4年
サッカーワールドカップを見ている。
日本代表が健闘したグループリーグの各試合や敗戦を喫することとなった対ブラジル戦は睡眠時間を削りながら熱く観戦していたが、その後は他にどこの国を応援するわけでもなく空いた時間でぼんやりと見ている。
ワールドカップは4年に一度しか開催されないから、前回開催は4年前。
選手たちだけでなく、わたしたちにも4年という月日が流れてきたわけで、前回のカタールワールドカップから4年分わたしたちは色々なものを積み上げて、時にはそれを崩してきた。
積み木遊びを繰り返すことを人生と呼ぶのなら、時には自分が何を作って何を壊したのか振り返らなければこれほど虚しいものはないだろう。
観戦しながら用意した珈琲はまだ残っているし、少し4年間を振り返ろう。
又吉直樹さんの『月と散文』内の「前略」に倣って、わたしも4年前の自分に手紙を書くつもりで、4年間を振り返る。
前略
2022年のわたしへ
君は新卒で入社したばかりの会社でまるで天気の話をするように飛び交うワールドカップの話を聞いているね。
何の気もなく見始めたワールドカップが同僚との距離を縮めるきっかけになるのではないかと淡い期待を抱いている。
けれどあんまり期待しないほうが良い。
同僚とは仲良くなれないままだよ。
幼馴染から聞いた感想を自分の感想かのように話して、それがいくらか芯を食ったものだったからサッカー好きだとみなされてしばらくはもてはやされるけれど、ワールドカップが終わると同時に縮まったはずの距離はもとに戻ってしまうから。
それでもこれから仕事を頑張っていけば、飲み会で親睦を深めていけば5年後には業務もコミュニケーションもうまくいくだろうと思っているでしょう。
うまくいかないよ。
君は4年後に会社を辞めるから。
君が今見て見ぬふりしている違和感が君の心を、身体を壊してしまうから。
そんなわけないと憤るだろうから経緯を説明するよ。
君は2022年の冬、初めて上司に怒鳴られる。
その程度のことで?って思うだろう。
違う、そこから始まるんだよ。
上司に怒られるんじゃないかと怯えているから質問に行けない。
結果、上司と自分のイメージにズレが生じて成果物は出来たものじゃない。
憐れまれることが嫌で同僚に相談しない。
結果、大小すべてのストレスを抱え込むことになる。
それでも君は変に完璧主義だから、うまくやれていない自分が許せなくてもっと努力しようとする。
努力の方向が間違っているとも気づかずに、闇雲に仕事をする。
2年後の夏に1つ、大きな仕事を任されるだろう。
君は脇目も振らずに仕事に励む。
君は大好きな読書ができなくなる。
何を読んでも頭に入らないから。
君は大好きな音楽が聴けなくなる。
何を聴いても感動しないから。
上司はその間他の社員と昨日のキャバクラの話ばかりしている。
同僚からは慰め程度の言葉と自分の方が大変だという話を聞く。
それでもこの現状は今回の案件さえ成功すれば変わると君は信じている。
結果的に案件は成功するよ。
君の心と身体と引き換えに、案件は成功するよ。
そして君は失意の中で仕事を辞める。
おっと、上司を恨んではいけないよ。
彼のやり方は間違っていたかもしれないけど、彼は彼なりに君を成長させようとしていたんだ。
それは今のわたしだからわかる。
彼の言葉を、やり方を、歪めて捉えて突っ走るのは君なんだから。
君はうまくやろうと思っていることほど空回りする。
業務もそう。上司や同僚との関係もそう。
もっとプライドを捨てて、完璧主義を捨てて、惨めな自分と向き合うべきだと伝えても君は信じないだろうね。
その時に壊した心身は治らないままだよ。
薬の副作用で吐く日がある。
早く起きて何か始めたいのに起きたら夜だったこともある。
早く眠りたいのに昼まで眠れない日がある。
動悸が酷くて電車に乗れない日がある。
他人の視線が恐ろしくて街を歩けない日がある。
異常に物事を覚えていられなくなる。
美しく在れない自分を許せなくて自分で自分を終わらせようとする日がある。
全部4年後の今日まで続いている。
それでも、君は生きている。
君の周りには君の死を本気で拒む人達がいる。
君が感情のはけ口として書き出した文章を読んでくれる人がいる。
美しいものを教えてくれる言葉が、音がある。
その中で取り戻せるものが必ずある。
冬の夜空が悲しいほどに美しいこと、庭に立ち入る雀が可愛いこと、旅先で見た海の色が水色だったこと、夕方見えた稲妻が綺麗だったこと、昼間から飲むお酒が美味しいこと、誰かと飲むお酒はもっと美味しいこと、再び音楽で心が震える日が来ること、さようならを言い換えた文章を褒めてもらえること、詩が君の心になること、美しいものは自分の中ではなくて外にあるということ。
全部これからの4年間で君が知ることだよ。
今のわたしは君が信じられないくらいに自由奔放に生きている。
落選してばかりの詩を書いて、上手く弾けないギターを弾いて、よくわからない映画を見て、喫茶店で夜まで本を読んで、たまに大事な人達と会って生きている。
そんなことをしていて良いのかと不安になるだろう。
「そんなこと」がわたしの人生で大切なものだと気づいたんだ。
悪くないだろう?
君は君の思うようにやればいい。
でも少しだけわたしからのアドバイスを書く。
へたくそでも文章は書き続けたほうが良い。君の本当にやりたいことはそこにあるはずだから。
ギターは良い趣味になるから、あの日ギターをくれた親友には感謝した方が良い。
お金のことは気にせず、好きなだけ飲みに行ったら良い。
家族とイヌにはもっと会ったほうが良い。
服は買いすぎない方が良い。
本は買いすぎても良い。
煙草の吸い過ぎには気をつけたほうが良い。4年後の煙草代がとんでもないことになるから。
引っ越しはしなくても良い。でも模様替えは早めにした方が良い。
恋愛はあんまりうまくいかないかもしれない。でも姿勢は崩さなくて良い。
会社の全てが悪いわけではない。今仲良い同期は大事にした方が良い。
もっと強気で人に接しても良い。でも会えなくなる人もいるから優しさは忘れないでいてほしい。
死のうとしても良い。死ななければ良い。
壊れていても大丈夫。
壊れないものもなおせるものもある。
生きていてよかったと思える瞬間は必ずある。
色々と書いたけど、全部君の好きにしたら良い。
これから先の4年間は苦しいけど、同時に生きてきた中で一番楽しい。
さようなら。4年後にこの手紙を書いてね。
4年後のワールドカップの結果、ネタバレしないように気をつけて。
草々
2026年のわたしより
長い手紙だ。
書きたいことはもっとあったけれど、全てをネタバレしてしまったらつまらない。
珈琲はとっくに冷めてしまった。
テレビでは勝利したチームの選手が映されている。
4年という月日はこれからまた積み重なる。
わたしたちはこれからまた積み木遊びに精を出す。
作って壊したその先で、また4年前の自分に手紙を書こう。