
1話完結|探偵小説|コーヒー豆とタマと足跡|昔人の行方を求めて編(上)
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表向きは行政書士事務所兼ごく普通の喫茶店『南風』には、凄腕の私立探偵がいる——
嘘か本当か、商店街の伝言掲示板にXYZと書き込めば、その凄腕私立探偵が事件を解決してくれるという噂があった。
私立探偵の名は風早南(38)。猫所長タマの元、ほとんど仕事のない行政書士事務所——もとい喫茶店を営んでいる。
喫茶店スタッフ兼助手の西園寺新(32)と共に、今日も街の平和のために奔走——する?
【今回、上下で1話の2部構成になります】
⌘ 新たな依頼 ⌘
喫茶店『南風』の店内、今日も南と新の姿は、カウンター席を挟んだ位置にあった。
風早南は喫茶店『南風』の事実上の責任者、嘘か誠か界隈では凄腕と噂される私立探偵であり、西園寺新は喫茶店のスタッフ兼、探偵事務所助手。
探偵事務所の看板猫所長、タマ所長は喫茶店の窓辺でご機嫌に眠り、新がキッチンでサンドイッチの卵サラダを仕込むという至っていつもの様子に対し、南の様子だけはいつもと少し違っていた。
いつも無機質なパソコンのモニターを見つめる瞳に映るのは、緻密な論理的計算と卓越した人間心理への理解から繰り出される、美しくも温もりを感じる文章の流れで、その指は、心地よく滑らかな感触の薄い紙をめくる。節目がちな南の瞼の端では、その瞬きとともに長いまつ毛が揺れた。
「風早さん、珍しいですね。パソコンじゃなくて文庫本なんて」と新が言う。新は卵サラダの味見をしながら、最後の微調整に余念がない様子だ。
「ああ。都の奴がな、研究の参考にと読んだらしくて『みなくんの好きそうなロジックよ』って置いていったんだ。日本の古典的なミステリーだが、なかなかどうして、文字の裏の読ませ方がよくできている」
「へえ。都さんのお墨付きなら間違いなさそうですね。でも、風早さんが本に没頭してる姿って、なんだか新鮮です」
「そうか? 前にも言ったと思うが、東子さんが推理小説が好きでな。俺もその影響で以前はよく読んだものだ」
そう言って南は、新の淹れたコーヒーに口をつけた。今回のコーヒー豆はタマ所長もお気に入りのいつかの焙煎所から仕入れた物で、何でも店主がエチオピアのとある農園の豆に惚れ込み、農場主を口説きに口説いて、やっと店頭での販売に漕ぎつけたと新は聞いている。
今や店主の恋人でもあるかつての依頼主が、またもやその老舗和菓子屋の娘という立場を利用して、農場主を『Wagashi』で釣ったとか釣らなかったとか(実は農場主は大変な日本贔屓で、SNSにはそんな日本LOVEな情報で溢れかえっていたらしい)——
「ほう。今日のコーヒーは特別とは聞いたが、これはまたいつになく華々しい香りがするな。いつかの依頼人が香水かコロンの香りと間違ったのも、彼女の嗅覚が人より優れているせいなのが良く分かる」
南は言って、文庫本片手に、また一口コーヒーを口に含んだ。
「そういえば、依頼人遅いですね」
卵サラダを冷蔵庫に入れながら新が言う。
「そうだな」と南が言ったとき、約束の時間を10分過ぎて、ようやく今日の依頼人が『南風』の戸を叩いた。
焦った様子で額をハンカチで拭いながら、男は「こんにちは。遅くなって。先日依頼した——」と話し始めた。
⌘ 調査 ⌘
45歳になる男の依頼は、「高校時代に交際していた初恋の女性を探してほしい。会って交換日記を返さなかったことを謝りたい」というものだった。
聞けば、交換日記を返さないまま、別れの言葉もなく、男と相手女性は破局したという話だ。
男がその頃住んでいたという九州北部へと向かう新幹線の中、南と新は駅弁をつまむ。
「しかし、交換日記って懐かしいですね。小学校の頃、女子に強制的に回されて書かされた記憶がありますよ。何書いていいか分かんなくて、当時はまってた美味しんぼから得た知識の話なんかしたりして、女子からキャラじゃないとドン引きされてました。もちろん美味しんぼなんて買って貰える訳もないから、勉強しに行くと言って出向いた公共図書館で一生懸命読んでたんですが」
そう言って新は笑う。
新の家は300年続く旧家であり、地元でも有数の名家でもある。
南は以前から新の家の話は折に触れ聞かされており、今どき珍しい伝統と格式を重んじる家であることは理解していた。聞けば聞くほど息苦しいそれは、良くも悪くもポーカーフェイスと言われる南でさえ、時に眉間に皺が寄るほど。
一方、昔話の際の新は、ここぞとばかりに隠しきれない育ちの良さを発揮した。普段ころころと表情を変える新が、家の話で不快感を露わにすることはなく、恐らく本心はひた隠しに、不自然なまでに微笑みのお手本のような表情を浮かべるのが常だった。
ただ、そんな新が最近少しだけ変わりつつある。
今も南に見せるそれは、あの微笑みのお手本のような顔ではなく、普段の会話のときのリラックスした顔に見える。
もしそれが自分の家のやや複雑な事情を、図らずも新と共有したせいなのだとしたら——
「おーい? 風早さーん? ビール溢れますよ〜?」
新に言われ、南はハッとして傾き過ぎた缶ビールを元に戻した。あと数ミリのところで、危うくビールをカバンの上に溢すところだ。カバンの中には、依頼者から手がかりとして預かった例の交換日記が入っている。
「大丈夫ですか? この間、俺に仕事休むように言った癖に、風早さんは全然休まないで。疲れてるんじゃないですか?」
「いや、大丈夫だ。考え事を少しな。というかそういうお前こそ、俺が1週間ぐらい休めって言ってるのに、結局休んだのは3日だけじゃないか。まったく。お前は経営者の命令をなんだと思ってるんだ」
南は言って、珍しく下らないドジをしかけた気恥ずかしさか、残っていた弁当のおかずをさっさと口に放り込むと、グビグビと残りのビールを流し込んだ。
「何って——」と言って、新は南を見たまま黙る。
「おい。まさか俺を経営者と思ってないなんて言うんじゃないだろうな」
南は言って、ポケットからココアシガレットを取り出すと、やや落ち着きなく口に咥えた。その様子を見つめる新の表情は、少々困っているようにも見える。
「いや、まあ。何と言ったらいいか。相棒ってことじゃ駄目ですか?」
新の言葉に、南はポロリとココアシガレットを口から落としかける。
「お前。相棒って——恥ずかしくないのか?」
「え? 俺なんか恥ずかしいこと言ってます?」
そう返す新は、南の言葉の意味が心底分からないといった調子だ。
南は一瞬紡ぎかけた反論の言葉を「こりゃ駄目だ」と飲み込むと、先程ビールを溢しかけたカバンを開けた。カバンから、ここ数日繰り返し読んでいる交換日記を取り出す。先程つい少し焦りはしたが、交換日記はそもそも念の為にとチャック付きの透明ビニール袋に入れてある。
「あ」と新は言った。
その目は、乗降ドアの上の液晶モニターに向けられている。
「どうした?」
「風早さん、最悪ですよ。今頃九州は雨だそうです。今朝天気予報で、今日は九州はどこも晴れって言ってたのに」
「ほう。そうか」と言って見る液晶モニターには、確かにこれから行く九州北部の辺りは雨と表示されている。
「ん?」と言ったのは南。
「風早さん? どうかしました?」
「いや、そういえば——」
南はそう言って、おもむろに交換ノートのページを捲った。とあるページの、天気を記入する欄を見る。
「なるほどな。俺が感じていた違和感はこれだったか」
「へ? 違和感? 何の話ですか?」
「いや、まあ順を追って話すさ。とりあえず、この日記に記録された天気が事実と合致するか、気象庁のデータベースから過去の天気を調べてもらえるか?」
南は言って、今はまだ窓の向こうに広がる青い空に目をやった。
⌘ 報告 ⌘
『南風』の店内。
一連の調査を終えた南の前に、依頼人の男はいた。新がコーヒーを用意する傍らで、タマ所長は男には興味がない様子でキャットフードをカリカリと齧る。
「申し訳ありません。ご依頼の女性は見つかりませんでした」
そう言って、南は「こちら、それらの内容を記した報告書です」と続けた。コーヒーを運んできた新からそれを受け取ると、依頼人に「どうぞ」と勧める。
依頼人の男は封筒の中の書類を確認すると、「そうですか。残念です。会って一言、彼女に謝りたかった」と言った。依頼をしてきた日にもそうしていたように、額の汗をハンカチで拭う。
「もちろん成功報酬はいただきません。ご期待に添えず申し訳ありませんでした」
南は言って、手にしたままのソーサーの上、カップの中に映る黒い水面を見ていた。視界の端に、自分たちに背を向けて食器棚に手をやる新と、ソファー席の斜向かいでコーヒーカップに口をつける男の姿が映る。
「じゃあ、これで」
男は言って、席を立った。
***
「良かったんですか?」
カウンター席でいつも通りパソコンのキーボードを叩き始めた南に、新は言った。言いながら、自分と南の分の水出しのアイスコーヒーをグラスに注ぐ。
「何がだ?」
南がパソコンのモニター画面を見たまま言う。
「何がって。あの男が過去どこまで分かってたのかとか、追求しなくて良かったんですか?」
新は言って、2人分のグラスを手に、キッチンからカウンター席に回ってくる。南は「サンキュ」と受け取ると、「疲れたな。ちょっと休むか」とパソコンを閉じた。
「その例の女性、近親者から性被害を受けていて、でも言い出せずに、あの男との交換日記で彼女なりに必死にSOSを出していたんですよね?」と新は言った。口にすることが憚られるのか、俯きがちのその表情はやや固い。
「ああ。恐らく俺が推理した通りなら、そういうことだろう」とグラスに口をつけながら南は言った。
「そんな。簡単に言いますけど、高校生の女の子が身内から性被害を受けてたんですよ? それにあのメッセージ。その後すぐに交換日記が途絶えて、彼女が姿を消したことからしても、最悪、彼女はもうこの世には——」
新はそこまで言って、言葉につまった。溢れるものを飲み込むように、アイスコーヒーを勢い良くグビグビ飲むと、珍しく乱暴にグラスを置いた。涼しげな氷の音が、今は虚しげに響く。
しばらく、グラスを抱いたまま黙っていた南が「そのことだがな」と口を開いた。
「彼女は死んじゃいない。もちろん彼女の気持ちがそう簡単なものじゃないことは分かっているが——少なくとも、彼女はまだ生きてこの世に存在する。正直、部外者である俺が彼女の事情にどこまで思いを馳せるべきか、俺はそれさえ悩んでいる。ここで安い同情心を彼女に向けることが正解とは俺には思えなくてな」と南は言った。
新を見ずに語る、その瞳に映るものは何なのか——
「それじゃあ」
「ああ。連絡も取れている。彼女から会って話がしたいとも言われた。交換日記のコピーを持って、今度彼女が今暮らす街に出向くことになってるんだ」と南は言った。
⌘ あさきゆめみし ⌘
「わざわざこちらまで足をお運び下さりありがとうございます」
人が行き交う交差点を見下ろす位置にある小洒落たカフェに、南と、かつて女子高生だった女性の姿はあった。
白いシャツの襟を立て、ややコンサバティブなメイクにセンタープレスのパンツを穿いた彼女は、まさか過去にそんなことがあったとは思えないほど、明るく活発な女性に見えた。依頼者の男から参考にと預かった写真で見た、過去の『被害者の女の子』は今ここにはいない。
「こちらこそ。突然の不躾な連絡にも関わらず、お時間いただき」と南は言った。
「いえ。悪いのは探偵さんじゃありませんし」と女性は言う。
「おっしゃる通り、交換日記のコピーをお持ちしましたが」と南が言ったのに、コーヒーの水面に視線を落としていた女性がわずかに視線を上げた。
「ありがとうございます」
言動こそいつも通りだが、どこか仕草が遠慮がちな南とは対照的に、女性は何でもない様子でそれを受け取った。ゆっくりとページをめくって内容に目を向け、そしてふいに小さく笑みを溢したかと思うと、「ああ、良かった」と女性は言った。
「え?」と南が言う。
「彼、変わってないんですね」
そう言って、彼女は煙草の灰が落ちた後だろう、穴の空いた様子がそのままコピーされたページを撫でた。恐らく、男が大人になってからその懐かしさから煙草を手にしたまま開いたのだろう。当然それには南も気付いていた。
「相変わらず、物も人も全然大切にしない人」
そう言って、彼女は薄ら笑う。
「彼、奥さんや子どもさんは?」
「いえ。子どもはおらず、妻とは最近離婚したとか」
それは、いつも依頼者に書いてもらう相談受付票から得た情報だ。中には事実と異なることを書く依頼者もいるが、この男の場合は『嘘』はついてないらしい。
「そう。尚更良かった。彼、一見いい人だから」
そう言って、女性はまた一口、コーヒーのカップに口をつけた。
「探偵さんは気付いているんでしょ? 彼が実は酷く気が小さくて、卑怯で嫌らしい人間だってこと」
そう言って南を見る女性の瞳は、真っ直ぐにどこまでも澄んでいた。その澄み渡った色は、1997年の7月10日、九州地方に悲惨な豪雨災害がもたらされた日、恋人との交換日記に『晴天』と書いた彼女の瞳の色にも重なるように思えた。
「依頼人が自己憐憫と保身のために動き、その根底に強い劣等感と過剰な自意識があることにはすぐに気付きました」
依頼人が『南風』を訪れた日のことが思い出される。あの日、遅刻してきた男の額に汗など滲んでいなかった。ハンカチで額の汗を拭う仕草は、「俺は時間に間に合うように急いできた。だから責めないでくれ」という必死のアピールで、男にとってそれは確かに『嘘』ではないのだろう。
訊いてもいないのに離婚理由を「妻の浮気」だと話すあたりからも、「自分は悪くない」と強く言わないと気が済まない性格が窺い知れた。そして、離婚という『自分の責任ではない突然の不幸』が訪れたこのタイミングで、かつての初恋の女性に謝りたい理由も。
それが、「あの時はああすることしか出来なかった。だから自分は悪くない」と言い訳したい為であることに、当然南は気付いていた。
「探偵さんの様子からして、私が抱えている事情も、この交換日記から分かっちゃってるんでしょう?」と女性が言う。
ふと、自分で言った『安い同情心』という言葉が南の脳裏によぎった。あのとき、新に言ったその言葉は何だったのか——
南が、観念したようにふっと笑った。
「最初、この交換日記を見せられたときから妙な違和感がありました。でも、最初はその違和感が何なのか分からなかった。しかしあるとき、この交換日記にあなたが記した『天気』が、事実と異なることに気付いた」
南は言って、1997年7月10日のページを開いた。
「この日、九州地方は全国ニュースにもなるほどの酷い豪雨災害に見舞われた。あなたや彼の住む地域では大規模な土砂災害こそなかったが、それでも公共交通網が大打撃を受けるほどの酷い雨だったことは記録にも残っている」
「ところが私はその日、交換日記の天気に『快晴』と書いた」——
そう言ってにこりと笑った彼女に、南はやや驚きつつ続けた。
「ええ。そうです。俺も当時は小学生のガキでしたが、テレビ画面に映し出される悲惨な様子はよく覚えています。最初、交換日記を見た時に抱いた違和感はこれだった。そして、そこからあなたが記した『天気』と、『事実』の間には、確かな乖離があることに気付いた。
助手に、過去の天気を調べるように言いました。そうなると、それがもう実際の『天気』を表しているのじゃないことは明らかだ。
これはどういうことだろうと、さらに交換日記を注意深く観察しました。
すると、今度は古い印刷物のインクが色移りしているのに気が付いた。文体から、古典であることは分かりました。しかし、それはどうも破れた書物の切れ端のインクが色移りしただけ。その文字さえ不鮮明な切れ端部分から、書物を把握、特定するのは専門知識のない俺には難しすぎた。
そこで、とある文学の専門家を頼りました。たまたま、身内に文学の研究をしている者がおりまして。そして、それがかの有名な『源氏物語』の書物の切れ端であることが分かった」
一人語る南の言葉を、女性はどこか満足げに聞いていた。窓の外、交差点の街路樹の緑が揺れる。
「まさかそれだけで、俺はあなたが置かれた悲惨な状況を短絡的に決め付けるほど、薄情な人間ではありません。何度も『そうじゃない』シチュエーションを期待した。しかし、あなたの残したメッセージは、俺にそれ以外の結末を与えてはくれなかった。
いろは歌に隠された『たすけて』のSOS。交換日記が依頼人の身勝手で終わる数日前、あなたは交換日記にいろは歌を書いている。源氏物語の件然り、いろは歌の件然り、それ自体は依頼人から聞いていた、『古典が好きな女子高生』のあなたの姿にぴったり重なり、違和感はそれほどありませんでした。
しかし、違和感は『その中』にありました。いろは歌は、47文字の平仮名を一度も重複させずに作られた驚異的な歌だ。意味が通じるように作られた仮名の流れからも、2度同じ仮名が出てくることはない。
ところが、だ。
あなたが草書体で書いたいろは歌には、4箇所誤りがあった。
俺は行政書士もやっています。その仕事柄、古い戸籍謄本などを読む兼ね合いで、多少草書体のようなくずし字には馴染みがある。
本来なら別の仮名が当てはまる箇所に、違う仮名が使われていることにはすぐに気付いた。そして本来そこにない仮名を拾うと——」
「たすけて。あのとき、そう言えたら良かった」
ふいに彼女は言って、少しだけ寂しそうに笑った。
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