
無償の愛
幼い頃、祖父はよく私を公園へ連れて行ってくれた。
道端に咲く小さな花を見つけるたびに立ち止まって、無邪気に「これ何の花?」と聞き続ける私に、「これはね」と名前を教えてくれる。私はそれを覚えるのが嬉しくて、次に見つけた時には得意げに名前を言った。祖父の家の庭に咲いた花を摘んでは、お花屋さんごっこをした。祖父はいつもちゃんとお客さんに役に徹して、私が差し出す小さな花を「ありがとう」と大事そうに受け取った。
母のカメラで花の写真を撮るようになると、祖父は「自分のカメラがあった方がいいよね」と言って、まだ小学生になったばかりの私の誕生日に、少し良いデジカメを買ってくれた。私は大人と同じように写真を撮れるのが嬉しくて、祖父の庭に咲く花の写真を、SDカードがいっぱいになるまで撮った。
祖父の部屋には大きなオーディオコンボがあった。そこでゆったりとクラシック音楽を聴く祖父の後ろ姿が、私は大好きだった。私も聴かせて、と頼むと、嬉しそうにレコードやCDを選んでくれる。静かな部屋に流れる音楽と、その時間の穏やかさが今でも私の心の中に刻まれている。
何気ない日常だった。でも、そのひとつひとつが、今の私につながっている。
高校生になった私は、中学生のときから続けていた吹奏楽を途中で辞めることにした。高校まではとても遠かったので、私は文化祭に祖父を呼ばなかった。でも後になって、「ホルンを吹く姿を見るのが最後かもしれないと思って、実は行ってたんだ」と教えてくれた。見せてもらった写真はピンボケだったが、しっかりとホルンを吹く私が写っていた。
大学生になり、今度はマンドリンを始めるのだと話した。すると祖父は「友達が昔マンドリンをやっていて、演奏会をよく聴きに行ったよ。良い音がするよね」と嬉しそうに話してくれた。そして楽器を買うと伝えると、「これで買いな」と、すぐにお金を用意してくれた。
祖父は、私の好きなものを、いつも自然に応援してくれる人だった。
意識がはっきりしなくなってから、病院で会った最後の日。祖父はしっかり私を見てくれた。私が手を振ると、祖父も振り返してくれた。握った手は温かくて、しっかりしていた。そして私をあやすみたいに、指をくるくると動かした。
あとで母が、「じいじは最後まであなたのこと大好きだったね」と言った。
本当に、思い出は語り出したらきりがない。
優しくて、賢明で、しゃんとした人だった。
花を好きになったことも、写真を撮ることも、音楽を愛することも。その全部に、祖父がいる。
きっと今も、少し離れたところから、静かに見守ってくれている気がする。
ずっとずっと、ありがとう。
今日も祖父から受け継いだ感性は私の中に。