を見てやるか。
極端だが、実際そうだ。
雛は自力で巣に戻れない。親鳥が運べるわけもない。人間が巣に戻してやれば? と言いたいところだが、位置的に難しい。無理にそれを実行しようとすれば、人間の方が危険を被るような現場なのだ。それと、野鳥の飼育は条例違反である。
簡易的な巣を作り本物の巣の近くに配置してやると、親鳥がそれを認識し育児を続けてくれるかもしれないらしい。だが、確証なんてない。人間の匂いがついたものに近づかないかも、本物の巣じゃないんだから立ち入らないかも。そもそも、眼前の生死を他者頼み、他鳥頼みにするのも胸にざらつきが残る。
小さなふわふわが、体全体で肺を上下させるその様が、私を酷く嫌な気持ちにさせた。手のひらに収まる心臓そのものに見えて、別に私の心臓はなんの危険にも晒されていないくせに、小細胞がいくつか潰れ軋んだ。
前にもこんなことがあった。
小学生の頃、学校行事で稲刈りをした。鎌を右手に、片方の手で握ったその根本をギコギコする。涼しい秋晴れに、積み上がる達成感は気持ちが良かった。
中腰でザクザクと進んでいると、異様な物体が目の前に現れた。落穂でできたボールのようなもの。稲と稲の間に橋をかけるように宙に浮いている。
ほぼ反射で鎌を放り出し、奇妙なそれに手を伸ばした。好奇心に脳信号をジャックされた。中身を探って、小さな足が見えた時はまた反射で叫んだ。
謎の球体の正体はカヤネズミの巣だった。
それがわかったのは、不思議な発見を親に見せたくて持ち帰ってしまった後だ。私は誘拐犯になった。夜の田舎道を走る助手席に揺られ、母と共に、平らになった乾いた田んぼにそっとそれを返した。
あのネズミがどうなったのかは知らない。
知りたくもない。
私のせいで、人生がめちゃくちゃになった可能性のある命のことなんか、思い出したくなかった。