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最終話・後日談|奇跡のフルコンプと三枚目の暗雲|神様に免許証を取られた日#7

    最終話
    後日談|奇跡のフルコンプと三枚目の暗雲


    こうして、私の手元には茶色い革の小銭入れが戻ってきた。

    免許証も、交通安全のお守りも、明治の一圓銀貨も。

    全員が、無事に、何一つ欠けることなく私のポケットへと生還した。

    Threadsの画面を見つめながら、
    私は本当に安堵していた。

    だが、実は。
    この一連の大騒動の裏には、誰にも言っていない、言えなかった秘密が一つだけあった。

    コメント欄の誰もが、私のことを
    「初めて財布を落としてパニックになった、哀れで純粋な被害者」だと思って同情し、知恵を絞ってくれていた。

    神主さんも、総代のおばちゃんも、警察官も、
    みんな私が「うっかり一度だけミスをした大馬鹿者」だという前提で優しくしてくれた。

    言えなかった。

    あまりにも空気の読めない事実すぎて、あの場では口が裂けても白状できなかった。

    実は、私がこの小銭入れを紛失したのは、これが初めてではなかった。

    二回目、だった。

    あの「明治の一圓銀貨が入った、
    極めて歪な中身の小銭入れ」を、
    ピンポイントで二回もなくす男が、この世にどれだけいるというのか。

    私は、紛れもなくその二人目の男であり、同時に一人目の男でもあった。

    つまり、ただの常習犯だった。

    しかも、一回目のステージは、
    神社のような神聖な場所ではなかった。
    もっとこう、人間の欲望と爆音が渦巻く、世俗の極みのような場所だった。

    たぶん、パチンコ屋だったと思う。
    思う、というのは、一回目の時は本当に「どこで落としたか、さっぱり分からなかった」からだ。

    気がついたら、ポケットからあの茶色い革の気配が消えていた。

    記憶の糸をどれだけ手繰り寄せても、最後に財布を触ったのがパチンコ屋の、あの騒がしいスマスロの台の横だったような気がしてならなかった。

    一回目の一失の時も、私は最寄りの警察署へと駆け込んだ。

    あの時はまだ夜ではなく、普通の昼間だった。

    スチール製の机を挟んで、若い警察官に「財布を落としまして」と遺失物届を出した。

    警察官は淡々と書類を書きながら、中身の特徴を尋ねてきた。

    「中身は?」

    「明治の一圓銀貨が入っています」

    「えっ、一円ですか?」

    二回目(神社)の時と、全く同じやり取りを、私は数ヶ月前にも別の警察署で繰り広げていた。

    警察官が一円という額面に絶句するリアクションは、もう私の中では定番の様式美になりつつあった。

    だが、一回目の時は、その一円の後ろに、さらにとんでもない「本丸」が控えていたのだ。

    神社の時は一圓銀貨だけだったが、パチンコ屋の時は違った。
    「あと、プラチナのプレートが入っています」

    「プラチナ?」

    警察官のペンが止まった。

    「はい。五グラムの、プラチナのプレートです」

    警察官は、私の顔をじっと見た。
    何を言っているんだ、この男は、という目だった。

    パチンコ屋で財布を落としたと言い張り、中身には明治の銀貨と、五グラムのプラチナの塊が入っている。

    情報の治安が、あまりにも悪すぎた。

    小銭入れというより、
    もはや形を変えた貴金属の密輸ブローカーの持ち物である。

    警察官は、深く、長いため息をついた。

    商売道具のペンを机に置き、
    同情の欠片もない、極めて冷静で冷徹な声で、私にこう告げたのだ。

    「……まぁ、出てこないでしょうね」

    そりゃそうである。
    場所はパチンコ屋(疑惑)だ。

    薄暗い店内の床、あるいは椅子の隙間に、プラチナの塊と数万円の価値がある銀貨が入った財布が落ちているのだ。

    拾った人間が中身を覗けば、その瞬間に邪念のビッグボーナスが確定する。

    そのままポッケに入れられて、
    駅前の買取専門店へ直行されるのが世の常だ。

    日本の治安が良いとはいえ、そこまで人間の善意を信用できる場所ではない。

    「諦めてください」

    警察官の目は、はっきりとそう言っていた。

    私も諦めた。
    あぁ、私のプラチナ。
    私の一圓銀貨。

    自分の不注意のせいで、
    我が家の純資産が綺麗に数万円分、パチンコの玉の海へと消えていったのだ。

    自業自得という言葉を、これほど恨めしく思った日はなかった。

    そして何より、
    私は運転をしなければならない。

    「出てこない」と国家権力に太鼓判を押されてしまった以上、私は腹をくくるしかなかった。

    私はその足で、免許センターへと向かった。

    再発行手続き、である。
    あの独特の、重苦しい空気の流れる待合室。

    紛失の経緯を書類に書き、手数料の証紙を買い、写真を撮られる。

    「財布をパチンコ屋でなくした男」の顔が、バシャリとフラッシュに照らされ、そのまま新しい免許証のプラスチックに定着していく。

    あの、手続きにかかる時間と、財布から消えていく数千円の手数料。

    すべてが自分の不注意に対する罰金のようで、私はただただ、自分のマヌケさに打ちひしがれていた。

    長い待ち時間を経て、ようやく手元に【2枚目の新しい免許証】が交付された。

    これでよし。

    財布とプラチナと銀貨は失ったが、私はこれでようやく、合法的に車を運転できる「まっとうな社会人」に戻れたのだ。

    そう自分を慰め、新しい免許証をポケットに仕舞い込んだ。

    ところが、である。
    それから二週間が経った頃だった。
    私のスマホに、警察署から一本の電話が入った。

    「○○さんの携帯ですか? 例の財布、届いてますよ」

    耳を疑った。
    届いている? 嘘だろう。

    あのパチンコ屋の深淵から、
    私の貴金属たちが戻ってきたというのか。

    私は大慌てで警察署へと向かった。
    案内された窓口で、私は差し出されたビニール袋を見て、言葉を失った。

    入っていた。

    小銭入れがある。
    明治の一圓銀貨がある。

    五グラムのプラチナのプレートが、
    何一つ傷つくことなく、神々しい輝きを放ったまま、そこに鎮座していた。

    フルコンプ、だった。

    カードの一枚、現金の一円(いや、銀貨の一枚)に至るまで、完全に、すべてが揃った状態で戻ってきたのだ。

    私は警察署の窓口で、日本の治安の良さに涙が出そうになった。

    一体どこのどなたが拾ってくれたのかは分からなかったが、その人の善意は、プラチナよりも純度が高かった。

    パチンコ屋の神様は、確かにそこにいたのだ。

    そして。
    その小銭入れの奥のポケットから、紛失したはずの【1枚目の古い免許証】が、ひょっこりと顔を出した。

    私は、自分のポケットに入っている、二週間前に再発行したばかりの新しい免許証に手を触れた。

    手元には今、全く同じ顔写真、全く同じ名前の免許証が、二枚あった。

    その時、窓口の警察官が、私を手招きしてこう言ったのだ。

    「あ、見つかったんならね、その古い方の免許証はすぐに返納してくださいね」

    警察官の目は真面目だった。

    「免許証の二枚持ちは、法的に違法ですから。罰せられますよ」

    違法。

    その言葉が、私の脳内に重く響いた。

    嬉しかった。
    猛烈に嬉しかったが、同時に、この上ない徒労感が私を襲った。

    出てくるなら、再発行する前に出てきてほしかった。

    私の数千円と、あの平日の午後の時間は一体何だったのだ。

    しかも法的には二枚持っているだけでアウトらしい。

    せっかく戻ってきた我が子(1枚目の免許証)は、近いうちに国へと返還しなければならない運命だった。

    そんな「奇跡のフルコンプ生還(ただし法律の崖っぷち)」という、あまりにも濃すぎる成功体験が、私にはあった。

    一度、絶望の底から完璧な形で財布が生還するという、特大の奇跡を経験してしまっていた。

    だからこそ。
    二回目、あの神社の賽銭箱の奥底に財布を滑り落とした時、私の脳内は大パニックを起こすと同時に、どこか変なスイッチが入ってしまったのだ。

    「前はパチンコ屋からフルコンプで戻ってきたんだ。神様のいる神社から、戻ってこないわけがない。だけど、もし今回も諦めて再発行にまで行ってしまったら……」

    私の脳内で、恐ろしい計算が始まった。

    今、私の手元には、パチンコ屋から生還した古い免許証(要返納)と、新しく作った免許証がある。

    ここで神社を諦めてもう一度再発行に行けば、
    手元には【3枚目の免許証】が誕生することになる。

    顔写真が全く同じ免許証が、三枚。

    それはもう、
    ただの「うっかり失くした人」の領域を完全に超えていた。

    どこからどう見ても、
    組織的な偽造免許グループのリーダーか、不法滞在のブローカーの持ち物だ。

    警察に「三枚並びました!」と笑顔で報告しに行けば、一言も聞かずに手錠をかけられる。

    絶対に、三枚目の免許証(完全なる違法領域)を作るわけにはいかない。

    あの、夜の境内で繰り広げた、
    狂気じみたポストイット大量乱貼りの儀式。

    「ザイフヲタスケテ」という、
    カタカナでの必死のアピール。

    火バサミを賽銭箱に垂直に突き刺すという、前衛的な現代アート。

    あの異常なまでの執念と諦めの悪さは、一回目の「パチンコ屋での奇跡」と、
    その後に突きつけられた「二枚持ちは違法」という警察からの釘刺しによって植え付けられた、必死の防衛本能の表れだったのだ。

    「これ以上カードを増やして、お縄を頂戴するわけにはいかない」という、法治国家に生きる市民としてのガタガタ震えるプライドが、私をあの暴挙へと駆り立てていた。

    神様も、賽銭箱の底で呆れていたかもしれない。

    「前はパチンコ屋から救い出してやったのに、今度は俺の足元に直接放り込んできたぞ。しかも法律の網の目を潜り抜けようと必死だな、この男は」と。

    あるいは、一回目に私を助けてくれたパチンコ屋の神様と、二回目に財布を預かった神社の神様の間で、

    「またあいつが財布落としたぞ」

    「今度はそっちの賽銭箱ですか、三枚目はいよいよアウトですね」

    なんていう神界のネットワーク通信が行われていた可能性すらある。

    何はともあれ。
    私の小銭入れは、パチンコ屋の荒波を越え、神社の深淵をくぐり抜け、二度とも完璧な「フルコンプ」の状態で私の元へと帰ってきた。

    三枚目の暗雲は、総代のおばちゃんの優しさ(と、高級煎餅の缶)によって、見事に払われたのだ。

    二度あることは、三度あるという。

    だが、
    三度目はさすがに、神様も警察も、そしてThreadsのコメント欄も許してはくれないだろう。

    もうこれ以上、
    私のコレクションカードを増やすわけにはいかない。

    私は、ポケットの中の小銭入れをもう一度ぎゅっと握りしめた。

    中には、相変わらず明治の一圓銀貨が眠っている。(プラチナは、流石に怖くなって別の場所に保管することにした)。

    私の社会的人格を証明する免許証(今度こそ正式な一枚)と、波乱万丈な人生を生き抜いてきた銀貨。

    これからは、
    もっともっと、大切に扱おう。

    車の窓から差し込む初夏の光のなか、私は心の中で、パチンコ屋の見知らぬ誰かと、神社の総代のおばちゃん、そしてすべての関係者に、
    もう一度深く、深く感謝した。

    (本当に、おわり)

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    ありがとうございました!
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    第六話|ザイフヲタスケテか?


    神様に免許証を取られた日|一気読み👇

     
     
    掌縁堂|伏線点火文学。 猫と日常の端っこ。書いているのは、勝っても負でもない人。まだ終わっていないふりをしている人間の話です。きなこ様&わらび王の猫エッセイ、ショートショート。 コメント貰えると嬉しいです。 元放送部脚本担当。 TALESおすすめ5選へ選出。 ▶︎他投稿先模索中

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