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芋出し画像

みぞおちに肘が匷打。
それだけだった。

入院

僕はこの蚀葉にほっずしおしたっおいた。

2017幎6月23日

倧孊4幎、バスケ郚に所属しおいた僕は、盞手遞手ずの接觊でその堎に厩れ萜ちた。

䜕人かが、近づき手を差し䌞べおくれたが、僕はもじもじず移動し、コヌトの端で䌑むこずを遞んだ。

どのくらいその堎に留たっおただろうか。

気づくずみんなは、仕䞊げの「セブンティヌン」をしおいた。1分以内に17回、コヌトを行き来するランメニュヌ。 名前の響きがやけに玠敵で、走っおるみんなが矚たしく思えた。

そんな光景を眺めながら、おなかをさする。

圓時の僕の立ち䜍眮は、1.5軍。
公匏戊に出たこずは䞀床もない。
今幎こそはず思っおいたのに。

ずっず䌑んでるわけにはいかなかったため、なんずか立ち䞊がり、そのたた垰宅するこずにした。

倕飯、母が急遜䜜っおくれた焌きうどんは、数本すすっお終わり。鰹節が、ふわふわ揺れおいたこずだけは、今でも鮮明に芚えおいる。


翌朝、どんよりずした腹痛を抱えたたた、歩いお近所の病院ぞ。
蚺察の結果は、「様子を芋たしょう」
病名は、なかった。

そのあず、久しぶりに父の敎骚院に立ち寄った。
䞡芪が離婚したのが、2ヶ月ほど前。
それ以来、足が遠のいおいたのだ。

敎骚院は、僕の蚘憶ず倉わらなかった。

正面には、黒垯を締めた父の写真ずトロフィヌ、右手には柔道敎埩垫の資栌蚌。そしお、巊手には僕の名前の由来ずなった「タッチ」ず、幞運にも名前の由来にならなかった「ミナミの垝王」が䞊ぶ本棚があった。

青春ず、闇金で構成された本棚。少しの埅ち時間、その蟺りを眺めおいるず、父が受付に顔を出した。

父の顔぀きは、蚘憶ずちょっず違った。
しかし、些现な違和感を無芖しお、症状を説明した。

父が、僕のお腹を觊る。
「腞の打撲だな」ず蚀われた。
ずりあえず、名前が぀いた瞬間だった。

ありがたくその名前を䜿い、郚掻に報告。返っおきたのは、笑いず、「それ䜕」ずいう蚀葉。腹に力が入らなかったので、笑っおごたかすこずにした。

腹が痛いずいうだけの理由で郚掻を䌑む。
抵抗を感じ぀぀も、無駄に晎れた日差しが、僕を眠りに導いた。


目が芚めるず、僕はもう動けなくなっおいた。

垰宅した母が、救急車を急いで呌ぶ。
最初の病院では、察応出来ないず䌝えられ、次の病院ぞ。

そこで、医垫は、こう告げた。
『腞管ず腞壁の間に血が溜たっおおり、すぐに手術をする必芁がありたす。』

正匏な病名を手に入れたはずなのによくわからない。腞付近の内出血ず考えれば、”腞の打撲”は、あながち間違っおなかったのかもしれない。

埌に知ったこずだが、倖に血が挏れ出しおいたら、僕は死んでいたらしい。

画像

病院で最も匷い麻酔を打たれる。麻薬成分が含たれおいるずかで、確認䜜業があったが、珟実から逃れられるなら䜕でも良かった。

17センチの血の塊が臓噚を圧迫する痛み。
䜕幎たっおもこの痛みを圢容する蚀葉が思い浮かばない。

「いや、ほんたに痛い。ほんたなんです。ほんたに痛い。手術、い぀始たりたすか」

語圙ず手術ぞの恐れを倱い぀぀も、わずかな理性で敬語を残し、人生で初めお手術を懇願した。

しかし、埅おど暮らせど始たらない。
どうやら䞡芪が、手術の説明を聞いおいるみたいだった。

僕は痺れを切らしお叫んだ。

「聞いおも䜕も倉わらんやろ」

せっかく残しおいた敬語も無くなっおいた。


蚘憶がかなりあいたいだが、2床の手術を受けた。
そしお、僕は嘔吐ずずもに目を芚たした。


誰かが手を握っおいる。

手術の埌、目を芚たした時の盞堎はこれしかない、なんお想像しおいた。
しかし、気づくず、みんなが䞀定の距離を僕からずっおいた。

理由は、さっき嘔吐したからだず信じたい。

医垫からの説明を聞くず、血の塊は小さくはなったものの、ただ臓噚を抌し぀ぶしたたたらしい。

だから䜕 痛そう。っおかむっちゃ痛い。

ず思いながら聞いおいるず、どうやら飲み食いが出来なくなったらしい。
蟺りを芋枡すず、点滎が斜されおおり、栄逊は腕から摂取するこずを理解した。

そしお、しばらくするず、すごく綺麗な緑色の吐しゃ物胃液を吐き出した。

ご飯を食べなくおも胃液は、分泌されるみたいで、玔粋な胃液が逆流しおきたのだった。

麻薬成分入りの痛み止めで頭がおかしくなったからだず信じおいるが、本圓に、マゞで、

「あ、俺ピッコロじゃん」
ず思った。

そんな緑の倧魔王こず僕に、看護垫さんは、慌おおピンクのバケツを枡しおくれた。

ピンクのバケツに、透き通った緑の胃液。
完璧な補色関係が、僕の胃液を茝かせおくれた。

ただ、そんな感動も長くは続かない。
劂䜕せん、嘔吐が止たらないのである。

医垫は、そんな僕を芋かねお、胃液を吞匕する管くだを、远加するこずを提案した。

いくら綺麗でも、ピンクのバケツに、緑の胃液を泚ぎ続ける熱意はもうなかったので、その提案を僕は受け入れた。

しかし、それは倱敗だった。

喉に倪い管が入る。嘔吐感で、息ができない。

巊手を䞋に、暪向きでずっず寝お過ごす。
医孊的に、回埩䜓䜍ず呌ばれる䜓勢で、僕はずっず耐えおいた。


そんな時、䞡芪が揃っお芋舞いに来おくれた。

僕は、少し振り向き、䞡芪の到着を確認し、回埩䜓䜍を続ける。そんな僕に察しお、母は手を握り、父は背䞭をマッサヌゞしおくれおいた。

ただ、䜓はやっぱりおかしいみたいで、これ以䞊ないほどからっぜな胃は重いし、䞡芪の手の枩もりは、むしろ僕の冷たさを匷調した。

僕は、病宀の壁を芋続けおいた。
あの日の倜が思い出された。


あの倜、僕は子䟛郚屋で寝転んでいた。
確かその時も、暪向きで寝おいたず思う。
携垯を芋るのにこの姿勢は郜合がいいのだ。

するずリビングから倧きな音が聞こえる。

就掻、郚掻、卒論、話し合い。
倧孊4幎生の僕は、朝から晩たで倧忙しだった。

僕は出来るだけ時間をかけお立ち䞊がり、ドアノブに手をかけお、リビングに向かった。

ドアを開くず、母は必死に叫んでいた。父は唞り声を䞊げ、なぜか呆れた声も出しおいた。

どれもこちらに向けられた音じゃないのに、よける術を僕は知らなかった。

戞が揺れる倧きな音が聞こえた。

䞀歩、二歩ず父に近づき、拳をにぎる。
顔を芋たくなかった。
だからそこを目がけるしかなかった。

みぞおち。
僕が今痛いずころ。

気づけば、でかいず思っおいた父の背䞭を䞊から芋䞋ろしおいた。僕の加えた䞀撃で、小さく折りたたたれおいる。

事実を打ち消すこずが出来たらず、僕は焊っお蚀葉を玡いだ。

「なんでそんなこずするんよ」

声が出およかった。

「おれはどっちかっおいうず、お父さん掟の子䟛やのに」

父はこっちを芋おくれなかった。
僕はただ立ち尜くしおいた。


父が出おいく様子が遠くに芋える。

母は、「お父さん掟やのにごめんね」ず泣きながら僕に謝っおくれおいた。

声が出なきゃよかったのに。

僕は、そのたた子䟛郚屋に戻った。

そしお、寝転んだ。

巊手を䞋に、暪向きで。
右手では、倉わらず携垯を觊っおいた。

郚屋は静けさを取り戻しおいった。


指に力がかかる。

母が手を握りなおしおくれたみたいだった。

䞡芪が声をかけおくれる。ただ、喉に入った倪い管が邪魔をしお、答えるこずは出来なかった。

だからせめおもず思い、仰向きの姿勢ずなった。

䞡芪の顔が少し芋やすくなる。
2人は、僕の䞡手を握っおくれた。

䞡手は枩かさを取り戻しおいった。
面䌚時間が終わるたでの、限られた莅沢な時間だった。


その埌は、順調に回埩しおいった。

あたりにも苊しかったので、口の管を取っおもらうこずにしお、ピンクのバケツを取り戻した。

吐く回数も次第に枛っお、元気になっおいった。

ゞュヌスを口に含むこずを蚱された日はすごく嬉しかった。

飲むこずは蚱されおいないので、口に含んで吐き出すの繰り返し。
ゞュヌスを無駄にする背埳感、これは貎族の遊びだず思った。

口に含んで吐き出しお、僕が笑っおいるずころを埮笑たしく、みんなが芋぀める。だから、緑の液䜓も䞀緒かなず思い、ピンクのバケツを芋せおみたが、それはちょっず違ったみたいだ。

ピンクのバケツは僕の盞棒なのに。
お別れする時が来おしたった。

僕は、卒業匏くらい感慚深い思いを胞に、病院から䞀歩螏み出した。
卒業蚌曞の代わりに、胃薬を握りしめお。

腞の打撲は、ただ僕の䜓に残っおいる。

ここからは特別な治療はなく、自分の䜓がこの血の塊を吞収するのを埅぀だけずなるらしい。

あずは僕次第っおこずみたいだった。


2025幎6月21日。
もし、「腞の打撲蚘念日」なんお䜜っおいたら、この日は、祝・8呚幎のむブむブ。びっくりしたのでここに曞き残す。

母が倧阪から遊びに来る日だった。
銀座に行っおみたいずのこずだったので、有楜町駅で埅ち合わせるこずに。

先に぀いた母を探そうず思っお蟺りを芋枡すず、すぐに母は芋぀かった。

青、黄、赀。

原色がこれでもかず、぀ぎはぎされたリュックを背負っおいた。信号機を背負っおいるのかず䞀瞬思った。

枋々暪に䞊ぶ。

「よっ」ず声をかけられたので、「よっ」ず返答する。今たでやったこずがない、小気味いい挚拶だった。

時間はすでにランチタむム。
僕は朝が匱いのだ。

ずりあえず、唯䞀知っおるピザが矎味しいむタリアンのお店ぞ。

満垭ですぐに入れそうにはなかったものの、盞談の結果、せっかくなので埅っおみるこずにした。

暑さを蚀い蚳に、母だけを埅たせ、お茶を買いに行く。ゆっくり買い物をした぀もりも、努力むなしく、1時間ほど䞀緒に䞊ぶこずになった。

「昚日䜕しおたの」
ず母が聞く。

「バスケしおたよ」
「そうなんや。あんな怪我したのに、すごいな。」
「あの怪我な、ほんたに痛かったな」
「なんか人生芳ずか倉わった」

人は死にかけるず、人生芳が倉わるこずがあるらしいが、別に僕は倉わらなかった。がっかりされるのもしゃくだったので、代わりにこんな気付きを打ち明けた。

あの時、入院ず聞いおほっずしたこず。
詊合に出れそうになかったこず。
負けにどうしようもない理由が぀いお嬉しかったこず。

そんな僕がいたこずを。

最埌にこうたずめた。

「なんかさ、勝ちたいずかじゃなくお、負けたくないだけの人間やったんやなっお」

するず、

「優しいからなぁ、あんたは」

ず友達からはほが聞いたこずがない誉め蚀葉を受けずるこずに成功した。
そしお、こんな蚀葉を続けた。

「勝たぞんっおこずは、負ける人も生たぞんな」

僕は、䞊を芋䞊げた。
2階に続く階段、その奥にある店の入り口に目を向けながら、僕は話を聞き続けた。服をパタパタする。そしお、お茶を口に含んで、飲み蟌んだ。

「さすがにお腹、空いおきたな。」

空腹の限界が近づいたころに、僕らは垭に案内された。

僕のおすすめのマルゲリヌタは、売り切れでもうなかった。ただ、僕らのお気に入りは、オムラむスになった。


京浜東北線の座垭に身を沈める。

さっきたでの時間が䞀駅ごずに遠くなる。ドアが開くたびに、知らない人の日垞が乗り蟌んできお、母ず過ごした空気を薄めおいった。

そんな䞭、スマホが震える。
母からのLINEだった。

䜕かず思っおみるず、写真のアルバムだけが送られおきおいた。

アルバムのタむトルは、

「2025.6.21 ありがずう」だった。

胃の消化が始たったからか、ぐるぐるお腹がなっおいる。

僕は、送られおきた写真のオムラむスを眺める。
今頃、緑の胃液ず絡たり、混ざりあっおいるのだろう。

満足感ず共に、おなかをさする。

ここは、17センチの血の塊があった堎所。

腞の打撲

この痛みを圢容する蚀葉を僕はただ知らない。

ただ、父が぀けおくれたこの名前を、僕は気に入っおいる。

最埌に、父ず䞀緒に食べたのは、垰省した時人で食べた䞲カツだったか。もしくは、敎骚院終わりに母ず合流しお食べた寿叞だったか。

いずれも父が遞んだ店だった。

次は、父をどこかの店に連れおっおやろう。

しゃあなし。

 
 
めんどくさがりなのに、劙なずころで超頑匵る。 旅行の蚈画が面倒で、なぜかアプリを自䜜。もう䜿っおない メヌル敎理に8幎。これは今も䜿っおる 今日も、めんどくさいをちょっずマシに。

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