
学校での自由研究というやつは、言葉で言うよりも自由ではないのだな
夏休みの宿題というテーマが、
note上で話題になっているところを見て思い出したことがある。
夏休みの自由研究というものが、昔から少し苦手だった。
いや、正確に言えば、自由研究が嫌いだったわけではない。
むしろ、僕は研究そのものが好きだった。
もしかすると、「いや、全然自由じゃないじゃん!」
と思っていたのかもしれない。
小学生の頃から、何か新しいことを知るのが好きだった。
だから、せっかく「自由に研究していい」と言われたのなら、
まだ自分が知らないことを調べてみたかった。
実験してみて、予想して、結果を見る。
もし予想と違ったら、「なぜだろう」と考える。
当時の僕は、それが研究だと思っていた。
だから、当然のように失敗もした。
いや、失敗しかしなかった。
そして、その失敗について一生懸命考えた。
研究の大部分が、失敗の考察だったと思う。
今考えれば、その考察にも、もう少しまともな知識を入れられただろう。
けれど当時は、足りない知識の中で、しっかり考えたという記憶がある。
当然、自由研究の評価はあまり高くなかった。
ただ、子どもの頃の僕は、それがどうにも納得できなかった。