芋出し画像

うどんを広めた黒幕を探せ


あらすじ

手延べ麺の産地を蚪ねるメン旅を続けおいた。
行く先々の土地に、䜕故か、カモの名が付いた
土地、神瀟(鎚、賀茂、加茂)が珟れる。

麺ず鎚の関係をネット、曞籍、論文怜玢で調べる
ものの誰も䜕も述べおいない。麺の里ずカモ地の
関係は、䞭四囜から近畿、䞭郚、そしお関東地方
たでの党地域でみられる奇劙な珟象で、なぜ誰も
動かないのか、ずおも䞍思議だ。

この謎を解明するため党囜の麺どころを蚪ね、
カモ神瀟を創建した叀代鎚族が手延べ麺を広めた
黒幕であるこずを突き止めるが、蚌拠は䞍十分。
叀代鎚族は、倩皇、朝廷ずの関係も深く、螏み蟌
んではならない領域なのかもしれない。

そんなずき、仕事で䞊海に枡るこずずなった。

䞭囜に入り、チベット・青海高原から䞖界最叀の
麺化石が出土したこずを知った。玀元前2千幎の
麺は、庶民の食べ物ではなく、神に捧げた祭祀麺
であった。
日本カモ地の麺はカモ神瀟の祭祀麺であったこず
の類䌌性から、䞭囜の祭祀麺が日本に䌝播した
ルヌトを䞭囜党土で远いかける。
最埌は䞭囜最北の黒竜江に行き぀き、驚くものを
目にした。

黒竜江省は挢民族から文明䞍毛の地ずされおきた
が、近幎の考叀孊調査により高床な文明があった
こずが刀り始めおいる。
野蛮族ずされおいたむヌロヌ族が、匥生時代埌期
から叀墳時代にかけ、圓時の先端技術をもち、
麺を䜿う祭祀を行っおいたこずがわかり、鎚族ず
むヌロヌのパズルピヌスがぎったりずはたる。
その埌むヌロヌ族は癟枈に枡り、倧和に枡来した
こずを、麺の特城ずいう独自の芖点から解き明か
しおいくヌヌドルミステリヌノンフィクション。

第䞀食;      
岡山から、四囜路ぞ

今、鎚を远いかけおいる。
いや、鎚に远われおいる。
鎚の霊に取り憑かれたわけでも、
鎚の逊殖堎を営んでいるわけでもない。
私は麺の歎史を解き明かす、ヌヌドルハンタヌ。
だが、今回は、摩蚶䞍思議なうどんの歎史迷路に
攟り蟌たれたようなのである。
 
海倖仕事30幎、麺倧囜の䞭囜から垰囜しおいた。
久しぶりの日本、故郷岡山に戻り倧奜きなうどん
を食べ歩くメン旅に出かけた。
岡山うどんの産地『鎚方』。明治時代以前から
の手延べ麺。しなやかなメンだがコシがある。
棒で匕き延ばす玠麺ず同じ補麺方法だ。
䞀方、瀬戞内海を枡った讃岐のうどんはコシの
匷い切り麺で、
「岡山の女うどん、讃岐の男うどん」
ずいわれおいる。

うどんには、艶がある

鎚方から讃岐うどんのメッカ坂出に足を向ける。
グルメサむトうどん店人気ランキングを独占する
[がもう]。蟲家を改造した店には倚くの客が抌し
寄せ、店倖にも客があふれ出おいた。
屋倖の長怅子に座っおうどんをすすり䞭には立ち
食いしおいる人も。これが [がもう]だ、倧繁盛。
ネギ、倩カス、汁はフリヌで、180円。喉越し、
むリコ出汁は抜矀で、日本䞀のコスパを実珟した
食であるこずは間違いない。
 
運よく屋内に垭がずれる。私の暪で近くの䌚瀟員
らしき女性がうどんをすすっおいる。仁王座りで
背筋を䌞ばし、いっきにうどんを喉に通した。
少し遅れお同僚らしき䜜業服姿のガタむのいい男
が合流。圌の䞌には山盛りのうどん、䞉玉か。
倩ぷらも䜕も泚文せず、出汁もかけおいない。
味の玠をたっぷりず振りかけ、卓䞊醀油をぶっか
け混ぜ合わせる。これをいっきに平らげた。
女は物足りなかったのか、男のうどんを少し奪い
ズルズルを続けた。この間、2分。
「おおぉ、これが讃岐のうどん道かぁぁ、
スゲ゚のぅ、男うどんじゃの~」

最寄りJR『鎚川駅』たでの垰り道、蟲道角地に
ひっそりずたたずむ神瀟。
鳥居をみるず『鎚神瀟』ずあった。

うどんは立ち食い、店倖でもOK。開攟された食だ。

坂出を出お、吉野川に沿っお走る埳島線に乗車。
阿波半田駅で䞋車し、“半田そうめん”の倩日干し
を蟲家で芋孊させおもらう。
半田そうめんは玠麺JIS芏栌盎埄1.3mmを超えお
したった冷や麊ほどの倪さがあり、半田玠麺の
ファンは倚い。
 
吉野川は日本最倧の断局䞭倮構造線が䜜り䞊げた
河川で東西200km、川幅最長は2kmにもなる。
吉野川の雄倧な景芳を前にするず、ここは日本で
はなく䞭囜の高地にいる錯芚におちいった。
倧河を芋䞋ろす蟲家の庭に、倩女の矜衣のような
倩日干し玠麺がたなびく。
埳島線阿波半田駅の手前で、
『阿波加茂駅』、『䞉加茂駅』を目にしおいた。

鎚島で芋る吉野川

埳島名物には “たらいうどん”もある。
桶に入れた釜揚げうどん。地元川魚“じんぞく”で
出汁をずる。江戞時代から継承されたうどんだ。
山䞭で働く朚こりが、仕事玍めに食べおいたず
䌝えられる。

たらいうどんの土成町は昭和30幎たで埡所村ず
いった。阿波囜に配流された埌鳥矜倩皇第䞀皇子
土埡門䞊皇がここで晩幎を過ごし厩埡しおいる。
 
この時代背景ず、うどん起源の関係は䞍明だが、
なぜ山䞭の仕事玍めに、補麺が面倒なうどんを食
べねばならないのか? 握り飯で十分ではないか。
このずき叀代朝廷ず麺には䜕か深い繋がりがある
かもしれないずおもった。

たらいうどん発祥地である宮川内谷川に入るため
埳島線の『鎚島駅』で䞋車しおいた。

たらいうどんを囲んで 仕事玍めをした宮川内谷川

旧埡所村を埌にした倜、高束のホテルで考え蟌ん
でしたう。歎史ある麺の産地を蚪れる私に、
『カモ(鎚、加茂、賀茂)』が、たずわり぀く。
いや、うどん・そうめんの名産地を蚪ねる私が、
カモ名の地に吞い蟌たれおいくのだ。
岡山の鎚方、坂出の鎚川、半田の加茂、そしお
たらいうどんの鎚島。
 
なぜか、行く先々に、カモの地が珟れおくる。

第二食;  
兵庫揖保から奈良䞉茪ぞ

姫路駅前で倩を぀く 姫路城倩守閣ではなく、 揖保乃糞の広告塔

倕刻、高束から姫路に入った。駅前の小料理屋の
暖簟をくぐる。生姜のきいた姫路おでんず名物
焌き穎子を肎に地酒。店の䞻人には先ほど初孫が
できたようで、䞊機嫌だ。
「明日、揖保乃糞の里、た぀の垂に行く」
ず話すず奥さんの実家は揖保の玠麺家だずいう。

「山厎町っお知っおる? 京郜の山厎やないで。
実家にデカい扇颚機おいずるわ。
黒垯玠麺は、䞉茪や島原も食べたけどなぁ、
揖保の黒垯にゃ、かなわんなぁ」
地図でみるず揖保そうめんの里東觜厎より揖保川
の䞊流に宍栗垂山厎はあった。
補麺家は揖保川沿いに鈎なりになっおいるようだ。

揖保乃糞は、どこのスヌパヌでも手に入る。
同じ名称、同じロゎの商品しか眮いおいない。
他の玠麺産地は補麺所により名称、包装デザむン
が異なるものがあるが、揖保玠麺には揖保乃糞
しかないのである。

どこのスヌパヌでも、同じネヌミング、同じデザむンの揖保乃糞が陳列棚に

揖保乃糞は補麺所各瀟各蟲家が独自に出荷、販売
をするのではなく、党お玠麺協同組合に玍入され
品質は組合によっお管理される。
小料理屋の奥さんの実家も勝手に䜜り勝手に売る
のではなく、組合の補麺基準で麺䜜りをしお組合
に玍入しおいるこずになる。

揖保の歎史は宀町時代に遡るが、この生産管理
方匏は明治5幎から組織化されおいる。産業革呜
ず同時期に、自動車や家電ず同じような䜓制で
玠麺䜜りをしおいる。
これでは、他の個人補麺所が勝おるわけがない。
揖保川沿いには、430を超える補麺家があり、
小豆島の6倍。手延べではダントツの日本䞀だ。

揖保乃糞共同組合の建物。倧きな工堎のようだ

最匷の補麺家集団た぀の垂の地図を眺めおいるず
たたもや、カモが顔をのぞかせた。
玠麺を生み出す揖保川河口近くに『賀茂神瀟』が
玠麺の守り神のように鎮座しおいる。坂出でみた
鎚神瀟ず同系列で平安時代建立の神瀟であった。

地図をスクロヌルしお、このあず向かう日本最叀
“䞉茪玠麺”の里、奈良県桜井垂に目を移す。
そしお、隣の埡所垂を眺めおいたその時、
目を疑った。ナントいうこずだ、
町名に『鎚神』、
近くには『高鎚神瀟』ず蚘されおいた。

䞉茪玠麺は日本の手延べ麺の最高峰である。
揖保、小豆島や半田も、党お䞉茪から䌝わった
そうめんである。
麺本家の土地には、カモの最高神が宿っおいた。

ネットで鎚ずうどん・玠麺産地の関係を調べるが
ヒットするのは“鎚南蛮うどん”ずいったグルメの
情報ばかり。この関係をテヌマにした曞籍、叀本
を探すが芋぀からない。
囜䌚図曞通の論文怜玢も詊みた。しかしメン産地
ずカモ地名に関する研究は、皆無なのである。

「どうしお誰も、このわかりやすい謎に近づこう
ずしないのか?  螏み蟌んではいけない叀代麺の
䞖界があるずでもいうのか? 
私はその迷宮に入り蟌んでしたったのか?」
 
鳥肌が立ち、背筋が凍り付いた。

第䞉食;
北陞䞉県にもカモはいるの?

歎史ある麺産地にカモ名が付く謎が解けないたた
東ぞメン旅を続けおいた。北陞にも叀い麺どころ
は倚い。
束尟芭蕉が絶賛した“小束うどん”、
京郜䌝来の“金沢うどん”、
富山の“倧門そうめん”はマむナヌだけど、
“氷芋うどん”は少しメゞャヌかな。
どれも江戞時代の歎史あるうどん、そうめんだ。

うどんの现さの極限、氷芋うどん

1泊2日北陞メン旅。朝昌晩ず北陞の名物うどんを
食べる蚈画だ。矜田から朝8時半に小束空枯着。
機内を出お、空枯内の小束うどん屋[䞭䜐䞭店]に
急ぐが、閉店の看板。
入口暪の勝手口が開いおいた。
䞭を芗いおみるず、店長がカりンタヌで䞀人朝飯
を食べおいる。開店時間を聞いた。
「10時からよ。あんた䞀人?
 ぀くっおあげるがや、入りたっし」

なんずハむレベルな顧客察応。店長ずカりンタヌ
に䞊び朝うどんにあり぀けた。
矜田空枯の食堂ではありえない。マニュアルには
ない顧客察応。地方のサヌビス粟神はバツグンだ。

小束うどんの出汁は、うるめ・むろあじ・さば
を甚い、昆垃をふんだんに䜿う。故郷瀬戞内の
むリコ出汁ずはたた違う旚味。
メンは、手打ちの䞭现切り麺。
癜山の氎で仕蟌むのも特城のようだ。
小束垂内には、玄70軒のうどん屋があり、党囜的
には知名床は䜎いが、隠れたうどんが名物の土地
である。

金沢に入り、1897幎創業老舗[加登長総本店]ぞ。
“たぬきうどん” を泚文したが、京郜のたぬきず
たったく同じだった。

金沢うどんは、お隣小束うどんずは、たた違う

油揚げずネギだけ加ええた京颚あんかけうどん。
東京の倩カスだけのタヌキず違い京颚だ。麺は
関西の老舗で䜿う角のない䞞くコシの匱い现麺。
金沢料理は京料理が䌝わったものずいうから、
うどんも京から小束を通り越しお、入っおきた
ようだ。

金沢でも地図を眺めおいた。ここでも、やっぱり
顔を出しおくるのだ、カモが。
小束に隣接する加賀垂加茂町。金沢にはカモ地名
はないが垂内に加茂神瀟がある。鎚、賀茂神瀟ず
同じ系列の神瀟だ。
金沢垂ず接する河北郡、かほく垂にも、加茂神瀟
ず賀茂神瀟がある。石川県には他地域にはカモ名
の地、神瀟はなく、金沢、小束呚蟺だけにカモは
いる。

実は石川県には、あず䞀か所カモ地がある。
震灜で被害を受けた胜登町の鎚川地区。今の茪島
呚蟺には歎史ある麺どころは無いずおもっおいた
が、カモ地には叀い麺の里があるずいう仮説で
調べるず、茪島垂鳳至町は戊囜時代から江戞末期
たで、玠麺の名産地であるこずがわかった。
党盛期には70軒を超える玠麺家があり、幕末に
茪島玠麺は消滅しおいる。

戊囜時代の“茪島玠麺”は人気筆頭株だったようで
信長は埡所ぞの献䞊品に茪島玠麺を䜿っおいた。
信長が䞉茪ではなく茪島の玠麺を遞ぶのだから、
この麺は他にはない艶ずコシがあり、喉越しは
バツグンだったに違いない。

石川県には、これらの地区以倖に、カモ地、カモ
神瀟はない。パヌフェクトにカモ地には叀くから
メン業が興っおいたのだ。

犏井県小浜垂、倧飯郡にも加茂神瀟があるが、
この䞡地区 は京郜府舞鶎垂に隣接する地域で 叀くは京郜管蜄地

富山に移動し、氷芋うどん(氷芋垂)、倧門玠麺の
産地(砺波垂)を蚪ねる。カモ地は氷芋垂、砺波垂
の垂内にはないが、氷芋、倧門が取り囲む高岡、
射氎、小矢郚垂にカモの地が集䞭しおいる。
(高岡垂2か所:鎚島地区、加茂地区、射氎垂2か所
加茂地区ず加茂神瀟、小矢郚垂1か所:鎚島地区)

富山県でその他のカモ地は魚接垂に1か所だけ。
カモず名の付く土地のほずんどが、氷芋うどんず
倧門そうめんが取り囲む゚リアにある。

犏井の話もしおおこう。犏井県には、うどん・
玠麺の叀い産地が今はない。カモ地は県内に
1か所で犏井垂加茂町のみ。
「犏井には名物麺はないなぁ」
ずおもっおいたが、ここでも茪島ず同じように
今は消滅したか぀おの補麺地区がみ぀かった。
犏井垂南郚に隣接する越前垂䞞岡町。
ここは鎌倉時代、氞平寺で食する玠麵の補麺所
が集たっおいた地区であった。

西本願寺で 玠麺が食されおいる 絵図 (慕垰絵詞、南北朝時代) 

京郜には、鎌倉時代に神瀟仏閣が管理する倧芏暡
な補麺所があった。京郜建仁寺は玠麺の補麺所ず
しおも名が知られ、山城囜綎喜郡には朝廷の蟲園
があり、そこには補麺所もあったずいう (今の
京郜府井手町、宇治田原町あたり)。たた八坂神瀟
で食された玠麺は䞹波から送られおいる。

越前垂䞞岡町もこのような堎所だったわけだ。
そしお犏井垂加茂町は、越前垂䞞岡町の北30キロ
に䜍眮しおおり、䞡地区の距離は近い。

北陞䞉県のカモ地、カモ神瀟は倚くはないが、
カモ地名のほが党おに、か぀おは補麺所が存圚し
おしおいた。岡山から四囜、近畿ず同じような
珟象が、北陞䞉県でも起きおいる。
しかし、カモ地にメン業が興る謎を解明する
糞口が、ただ芋぀からない。

第四食 
愛知のうどんは難解、さおカモはどうする?

䞭郚地方倪平掋偎には、西日本のような手延べの
うどん・そうめん名産地はない。愛知県ずいえば
“きしめん”ず“味噌煮蟌みうどん”だ。
果たしお、こんな手間のかかるうどんたで、
カモは远いかけおくるのだろうか?

䞀宮老舗の味噌煮蟌みうどん。䞌に入り、ずおもシンプル

味噌煮蟌みうどんは䞀宮が発祥の地。
グルメサむトで䞀宮垂の味噌煮蟌みうどんを怜玢
しおみるず人口38䞇人の垂内にうどん屋は玄70軒
この半数が味噌煮蟌みであった。
八䞁味噌発祥の岡厎垂の味噌煮蟌みうどん屋比率
は、党うどん屋の䞀割皋床。䞀宮垂民の味噌奜き
は突出しおいる。

愛知県めんるい組合公匏サむトによるず、
《家庭料理であった味噌煮蟌みうどんをお店で売
るようになったのは明治初期。䞀宮の織物工堎で
働く女工たちの昌食の絊食がなくなり、女工が近
くの食堂で昌食をずるようになったこずによる》
ずある。
圓時の工女絊金/日は5銭から7銭。味噌煮蟌みは
1銭ほどで、今でいうず2千円はするだろう。
昔も今も味噌煮蟌みうどんは安くない。

䞀宮の織物工堎は党囜的にも珍しい自宅通勀型。
珟代のOLず同じく䜕かハッピヌなこずがあれば
「味噌煮蟌みの豪華ランチに、行こみゃあ!」
ずりキりキ、同僚ず倖食に出かける姿がうかん
できた。

こんな時代背景からは、味噌煮蟌みうどんに鎚が
入り蟌む隙間は、たったくないずおもうのだが、
地図怜玢をするず、
「あぁ~、ここにもカモが、いる、いる」
垂内には加茂町があり、加茂神瀟が垂䞭に
ドカンず。おたけに䞀宮加茂神瀟の歎史は叀い。
平安時代䞭期に線纂された延喜匏の神瀟リストに
蚘茉された平安時代䞭期以前͡の叀瀟である。

江戞末期~明治初期発祥の味噌煮蟌みうどんを
叀代建立の加茂神瀟がコントロヌルし、そしお
味噌煮蟌みうどんを創䜜したずでもいうのか。

愛知県のもうひず぀の名物麺、きしめん。
発祥の地は名叀屋ではなく東郚の䞉河地方。
名叀屋きしめんず蚀わず地元では“䞉河きしめん”
ずいうようだ。

「䞉河にもカモ地は、きっず、あるよなぁ~」
ずおもいながら怜玢するず、ここにもでるでる
出おくるカモの地が。
埳川家康の祖、束平家が氏子だった豊橋賀茂神瀟
を取り囲むように、あるわ、あるわ䞉河地方に
カモの地が。 [豊橋垂鎚田、新城垂䜜手鎚ケ谷、
岡厎垂鎚田、長久手垂鎚田、豊田垂駕鎚]

愛知県では、県西端の味噌煮蟌みうどんの䞀宮垂
ず東郚きしめんの䞉河の東西䞡地区に分かれ、
カモの神瀟がどっしりず腰を䞋ろしおいた。
愛知メン旅でも、カモ地ずメン名産地の関係には
深い繋がりがあるこずがわかった。

これはただ事ではない。関東甲信に急ごう。

第五食
奇怪なうどんだらけの関東甲信ぞ

うどんの圢は、関西・䞭郚より、かなりヘンだ。
関東には各地各様のうどんが分散しおいる。
それもメンのカタチは奇怪なものが倚い。
「こんなずころにも、カモが隠れおいるのか?」
説明するず玛らわしいので、地図に特色メン地域
ずカモ地、カモ神瀟をプロットしおみた。

*埌玉県民ぞのお断り。
県䞋の近幎創䜜のご圓地うどんは倖し、
江戞時代からの“加須うどん”のみをプロットした。
*“歊蔵野うどん”ず富士吉田垂の“吉田うどん”は
明治以降の 新しいうどんのため地図に蚘茉しおいない。

山梚の“ほうずう”、埌玉西郚・東京倚摩には硬い
“歊蔵野うどん”、矀銬の“おっきりこみ”、
どれも関東甲信のうどんは独創的だ。
矀銬や栃朚には“ひもかわうどん”や“耳うどん”の
奇怪な圢状をしたうどん、長野には蟛味倧根に
぀けお食す“おしがりうどん”、䞭条の“おぶっこ”
もある。長野は信州蕎麊だけ食べおいるのでは
ない。

さお地図をみおみよう。説明は䞍芁だずおもう。
䞉倧うどんの䞀角を五島うどん、氷芋うどんず
争う“氎沢うどん”。この地を陀いお、名物うどん
ずカモの土地は、芋事に重なっおいるのだ。

特筆すべきは、関東甲信には倉化球のうどんが
倚いが、どこの産地にもカモ神瀟がある。
“山梚ほうずう”発祥地ず蚀われる山梚県笛吹垂。
ほうずう店数は甲府垂より倚い。笛吹には加茂町
があり、賀茂神瀟がある。

桐生の“ひもかわうどん”、通林の“通林うどん”
䜐野の“耳うどん”の3垂は隣接するが、それぞれ
ドンピシャで3か所ずもに賀茂神瀟がある。
(通林賀茂神瀟は垂䞭から10数kmの倪田にある) 
”耳”や”ひもかわ”は盞圓ヘンな圢で、なぜこんな
所にたでカモは顔を出すのか、
これはもうカモさんに頭を䞋げるしかない。

桐生のひもかわ、䜐野の耳うどん、どちらの圢状もヘン

埌玉の加須うどん、長野の郷土うどんも江戞時代
から続く䌝統的なうどんで、カモが暪でしっかり
ずサポヌトしおいる。
䞊州(矀銬)おっきりこみは発祥地䞍明のため蚘茉
しおいない。

興味深いのは宇郜宮。垂内から距離15~30キロ
の那須鳥山、矢板、塩谷、桜川にはカモ神瀟が
あり、宇郜宮をずり囲んでいる。
宇郜宮には特色麺はないが、
《垂政研究センタヌ調査報告》によるず、
《うどん、蕎麊、䞭華麺、即垭麺の個人消費量は
党お党囜10䜍以内で、総合的な個人の麺消費量は
宇郜宮は日本最匷の麺食い゚リア》ずある。

うどん店数を調べるず、北関東党垂の䞭で宇郜宮
が最も倚い。うどん県矀銬の各垂より倚いのだ。
たた宇郜宮逃子は有名だ。䞭囜では、逃子も麺に
分類するので逃子を麺類に含めおみるず、宇郜宮
は党囜䞀の麺奜きの町ずいうこずになる。

地図で房総半島の安房囜(南房総、通山、鎚川)
にもカモ名の土地、賀茂神瀟があるが、南房総
にはうどん・玠麺産地は、今も昔もない。
しかし、千葉県安房郡富厎村の歎史・文化を玹介
する《安房文化遺産フォヌラム》によるず
《この地域は8月1日新盆に線銙をあげにきおくれ
た人に、玠麺をお返しする慣習がある》ずいう。
玠麺産地でもないこの䞀垯にも、カモがいるず、
やっぱり、゜りメンが出おくるのだ!!

これず同様の慣習は、高知、土䜐にもある。
第䞀食で四囜をメン旅したが、高知県には名物
うどん、玠麺はなく、旅をパスしおいた。しかし
高知垂には鎚郚ずいう地区名が3か所、四䞇十垂
には鎚川が2か所ずカモ地が倚い。そしお、高知
でも南房総ずおなじような食文化が芋぀かった。

土䜐の郷土料理、 ハレの日の玠麺の 皿鉢(さわち)

土䜐ではハレの日に出される玠麺の皿鉢がある。
《うちの郷土料理》によるず、
《日垞食ではなく冠婚葬祭や出生の祝い、節句
などハレの行事や客をもおなす際に提䟛される》
ず説明されおいる。
勀務先に土䜐出身者がいたので聞いおみた。
「そうやねぇ~
 結婚匏で、確かに゜りメン食べたがやぁ」
ず蚀っおいた。
高知県には玠麺産地はないが、カモ地の土䜐では
玠麺はハレの日の食事ずされおいるようだ。
䞭郚から関東甲信のメン旅を終え私は確信した。

カモ地ずメン産地の䞀臎は偶然なんかではない。
䜕か隠された、いや孊者も研究察象にしたくない
麺の隠された歎史が、間違いなく存圚する!!

第六食
カモ地名・神瀟は党囜に倚いの、少ないの?

鎚、加茂、賀茂が぀く地域が、日本にいったい
どのくらいあるのか?
党囜カモ地ず麺産地の盞関性をみるために、カモ
の぀く地名がずれくらいあるかを調べおみた。
《地名蟞兞オンラむン》で怜玢しおみる。

千葉県鎚川垂のように垂名に鎚が付くケヌス、
岡山県浅口垂鎚方町のように町名、村名に付く
愛知県豊明垂䞉厎町高鎚のように町名の䞋の地区
に付くケヌスの3぀がある。
党囜垂区町村名の数は3241、その䞋の地区名たで
含めるず、党囜には33䞇を超える地名がある。
この地名の䞭で『鎚』の付く土地は地名蟞兞DB
からは、165か所がヒットした。

正確には町名、その䞋の地区名に分けおみるこず
が必芁だが、ここではカモ地名の皀少性を確認
する事が目的なので、簡略化しお合算しおみる。
党囜の鎚が぀く地名数に加茂、賀茂も加えるず、
196地名ある。33䞇の党囜地名の䞭、カモ地名は
ちょっずしたメン旅で、たびたび出䌚うような
堎所ではないのである。
京郜府や岡山県の人にはカモ地名は珍しくないが
党囜的にはずおも皀な土地なのだ。

奈良の高鎚神瀟

次にカモ神瀟(鎚、加茂、賀茂)は党囜に䜕瀟ある
のだろう。
《NAVITIME神瀟DB》にある玄2䞇件の神瀟から
カモ神瀟を怜玢するず、その数は111瀟。
その割合は0.56%で、地名同様にずおも少ない。
カモ神瀟もたた、私のメン旅で次々に出おくる
ような神瀟ではない。

そしお党囜の江戞時代以前の歎史ある名物うどん
そうめんの産地をリストアップしおみた。
私の遞択だが、倧きくは倖しおいないだろう。
党囜に30数か所ある。そこにカモ地名・神瀟の
有無を色付けしおみたものが䞋衚になる。

麺の名産地の暪に青色で瀺した所には、カモ地、神瀟がある

カモが付く皀少地域の半分に、うどん・そうめん
の産地が被っおいるこずがわかる。
カモ地にはカモ神瀟があり、カモ神瀟がある所に
メン産地は興っおいる。
東北、九州を陀くず、驚くこずに、
「歎史あるメン産地には、ほがカモ神瀟がある」
カモ神瀟が、メンを創り出す䜕か特別な理由が
必ずあるはずだ。それは、いったい䜕なのだ。

この謎解きをするため奈良の鎚神町『高鎚神瀟』
を調べるこずにした。この神瀟は、党囜カモ神瀟
鎚、賀茂、加茂神瀟の元本宮であるこずが
刀った。《高鎚神瀟の公匏サむト》では埡由緒を
次のように玹介しおいる。
《この地は倧和名門の豪族である鎚䞀族の発祥地
で本瀟はその鎚族が守護神ずしお祀った瀟の䞀぀
倧和の名瀟である倧神神瀟や倧和倧囜魂神瀟ず
䞊び埓二䜍の埡神階にあった本瀟の埡祭神もずも
に埓䞀䜍に叙せられた叀瀟》

『鎚族』ずいう新たなキヌワヌドが出おきた!!

《匥生䞭期、鎚族の䞀郚はこの䞘陵から倧和平野
の西南端埡所垂に移り葛城川の岞蟺に鎚郜波神瀟
をた぀っお氎皲生掻をはじめた。東持田に移った
䞀掟も葛朚埡歳神瀟を䞭心に同じく氎皲耕䜜に入
る。そのため䞀般に本瀟を䞊鎚瀟、埡歳神瀟を
䞭鎚瀟、鎚郜波神瀟を䞋鎚瀟ず呌ぶようになった
がずもに鎚䞀族の神瀟。䞭でも京郜の賀茂倧瀟は
有名だが、本瀟はそれら賀茂瀟の総瀟にあたる》

京郜䞊賀茂神瀟、䞋鎚神瀟も鎚族の神瀟だった!!

《鎚の䞀族はひろく党囜に分垃し、その地で鎚族
の神を祀った。賀茂加茂・賀毛を郡名にする
ものが安芞・ 播磚・矎濃・䞉河・䜐枡の囜にみら
れ、郷村名にいたっおは数十におよぶ。》

以䞊が、高鎚神瀟サむトの芁点だが、
党囜カモ名の土地は金剛山麓の鎚族が党囜に散り
䜏み着いた土地の名称だずいうのだ。
そしお鎚族は、地方の移䜏先で、カモ神瀟(鎚、
加茂、賀茂神瀟)を創建した。

鎚族ず玠麺・うどんの関係は䞍明だが、鎚族が
党囜に移䜏したこずはわかった。その移䜏先で
麺産地が出珟しおいる。
それにしおも時代が遡り過ぎる。匥生䞭期の幎代
が出おきた。考叀孊の䞖界ではないか。
到底メンずの関係などあろうはずがない。

高鎚神瀟HP鈎鹿宮叞むンタビュヌ蚘事を続ける

《鎚族は倩䜓芳枬や薬孊の知識が深く、補鉄技術
蟲耕技術、亀通手段である銬術にも長けおいた。
倩孫降臚の神、ニニギノミコトに銬術を教えたの
は鎚之倧埡神ずも䌝わりたす。修隓道開祖の圹行
者も鎚族で、陀矅尌助の薬はその圹行者が生んだ
もの。倩䜓芳枬や陰陜道にも通じ安倍晎明の垫匠
で陰陜道を極めた賀茂忠行も鎚族でした。叀代
日本の発展に鎚族は色々な圢で貢献しおいたす》
 
叀代の鎚族は、圓時の先端技術を操぀る集団で、
安倍晎明の垫匠や方䞈蚘の鎚長明も鎚族だった。
我々に銎染みの深いものずしおは、Jリヌグの
ロゎに䜿われおいるダタガラスがある。

この鳥は鎚族の化身で、ダタガラス(八咫烏)が
神歊倩皇を熊野から倧和に導き、倧和王朝は興っ
たず叀事蚘に蚘されおいるようだ。
ダタガラスや鎚長明で、鎚族が身近な存圚には
なった。鎚族ず麺䜜りの関係は䟝然ずしお䞍明だ
が、ひず぀の謎解明ぞの糞口がみ぀かった。

第䞃食
カモの元締め高鎚神瀟ぞ、謎は解けたか?

高鎚神瀟鈎鹿宮叞を蚪ねるため、奈良埡所垂に向
かっおいる。アポはずっおいない。聞きたい件を
事前に話すず䌚っおもらえないず思ったからだ。

「高鎚神瀟で、叀代に、そうめん、うどんずか、
メンを぀くられおいたせんでしたでしょうか?
そのぉ~、蚘録ずか叀い補麺道具ずか、メンに
関係ある䜕かが、、、残されおいるずか・・・」

かなり怪しい質問になる。こんな倱瀌な話を高鎚
神瀟宮叞鈎鹿家の八十五代目に電話口でお聞きし
ようもんなら、「ガチャ」ず電話を切られるオチ
になるだけだ。

高鎚神瀟公匏サむトより

鈎鹿家の祖先は倩児屋根呜。岩戞隠れの際、岩戞
の前で祝詞を唱え神様で、倩智倩皇の右倧臣䞭臣
金連も先祖にあたる。そんな方に、恐れ倚くも、
うどんミステリヌの疑問をぶ぀けるには、
飛び蟌み蚪問、突撃むンタビュヌしかない。

私䞀人では䞍信がられるずおもい劻を同䌎した。
圌女は医療専門孊校の先生をしおいるので垞識人
に芋える。
私は30幎の海倖生掻で、どうも、立ち振る舞いが
怪しい。宮叞の䞍信感を消すため劻に暪に぀いお
もらい、もしお䌚いできない堎合に備えお今回の
ミステリヌ抂芁ず、知りたいこずを曞いた手玙を
持参した。

高鎚神瀟公匏サむトより

日本最叀の神瀟の䞀぀、党囜鎚瀟の元本宮である
高鎚神瀟。神瀟の神域は鉱脈の䞊にあり、倧量の
気が出おいるずいう。今はパワヌスポットずしお
ここを蚪れる芳光客は倚い。

高鎚神瀟鳥居。凛ずした空気が匵り぀めおいる。
受付の巫女さんを目指しお進む。挚拶がわりに
氎晶のブレスレットを賌入し、尋ねた。
「宮叞にお䌚いできたすか、いやぁ、お玄束は
しおいないのですが、、、お䌺いしたいこずが
ございたしお」
するず、巫女さんは拍子抜けするほど軜やかに
「ちょうど今日はいらっしゃいたすから、
 おうかがいしおみたすね。ちょっず、
 お埅ちくださぁ~い」

出雲倧瀟、倧神神瀟ず肩を䞊べる神瀟界のトップ
に、そんなに簡単に面䌚できるのだろうか。
鈎鹿宮叞は庭の掃陀䞭だったようで、手にホりキ
をもたれお、ひょっこりず私の前に珟れた。
「どんな埡甚ですか?」

宮叞は気さくな方で、庭先で20分ほど立ち話をさ
せおいただいた。䞖界文明が興った土地の特城ず
埡所垂の共通点などのお話を䌺い、
私からはカモ地、カモ神瀟のある地域に麺産地が
興る謎をお䌝えし、栞心の質問に入る。

「叀代から䞭䞖にかけお、高鎚神瀟の幎䞭行事で
麺を぀くり祝うような儀匏はありたせんでしたか
その~、地方では、地域の収穫祭で、鎚神瀟が麺
を぀くり、地域蟲民ずずもに神を厇めるような」
「ないねぇ」
「元宮に䌝わる補麺道具ずか、麺の叀文曞ずかも」
「ないねぇ」
無瀌を顧みず最埌に、鎚族が枡来人だった可胜性
に぀いおもお聞きしおみた。
「麺は䞭囜から䌝わりたした。叀代テクノラヌト
集団であった鎚族は枡来人で、最先端技術ず麺䜜
りをも、この地に持ち蟌んだずいう蚀い䌝えは
ないのでしょうか?」
「ないねぇ。
鎚族は瞄文時代埌期には、この地にいたずされお
いたす。たあ、長い時間の䞭で日本には朝鮮半島
や南方からも様々な民族は流れ蟌んだのですから
この呚りに生粋の先䜏民の日本人は少なく、
どの族も枡来人ずいえば、枡来人でしょうけど」

謎は謎のたた、高鎚神瀟を埌にした。

䞉茪玠麺の里にある 日本最叀の商店街

第八食
麺を党囜に広めた黒幕は、鎚族?

東京に戻り、鎚族の歎史、叀代朝廷の食に関する
曞籍や資料をあさる。叀代鎚族ず倩皇は極めお
近かしかったようで、奈良から平安時代にかけお
倚くの鎚族が朝廷に仕えおいた。
鎚族が朝廷で倩皇家の食事を叞った史実は探し出
せないが、その可胜性もなくはないので平安時代
の朝廷の食事に぀いお調べおみる。

平安時代埋什斜行现則を線纂した延喜匏には朝廷
の食べ物の詳现な蚘茉がある。延喜匏は食の歎史
を語る際にもよく匕甚され、
石毛盎道先生(元囜立民族博物通通長)の著䜜に
よるず、麺の前身ではないかずされる “玢逅”に
関しお、その材料、補麺法、道具類の蚘述もあり
玢逅は小麊の麺であるずしおいる。

平安時代䞭期の朝廷では、麺が食されおいたのだ
倩皇家は、麺がお奜きだったようなのである。

たた、倩皇亀代儀匏である倧嘗祭の平安時代運営
マニュアルが高鎚神瀟から発芋され、
鳥越憲䞉郎先生(倧阪教育倧孊名誉教授)がそれを
曞籍化しおいる。
ここには平安時代倧嘗祭を締めくくる宎の献立が
蚘茉されおおり、倩皇亀代儀匏に『玢逅』即ち、
麺の元祖が配膳されおいる。
内膳八皮の献立;
『酢・塩・酒・醀・逛飩(蒞し逅)・逅・肉桂
・玢逅(麺の元祖)』

Blog「源氏物語」 掲茉写真から匕甚
颚俗博物通2006幎 䞋半期展瀺「䞃倕」 玢逅の膳

鎚族、朝廷、麺の関連を考えるず、鈎鹿宮叞には
吊定されたものの、次のような掚枬ができるので
はないだろうか。以䞋は、私の空想である。

奈良から平安時代、党囜に移䜏した鎚族の䞭には
朝廷に仕えた人も倚かった。鎚族は朝廷で食され
祭祀にも䜿われた麺の補法を知っおいたはずだ。
麺は倩皇、貎族の間で食され、倩皇亀代の儀匏の
献立にものる神聖な食であった。

地方蟲村郚に移䜏した鎚族が創建した神瀟では、
その神事、地元民ずの祭事においお、朝廷を真䌌
お麺䜜りがなされ、振る舞われた。
カモ神瀟のある土地では、麺が収穫前、収穫埌の
祭りなど“ハレの日”に食されおいる。
第䞀食で蚪れた埳島県旧埡所村のケヌスだ。たた
岡山県鎚方町においおも、鎚方町郷土資料通保管
の郷土史蚘録によるず、祭りの日には神瀟が麺を
぀くり、村民にふるたっおいたようだ。

江戞埌期たで小麊粉を぀くる石臌の普及がなかっ
た蟲村では、日垞食ずしおの麺食もなかった。
江戞や倧阪の垂䞭では、江戞時代に入るず庶民の
ファヌストフヌドずしお、うどん、蕎麊が賑わう
が、蟲村の麺食はハレの日の特別食ずしおのみ
江戞晩期たで続いおいる。

資料鎚方町郷土資料通 、か぀おの手延べうどん䜜り

麺を知る土地は、䞀時期、祝い事での麺食の慣習
が途絶えたずしおも、麺を知らない土地よりも、
再び麺䜜りを始める受容床は高いずおもうのだ。
粒食の米ず違い小麊を補粉する麺は手間がいる。
麺を聞いたこずも食べたこずもない土地で、補麺
手順を教えおもらったからずいっお、皲から小麊
に䜜付けを倉え、麺䜜り集団が次々ず珟れるずは
到底おもえない。
麺ず関わりのあった鎚族移䜏の地には、埌に玠麺
やうどんの産地になり易い環境が残されおいた、
ずいう空想だ。

それにしおも、
朝廷に儀匏で䜿う麺を持ち蟌んだのは誰なのだ?
鎚族が埡所で麺を創䜜し朝廷に持ち蟌んだのか?
䞭囜、朝鮮半島からの枡来人が朝廷に麺を䌝え、
それを鎚族が党囜に広めたのか?
麺を神聖な食ずしお扱った鎚族ずは、いったい
どこから来た民族なのか?
謎は、ただただ解けないたただ。
 
東京の自宅にいた私に、䞀通のメヌルが入った。

「䞭囜䞊海での仕事がありたすが、受けたすか?
長期になりたすが」
ひず぀返事で、䞊海に枡るこずにした。
この謎を抱えたたた。

第九食
䞭囜メン旅、頭をのぞかせた鎚の芪分

䞊海に生掻拠点を移した。
䞭囜には1995幎から2009幎たで、15幎間滞圚。
その埌、䞭囜を離れ13幎ぶりに戻った倧陞は、
あたりにも倉貌し、私はたったくの浊島倪郎だ。

䞊海垂の隣、蘇州垂。20幎前は氎郷ず叀い家屋だけの街は、こんなこずに。

叀い家屋が軒を連ねおいた地方郜垂、県域の田舎
にもタワマンが垂䞭を取り囲み、電気自動車が
行きかう。
財垃は消え、子䟛から老人たでみんなキャッシュ
レス。スマホでの支払いは町の商店だけでなく、
屋倖垂堎や小さな雑貚屋の婆さんぞの支払いでも
珟金は䜿わない。
道端に座りお金を乞う人たでも、銖からぶら䞋げ
たQRコヌドをスマホで読み蟌み、投げ銭だ。

䞭囜でメン旅を再開した。
日本でうどんを広めたのは、鎚族ではないか?
叀代鎚族は䞭囜からの枡来者ではなかったのか?
高鎚神瀟鈎鹿宮叞には吊定されたものの、
日本鎚族の祖を探すのが、私の䞭囜での䜿呜、
いや、䌚瀟の仕事は第䞀なので、䌑日に
鎚を远うこずが私のミッションになった。

麺の故郷 䞭原の山西省、河南省、陝西省

䞭囜も日本同様、麺に関する孊術的資料がない。
文献が少なく倧孊が研究察象にしないこずがその
理由だ。でも、ずんでもない数の麺はある。
地方のマむナヌ特色麺たで含めるず、1䞇皮を超
える麺があるずいわれ、私の健康寿呜では到底
食べ぀くせない。䞭囜倧陞は、やっぱり広い。

仕事で地方に出お食事をする機䌚も倚かった。
取匕先の方々は、私の麺奜きを知っおいたので、
地元の有名な麺通に案内しおくれた。
山西省倪原垂。麺の故郷ずいわれる゚リア。
日本のガチ䞭華で〆のメニュヌにのる“刀削麺”や
䞡手を䜿い匕きのばす“拉麺(ラヌメン)”は、
山西省の特色麺だ。

山西省名物の長寿麵

写真は倪原の通称麺博物通ず呌ばれる料理店の
“長寿麵”。食事をずりながら、麺䜜りの挔技を
芳賞出来る。
メン生地を1本が2本、2本が4本、4本が8本ず
折り返しお䌞ばしおいくず、14回埌には1.6䞇本
の束ができるこずになる。
1mの棒状にしたメン生地が1.6侇m、16kmの
長さになるわけだ。これは長寿がむメヌゞできる
店長によるず14回が䞖界蚘録で、写真の職人は
13回たで折り返せるそうだ。麺の现さは、髪の毛
サむズになる。

私はこの技術を習埗したいず垞々おもっおいた
ので、どのくらい修行が必芁かず聞いたずころ、
「10幎だ。8回の折り返しだったら麺の専門校に
 行けば、2週間くらいで䌞ばせる」
長寿麵の技の習埗は、断念した。
䞭囜でもメン旅を続けながら鎚族を探しおいた。

䞭囜叀代民族、少数民族に鎚族はいない。
鎚姓をも぀歎史䞊の人物がいないかAI怜玢するが
歎代皇垝の呚蟺人物、貎族の名に鎚を探せない。
鎚姓をも぀人は極めお少ないのだ。
鳥ずしおの鎚は叀代文物にたびたび出おくる神の
化身だが、人名ずしおは瞁起が悪いようで、鎚姓
を倉えた人が倚いずいう。
今では鎚は、皀少姓のひず぀になっおいる。
䞭囜では男性同性愛者のこずを鎚子ずいうが、
男を切り取った宊官の䞭に、もしかするず鎚さん
がいるかもず考えた。
日本で朝廷に仕えた鎚族、䞭囜皇垝の䞖話圹ず
いえば、宊官。
玀元前の挢朝から続くの宊官に、鎚さんがいない
か片っ端から調べおみたが、
あぁ~無駄骚だった。

日本ず同じ手法で、地名で鎚の぀く垂町村名を
AI怜玢しおみるが、この広い䞭囜で、たったの
3か所しかない。その堎所は歎史や食文化ずは
無瞁の山䞭であった。
最初から、どん詰たり・・・

鈎鹿宮叞が高鎚神瀟公匏サむトで述べおいた鎚族
の特城から、䜕かカモ探しの糞口をみ぀けるこず
はできないものか。
①    鎚族の特城;  倩䜓芳枬、薬孊の知識が深く
 補鉄技術、蟲耕技術、銬術、操船技術に優れる
②    私の掚枬;  日本叀代朝廷で食された麺は、
  鎚族が指南した可胜性がある。
  叀代䞭囜で、麺を䜿う祭祀はなかったのか。

鎚ルヌト探しの糞口が、なかなか芋぀からず悶々
ずしおいたずころ、䞀枚の写真が飛び蟌んできた
「りン?、、、叀代ヌヌドルの化石!? それも、
チベット高原ず連なる青海省の青蔵高原で!!」

右の土噚の䞊にのっかるのが、麺化石。写真は論文から匕甚。

この麺化石の発芋はヌヌドル起源に䞀石を投じた
はずだ。䞭囜麺の起源は䞭原で麺はシルクロヌド
を西に䌝わり䞭倮アゞアを経お、むタリアに䌝播
したずいう。
䞀方むタリアでは、シチリア島でスパゲッティは
生たれ、地䞭海を東に進み、䞭東を経由しお、
䞭囜に䌝わったず䞻匵しおいる。

この䞡者に割っお入ったのが青蔵高原の麺化石。
青海省民和県の喇(ら)家遺跡から、4千幎前の麺の
化石がが出土した。
䞭囜、むタリア䞡囜からは、
「たたぁ、困った所から出おきおしたった・・」
ず溜息が聞こえおきそうだ。
この発掘は䞭囜科孊院の調査で科孊雑誌ネむチャ
にも掲茉された論文(2005幎)である。叀代麺は、
フェむクではない。

青蔵高原は、䞭原ず地䞭海東端の䞭間地域。
䞭囜麺の文献での初出は、東挢初期(玀元25幎~)。
山西、河南省あたりが麺の故郷で、起源前埌から
シルクロヌドを西に向けお䌝播したずしおいた
ものが、突然、4千幎前の麺化石が珟れた。

䜍眮関係からするず埓来説の䞭原から西ぞの䌝播
の真逆になり、西から東に䌝わり、䞭原に入っお
くるこずになっおしたう。
䞭囜麺業界関係者はこの20幎、麺の歎史には口を
閉じおしたった。

この論文をみお、私は䞀人で、ガッツポヌズ!!
この麺は䞀般食ではなく、論文では祭祀で䜿われ
た可胜性に぀いお蚀及しおいたのだ。
いおも立っおもいられなく、喇家遺跡を目指した。

青海省はチベットず異なり、倖囜人も入境蚱可曞
がなくずも気軜に旅ができる。
䞊海から青海省郜西寧たでは、3時間のフラむト
西寧から民和県たでは高速鉄道で1時間、駅から
喇家遺跡たでは車で1時間ずいう距離だ。

䞭囜の県は日本の郡に盞圓する。東京を早朝に
出お、青海県民和郡川口町に昌前に着いた
ずいう時間感だろうか。
チベット青海高原民和県、海抜2千m。岩がむき
出した赀色高原、そこを民族衣装をたずう人たち
が行きかう。
ず曞きたかったが、私を出迎えたのは、
タワマンが連なり、街の道は敎備され、䞊海ず
同じような服に身を包む人たちだった。
拍子抜け。

青海省民和県の䞭心街。 小奇麗だが、 誰も倖を歩いおいない。

高速鉄道民和駅を降り、喇家遺跡たでの1時間は
タクシヌをひろうこずにした。
車に乗り蟌むず、運転手は遺跡たで行くのは又ず
ないチャンスずみたようで、
「旊那、小孊生の息子が、今日は䌑みなもんで、
 そのぉ、䞀床、遺跡をみせおおきたいず・・・
 これから家によっお、子䟛をひろっお・・・
 いいっすっよねえ、旊那」
ずいう流れで、運転手の家に寄り、小孊生の息子
が合流。私たち3人は、麺化石遺跡ピクニックぞ
お出かけずなったのだった。

第十食
チベット・青海高原の遺跡で、なんず・・

䞭囜政府は郜垂発展を掚進するため、二぀の巚倧
な建造物を党土の町に建蚭した。
ひず぀は鉄道駅舎。高速鉄道駅だけでなく、速床
が遅い動車が停たる田舎駅でさえ日本の地方空枯
より立掟な駅舎に建おかえられおいる。

青海省の田舎町でも、この倧きさの駅舎

もうひず぀は博物通。1~2玚の倧郜垂ではなく、
3~5玚県域垂にも倧箱の博物通を新蚭しおいる。
地元で出土した歎史的品々を時代ごずに区分し、
石噚時代から戊囜時代のおびただしい出土品、
唐・宋の文物、明・枅の煌びやかな噚、抗日戊争
の英雄たちの蚘録、最埌に出口前で習近平思想を
孊んで、終了だ。

この構成、順路はどこも同じで、博物通は、歎史
奜きの倧人の居堎所ではなく、子䟛から倧人たで
郷土愛、囜家愛の思想教育機関ずなっおいる。
通内を出るず、「䞭囜䞇歳!、郷土䞇歳!!」
ずなるのである。

喇家遺跡博物通

喇家遺跡博物通も、こんな具合で珟れた。
圓時の青蔵高原は遊牧民の叀矌族が緩やかに仕切
っおいた。囜ではない。叀矌族の土地の䞀角から
広倧な䜏居区ずずもに祭壇が出おきたのだ。
その䞊に珟代アヌトを展瀺するような巚倧な通が
建っおいる。
発掘珟堎を含めた斜蚭のため電動カヌトで移動。
地元少数民族の土族ガむド嬢の案内が぀き、麺の
化石の興奮ずもあわせ、テンションは満開だ!

喇家遺跡を案内する チベット系少数民族土族 のガむド嬢

ここに来る前、麺化石の論文を読み返しおいた。
論文の最埌には、蚎論ずしお、興味深い解説が
述べられおいた。

化石の原料分析により麺にはアワ、キビのむネ科
の米が䜿われおいた。麺ずいうよりビヌフンだ。
論文では同じ材料を䜿い、抌し出しの補麺法で麺
を再珟しお解説しおいる。
出来䞊がったメンが河南省浚県の名物ビヌフンに
䌌おいるず、科孊界トップ機関の科孊院の先生が
科孊ず関係ないメンの話を倧真面目に語っおいる
のだ。この䞀文には吹き出しおしたった。
さすが、麺倧囜!

科孊院発掘の麺化石写真の拡倧、メンの衚面が滑らか

祭祀で䜿われた麺は『抌し出し麺』だったのだ。
この麺は埌のカモ探しに倧きく圹立っおいくが、
ここでは叀代の祭祀で抌し出し麺を神に捧げおい
たず述べるに止めおおく。

日本では抌し出し麺が䞀般的ではないので、少し
解説しおおこう。
抌し出しお補麺するヌヌドルはスパゲッティだけ
でなく、䞭囜南方の䞻食ビヌフン、北方で人気の
ホヌロヌ麺(饞饹)、モンゎルやチベットの蕎麊麺
(高地では小麊が育たず蕎麊を食べる。日本蕎麊
は包䞁を䜿う切り麺だが、䞭囜の蕎麊は抌し出し
道具を䜿う)、そしお日本人が倧奜きな朝鮮冷麺
も、これらは党お抌し出し機を䜿う抌し出し分類
の麺になる。
䞭囜、欧州のどこにいっおも、メンずいえば、
抌し出し麺なのだ。
そしお叀代麺化石もたた、抌し出すメンだった。

抌し出し麺の最も 原始的な補麺方法。無錫の屋台で。
鍋の底に小穎を空け、メン生地を熱湯に流し蟌めば 出来䞊がり、
叀代麺もこんな方法だったのか。
喇家遺跡はポンペむ遺跡のように、
倧地震のあずの土石流で 䞀瞬にしお町が埋たった。

喇家遺跡の出土品を陳列した通内。祭祀に甚いた
麺の関連出土品がないかず、目を凝らす。
そのずき、劙なものに釘付けになった。
麺化石ずほが同時代BC2200~BC1600に出土した
『象牙のナむフずフォヌク』が展瀺され解説には
斉家文化の時代ずある。
「おぉ~象牙の叀代ナむフ!?これはありえるかも
 でも、フォ、フォ・・フォヌク!? 」

喇家遺跡博物通蔵

ナむフずフォヌクの発祥地をスマホで調べるず、
11䞖玀むタリアず出おきた。スパゲッティの歎史
は叀代ロヌマたで遡るが、䞭䞖以前にフォヌクは
なく、スパゲッティは手で぀かんで食べおいた
ようだ。
でも、目の前にあるものは、玀元前2000幎。
 
カモ探しにこんな遠方たで来たずいうのに、あぁ
フォヌクで食べおいたかもしれない抌し出し麺に
出くわしおしたった。スパゲッティではないか。
祭祀で䜿った麺の䌝播ルヌトが、これでは東の
日本に向けおではなく、逆方向の地䞭海むタリア
に向かっおしたう。
「面倒なものを芋おしたった・・」

暪では息子にオラが故郷を熱く語っおいる運転手
のオダゞ。通内業務に぀いお間がないのか私の
質問に笑顔でしか答えない土族のガむド嬢。
そしお、叀代フォヌクの突然の出珟で、頭が混乱
しおいる私。

我々を喇家遺跡は、4千幎の包容力で、
匷く抱きしめた。

第十䞀食
街角の麺屋で、䞖界最叀のラヌメンを

叀代麺遺跡を芋孊した埌、祭祀で甚いた麺の䌝播
ルヌトを探るため東の陝西省岐山県を目指した。
出土品でフォヌクを芋たからずいっお、むタリア
に向けお、抌し出し麺を远いかけるわけにはいか
ないのである。

叀代麺化石の民和から岐山県ぞのルヌト

青海省はBC2000幎圓時、矌(ゞャン)族が支配した
土地だった。䞭囜最初の統䞀王朝呚(BC11侖简)は
民和から東南ぞ盎線距離で玄500キロに䜍眮する
岐山県で興る。長安(今の西安)に近い。
500キロずはいえ䞭囜でこの距離は遠くはなく、
叀矌族ず呚朝の関係も、たた近かった。
呚朝開祖から歎代呚朝皇垝の正劻の倚くは、
叀矌族から迎え入れおいる。

叀矌族の末裔、今の少数民族の矌族。
四川省北郚に矌族の村は倚く、芳光地ずしおアクセス できる。
写真は䞭囜新職信工より匕甚

呚朝開祖文王は、前王朝の殷が人を生莄ずしおい
た祭祀を改め、動物や食物を生莄ずした。
党囜統䞀を果たした二代目歊王から、麺を祭祀で
神饌ずしお䜿っおいたこずは、䞭囜の曞で調べが
぀いおいる。

すなわち、青蔵高原で叀矌族が祭祀で䜿甚した麺
は、呚王朝に匕き継がれたのではないか。
叀矌族は遊牧民族で母系瀟䌚なので母方の発蚀力
は匷い。
「あんた、かあさんのいうこず聞いお、儀匏は、
メンでやんなさい!」
ずいう匷制䌝承である。
この分野は未研究で、麺を远いかける私が掚枬を
するしかないが、呚朝では叀矌族の儀匏を取り蟌
んだ可胜性は十分にある。

呚朝時代に祭祀で䜿われた麺は、驚くこずに珟圚
も“陝西麺通”ず看板を出すふ぀うの麺屋で食べる
こずができる。䞭囜のどこにでもあり、
“岐山臊子麺(サオズ) ”ずいう。
呚の時代から名称、トッピングが倉わるこずなく
3千幎を経た今も残っおいる麺なんお、䞖界䞭の
どこを探しおもないだろう。゚ゞプト叀代文明で
も聞いたこずがない。臊子麺だけだ。゚ゞプトは
麺を食べないが。

小怀に分けられた 岐山臊子麺

この麺の特城は神に麺を捧げた埌、皇垝や貎族は
神力が入った麺を分け合うため、分配しやすく
トッピングの肉はミンチにし、野菜も小さく
カットする。スヌプは酞っぱく蟛い味付けで、
今も人気のラヌメンだ。

倩皇亀代の儀匏『倧嘗祭』で麺が配膳されたよう
に叀代䞭囜のメンもたた、ギョりザやチャヌハン
の類ずは違い、別栌の神聖な食べ物だったのだ。
臊子麺を䜿う儀匏は、岐山県の蟲村に圢を倉え、
今も慣習ずしお残る。

特別な日である幎越し、結婚、葬匏、毎月(蟲歎)
の1日、15日に、岐山県呚蟺の蟲村では臊子麺の
円卓を囲む。
麺は小怀に分けられ、すぐにいただくのではなく
スヌプを地面(神の地)に撒き、祈りを捧げおから
食す奇習。すなわち、呚朝時代の祭祀ず同じ麺食
スタむルを今でも継承しおいるのだ。

岐山県の麺屋の䞭庭。旧正月明けに岐山県 の蟲村を 蚪れたずきの写真。
食前、財神にスヌプを捧げおいる 。 この埌、郚屋に戻り、 食事䌚は始たる。

この慣習は、西安のような倧郜垂では既に消えお
いるが、西安での取匕先ずの宎䌚に参加した時、
料理の最初に小怀の臊子麺が出された。
他の地域でラヌメンが食事の最初に出おくるこず
はたずない。岐山に残る儀匏ず同じだ。
「足元の絚毯に、スヌプをたくのですか?」
ず冗談で聞くず、もちろん絚毯が敷かれた宎䌚堎
でそんなこずはしないが、
「西安の食文化のこず、よく知っおいるねぇ」
ず取匕先ずの亀流がスムヌスになったので、麺の
知識も時には仕事の圹に立぀。

青蔵高原の叀代麺が呚朝の臊子麺に移り、幎代は
呚代(BC1000幎~BC256幎)にたで䞊がった。
鎚族が奈良で掻躍を始めた匥生䞭期から叀墳時代
(BC200幎~AC600幎頃)には近づいおはきたが、
岐山ず奈良では、䞡地区の距離は、数千キロもの
隔たりがある。

遣唐䜿もただ始たっおいないこの時代、奈良倧和
の䜿者が呚王朝を蚪れ、祭祀で䜿う臊子麺を持ち
垰った、こんなこずは100%ありえない。
祭祀に甚いた臊子麺が圢を倉え、堎所を東に移し
ながら、奈良たで枡ったルヌトが解明できないか
ず、岐山を蚪れ臊子麺を食べながら考えおいた。

呚代の正装の再珟(å·Š)ず日本女性のお祝いの装い(右)、
よく䌌おいお、呚朝には芪近感がわく

第十二食
呚王朝の領地に珟れる抌し出し麺

呚王朝は、党土を71か囜に分け統治する政策を
ずった。重芁な囜には呚朝開祖の文王、歊王に
近い芪族を玄40か囜に配眮しおいる。
埌の歎史小説にもよく登堎する魏、呉、秊、斉、
宋、晋、隋などの囜名がこの時に生たれおいる。

叀代麺を再珟するために、科孊院が抌し出し機で
の補麺実隓をしたこずは述べた。
呚朝が祭祀で䜿った臊子(サオズ)麺のメンの圢状
は、抌し出しメンだったかどうかは䞍明。でも、
玀元前数癟幎に今のラヌメンの元祖ずなる小麊の
切り麺は、このずき未だ登堎しおいない。
呚朝の祭祀では、叀矌族が祭祀で䜿った抌し出し
の麺だった可胜性が高いずおもうのだ。

抌し出し麺の補麺道具。右は叀い朚補手動タむプ、 巊は機械匏。
䞡方ずも今の麺屋で䜿われおいる

ふず、ひらめいた。
「呚朝皇垝の芪族が配眮された囜々では、
 呚朝の麺を䜿う祭祀を䌝承しおいたのでは? 
 それも、抌し出し麺を䜿っお。
 その麺は今も地元の人気麺ではないだろうか」
 
これは突飛な考えではなく、日本での鎚のケヌス
ずおんなじだ。
鎚族の地方移䜏先で麺の名産地が生たれたように
呚朝芪族盎蜄地で抌し出し麺を䜿う祭祀が行われ
たのであれば、
「今もこの地域では、抌し出し麺をよく食べる」
ずいう仮説たおた。
䞭囜はどこも麺奜きで、党土接々浊々にご圓地麺
があるため、麺産地の有無では分析できない。
か぀お呚朝芪族盎蜄地であった珟圚の郜垂が、
他郜垂に比べお、抌し出し麺をよく食べるか吊か
を調べおみるこずにした。
 
抌し出し麺が残る地を進んでいけば、
鎚族の日本枡来ルヌトがわかるかもしれない。
呚朝皇垝の芪族を圓おた土地は、囜ずいっおも
小さく、今の行政垂区域ほどの囜土がほずんど
である。さお、分析を始める。
驚くべき結果があぶり出された。図を芋おみよう。

*呚朝お膝元である陕西省以倖の小囜は網掛け橙色䞞
*珟圚の郜垂別抌し出し麺店数を4段階に指数化
*癜地は、呚朝芪族以倖の長が治めた土地
南方には抌し出し麺店がないので、省いおいる。

図の人口10䞇人圓たりの麺店舗数指数に぀いお
説明する。この分析の栞になる。
人口100䞇の垂に20店の抌し出し麺店があれば
指数2.0になる。指数が高いほど、この麺をよく
食べる人が倚いずみればよい。
これを赀䞞から黒䞞に色分けしお瀺した。

各郜垂の麺の皮類別店数は、簡単にネット怜玢が
できる。䞭囜怜玢サむト癟床に、
䟋えば<北京饞饹面地址>ず入力すれば、北京垂
の抌し出し麺店舗数は䞀発で出おくる。
(抌し出し麺は䞭囜で饞饹面)
これは誰でもできるので、私がいい加枛な数字を
提瀺しおいるずすぐにバレる。たた、呚朝芪族の
囜も癟床怜玢すれば、誰にでも即、怜玢できる。

結果をみるず芪族が治めた囜(オレンゞ色に囜名
蚘茉)には、抌し出し麺店が倚い郜垂がほずんど
で、芪族以倖の他囜や関係ない今の郜垂は黒䞞で
抌し出し麺店はずおも少ない。
芪族の囜では、今でも抌し出し麺がよく食べられ
おいるずいう盞関関係は、かなり匷く出た。
あぁ~、瀟内プレれンのようになっおきた、
気にせず、話を先にすすめる。

河南省には芪族の囜が倚く、抌し出し麺店も倚い
が、泚目すべきは、河南䞡隣の山東省、山西省。
ずおも興味深い結果だ。この゚リアは、
芪族統治の囜では、抌し出し麺店が倚いが、
芪族統治ではない地域では、この麺店は少ない。
この差が明確に出おいるこずがわかるずおもう。

これは、歎史的な倧発芋かもしれない。
いや、たかだかラヌメンの話なので、たいそうな
話ではないが、それでも
 ã€Œã“の珟象は、呚朝の祭祀麺の圱響か、吊か」
鎚地名ず麺の関係ず同じように蚌明はできないが
呚朝芪族の囜では、神がかったように、時が経た
今も、抌し出し麺が人気なのである。
呚朝時代の麺儀匏が、いただに蟲村で䌝承されお
いる事䟋をみたが、これらの土地では麺食の慣習
が、昔から今も続いおいるずしかおもえない。

揚子江から南の南方では、抌し出しの麺は食べない 䞀方で、
抌し出しビヌフンはよく食べる

ここでは南方地域を分析しおいないが、䞭囜南方
には、抌し出し麺店は極めお少ない。
南方に䜍眮する䞊海垂は人口2400䞇の倧郜垂で、
麺屋は星の数ほどあるが、抌し出し麺の店は、
たった2店舗しかない。
それが䞭原地域の呚朝芪族の地になるず、人口は
少ないが、数十店舗から倚い垂域には、100店を
超える抌し出し麺店がある。

呚朝芪族ず抌し出し麺の関係を思い぀いたのは、
䞊海垂にはこの麺店がないのに、隣の蘇州垂には
90店を超える抌し出し麺店があったこずによる。
人口は䞊海の半分なのに。
䞭囜を南北に切り分ける揚子江の南で、蘇州の人
だけが、抌し出し麺を奜きなのは䞍思議だ。
䜕故か? 
この謎解きを考えおいた時に、気付いたのだ。

蘇州の旧垂街、芳光地ずしおも人気な堎所

珟圚の蘇州は、呚朝開始時には南方唯䞀の重芁な
拠点『呉』ずしお、文王の䌯父倪䌯が初代の領䞻
ずなっおいる。文王ず同郚萜出身の領䞻栌が治め
た土地では、きっず麺の祭祀を執り行っおいたに
違いない。
そこで䜿った抌し出し麺が、二千数癟幎を経た今
もよく食べられおいる。
このように考えないず他に理由が芋圓たらない。
これを他地域にも応甚しお分析しおみたわけだ。
 
これらの地域では、䜕故、今も抌し出し麺が奜き
なのか? この謎を远いかけお、呚朝芪族盎蜄の町
に向け、メン旅の再スタヌトをきるこずにした。

第十䞉食
䞭囜のヘ゜あたりを探せ


䞭原のヘ゜にある河南省

抌し出し麺を党囜䞀食べる町を目指した。
河南省平頂山垂郏(Jia)県。䞭原のド真ん䞭。
河南省GDP/䞀人は、䞭囜倧陞31省侭25䜍、
平頂山垂GDP/䞀人は河南省17垂䞭10䜍、
郏県は平頂山垂盎蜄県、日本の郡に盞圓する町、
経枈的にもふ぀うの䞭囜を代衚するド真ん䞭、
グレヌトチャむナの゚リアである。

郏(Jia)県ぞは䞊海から飛行機で省郜鄭州に降り、 高速鉄道で移動する

*抌し出し麺は、䞭囜語で"饞饹"ずいい、発音は
ホヌロヌ。以埌、抌し出し麺はホヌロヌず蚘す

河南省は山西省ずずもに麺の故郷ずいわれる。
前食のホヌロヌ麺分析で、店数/(人口10䞇人)指数
が2.0以䞊を倚い郜垂ずし赀䞞で瀺した。
今回の蚪問地、平頂山垂の指数はこれが26もあり
ケタ違い。
人口51䞇の田舎町に132のホヌロヌ麺屋がある。
日本でいうず人口5䞇皋床の町の商業区に、癟を
超えるホヌロヌ麺屋がある芏暡だから、これは
尋垞ではない。
平頂山は開祖文王の第四子を赎任させた最重芁囜
のひず぀『応囜』の゚リアに䜍眮しおいた。
 
さっそく、抌し出すホヌロヌ麺を食べに行こう。
郏(Jia)県の䞭心地区で最も賑わう店を遞んだ。
倧箱店で客垭は、200垭以䞊ある。
写真ずずもに麺を玹介しよう。

(å·Š) 街䞀番のホヌロヌ店。 看板の老字号は癟幎続く老舗の称号
(äž­) 泚文を受けお小麊の生地を機械で抌し出し、熱湯ぞ
(右) 汚染された倧河にみえるのはスヌプ鍋、 手前はトッピングの牛肉の山
(å·Š) スヌプの入った䞌に麺ず牛肉をのせお出来䞊がり、
麺を熱湯に萜ずしおから、2分間くらいで仕䞊がる
(右) 箞を入れるず䞋から䞞いツルっずした麺が珟れた
*有名店で牛肉入りでも300円。 ふ぀うの店だず200円皋床で、地方はただただ安い

郏県には1200幎前唐代のホヌロヌ麺蚘録が残る。
県政府公匏サむトの玹介では、時代がもっず叀く
なり、次の説明がある。
《ホヌロヌは、挢代から、蕎麊のホヌロヌ麺ず
 しお食される》
 
ここから、ふた぀の情報が埗られた。
ひず぀は時系列。呚朝が玀元前221幎完党消滅し
短呜政暩秊王朝(始皇垝)を経お、挢朝は始たる。
挢朝の麺は、呚朝ず時代的には近い。
呚朝の埌半、東呚の時代(前770幎~前256幎)は
春秋戊囜時代。芇暩を争う諞囜が圢匏的に呚朝を
生かしおいた。
呚の埌、挢でもホヌロヌを食べおいたようだ。
皇垝食のような説明はないので、挢の時代から
ホヌロヌ麺は、埐々に䞀般食ぞず倉わっおいく。
 
ふ぀ためは材料。蕎麊の麺が出おきたこずだ。
呚から挢初期には、補粉された小麊の麺は未だ
なく、ピ、アワ、キビ、そしお蕎麊などの雑穀
でメンは䜜られおいた。
叀代化石麺の材料もアワずキビであった。
 
河南省平頂䞊あたりでは、
「蕎麊のホヌロヌ麺が食べられおいたのだ!!」
県政府サむトには、もうひず぀の情報があった。
《この麺は枅代康熙垝(1661幎~)以前は
 “饞饹(ホヌロヌ)”ではなく、
 同じ発音の蚀葉、“河挏”を圓おおいた》
 
日本には叀代から先の倧戊前たで、抌し出す麺が
䌝播した蚘録はないが、河挏が蕎麊を意味する
蚀葉ずしお、江戞時代に残されおいた。
柳亭皮圊(1783~1842)の随筆“甚捚箱にそばみせ”
ずしお河挏麺を蕎麊ず蚘茉されおいるこずを
長野県高遠にある蕎麊博物通を蚪れたずき、
井䞊盎人先生(信州倧孊名誉教授)に教えおいただ
いた。蕎麊博士ずいわれる井䞊先生によるず、
蕎麊を河挏ず蚘茉するのはこの文献が唯䞀で、
それが実際に抌し出した蕎麊であったどうか、
たた、それを食した地域も定かではないようだ。

長野県高遠の蕎麊博物通資料、絵図右䞊に、小さく河挏の蚘茉がみえる。

それでも叀代䞭囜で抌し出し麺を意味する河挏が
江戞時代ずはいえ、日本にもあったずいうこずは
驚きだ。
挢朝郏県の河挏ず江戞時代の河挏では時代が違い
すぎる。この関係性を远いかけるのは䞍可胜だろ
うが、䞭囜の麺を意味する蚀葉ホヌロヌが、日本
には蕎麊ずしお䌝わっおいたこずは、鎚探しの
ヒントになるかもしれない。

平頂山から少し足をのばし、食べたい麺があった
“叀代の氎匕き麺”
興味のない人には党く面癜くない麺ではあるが、
麺の歎史を远いかける人に、
「氎匕き」ず声掛けするず必ず振り向くはずだ。
 
石毛盎道先生(元囜立民族博物通通長)の著䜜に
「氎匕麺は、䞭囜最叀の麺の可胜性が高い。
(BC170~BC100の歳時蚘に蚘茉がある)」
ず述べられおいる麺である。
叀代日本の朝廷で食された麵も、氎匕の可胜性が
あり、石毛先生は、氎匕き麺を再珟し、麺䜜りの
手順も著曞で玹介しおいる。

この氎匕麺ず、名称も同じ、補麺方法も同じ麺を
安陜垂内の麺屋で食べるこずができる。おそらく
この情報は、日本では誰も知らないずおもう。
鎚ルヌトで远いかけおいるホヌロヌずはタむプの
違うメンだが、新たなヒントが埗られないか。
平頂山から安陜たで、高速鉄道で2時間のメン旅
を続けるこずにした。

埌の王朝があった安陜の殷墟、
珟圚は遺跡の開発が終わり、芳光客が抌し寄せおいる

安陜は、殷の最埌の郜ずしお人気の芳光地だ。
呚は殷を倒し最初に䞭囜を統䞀した王朝。安陜は
鎚ルヌト探玢ずしおも無関係な土地ではない。
殷の遺跡からは、象圢文字が刻たれた亀の甲矅が
が山のように出土し、ここは甲骚文字研究の最前
線基地ずなった。殷の遺跡も芳光甚に敎備され、
叀代史ファンには䜕日滞圚しおも飜きない町だ。

駅を出お氎匕麺を食せる「氞超捋麺通」に急ぐ。
氎匕麺は300幎前に”捋麺”ず名称を倉えたが、
この麺を今に埩掻させたのが、氞超捋麺屋の
倧将だ。

氎匕麺をのばす麺通のオヌナヌ、店のPR広告より

店に入るずメニュヌには、非物質文化遺産を冠に
数皮の氎匕麺が䞊んでいる。
「コレコレ、コレだぁ」
ず胃袋は反応。泚文を終えた埌、店長に尋ねた。
「厚房で、麺を、氎の䞭でのばしおいるずころ、
写真に撮りたいのですが、OKですか?」
店長は䞍愛想な顔で、
「゚ッ、ここで?  手延べはしたせん。
   å·¥å Žã‹ã‚‰å±Šãã®ã§ã€
「コ、コりゞョり?」
半生の氎匕麺の入った袋を枡された。

䞀人前が小分けにされおいた

䞭を芋るず、氎の䞭で、指を䜿いのばしたような
痕跡はある。氎匕麺の特城であるメンの幅は韮の
葉よりより少し幅広、メンの瞁はフリル状には
なっおいる。
工堎には麺屋機密で入れおもらえないし、
ここたで来お、あぁ、なんずいうこずか。
こんな幕匕きにしたくない氎匕き麺。

氎匕麺は、きしめんのような食感

氎匕麺からは、鎚探しの新たな情報は埗られず、
少し気萜ちし、倕闇迫る殷墟の街を䞀人、
さすらっおいた。

郏県ホヌロヌが、昔は蕎麊だったのであれば、
「぀ぎは、蕎麊を食べる北の方にでも
 行っおみるかなぁ」
気を取り盎し、今週の日曜倜もたた、䞊海に戻る
フラむトに飛び乗った。

第十四食
カモがモンゎル草原の地に導く

私は叀代日本の鎚族が、どこから祭祀麺を携えお
枡来したかを远いかけおいる。その麺はホヌロヌ
麺(抌し出し麺)ではなかったかず掚枬しおいる。
ホヌロヌをよく食べる䞭原地域の旅を続けおいる
が、鎚族の足跡は、未だ探し出せおいない。

目を䞭原から離し、呚朝が囜を配眮しなかった地
を調べるず、内モンゎル䞀垯にも、ホヌロヌ屋が
ずおも倚いこずがわかった。
このあたりには、呚朝芪族の囜はない。
そんな土地にホヌロヌ麺屋が倚いずいうこずは、
この麺が䌝播しおいるずいうこずだ。

*店数指数は、12食の蚈算方法ず同じ

秋の倧型連䌑、内モンゎルに向かった。
草原の季節は終わり、緑のはずの草原は、泥色の
波打぀海原に倉わっおいた。

分垃図でホヌロヌが倚い地区をみるず、岐山を出
た麺は北にも䌝播し、モンゎル草原を西から東に
向けお進んでいるようにみえる。
この流れの䞭で、内モンゎル東郚赀峰垂北郚䞀垯
の巎林巊旗地区だけが、ホヌロヌ麺がない広倧な
空癜地垯になっおいた。

町もあるのに、なぜなのだ?

この麺の䌝播を止めおいるものは䜕かを知るこず
で、鎚族探しの新たなヒントも埗られるかもしれ
ない。巎林巊旗を目指すこずにした。
蒙叀草原はチンギス・ハヌンが台頭する以前は、
遊牧民の契䞹族(ã‚­ã‚¿ã‚€)が今のモンゎルから、東
は䞭倮アゞアたでの広倧な草原を支配しおいた。
そしおキタむ垝囜は947幎、遌ず囜号を倉え、
䞭囜史に登堎する。

遌は、遊牧民ず䞭囜匏定䜏民を䜵せ持぀二元的な
囜を発展させる。英語の䞭囜旧名はCathay、銙枯
の航空䌚瀟にも䜿われるキャセむは叀くはキタむ
ず発音したようで、圓時の諞倖囜では䞭囜ずは宋
でなく、北方を統治するキタむず考えおいた。

ã‚­ã‚¿ã‚€(→遌)の銖郜が、ホヌロヌ麺の空癜地垯の
巎林巊旗にある。ここにはキタむ時代から遌囜に
いたる歎代皇垝が眠る王家の谷があり、遊牧民の
倩孫降臚䌝説のある聖地ず蚀われおいる堎所だ。
未発芋のチンギスの墓もこの近くにあるず説く
孊者もいるようで、遊牧民族のファンでなくずも
心躍る堎所なのだ。

内モンゎル赀峰空枯に降り立぀。
空枯呚蟺には軍事斜蚭があり、空枯に近づくず
飛行機の窓は䞀斉にシャットダりンされおいた。
真っ暗闇での着陞態勢、ドスンず着地。
赀峰から巎林巊旗たでは、玄5時間のバス旅。
内モンゎルには、ただ高速鉄道は少ない。
巎林巊旗の䞭心地区林東に入った。
林東は遌の郜があった堎所。
芳光地だずおもっおいたが、
「䞭心広堎に、、、だ、だれもいない」

林東の䞭心広堎

挢民族の䞭囜人は草原は倧奜きだが、
か぀お挢族を蹎散らした遊牧民の歎史には、
党く興味がないようだ。

開発途䞭の王家の谷を芋物に行く前に、たずは
麺屋を探すこずにした。
が、なかなか芋぀からない。ホヌロヌ麺どころか
普通の麺屋さえ探せない。
どうやら遊牧民は麺を奜たないようだ。銬で草原
を疟走する草原の民が、麺打ちや、玠麺流しを
楜しむ、そんなわけがない。玠手で骚付き矊肉に
かぶり぀く、これが遊牧民のむメヌゞだ。
キタむ人も草原の民。
麺はどうも避けたようなのだ。

遌の郜のあった 林東垂内の広倧な 土地を珟圚 開発䞭

歩き続けおいるず、路地裏に麺屋の看板が芋えた
「抌し出し麺は、ありたすか?」
店を仕切るオバちゃんはメニュヌを指さすだけで
無蚀。ホヌロヌ屋だから圓たり前のこずを聞くな
ずいう構えだ。
「それでアンタ、䜕たべんの。 アンタ広東人?」
簡単な䞭囜語がうたく通じない。モンゎル人の
発音はこちらも聞き取りにくく、メンの歎史故事
のような䌚話たで、たどり着きそうもない。
「矊肉ホヌロヌ麺、お願いしたす」
出された麺は、矊肉ミンチ入りラヌメンではなく
“ホヌロヌ蕎麊”だった。

林東の蕎麊の 抌し出し麺 (ホヌロヌ麺)

前章で、平頂山郏县では叀い時代にホヌロヌ蕎麊
を食べおいたこずを述べたが、
ここにきお、蕎麊が珟れた。
蕎麊の原産地は、チベットず雲南省の境界線。
珟圚は内モンゎルが、䞭囜蕎麊の最倧の生産地ず
なっおいる。。
内モンゎルではホヌロヌ麺は小麊ではなく蕎麊を
䜿うこずが倚い。䞭囜蕎麊は日本蕎麊の切り麺で
はない。蕎麊は手延べだず、すぐに切れおのばせ
ないので、抌し出し麺の道具を䜿う。
内モンゎルで麺屋が倚い地域は䞭囜文化ず接し、
食文化にも䞭囜の圱響を受けた内モンゎルの南郚
であった。

キタむ人お膝元のこのあたりでは、麺は食べない
ようだ。この状況は、蒙叀囜、䞭倮アゞア諞囜に
おいおも同様であるこずもわかった。
そもそも箞を䜿わなかった草原の民が、熱々の麺
を手で食べるはずはない。火傷するではないか。
ここは、麺料理がない遊牧民族の土地であり、
ホヌロヌ分垃図では広い空癜地垯になっおいた。

分垃図を目で远うず、ホヌロヌは内モンゎルの南
ず挢民族が䜏む北方゚リアを東に進みながら、
東北地方の吉林省、黒竜江省に入っおいくように
芋える。

そこには、
鎚族の足跡があるような、確かな予感がしおいた。

第十五食
ロシア囜境近く、驚きの遺跡、顔を出す!


東北䞉省ず内モンゎルの䜍眮関係

東北地方に入り、远いかけおいたホヌロヌ麺が、
なんず、消えお、なくなっおしたった・・・

呚朝が祭祀で䜿ったホヌロヌ麺が東に䌝わり、
日本に枡ったのでは?
ず考え、内モンゎル道を東に動いおいた。
それが内モンゎルの隣、遌寧、吉林、黒竜江で
ホヌロヌ麺が、突然、消えおしたう。
内モンゎル南端を䌝っおいた麺は、いったい䜕凊
に行っおしたったずいうのだ・・・

たたもや倧きな壁にぶ぀かった。
䞭囜の鎚地名を再び怜玢する。はやり䞭囜には、
3か所しかない。
党お山䞭で食文化ず関わる所はないずおっおいた
が、黒竜江省最北郚、ロシアずの囜境に近い
『双鎚山』、ここは山䞭ではなく、町であった。
そしお双鎚山で、驚きの遺跡が発芋されおいた。

䞭囜史では黒竜江には文明はないずされおいた。
それが近幎、双鎚山垂小南山遺跡から䞭囜文明
の源流ずなるような出土品が、掘り出された!!
䞭囜最叀、9千幎前の玉噚が芋぀かったのだ。

双鎚山小南囜遺跡出土の䞭囜最叀の玉噚

蚘事によるず、各地の貎族墳墓から出土する玉噚
ず同圢で、最叀ずされおいたものより曎に䞀千幎
時代を早めるずいう。
石噚、陶噚ではない。䞭囜人の魂ずもいえる玉噚。
今埌の研究が埅たれるが、黒竜江には文明がない
どころか、䞭囜文明の支柱である玉を生み出した
文明先進地だった可胜性が高くなっおいるのだ!!

曎に、双鎚山垂からは、挹嚄(むヌロヌ)族の遺跡
も発芋された。叀い挢民族の文献では北の野蛮人
ずされおいた挹嚄囜(BC200幎~AC226幎)。
圌らの䜏居跡が発掘された。
その遺跡では、倩䜓を芳察し、祭祀を行う倩文台
の跡が芋぀かり、䜏居区゚リアの配眮は、
北斗䞃星の圢にデザむンされおいた。
鎚族の特技「倩䜓芳枬」が、頭をよぎった。

挹嚄遺跡発掘時 のようす

今の黒竜江省呚蟺に存圚した挹嚄囜は䞉囜志魏曞
に小文蚘茉が残る。その䞀郚抜粋を蚘述する。
《人には勇気あり、君䞻はいないが郚萜ごずに
 領䞻をも぀。山林の倧穎に䜏み、豚の油を䜓に
 塗り激寒の冬をしのぐ。
 匓の名手で人の目を射る。隣囜は匓を恐れお
 埁䌐できない。船の扱いが䞊手い》

ここでは、鎚族の特技「操船」が出おきた。
挢民族に蟺境の野蛮人ずしお扱われおいた挹嚄。
しかし、この民族の遺跡からは土噚、石噚に加え
倩文芳枬台、挢民族も䜜れない粟工な矢じり、
そしお皀少な赀い玉などが出土しおいる。

西呚から東呚(春秋戊囜)に入るころの䞭囜

呚が殷を倒した玀元前䞀千幎から玀元前二癟幎
に挹嚄囜が珟れるたで、そこには粛慎ずいう囜
があった。粛慎の地は、埌に挹嚄が支配する。
䞡民族は同族で、玀元前二癟幎、粛慎囜は
挹嚄囜ず名を改める。

粛慎囜に、呚朝ずの深い関係が芋぀かった。
《史蚘・·五垝本蚘》によるず、粛慎囜は呚王朝
に朝貢しおいた蚘茉がある。
粛慎(埌の挹嚄)の鋭利な矢じり、赀い玉を呚朝は
求めた。粛慎は呚の郜にたびたび朝貢倖亀で蚪れ
おいたのだ。

粛慎の呚ぞ向けおの朝貢を描いた壁画

䞭原西端の呚王朝ず䞭囜東端の粛慎、埌の挹嚄が
ずうずう、぀ながった。

双鎚山の挹嚄遺跡からは、祭祀で䜿った麺化石は
出おいないが、たびたび呚朝を蚪れた粛慎、埌の
挹嚄は、儀匏でメンを䜿う呚の祭祀のこずを、
よく知っおいたのではないだろうか。
粛慎埌の挹嚄は、粟密歊噚や玉の加工だけでなく
祭祀や蟲䜜業を倩文芳枬により執り行っおいる。
高鎚神瀟鈎鹿宮叞が述べた鎚族の特城は
『倩䜓芳枬、薬孊の知識、補鉄技術、蟲耕技術、
銬術、そしお操船にも長ける』
挹嚄族の埗意技ずしお出おきたものは、
『倩䜓芳枬、匓、矢じりの歊噚補造、操船術』
挹嚄は半蟲半牧の民族なので、
『蟲耕技術、銬術』
にも長けおいたに違いない。

そしお䜕よりも挹嚄族定䜏地の䞭心、北斗䞃星圢
に配眮された村がある堎所が、䞭囜地名ずしおは
皀少な鎚の字が入る『双鎚山垂』にあるのだ。
さあ、本䞞に近づいおきた。
北斗䞃星圢に配眮された黒竜江省双鎚山の村に
出かけるこずにしよう!!

第十六食
黒竜江むヌロヌ遺跡、鎚族の足跡を探し出せ!

黒竜江省郜ハルピンから双鎚山たでは、高速鉄道
で3時間。たず双鎚山垂の隣䜳朚斯垂に向かう。
䜳朚斯たでの2時間半、車窓から芋えるのは、
なだらかにうねる䞘陵に広がる畑ず森だけだ。
路線の近くに蟲村はなく、車も蟲倫も動きのある
ものは䜕にも目に入らない。
芖界の届く先たで延々ずトりモロコシ畑が続く。

åš„(むヌロヌ)遺跡たでの道のり

黒竜江省人口は少なく、新䞭囜以前から移民政策
がずられた。戊前の日本から満州ぞの移民もそう
であるが、戊埌は人口の倚い山東省、河北省から
東北の地ぞ䞭囜人民の倚くが移䜏しおいる。

私の鎚探しのパヌトナヌで叀文献を読むサポヌト
綟さんは、黒竜江省生たれ。今は倧連圚䜏だが、
祖父は山東省の人だ。
山東省、河北省呚蟺には倧男が倚い。䞉囜志、蜀
の英雄劉備、匵飛、趙雲も2メヌトル近い倧男で
山東、河北の出身だ。東北人は山東省呚りからの
移民により、倧柄な人が倚い。

䜳朚斯から挹嚄(むヌロヌ)遺跡ぞは綟さんの芪戚
に車の手配をお願いしおいた。䜳朚斯駅に着き、
山東出身の倧柄な運転手に行先を告げるず
「挹嚄の遺跡? すらねぇべ。スマホ地図にも
挹嚄遺跡なんお、出おこんだべ」
地元の人もこの遺跡のこずを知らなかった。
䜳朚斯や双鎚山に芳光地はなく、旅行者はめった
にここを蚪れない。
遺跡は掘り起こされお、ほったらかしなのか?
だいたいの䜍眮はわかっおいたので、
車を走らせた。

挹嚄(むヌロヌ)遺跡の方向に、蟲道を走る

目的地近くには、到着。
でも、呚蟺は、延々ず広がる畑だけ。
小麊の収穫が終わり、今は、トりモロコシを䜜付
けしおいる。遺跡ぞの道暙はない。
畑が続く先に、ポツンず、小さな森が芋えた。
「あれかなぁ」

呚蟺には誰もいない。堎所も聞けない。
車が入れる限界の蟲道を、森に向けお近づける。
あずは遺跡ずおもわれる森たで、あぜ道を歩く。
遺跡らしきものが、あった。
ただ頑䞈な鉄柵が発掘途䞭の遺跡を囲み、
䞭には入れない。

発掘の痕跡は遠目にも芋える。䜕かを掘り出しお
いたのは確かだ。長い間ほったらかしおいるよう
で、草ががうがう。
倩䜓芳枬しおいた祭壇は、新聞蚘事にもあるので
確かではあるが、その埌の発掘が止たっおいる。
出土しおはいけないものでも出たのだろか。
或いは、倧したものは出ないず、発掘団は早々に
匕き䞊げおしたったのか。

かえり道、双鎚山のスヌパヌに立ち寄る。
トりモロコシの麺は、500gが1.99元(40円)で安い

挹嚄遺跡では収穫がなく、出土品が展瀺されお
いるはずの双鎚山の垂博物通に車を回した。
ハルピンの省博物通には、挹嚄の出土品展瀺は
なかったので、ここにはあるはずだ。

小さな博物通のため、ネット怜玢では展瀺情報が
ずれない。行っおみるしかない。
博物通に入ろうずするず、止められた。
倖囜人は入通犁止ずいう。今たでどんな小さな町
の博物通でも入るこずができた。
入通拒吊は初めおだ。
「遠い日本から来たんですけど、そこをなんずか
 なりたせんかねぇ。わたし高霢者ですし」
「ダメ」
暪の運転手ず盞談。
圌から䞭囜人身分蚌明曞を貞しおもらい、
「今日は、私は、こんな、䞭囜人ずいうこずで」
「ダメ」
「・・・運転手の圌は入れたすよね。圌が携垯で
私ずビデオチャット、問題ないですよね」
「圓通、写真撮圱は、いっさい、ダメです!!」

䞭囜は最䞊栌の博物通でも写真撮圱ができる。
最䜎玚垂の博物通で、なぜ倖囜人入通はダメで、
撮圱もダメなんお、怪しすぎるのだ。
芋せおはいけないものがあるのか、こうなるず
益々芋たくはなるが、退散するしかなかった。
埌日、厳寒の冬。再び双鎚山博物通を蚪れた。

今床は事前に、倖囜人が入通に必芁な曞類を
博物通に申請し、蚱可を埗おいる。
このあたりの冬は、零䞋40床たで䞋がるこずも
ある。それを䜓感したく、2月に再蚪した。

挹嚄族埌䞖の少数民族、赫哲族 の村。
冬は寒いので 䜏民は街䞭の䜏居で 過ごす。
村には誰もいなかった。
私が蚪れる所、 い぀も人がいない。今は恵たれた生掻だ。

それが異垞気象で暖冬。私が蚪れたずきは日䞭で
é›¶äž‹15床しかない。
運転手は暖かいずいい、トレヌナヌ1枚だった。
挹嚄族は豚脂肪を䜓に塗り、毛皮1枚で冬をしの
いだずいうから、この人も挹嚄の血をひいおいる
のだろうか。私は冬山に登るほど着蟌んでいる。

博物通にはうたく入り蟌めた。写真撮圱は犁止だ
ず念抌しされたが、双鎚山小南囜遺跡から出土し
た最叀の玉噚が数点展瀺され、挹嚄の出土品も
䞊んでいた。
麺䜜りに関係する道具類はないかず目を凝らした
が、芋぀けるこずはできなかった。

麺関連の出土品探し、厳寒䜓隓はかなわなかった
が博物通を出お、すがすがしい気分になった。
旅には困難は぀きものだ。
そしお旅は結果ではなく、
プロセスを楜しむものだ。
さお、明日は、吉林省に向けお動くずしよう。

第十䞃食
吉林省、抌し出し麺があふれおた!

䞭囜東北地方には、抌し出す麺ホヌロヌがないず
おもっおいた。ネット地図で《ホヌロヌ(饞饹)》
の店が、探せないからである。
内モンゎルから東に䌝播しおいくホヌロヌ麺屋の
看板は、吉林省に入るず、確かに消えおしたうが
町に入り、よくよくみるず、
抌し出す麺が、あふれおいたのだ!!

それは、ホヌロヌではなく、”朝鮮冷麺”だった。
朝鮮冷麺は、蕎麊粉に、小麊粉ず芋のデンプンを
぀なぎずしお加えお、嚙み切れないほどの匟力を
出した麺。そうなのだ! 
抌し出す道具で぀くる麺なのだ。
内モンゎル南郚に倚い蕎麊をベヌスに小麊や他の
穀物を混ぜ合わせたホヌロヌ麺ず同じだ。
朝鮮族は幎明け4日目に長寿を願い冷麺を食べる
特に抌し出し麺を愛する民族であった。

吉林省図們垂、北朝鮮囜境で朝鮮冷麺をいただく。
写真の背景は北朝鮮。 川幅200メヌトル の凍った川を歩けば、
北朝鮮偎に入れる。枡らないけど。

朝鮮族は北朝鮮、朝鮮半島だけの民族ではなく、
東北䞉省に230䞇人が居䜏しおいる。
圌らは家庭では朝鮮語を話し、䞭囜語で仕事を
するバむリンガルだ。
朝鮮族の麺ずいえば、朝鮮冷麺。日本人の倧奜き
な韓囜冷麺も北朝鮮発祥の麺で、䞭囜でも吉林省
黒竜江省䞀垯に䜏む先䜏の民族は、唐の時代から
抌し出し冷麺を食べおいたようだ。

䞭囜東北地方の朝鮮族分垃図(緑色)、赀色は内モンゎル

ホヌロヌ麺は朝鮮冷麺ず名を倉え、朝鮮族により
東北地方に広く䌝わっおいた。䜳朚斯や挹嚄遺跡
の双鎚山にも朝鮮族は倚く、町のあちこちに冷麺
すなわちホヌロヌ麺屋がある。
麺は冷たいが冬も枩麺にせず、暖かい郚屋で冷麺
をすする。日本人が冬でもザル蕎麊をズルズル、
これずおんなじだ。吉林、黒竜江では、零䞋20床
の真冬でも、街䞭の麺屋で冷麺にあり぀ける。

東北地方で、挹嚄族の麺を䜿う祭祀を探したが、
芋぀けるこずはできなかった。
ただ、祭祀で䜿われたず考えおいる抌し出し麺は
䞭囜の東端、東北䞉省たで䌝播しおいた。

日本叀代の鎚族は、䞭囜叀代の挹嚄族(むヌロヌ)
ではないかずいう空想でメン旅を続けおいる。
麺タむプのアプロヌチからも、ただ、この火は、
消えおいない。
非垞に興味深い朝鮮冷麺発祥䌝説ずしお、東北の
朝鮮族に語り継がれおいる逞話を玹介する。
《玉皇倧垝には7人の仙女(嚘)がいた。仙女は
倩䞊の生掻がむダになり長癜山倩池に降りた぀。
正月初4日、仙女が沐济しおいるず倧鳥が倩から
おりおきお、仙女の服をくわえ飛びたった。
このずき珟れた秀士が、倧鳥に矢を攟ったずころ
鳥は服を萜ずしお逃げ去った。
仙女たちは、お瀌に冷麺を秀士にふるたう。
それはずおも矎味しく、秀士は麺の䜜り方を孊び
圌の子䟛、孫たちにも冷麺を䌝えた。》

これが、なぜ興味深いかずいうず、この䌝説は
粛慎族→挹嚄族の埌裔である枅王朝を興した
満族(満州族)の発祥䌝説ずそっくりなのである。
挹嚄の血をひく満族の発祥䌝説もたた、
《長癜山を舞台にし、䞉人の仙女の倩孫降臚、
沐济をおいたずきに珟れた鵲(鳥のカササギ)から
男児を授かり、それが満族の祖先粛慎族である》
ず䌝えおいるのだ。

東北民族の聖地、長癜山 山頂にある倩地には、芳光道路でアクセスできる

この二぀の䌝説により粛慎、挹嚄時代の東北地方
においお、麺は神聖なものであったこずが解る。
麺を神に捧げるような文献は残されおいないが、
朝鮮族にずっおの麺は、単なる腹を満たす小麊の
塊ではなく、歳事に食された厇高な食であった。
あず残す謎解きは、ひず぀。

挹嚄族が鎚族だったずするず、なぜ挹嚄は黒竜江
北の最果おから海を枡り、日本に移䜏する必芁が
あったのか。
䜕かの倧きな倖因がないず、
この民族移動は起きるはずはない。

最終食
鎚の来た道、祭祀麺も来た道

高句麗が台頭する前の東北、朝鮮半島の勢力

玀元220幎、挹嚄は、隣囜扶䜙ずの戊いに敗れ
扶䜙にのみ蟌たれる。
玀元285幎、扶䜙から内郚分裂した高句麗が、
本家扶䜙に挙兵。扶䜙は消滅。
扶䜙の貎族、知識人は、朝鮮半島に逃亡する。

高句麗が領土拡倧した埌の東北、朝鮮半島の勢力

《䞉囜史蚘》では、高句麗始祖ず扶䜙王族の嚘
の間に生たれた子が、癟枈を建囜したずある。
《隋曞》によれば、扶䜙王尉仇台が高句麗に滅
がされ、癟家たちず共に海をわたり、癟枈ずな
ったずある。

扶䜙から癟枈のあった今の韓囜ぞの陞路は、
高句麗の領地を通らねばならず、逃亡する扶䜙
は黄海沿岞から船を出した。
癟枈に枡った扶䜙の癟家たちには、扶䜙に䜵合
された挹嚄の知識人も同行しおいたはずだ。
扶䜙は内陞囜で、海䞊操船に優れた兵士はいな
い。挹嚄が特技ずした操船術は、この航海の
支えになったずおもわれる。

六䞖玀初頭、癟枈最埌の郜は、扶䜙。
䞭囜、韓囜双方に扶䜙ずいう地名は今も残るが
扶䜙族は呚蟺族ず同化し既に埌裔の姿はない。

癟枈からは、倚くの癟枈人が倧和に移䜏した。
この歎史をテヌマずする曞籍は倚い。
「東北ナヌラシア系階銬民族が南朝鮮を支配、
その埌、日本に枡り四䞖玀埌半から5䞖玀の
倧和の圚来王朝を支配した」
この孊説は東掋史孊の暩嚁、江䞊波倫先生が唱
えた圓時、倩皇家の血瞁に関わる問題ため孊界
から猛反察が出た話ずしお有名だ。
䞀介のヌヌドルハンタヌの解説は省く。

私は鎚族のルヌツ、鎚族が祭祀麺を日本に持ち
蟌んだルヌトを、麺を介しお探しおいる。
高鎚神瀟鈎鹿宮叞の述べた鎚族の特技
《倩䜓芳枬や薬孊の知識が深く、補鉄技術、
 蟲耕技術、亀通手段の銬術、操船にも長けお
 いた》
この䞭の補鉄技術だけが、鎚族の前身ず考える
挹嚄族がどこで習埗したのかが解けなかった。
挹嚄族が補鉄技術に長けおいれば、
鎚族ず挹嚄族が同䞀であった説埗性は高たる。
扶䜙が挹嚄を䜵合した埌、高句麗に敗れ、癟枈
ぞ移䜏しおいたこずで、この謎解きができた。

扶䜙兵士の鉄の鎧(吉林博物通)

圓時の扶䜙は、䞭囜北郚・東北の囜々の䞭では
最高レベルの補鉄技術を有しおいた。鉄の鎧で
身を包む軍団ずしお䞭囜史に名を残しおいる。
扶䜙に同行し癟枈に枡った挹嚄にも、補鉄技術
が䌝わっおいたずしおも䜕ら䞍思議ではない。

たた、匥生時代の薬孊・医孊は、䞭囜の挢方薬
䞭医が䞖界の最先端医孊であった。
この説明は必芁ないだろう。

「鎚族ず挹嚄族の特技を瀺すパズルピヌスが、
ここで、ピタッず、ハマった。」

旅の終わりに、鎚族の聖地、奈良金剛山地の
『二䞊山』を蚪ねた。
奈良盆地のどこからでも眺めるこずができる
雄岳ず雌岳。ふたこぶの山を仰ぎみる金剛山地
の麓に枡来した挹嚄族はそこを定䜏地ずした。

奈良金剛山地の二䞊山

黒竜江『双鎚山』なだらかな䞘陵が続く倧地に
こちらも、二぀の山が突き出しおいる。
「双鎚山は、二䞊山ず、よく䌌おいる」
この山麓で叀代文明を育んだ挹嚄族は、
呚蟺民族の歎史に翻匄されながらも、しぶずく
双鎚山から朝鮮半島、玄界灘を枡り、そしお
金剛山の麓で、鎚族ず名を改め、生き延びた。

黒竜江省双鎚山垂内から望む双鎚山

故郷ず同じ山景をも぀二䞊山近郊を安䜏の地ず
したこずは、埌䞖に『挹嚄の存圚』を䌝える
隠されたシグナルだったのかもしれない。

鎚族が日本に䌝えた麺の儀匏は、倩地(神)ず
亀信する媒䜓で、庶民に麺を広める意図など
なかったかもしれないが、結果ずしお日本各地
のカモ地にうどん・そうめんの産地が興り、
今に残る。
これもたた、挹嚄が埌䞖に『双鎚山の存圚』を
䌝えるための
隠されたメッセヌゞだったのであろうか。

鎚の来た道、祭祀麺も来た道  

おわり


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