夏が好きだ。でも、たぶん一番好きなのは夏が終わり始める頃だ|50代
終わるから、好きだったのだ。たぶん、最初からそうだった。
九月になっても、まだ夏は居座っている
九月になった。
そうは言っても、外へ出ればまだ暑い。昼間の日差しだけ見れば、夏が終わるなどと言ったら笑われそうなくらいだ。
とはいえ、ここの所はだいぶ暑さわ和らいでいる。
朝、窓を開けた時に少し違う。真夏の朝とは、どこか空気が違う。夕方の光も少し低くなり、蝉の声も盛夏の頃のような勢いではなくなってくる。気温ではなく、何か別のところで夏が後ずさりを始めている。
私は、この頃が昔から好きだ。
いや、少し違うかもしれない。私は夏が好きだと思ってきたけれど、もしかすると一番好きなのは、夏が終わり始めたと気づく瞬間なのかもしれない。
好きなのに寂しい。終わってほしくないのに、終わりかけた頃が一番きれいに見える。
なかなか面倒な好みである。
子どもの夏は、終わりが見えた瞬間から惜しくなった
昨年、子どもの頃の夏休みについて書いた。
あの頃の一か月あまりは、今から思えば異常なくらい長かった。七月の終わりには、まだまだ先があると思っている。八月に入っても余裕がある。宿題についても「まあ、まだいいだろう」と根拠のない自信に満ちている。
ところが、お盆を過ぎたあたりから空気が変わる。カレンダーを見る。残りの日数が、急に数えられるようになる。そして八月の終わりが見えてくると、あれほど持て余していた一日が突然惜しくなる。
もっと遊べばよかった。もっと何かすればよかった。
そう思いながら、なぜか宿題だけはまだ残っている。このあたりは我ながら見事である。
今なら「最初から少しずつやればいいだろう」と52歳らしいことを言える。もっとも、今の自分だって締め切りが近づかないと動かないことはあるので、人間の根っこは大して変わっていない。
ただ、夏が終わると分かった途端に、その夏が急に愛おしくなる感覚だけは、よく覚えている。

今の夏には「何もしない日」がほとんどない
52歳の夏は、当然ながら昔とは違う。夏休みというものはない。
今年も父のことがあり、認知症の母がいて、仕事があり、家のことがある。自分自身も血圧の薬を飲むようになり、身体のメンテナンスまで予定表へ入り始めた。海へ行ったわけでもない。山へ長期旅行したわけでもない。夏らしい大きなイベントがあったかと聞かれると、少し考えてしまう。
それでも毎日はそれなりに濃かった。母を送り出し、父の様子を見て、妻や娘の予定を気にする。空いた時間にnoteを書き、ときどき地図を眺め、家キャンをしてみたりする。
気づけば八月が終わっていた。
子どもの頃は四十日近くあった夏休みが永遠に思えたのに、52歳の八月など、少し目を離した隙にいなくなる。「え、もう終わり?」と毎年言っている気がする。これでは夏の方も、「知らんがな」と言いたくなるだろう。
それでも夕暮れだけは、昔とあまり変わらない
そんな今の夏にも、昔と同じものがある。夕暮れだ。
一日の暑さがようやく少し緩み、空の色が白っぽい青から橙色へ変わっていく。風が出る。昼間はあれだけうるさかった蝉の声も少し遠くなる。家々の影が伸びる。
その時間になると、なぜか少し寂しくなる。
別に何か悲しいことが起きたわけではない。むしろ夕方になれば「今日も一日終わるな」と、ほっとしているはずなのに、胸のどこかに小さな穴が開くような感じがする。
昔もそうだった。遊び終えて家へ帰る頃。まだ明日も休みなのに、日が沈むだけで少し損をしたような気持ちになった。夏の終わりは、それが何日も続く。
だから好きなのだと思う。
ただ暑いだけの真夏なら、ここまで好きではないかもしれない。終わりが見えたから、急に一日一日が惜しくなる。人間は昔から、なくなると分かってから大事にする。夏くらいならまだいい。52歳になると、それが夏だけの話ではないことにも気づいてしまう。

あと何回、この感じを味わえるのだろう
若い頃には考えもしなかった。来年も夏は来る。その次も来る。当たり前だった。
今だって、普通なら来年も夏は来るだろう。でも52歳になると、「あと何回」という数え方が頭の隅に出てくることがある。あと何回、真夏の空を見るのだろう。あと何回、この夏の終わりの風を感じるのだろう。
そう考え始めると急に話が重くなるので、あまり数えないことにしている。そんなものは数えたところで増えない。だったら、今年の分を味わえばいい。
朝の少し変わった空気も、夕方の長くなった影も、夏の終わりにスーパーへ並び始める季節外れ感満載の商品も、そのうち全部今年の記憶になる。別に旅行をしなくてもいい。花火大会へ行けなくてもいい。豪華な思い出がなくても、その年の夏はちゃんと自分の中に残っていく。
昨年の私は、子どもの頃の夏休みを「永遠」だと思っていた理由を書いた。今年の私は、少し違うことを思っている。
永遠だったから好きだったのではないのかもしれない。終わるから、好きだったのだ。
日曜の朝、まだ少しだけ夏が残っている
今朝も外はまだ夏の顔をしている。
このあと昼になれば、おそらく普通に暑い。「夏の終わり」などと言っている場合ではない気温になるかもしれない。それでも、もう私は気づいてしまった。今年の夏は、少しずつ帰り支度を始めている。
引き止めることはできない。だからせめて、急いで追い出す必要もない。残っている夏を、そのまま見ていればいい。
夕方になったら少し外を眺めてみようと思う。たぶん空がきれいだからではない。そこに、今年の夏がまだいるか確かめたいのだ。
52歳になっても、この季節だけは少しセンチメンタルになる。まあ、それくらいは許してほしい。
夏はもうすぐ終わる。でも、まだ今日の分は残っている。
日曜の朝なら、それで十分だ。

✨✨✨ここまで読んでくださって、ありがとうございます✨✨✨
みなさんは、夏そのものが好きですか。それとも私のように、夏が少し遠ざかり始める頃の方が好きでしょうか。昔の夏の匂いや、忘れられない夕暮れがあれば、コメントで聞かせてもらえたらうれしいです。
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