第7話|なぜバイクを「相棒」と呼ぶようになるのか
第7話|なぜバイクを「相棒」と
呼ぶようになるのか
納車されたばかりの頃。
あのバイクは、まだ僕にとって
「買ったバイク」だった…
傷をつけたくなくて、
駐車するたびに何度も振り返った。
家に帰ってからも、
意味もなくガレージを覗いた。
最初は、ただ格好いいと思っていた。
ずっと欲しかった一台を、
ようやく手に入れた。
それだけだったはずなのに。
いつの間にか、出発するときに
声をかけるようになった。
「今日も頼むぞ。」

無事に帰ってくれば、
「今日もありがとう。」
雨の中を走った日は、
「悪かったな。」
そんなことを、
自然に言うようになっていた。
もちろん返事はない。
鉄とアルミとゴムでできた機械だ。
そんなことは分かっている。
それでも長く乗っていると、
「バイク」という言葉だけでは、
少し足りなくなってくる。
そして気づけば、
僕はこいつのことを
「相棒」
と呼ぶようになっていた。
自分でも少し不思議に思う。
なぜ人は、
ただの機械にここまで感情を
持つのだろう。
最初から
「相棒」だったわけではない。

納車したその日から、
特別な絆があったわけじゃない。
むしろ最初は、
分からないことばかりだった。
アクセルの感覚。
クラッチがつながる位置。
ブレーキの効き方。
低速で感じる重さ。
曲がるときの癖。
エンジンの音。
取り回し。
「思っていたより重いな。」
「こんなに熱いのか?」
「この速度が気持ちいいな。」
そんな小さな発見を繰り返しながら、
少しずつ、こいつのことを知っていった。
そして僕自身も、
少しずつ乗り方を合わせていった。
レバーの位置を変えた。
ミラーを調整した。
シートを変えた。
パーツを付けた。
傷もついた。
走行距離も増えた。
そうやって、ショールームに
並んでいた一台が、
少しずつ「自分のバイク」に
なっていった。
たぶん、相棒というものは、
最初から相棒なのではなく、
一緒に過ごした時間の中で、
少しずつそうなっていくのだと思う。
人は、身近なものに「心」を
感じることがある。
僕は昔から、長く使っている物に
少し特別な感情を持つところがある。
時計。
工具。
カメラ。
財布。
長く使っていると、
「こいつは丈夫だな。」
「今日は少し調子が悪いな。」
そんな言い方をしてしまう。
バイクも同じだった。
アクセルを開ければ反応する。
ブレーキをかければ減速する。
身体を傾ければ曲がる。
路面の状態は、
振動として返ってくる。
自分が何かをする。
すると、バイクが応える。
また自分が操作する。
その繰り返しを続けていると、
いつの間にか、ただ機械を
操作しているというより、
会話しているような感覚になってくる。
心理学では、人間ではないものに、
人間らしい性格や感情を感じることを
擬人化(anthropomorphism)
と呼ぶらしい。
言われてみれば、
たしかにそうなのかもしれない。
でもライダーにとっては、
もっと自然なことのように思える。
毎日のように触って、
何千km、何万kmと一緒に走っていれば、
ただの「物」ではいられなくなる。
調子の違いが分かるようになる。
長く乗っていると、
小さな変化が気になるようになる。
「今日はエンジンが軽いな。」
「少し振動が大きい気がする。」
「何か音が違う。」
「タイヤの感触がいつもと違うな。」
もちろん、
そこには物理的な理由がある。
気温。
タイヤの空気圧。
路面。
オイル。
摩耗。
整備状態。
それでも僕の中では、
「今日のこいつ、ちょっと違うな。」
になる。
不思議なものだ。
最初の頃は、
何が正常なのかすら分からなかった。
でも何千kmも走るうちに、
いつもの音。
いつもの振動。
いつもの感触。
それを身体が覚えていく。
だから、
ほんの少しの違いにも気づくようになる。
きっとこれは、
感傷だけではない。
一緒に過ごした時間が、理解に変わって
いったということなのだと思う。
なぜ車よりバイクを「相棒」と
呼びたくなるのか?
もちろん、
車にも強い愛着を持つ人はいる。
僕もそれはよく分かる。
でもバイクには、
少し違う感覚がある。
雨が降れば一緒に濡れる。
暑い日は、
エンジンの熱まで感じる。
寒ければ、
身体で寒さを受ける。
強風の日は、
車体と一緒に耐える。
峠では、
身体ごと使って曲がる。
高速道路では、
風圧をまともに受ける。
つまり、
バイクと自分は、
同じ場所にいる。
同じ雨に打たれ、
同じ風を受け、
同じ暑さと寒さの中にいる。
車内から機械を操作しているというより、
機械と一緒に、
外の世界へ出ている。
だからなのだと思う。
「乗っている」
というより、
「一緒に走っている」
という感覚になる。

僕にとっては、
この感覚がとても大きい。
思い出の中には、いつもバイクがいる。
振り返ってみると、
いろんな日があった。
初めて遠くまで行った日。
突然、雨に降られた日。
道に迷った日。
仲間と出会った日。
一人で海を見た日。
怖い思いをした日。
今でも忘れられない夕日を見た日。
そして、
無事に家へ帰ってきた日。
そのどの景色の中にも、
なぜか愛車がいる。
写真を見ると、
「あの時、このバイクだったな。」
とすぐに思い出す。
つまり、バイクは僕を運んでくれた
道具であると同時に、
僕の人生の一部を、一緒に経験した
存在になっていた。
そこまで来ると、
もう「所有物」という言葉だけでは、
少し違う気がしてくる。
だから僕は、いつの間にか
「相棒」
と呼ぶようになったのだと思う。
なぜ「自分のバイク」だけが
特別になるのか?
同じメーカー。
同じ車種。
同じ年式。
同じ色。
街を走っていれば、自分とまったく
同じモデルを見ることもある。
それでも、自分のバイクだけは、
やっぱり少し違って見える。
傷の場所を知っている。
調子のいい回転域も知っている。
苦手な取り回しも知っている。
どこを変えたかも知っている。
そして何より、
一緒に走った時間を知っている。
同じ車種が100台並んでいても、
僕にとっての一台は、
その中の一台ではない。
他の99台にはない時間が、
そこに積み重なっている。
愛着とは、「時間」が価値を
変えていくことなのかもしれない。

新品だった頃より、何年か乗った
後の方が、
なぜか好きになることがある。
普通の商品なら、
古くなれば価値が下がる。
傷がつけば、査定も下がる。
でも愛着は、どうも逆らしい。
小さな傷。
色あせ。
交換した部品。
積み重なった走行距離。
市場価値で見れば、
どれも必ずしもプラスではない。
でも自分にとっては、
一緒に過ごしてきた証拠になる。
タンクの小さな傷を見ると、
「ああ、あの時だ。」
と思い出す。
傷そのものが大事なのではない。
その傷の向こう側にある時間が、
大事なのだと思う。
だから愛着というのは、
物に対して生まれる感情というより、
その物と一緒に過ごした、
自分の時間への感情
なのかもしれない。
バイクを磨く時間は、何を
しているのだろう。
ツーリングから帰ると、
正直、疲れている。
そのまま家に入って、
風呂に入りたい日もある。
それでも、
少しだけバイクを拭く。
虫を取る。
ホイールを見る。
タイヤを見る。
チェーンを見る。
そして最後に、少し離れて眺める。
「やっぱり格好いいな。」
自分でも、少し笑ってしまう。
誰に見せるわけでもない。
写真を撮るわけでもない。
ただ眺めているだけ。
でも、その時間が嫌いじゃない。
たぶん僕は、バイクを磨いていると
いうより、今日一日を
思い返しているのだと思う。
あの道。
あの景色。
あの風。
そして、無事に一緒に
帰ってこられたこと。
そう考えると、
あの時間は単なる掃除ではない。
今日一緒に走った相棒を、
少し労っている時間なのだと思う。
売れば同じ車種を買える。
それでも同じではない。

いつか、バイクを乗り換える日が
来るかもしれない。
もっと新しいモデル。
もっと速いモデル。
もっと快適なモデル。
合理的に考えれば、
新しい方が良いこともある。
でも、長く乗ったバイクを
手放す日は、
きっと寂しいと思う。
最後にエンジンをかける。
最後に跨がる。
最後に写真を撮る。
そして、
誰かに引き取られていく姿を見る。
ただの機械なら、
新しいものに交換すれば終わる。
でも実際は、
きっとそう簡単ではない。
手放しているのは、
鉄の塊だけではないから。
一緒に見た景色。
一緒に走った道。
一緒に過ごした時間。
そして、その頃の自分自身。
そこまで全部、
そのバイクと結びついている。
だから寂しいのだと思う。
「相棒」は、自分の人生を見ていた存在でもある。
バイクは何も言わない。
励ましてくれない。
褒めてもくれない。
相談にも乗ってくれない。
それでも、仕事が
うまくいかなかった日も、
嬉しいことがあった日も、
何も考えたくなかった日も、
ガレージには同じバイクがいる。
エンジンをかければ、
いつもの音がする。
跨がれば、
いつもの位置にハンドルがある。
走り出せば、
いつものように風が来る。
人は変わる。
環境も変わる。
仕事も変わる。
付き合う人も変わる。
でも長く乗った愛車だけは、
自分の人生のある時間を、
ずっと同じ場所から見ている。
だから時々、
バイクを見るだけで、
昔の自分まで思い出す。
「あの頃、こんなこと考えていたな。」
「あの時、ここまで走ったな。」
「あの頃より、少しだけ変わったな。」
そんなことまで、
愛車を見ながら思い出すことがある。
いつか、最後に乗る日が来る。
どれだけ好きでも、
いつかバイクを降りる日は来る。
乗り換える日かもしれない。
身体的な理由かもしれない。
生活環境が変わるのかもしれない。
その日がいつなのかは、
僕にも分からない。
だから最近は、
今日一緒に走れることを、以前より
少し大事に感じるようになった。
エンジンがかかる。
天気がいい。
身体も動く。
時間もある。
そして、
行きたい場所がある。
それだけで、
十分幸せなんじゃないかと思う。
『STORY RIDER編集部より』
僕にとってバイクは、人生を
変えてくれる魔法の機械ではない。
何も話さない。
何も考えていない。
感情もない。
それでも、
人はそこに意味を見つける。
僕もそうだった。
一緒に走った時間の中に、自分自身の
物語が積み重なっていった。
最初は、
「欲しかったバイク」。
それが、
「俺のバイク」になり、
いつしか、
「相棒」になった。
変わったのは、
バイクではない。
そのバイクと一緒に過ごした、
僕自身の時間なのだと思う。
だから明日の朝も、
ガレージを開けたら、
きっと少し愛車を見る。
傷もある。
汚れもある。
新車だった頃とは違う。
でも、その一つひとつに、
自分しか知らない時間がある。
ヘルメットをかぶる。
セルを押す。
エンジンが目を覚ます。
今日も返事はない。
それでも僕は、きっとこう言う。
「今日も頼むぞ、相棒。」

【あなたへの問い】
あなたの愛車が、ただの「バイク」で
はなくなったのは、
いつだったでしょうか?
納車の日でしょうか?
初めて遠くまで走った日でしょうか?
雨の中を一緒に帰った日でしょうか?
それとも、何でもない休日。
ガレージで愛車を眺めながら、
ふと、
「こいつと、まだいろんな場所へ
行きたいな。」
そう思った瞬間だったでしょうか?
次回|第8話
エンジン音は、なぜ心を動かすのか。
同じ「音」なのに、
好きなバイクのエンジン音を聞くと、
なぜか振り返ってしまう。
セルを押して、
エンジンが目を覚ました瞬間、
なぜか少し気分が上がる。
そして、
長く乗った愛車なら、
音だけで
「自分のバイクだ」
と分かることもある。
次回は、
音・振動・記憶・感情
のつながりから、
ライダーの心を動かす
「エンジン音」の正体を
考えてみたいと思います。
今回の相棒ケア
WAKO’S バリアスコート
ツーリングから帰ったあと、
愛車を見ると、
「今日もよく走ってくれたな。」
と思うことがあります。
そんなときに使いたいのが、
WAKO’S バリアスコートです。
バイクについた汚れを落としながら、
愛車をきれいに仕上げるための
コーティング剤。
ツーリング後にサッと愛車をケアして、
きれいになったバイクを眺める。
それも、バイクを「相棒」と感じる時間の
ひとつだと思います。
今回の第7話では、
「相棒だから、大切にしたくなる。」
そんな気持ちから、この商品を
選びました。
走ったあとはきれいにして、
また次のツーリングへ。
「今日もありがとう。また頼むぞ、相棒。」
そんな気持ちで使いたいアイテムです。
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