
「パンケーキ食べたい」とは何だったのか?
パンケーキを食べたいと思ったことが無い。
そんな私がパンケーキを食べることになったので、この際なのでパンケーキについて考察したい。
前提となるのは、パンケーキは食事ではない。
豪華な軽食だ。
ささやかな贅沢だ。
しかし、そんなことを言ってると、口にオートミールを含んだ哲学的ゾンビがニヤリと笑いだす。
「オマエノショクセイカツハマチガッテイル」
そんな時、とある風来坊があのフレーズを連呼した。
「パンケーキ食べたい」
勝手に黙って食べればいいものを、なぜか連呼した。
人々はその時、パンケーキを見失った。
彼らは探し求めた。
それが哲学的ゾンビの第二派と数えられる。
パンケーキを食べたい人と別に食べたくない人は、特別に争うことは無かった。
そんな中、再定義された新たなる日常で、パンケーキは焼かれ続けた。
日々指数関数的に増え続けるパンケーキは、しかし人の胃袋を満たすことは無い。
だからこそ、「パンケーキ食べたい」というフレーズが鳴りやむことはない。
哲学的ゾンビも根負けし始めている。
パンケーキぐらいいいじゃないかと。
朝食も食べた。昼食も食べた。夕食も食べてる。
でも「パンケーキ食べたい」は鳴りやまない。
冷静に焼かれ続けよう。
自転車が壊れても。
夏が熱くても。
ブラウン管が懐かしくても。
焼かれ続けた先に、転生しても、それでもパンケーキを焼き続けよう。
灯台守だってパンケーキを食べたいかもしれない。
ゾンビは初手を間違えたのだ。
そこから始めよう。
パンケーキはサラダなのかもしれない。
本来は記念日を設けられて然るべき存在なのだ。
彩りを侮ってはならない。
スピルバーグには、そこが足りなかった。
だからハリウッド映画は凋落した。
ポップコーンという伝統に甘え続けた。
素直にならなくちゃいけない。
パンケーキが焼かれ続けることに。
私は本当は、パンケーキが食べたいのかもしれない。