眷属さま蒐集譚 那須で愛を叫ぶ
九尾の狐・玉藻前 封じられる想い
それは、まだ神や獣が、人のかたちをして歩いていたころの話。
生を受け、千年を優に超える、
九尾の狐、
玉藻前――
世にも美しい女だった。
長い黒髪、澄んだ瞳、白磁のような肌。
その美しさゆえに、宮中では帝の寵を一身に受け、多くの人の羨望を集めていた。
けれど、都というところは、美しさだけでは済まされない。
女たちの嫉妬と陰謀。
人の顔をした、人でないものたち。
玉藻を排除したいと願った者たちは、
「呪いをかけたのはあの女だ」と噂を流し、陰陽師・安倍某を使って彼女を“化け物”に仕立て上げた。
玉藻は何も弁解しなかった。
静かに宮を去った。
それは優しさでもあり、誇りでもあった。
だが、彼らはそれでは足りなかった。
この世から完全に“消えて”もらわなければ、安心できなかったのだ。
討手を放つ。
都から遠く離れた坂東へ命を出し、二人の武士が選ばれた。
老練な三浦介と、若く気骨ある上総介。
二人は連れ立って、玉藻を追って北へ向かった。
玉藻は、狐の姿となって山を越え、ついに那須の湯本に辿り着く。
しかしそこもまた、包囲されていた。
霧深い山あい、静けさが逆に耳を刺すような空気のなか、上総介がそっと前に出た。
「玉藻前殿。拙者は上総介と申します」
「……」
彼女は黙っていた。
ただ、その瞳に、涙の影がうっすらと浮かんでいた。
「本意ではありません。
都を離れているからこそ、私たちには見えるのです。
あなたが“悪”ではないこと。
そして――誰が、あなたをおとしめようとしたのかも」
玉藻は、かすかに微笑んだ。
「あなたは優しい方ですね。
でも、それでは命は守れませんよ。
……もう、覚悟はできています」
上総介の手が、刀の柄にかかっていた。
けれど、その手はそっと離れた。
「討てません」
「……」
「この地に封じる形をとりましょう。
けれど、それは“封じる”のではなく、“お祀りする”のです。
どうか、権力者が代わるその時まで、静かにお過ごしください」
玉藻は、まっすぐに彼を見つめた。
千年の命を持ち、数多の裏切りと虚言を見てきた彼女が、
このとき初めて、誰かを「信じてみたい」と思った。
「……そなたの名は?」
「広常」
「では、約束して下さい。
私が岩となるこの地を、毒を持つと偽ってもかまいません。
どうか、人が近づかぬよう、あなたの子孫の代まで守り伝えてください」
「必ず」
「……姿が変わるところは、見ないで下さいね」
上総介は一礼し、ゆっくりと背を向けた。
歩き出す。
振り返らない。
玉藻はその背を、じっと見つめた。
風が吹く。
涙が一粒、頬を伝う。
この命は長すぎて、愛も、憎しみも、とうに過ぎ去ったと思っていた。
けれど――
あの人だけは、違った。
心の奥に、燃えるような感情が湧き上がる。
名を呼びたい。
呼ばずには、いられなかった。
「……かっ、上総の介――ッ!」
その声は、山にこだまし、霧に溶けていった。
そして彼女は、自らの術で封じた。
岩となって、長い長い眠りにつく。
それから後、
誰も近づかなくなったその地は、
やがて「殺生石」と呼ばれるようになる。
だが――
本当の名を知る者は、ほんのわずか。
かつてそこに、ひとりの愛に泣いた女がいたということは、
風の音にまぎれて、静かに語り継がれていくばかりである。

