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第9話|バイクが自己肯定感を取り戻してくれる理由

若い頃は、「まだ何かできる」
ということを、わざわざ考えたこと
なんてなかった。

これから先に時間があって、
知らない場所があって、
やったことのないことがたくさんあった。

失敗しても、「まあ、次がある。」
そんなふうに思えていた。

でも、歳を重ねると少し変わってくる。

仕事では、できて当たり前。

責任を果たして当たり前。

家族のこと。

お金のこと。

これからの人生のこと。

いつの間にか、「やってみたい」より、
「失敗しないこと」を
考える時間の方が増えていた。

僕自身も、
そんな自分に気づくことがある。

別に人生が嫌なわけじゃない。

それなりに頑張ってきたと思う。

それでも時々、心のどこかで思う。
「俺は、まだ何かできるんだろうか?」


そんな気持ちを、
誰かに話すことはほとんどない。

たぶん、
大人になるということは、
こういう気持ちまで自分の中で処理する
ことなのだと思っていた。

でも、
バイクに乗るようになってから、
少しだけ変わった。

バイクの前では、
年齢より「できるかどうか」だった。

バイクに跨がる。

車体を起こす。

クラッチをつなぐ。

低速で走る。

曲がる。

止まる。

最初は、一つひとつが緊張する。

特に大きなバイクなら、
「こんなの本当に扱えるのか?」と
思うこともある。

僕もそうだった。

格好よく乗りたいと思っているのに、
実際には、
思うようにいかないことばかり。

低速でふらつく。

Uターンが怖い。

駐車場所を見て、
「ここ、出られるかな。」と考える。

坂道では、
止まる場所まで気になる。

若い頃なら、
そんな自分を格好悪いと
思ったかもしれない。

でも今は、少し違う。

できないことがある。

だから、少しずつ覚える。

昨日より、
ほんの少しだけ上手くなる。

その感覚が、
思っていた以上に嬉しかった。


心の科学①  人には「自分ならできる」
という感覚が必要らしい。

心理学には、
自己効力感(self-efficacy)
という考え方があります。

簡単に言えば、
「自分なら、この状況に対処できそうだ」
と思える感覚です。

ここで大切なのは、
「自分は素晴らしい人間だ」
と思い込むことではない。

実際に何かをやって、
小さくても
「できた」という経験を積むこと。

僕はこの考え方を知ったとき、
バイクに乗って感じていたことと、
よく似ていると思った。

初めて一人で遠くまで走れた。

苦手だった道を走れた。

怖かった高速道路を走れた。

目的地までたどり着けた。

無事に家まで帰ってきた。

一つひとつは、
誰かから見れば大したことではない。

でも、
自分にとっては違う。

ヘルメットを脱いだとき、
心の中で小さく思う。

「今日も、ちゃんと帰ってこられた。」

この小さな「できた」が、
思っている以上に心に残る。

大人になると、褒められることが
少なくなる。

子どもの頃は、
何かできるようになるたびに、
誰かが褒めてくれた。

自転車に乗れた。

泳げた。

テストでいい点を取った。

初めて料理を作った。

「すごいね。」

「できたね。」

そんな言葉を、
当たり前のようにもらっていた。

でも大人になると、
そういう機会は減っていく。

仕事ができても、「できて当然」。
約束を守っても、「当然」。

家族のために頑張っても、
誰かが毎回褒めてくれるわけではない。

むしろ、
できなかったときの方が目立つ。

僕も、いつの間にか
「できたこと」より「できなかったこと」
を見る癖がついていた気がする。

でもバイクに乗っていると、
誰も褒めてくれなくても、

自分だけは分かる。

「あのカーブ、前より自然に走れたな。」

「今日は落ち着いて取り回せた。」

「知らない道だったけど、ちゃんと
行けた。」


小さなことだけれど、
自分の中に「できた」が戻ってくる。


心の科学②  「できた」という経験は、
自信の材料になる。


自己効力感を育てるうえで、
特に重要だと考えられているものの
一つが、自分自身の成功経験です。

難しいことを一度に達成する必要はない。

むしろ、自分にとって少しだけ
難しいことを乗り越える。

その積み重ねが、
「次も何とかできるかもしれない」
という感覚につながっていく。

これは、
バイクそのものが自己肯定感を
与えてくれる、という話ではないと思う。

バイクは、何もしてくれない。

跨がるのも自分。

走るのも自分。

判断するのも自分。

怖いときに落ち着くのも自分。

そして、

無事に帰ってくるのも自分。

だからこそ、
走り終えたあとに残る。
「自分でやった。」という感覚が。

もしかすると、
僕がバイクからもらっていたと
思っていた自信は、
最初から僕の中にあったものなのかも
しれない。

バイクは、
それを思い出させてくれただけなのだと
思う。

僕が本当に取り戻したかったもの


ここまで書いてきて、
少し気づいたことがある。

僕がバイクに乗って取り戻したかったのは、若さではなかったのかもしれない。

速く走りたかっただけでもない。

格好よく見られたかっただけでもない。

もっと単純なものだった。

「まだ自分には、できることがある。」
そう思いたかったのだと思う。

「もう歳だから」という言葉は便利だった。

歳を重ねると、「もう歳だから」
という言葉を使うことがある。

僕も使ったことがある。

便利な言葉だと思う。

やらない理由になる。

失敗しなくて済む。

恥をかかなくて済む。

怖い思いもしなくて済む。

でも、その言葉を使うたびに、
自分で自分の可能性を、
少しずつ狭くしていたのかもしれない。

バイクに乗ることだってそうだ。

重い。

怖い。

転ぶかもしれない。

お金もかかる。

家族にも心配される。

やらない理由なら、

いくらでも見つかる。

それでも、

跨がった。

エンジンをかけた。

走り出した。

その瞬間、何か大きなことを成し遂げた
わけではない。

でも僕の中では、
一つだけ変わった。

「やらなかった自分」から、
「やってみた自分」になった。


この違いは、
思っていたより大きかった。

心の科学 ③  行動すると、「自分についての認識」も変わっていく。

人は、
自分がどんな人間なのかを、
頭の中だけで決めているわけではない。

自分が実際に何をしたのか。

どんな選択をしたのか。

何を続けてきたのか。

そうした行動も、
「自分はこういう人間だ」という
自己認識を作っていく。

だから、
「自信がついたら挑戦しよう」
と思っていると、
なかなか動けないことがある。

僕自身、
バイクから教えられたのは逆だった。

自信があるから走るのではない。

少し怖くても走ってみる。

そして帰ってくる。

その経験が、
あとから自信になっていく。

考えてみれば、
最初から自信満々だったことなんて、
人生でもほとんどなかった。

仕事だってそうだった。

初めてのことは、

いつも不安だった。

でも、

やってみた。

失敗した。

覚えた。

もう一度やった。

そして、
いつの間にかできるようになった。

バイクも同じだった。


バイクに乗っていると、「自分で決める」が増える。

今日はどこへ行くか。

どの道を走るか。

休憩するか。

引き返すか。

もう少し走るか。

天気が怪しい。

どうする。

知らない道に入った。

どうする。

疲れてきた。

どうする。

バイクに乗っていると、
小さな判断を何度もする。

誰かに決めてもらうわけではない。

最後は、

自分で決める。

普段の生活では、

仕事の予定。

家族の予定。

社会のルール。

いろいろなものに合わせながら
生活している。

もちろん、それは大切なことだ。

でもバイクに乗っている数時間だけは、
「自分で決めて、自分で進む」
という感覚が戻ってくる。

僕は、
この感覚が好きなのだと思う。


心の科学④  「自分で選んでいる」という
感覚

心理学では、
人の心の充実に関わるものとして、
自律性(autonomy)という
考え方があります。

簡単に言えば、
誰かにやらされているのではなく、

「自分で選んで行動している」
と感じられること。

バイクは、
この感覚をとても分かりやすく
してくれる。

右へ行く。

左へ行く。

止まる。

進む。

帰る。

全部、

自分で決める。

もちろん、

交通ルールと安全が最優先だ。

でも、その範囲の中には、
驚くほど自由がある。

地図を見て、
「今日はこっちへ行ってみよう。」

ただそれだけで、
一日が少し違って見える。

僕にとってバイクは、
自分の人生のハンドルを、
自分で握っている感覚を
思い出させてくれるものでもある。


自信は、大きな成功からだけ
生まれるものではなかった。

昔の僕は、
自信というものを、
もっと大げさに考えていた。

仕事で成功する。

お金を稼ぐ。

誰かに認められる。

何か大きな結果を残す。

そういうものが、
自信になるのだと思っていた。

もちろん、
それも自信になる。

でも今は、
少し違うと思っている。

朝早く起きられた。

予定していた場所まで走れた。

苦手だった道を越えた。

無理をせず休憩できた。

危ないと思って引き返せた。

無事に帰ってきた。

そんな小さな判断の中にも、
自信の材料はある。

特に、
「今日はやめておこう」
と判断できた日も、今は「できた」の
一つだと思っている。

無理をすることだけが挑戦ではない。

安全に帰ってくることまで含めて、
ライディングなのだから。

バイクは、自分を褒めてくれない。

ここが、僕は好きなのかもしれない。

バイクは、「よくやった」なんて言わない。

「上手くなったな」とも言わない。

SNSの「いいね」もない。

拍手もない。

ただ、
ガレージに帰ってきて、
エンジンを切る。

さっきまで聞こえていた音が止まり、
急に静かになる。

ヘルメットを脱ぐ。

そして、

愛車を見る。

そのとき、
自分の中だけに残るものがある。

「今日も走ったな。」

それだけ。

でも、それでいい。

誰かから評価されなくても、
自分だけが知っている達成感がある。

歳を重ねた今、
僕にはそういう自信の方が、
少し心地よく感じる。


自己肯定感とは、「自分はすごい」と
思うことではないのかもしれない。

僕は以前、

自己肯定感という言葉を、

「自分に自信を持つこと」
くらいに考えていた。

でも今は、
少し違う気がしている。

上手くできない日もある。

怖い日もある。

疲れている日もある。

思ったように走れない日もある。

そんな自分まで含めて、
「まあ、これも自分だ。」
と思えること。

そして、それでもまた、
やってみようと思えること。

僕にとっての自己肯定感は、
そんなものなのかもしれない。

バイクは、僕を完璧な人間には
してくれなかった。

むしろ、
自分の下手さも、怖がりなところも、
体力の衰えも、嫌というほど教えてくれる。

それでも、走れる?まだ覚えられる。
まだ行ったことのない場所がある。
まだ見たことのない景色がある。

そう思えるだけで、
少しだけ自分を好きになれる。

若返ったのではない。

第6話で、
「バイクに乗ると若返ったように
感じる理由」
について書いた。

今になって、
その続きが少し分かった気がする。

僕は、若返ったのではない。

50代なら50代のまま。

身体も、

人生経験も、

背負っているものも、

若い頃とは違う。

でも、

「まだできる」という感覚が
戻ってきた。

それが、
若い頃の自分と少し似ていたのだと思う。

年齢が戻ったのではなく、
可能性を見る方向に、心が戻った。

だから、少し若返ったように感じたのかもしれない。

『STORY RIDER編集部より』

今回、
「バイクが自己肯定感を
取り戻してくれる理由」

について考えてみて、
僕自身、一つ気づいたことがある。

バイクが、
自信をくれたわけではなかった。

バイクが、
僕を強い人間に変えたわけでもない。

ただ、走るたびに、
小さな「できた」を残してくれた。

怖かったけれど走った。

知らない道へ行った。

迷ったけれど戻れた。

疲れたから休んだ。

危ないと思って引き返した。

そして、
今日も無事に帰ってきた。

その一つひとつが、
僕に教えてくれた。

「まだ、大丈夫だ。」

「まだ、できる。」

「まだ、これからだ。」

歳を重ねると、
人生から「初めて」が少しずつ
減っていく。

でも、自分で一歩踏み出せば、
まだ初めては作れる。

まだ挑戦できる。

まだ失敗できる。

そして、まだ成長できる。

僕にとってバイクは、
それを思い出させてくれる存在
なのだと思う。

だから今日も、

ガレージを開ける。

ヘルメットをかぶる。

セルを押す。

そして、

走り出す。

誰かに自分を証明するためではない。

自分自身に、
「まだ行ける」と思わせるために。


【あなたへの問い】

最近、自分自身に

「よくやった」と言ったのは、
いつでしょうか?

大きな成功でなくていい。

初めての道を走った。

久しぶりにバイクに乗った。

苦手だったことが少しできた。

無理をせず帰る判断ができた。

そんな小さなことでいい。

もしかすると、自信というものは、
誰かからもらうものではなく、
自分が積み重ねた「できた」を、
自分でちゃんと見つけてあげること

から始まるのかもしれません。

そして、

次にバイクから降りたとき、
少しだけ自分に言ってみてください。

「今日も、よく走った。」

それは愛車に対してだけではなく、
今日を走った、自分自身への言葉でも
あるのだと思います。


次回|最終話・第10話

危険を知りながら、それでも人はなぜ
走るのか?

バイクが危険を伴う乗り物だということを、ライダー自身が一番よく知っている。

転倒するかもしれない。

事故に遭うかもしれない。

雨も降る。

暑い。

寒い。

疲れる。

それでも、

なぜ僕たちは走るのだろう。

最終話では、

恐怖・リスク認知・自由・生きている
実感・自己決定という「心の科学」から、
このシリーズで考えてきた
「人はなぜバイクに乗るのか」という
問いに、僕自身の答えを出してみたいと
思います。


🏍️ 今回のおすすめアイテム


バイク用スマートモニター

「まだ行ったことのない場所へ行ってみたい。」

バイクに乗っていると、そんな気持ちになることがあります。

今回、第9話に添えたいのは、
バイク用スマートモニター
(ディスプレイオーディオ)です。

スマートフォンと連携してナビを表示できるタイプなら、知らない道を走るときにも便利です。

僕自身、バイクに乗って感じる自信は、
大きなことを成し遂げたときだけに生まれるものではないと思っています。

初めての道を走った。

行ったことのない場所まで行けた。

迷いながらも目的地に着いた。

そして、無事に帰ってこられた。

そんな小さな「できた」が積み重なって、

「次は、もう少し遠くまで行けるかもしれない。」

という気持ちになっていく。

ナビは目的地まで案内してくれる道具ですが、最後にアクセルを開けて、その道を走るのは自分です。

知らない道へ、一歩踏み出してみる。
その経験が、また一つ「できた」を増やしてくれる。

第9話には、そんな次の一歩を支えてくれるアイテムとして、バイク用スマートモニターを選びました。

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