第5話|ライダーは、なぜ道や景色をよく覚えているのか?
「あのカーブを曲がった先に、海が見える。」
「この道をもう少し走ると、小さな自販機がある。」
「あのトンネルを抜けたところ、
急に空気が冷たくなるんだよな……」
何年も前に走った道なのに、
なぜか覚えている。
道路の名前は忘れている。
何号線だったかも覚えていない。
一緒に走った日付さえ、
もう思い出せない…
それなのに……
あの日見た景色だけは、今でもはっきり
覚えている。
バイクに乗る人なら、そんな記憶が
一つくらいあるのではないでしょうか?
なぜライダーは、
走った道や景色をこんなにもよく覚えているのでしょう。
そこには、
バイクだからこそ生まれる
「記憶の残り方」があるのかもしれません。

車で通った道より、バイクで走った道を
覚えている。
もちろん個人差はあります。
それでもバイクで走っていると、
「あ!この道、前にも走った…」と
突然思い出すことがあります。
不思議なのは、
道路そのものを覚えているだけではない
ことです。
その日の空。
風の匂い。
エンジンの音。
信号待ちで感じた暑さ。
山へ入った瞬間の冷たい空気。
休憩した場所。
一緒にいた仲間。
そのとき考えていたこと。
それらが、一つの記憶として蘇ってくる。
まるで道が、記憶のスイッチに
なっているかのように。

バイクは、身体全体で景色を覚えている。
車の場合、私たちは車内という空間から
外の景色を見ています。
窓がある。
エアコンがある。
音楽が流れている。
外の世界と自分との間には、
一枚の境界があります。
しかし、バイクにはそれがありません。
暑い。
寒い。
風が強い。
雨が降る。
草の匂いがする。
海の匂いがする。
トンネルへ入れば、
一瞬で温度が変わる。
路面が荒れていれば、
その振動が身体に伝わってくる。
つまりバイクでは、
景色を「見る」だけではありません。
見る。
聞く。
感じる。
匂う。
身体を動かす。
いくつもの感覚を使いながら、
その場所を体験しています。
だからこそ、
一つの景色に、
たくさんの感覚が結びつく。
それが記憶を呼び戻す手がかりになることがあります。
「注意して見る」から、景色が記憶になる。
バイクに乗っている間、
脳はぼんやり景色を眺めているわけでは
ありません。
前の車との距離。
交差点。
歩行者。
路面。
カーブの先。
道路標識。
天候。
周囲の車。
常に状況を確認しながら走っています。
つまり、
目の前の世界へ注意を向け続けている。
人の記憶は、すべての情報を同じように保存するわけではありません。
注意を向けたものほど、後から記憶として残るための材料になりやすい。
だから、
「あのカーブは少しきつかった。」
「この交差点を右に曲がった。」
「坂を上ったら急に海が見えた。」
そんな道の特徴が、
一つひとつ記憶の目印になっていきます。
ライダーは知らないうちに、
道を身体で読んでいるのかもしれません。
感情が動いた景色は、強く残る。
そして記憶には、
もう一つ大切なものがあります。
感情です!
初めて一人で遠くまで走った日。
免許を取って初めて走った海岸線。
仲間と大笑いしたサービスエリア。
突然の雨で、
全身びしょ濡れになった山道。
転びそうになって、
心臓が跳ね上がったカーブ。
そして……
人生で一番きれいだと思った夕日。

嬉しかった。
怖かった。
楽しかった。
悔しかった。
感動した。
そうした感情と結びついた出来事は、
後になって思い出しやすくなることがあります。
だから私たちは、
何百キロも走ったツーリングのすべてを覚えているわけではないのに、
たった数秒の景色だけを、何年経っても忘れない。
写真には残っていない景色ほど、覚えていることがある。
ツーリングへ行くと、
たくさん写真を撮ります。
愛車。
景色。
食事。
仲間。
SNSに投稿することもあります。
でも不思議なことに、
後から一番よく思い出す景色が、
写真に残っていないことがあります。
走っている途中だったから。
停まれなかったから。
ただ、一瞬だけ見えたから。
山を抜けた瞬間、
目の前に広がった海。
夕暮れの田んぼ。
遠くに見えた富士山。
雨上がりの空。
そんな景色は、
カメラには残っていない。
でも、
自分の中には残っている。
誰にも見せられない。
「いいね」もつかない。
それでも、
自分にとっては大切な一枚です。
同じ道を走ると、昔の自分に会うことがある。
何年か経って、
昔走った道をもう一度走る。
すると突然、
記憶が戻ってくることがあります。
「ああ、ここだ。」
昔休憩したコンビニ。
仲間と写真を撮った場所。
一人で立ち止まった海。
何も変わっていないように見える景色。
でも、
自分は変わっています。
仕事が変わったかもしれない。
家族が増えたかもしれない。
大切な人との別れを経験したかもしれない。
昔より白髪も増えた。
体力も少し落ちた。
それでも、
同じカーブを曲がる。
すると、
昔の自分と今の自分が、
ほんの一瞬だけ同じ場所に立つ。
だから懐かしいのは、
道ではないのかもしれません。
その道を走っていた頃の、自分なのかもしれません。

バイクの思い出には、「道」が残る。
人生の記憶を振り返ると、場所と結びついている思い出がたくさんあります。
初めて走った道。
怖かった峠。
仲間と走った海岸線。
一人で泣いた場所。
人生について考えた展望台。
何でもない田舎道。
地図で見れば、
ただの一本の道路です。
けれど、その人にとっては違う。
そこには、
自分の人生の一部が置いてある。
だから何十年経っても、
その道を走れば思い出す。
いつもの道も、いつか思い出になる。
今走っているこの道も、
今日見ているこの景色も、
今は特別だと思わないかもしれません。
でも10年後。
バイクを乗り換えているかもしれない。
一緒に走る仲間も変わっているかもしれない。
自分自身も変わっているでしょう。
そんなある日、
偶然同じ道を通る。
そして思うのです。
「この道、あの頃よく走ったな。」
その瞬間、
何でもなかった今日が、大切な思い出に
変わります。
だから、
急いで走らなくてもいい。
全部写真に残さなくてもいい。
少しだけ景色を見る。
風を感じる。
その日の空を覚えておく。
バイクに乗るということは、
距離を重ねるだけではなく、
人生の中に、小さな記憶を置いていくこと
なのかもしれません。

【STORY RIDER編集部より】
ツーリングから帰って、
「今日は何キロ走った?」と
聞かれることがあります。
300km?
500km?
時には、それ以上?
でも何年か経てば、
その数字は忘れてしまうでしょう…
覚えているのは、
海が突然見えた瞬間。
仲間が笑っていた顔。
一人で飲んだ缶コーヒー。
雨上がりの匂い。
夕日の中を走った帰り道。
そんな小さな場面です。
だから私は思います。
バイクで走った距離は、
メーターだけに刻まれているのではない。
自分の中にも、刻まれている。
そして、いつか同じ道を走ったとき、
その記憶が静かにこう言うのかもしれません。
「ここを走った頃のあなたも、ちゃんとここにいるよ。」
【あなたへの問い】
あなたにもありませんか?
道路の名前は忘れた。
何年前だったかも曖昧。
でも、
目を閉じれば今でも思い出せる道。
その景色を思い出したとき、
あなたが本当に思い出しているのは、
「場所」でしょうか?
それとも……
その場所を走っていた頃の、あなた自身でしょうか?
第5話の核になる言葉は、「バイクで走った距離は、メーターだけに刻まれているのではない。自分の中にも、刻まれている。」だと思います。
