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続かないのは才能不足ではない|元FAX修理CEが見たnote継続の壁と、その乗り越え方【連続投稿650日の記録から】

    壊れることと、終わることは同じではない。不具合には必ず原因がある。根性では直らない。だが、構造を知れば直せる。

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    はじめに

    まだ頭が起ききっていない時間に、
    家の中の空気だけが先にざわついていた。
    母のことがある。
    父の痛みもある。
    こちらの予定など、家の都合の前では簡単に崩れる。
    そういう朝は、ひとつの出来事だけでは終わらない。
    何かが起きる。
    別のことも重なる。
    段取りがずれる。
    そのたびに、頭の中では順番の組み直しが始まる。

    昔、FAX修理の現場でも似たことがあった。
    紙詰まりだけかと思って開けたら、搬送も弱い。
    搬送だけかと思えば、今度は回線も怪しい。
    不具合は一個ずつ来るとは限らない。
    むしろ、重なる時は重なる。

    noteも同じだと思っている。

    今日は書けないかもしれない。
    そう思う日ほど、こちらの地力が出る。
    気分ではない。
    根性でもない。
    どこが止まりかけているのかを見て、
    どこまでなら今日つなげるのかを判断する。

    連続投稿日数は650日を超えた。
    だが私は、ここまで根性で来たとは思っていない。

    私は元FAX修理CEだった。
    17年間、止まったもの、詰まったもの、誤作動するもの、
    何度も同じ箇所が壊れるものを見てきた。

    その経験から言えることがある。

    止まるものには、止まる理由がある。
    壊れるものには、壊れるパターンがある。
    そして、多くの不具合は根性では直らない。

    これはnote継続にも、そのまま当てはまる。

    続かないのは才能不足ではない。
    多くの場合、それは故障だ。
    しかも、だいたい同じ箇所から壊れていく。

    今日はそれを、元CEとしての視点と、
    650日以上毎日書いてきた実感から、できる限り正直に分解する。

    私は元FAX修理CE(カスタマーエンジニア)だった。
    17年間、機械の不具合を見てきた。
    止まったもの、詰まったもの、
    誤作動するもの、何度も同じ箇所が壊れるもの。
    現場で数え切れないほど見た。

    その経験から言えることがある。

    止まるものには、止まる理由がある。
    壊れるものには、壊れるパターンがある。
    そして、多くの不具合は根性では直らない。

    これはnote継続にも、そのまま当てはまる。

    続かないのは才能不足ではない。
    多くの場合、それは故障だ。
    しかも、だいたい同じ箇所から壊れていく。

    今日はそれを、元CEとしての視点と、
    650日以上毎日書き続けてきた経験から、できる限り正直に分解する。

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    【第一の壁】反応がない壁

    これが最初に来る。
    しかも重い。

    書いた。
    出した。
    時間も気持ちもかけた。
    それなのに、静かだ。
    ビューも少ない。スキも少ない。コメントもない。

    この沈黙は、思っている以上に堪える。

    書く前は、人はわりと楽観的に構えている。
    いいものを書けば誰かが見つけてくれる。
    続ければ少しずつ反応が増えていく。
    だが現実は、そんなに都合よくない。
    渾身の記事ほど静かに沈むことすらある。

    ここで人は、自分の文章力を疑い始める。
    向いていないのではないか。
    才能がないのではないか。
    誰にも必要とされていないのではないか。

    CEの現場でも、似たことはあった。
    本体は生きている。表示も出る。こちらの手応えも悪くない。
    それなのに送れない。届かない。
    調べていくと、本体ではなく、
    接点の甘さや回線側の細りが原因だった、ということがある。

    noteもそれに近い。
    書いたものの質と、届く量は、最初のうちは一致しない。
    本体の価値ではなく、まだ伝送経路が弱いだけのことがある。

    これは欠陥ではなく、配線の問題だ。

    これで「反応がない=才能がない」への反論が、体験に変わります。

    この壁を越える方法は、気合いではない。
    静かな誤解を解くことだ。

    反応がないことと、価値がないことを、切り離す。

    まずはそこからだ。

    【第二の壁】思ったほど稼げない壁

    noteを始める時、どこかで期待している。
    少しは収益になるのではないか。
    自分の経験や言葉が、お金としても返ってくるのではないか。
    この期待自体は悪いことではない。

    ただ、ここで現実がぶつかる。

    売れない。
    有料にしても読まれない。
    一生懸命書いたものが、数字にならない。
    この時、人はふと冷める。
    こんなに時間をかけて、何をやっているのだろう、と。

    修理でも、立ち上げたばかりの機械に完成形の動きを求めると無理が出る。
    新品の部品を入れた直後は、まず通電を見る。搬送を見る。
    いきなり本番のフル稼働をかけるわけではない。
    順番を飛ばせば、別の箇所に負荷が集まる。

    noteも同じだ。
    まだ名前も流れも定まっていない段階で、
    いきなり回収だけを求めると苦しくなる。
    無理が出るのは当然だ。

    noteは、即金性だけで見れば効率のいい場ではない。
    少なくとも、多くの人にとってはそうだ。

    ここは、回収ではなく構築の時間だ。
    名前を積む時間。
    看板を立てる時間。
    そう思えないと、かなり折れやすい。
    回収フェーズだと思って入ると、三か月は持たない。

    【第三の壁】ネタ切れの壁

    三か月前後になると、これも来る。

    最初は書きたいことがある。
    自己紹介もある。
    始めた理由もある。
    過去の話もある。
    だが、それを何十本か出したあたりで、急に苦しくなる。
    今日は何を書くのか。
    こんなことを書いて意味があるのか。
    自分の中身は、もう空っぽではないか。

    ここで手が止まる。

    修理の現場でも、「もう原因がわからない」と言われる機械ほど、
    細かく見ていくと、ちゃんと兆候が出ていることがあった。
    紙粉のたまり方。ローラーの減り方。
    異音のわずかな変化。
    派手な故障ではなく、小さな兆候を拾えていなかっただけなのだ。

    ネタ切れも、それに近い。
    本当に空になったのではない。
    見えていないだけだ。

    人は「大きな出来事」しかネタだと思っていないと、すぐに詰まる。
    だが継続する人は違う。

    レシートの文字が見えにくい。
    アプリが開かない。
    目が疲れる。
    散歩が救いになる。
    親のひと言が刺さる。
    昔の新人時代を思い出す。
    季節の匂いが変わった。
    身体の回復が遅くなった。

    こういうものを拾えるようになると、生活そのものが原稿用紙になる。

    継続とは、書き続ける能力というより、
    生活の中にある微細な変化を検知する能力だ。
    ここが育つと、ネタ切れはかなり減る。

    【第四の壁】他人と比べる壁

    これは厄介だ。
    しかも静かに効く。

    あの人はスキが多い。
    あの人は短い文章でも伸びる。
    あの人は始めたばかりなのにもう自分を超えた。
    こういうことは、嫌でも見える。
    そして一番苦しいのは、比べたくないのに比べてしまうことだ。

    性格が悪いとか、器が小さいとか、そういう話ではない。
    見える場所に数字がある以上、人間は比較する。
    これはもう半分仕方がない。

    CEは、壊れた機械を前にして「お前は駄目な機械だ」とは考えない。
    見るのはそこではない。
    どこで紙が詰まるのか。
    どこで信号が落ちるのか。
    どの工程に負荷が集中しているのか。
    そこを見なければ、直せるものも直せない。

    noteの比較も同じだ。
    比べるべきは人格ではなく構造である。
    何が伸びたのか。
    どこで届いていないのか。
    何を打つと自分の核が出るのか。
    そこを見ない比較は、分析ではなく自己破壊だ。

    そこを間違えると、心が先に焼ける。

    【第五の壁】書くことが生活に押しつぶされる壁

    これが一番現実的で、一番重い人も多いと思う。

    仕事がある。
    家のことがある。
    介護がある。
    疲れがある。
    体力も落ちてくる。
    寝不足もある。
    痛みもある。
    そんな中で毎日書く。
    綺麗事では済まない。

    私自身、介護のある家で暮らしている。
    父の痛みがある。
    母の異変がある。
    出張前に全部が重なる日もある。
    そんな中で、毎日きっちり理想の状態で書けるわけがない。

    だから私はこう思っている。

    継続とは、完璧な状態で続けることではない。
    崩れた日にも、細くても線をつなぐことだ。

    今日は短い。
    今日は荒い。
    今日は自分でも納得しきらない。
    それでも出す。
    それでもつなぐ。

    それが積み重なると、ある日、本当に習慣になる。
    最初は気分で回していたものが、生活の部品になる。
    ここまで来ると、逆に書かない方が落ち着かなくなる。
    だが、その域に入るまでは、かなり長い。

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    五つの再起動の方法

    ここからは、私なりの答えを書く。

    ひとつ目。反応を、生存条件にしないこと。

    反応はほしい。
    ほしくて当たり前だ。
    だが、それを今日書く理由の全部にしてしまうと、
    反応の薄い日に全部が崩れる。

    書く理由をひとつにしないことだ。
    届きたいもある。
    積み上げたいもある。
    自分の輪郭を作りたいもある。
    記録したいもある。
    理由が複数ある人は、折れにくい。

    ふたつ目。毎回の満点をやめること。

    人は案外、これで壊れる。
    毎回、代表作を書こうとしてしまう。
    だがそれは、長く続けるには負荷が高すぎる。

    今日の一本は70点でいい。
    今日は線をつなぐ日だ。
    今日は点検日だ。
    そういう日があるから、たまに強い一本が打てる。

    三つ目。ネタは探すのではなく、拾うこと。

    出来事を待つのではなく、観測するようになる。
    微細な変化を検知する習慣が育つと、生活そのものが原稿用紙になる。

    四つ目。自分の強い帯域を見つけること。

    私の場合は、介護、50代の身体と心、ロスジェネの記憶、日常の違和感、この辺りが核になっている。
    人にはそれぞれ、自分が最もよく反応できる波長がある。
    全部を書こうとすると苦しい。
    そこを見つけると、継続はかなり楽になる。

    五つ目。壊れたら、再起動すればいいと知ること。

    ここがたぶん、一番大きい。

    継続している人は、ずっと強いわけではない。
    折れないわけでもない。
    何度も嫌になる。
    何度も虚しくなる。
    何度も、自分は何をやっているのだろうと思う。

    それでも戻ってくる。

    私はかつて「崩れないのではなく、戻ってくる技術」と書いた。
    今でも、これは本質だと思っている。

    継続とは、無傷の直進ではない。

    「続く人は、壊れない人ではない。
    止まりかけても、どこが焼けたかを見て、線をつなぎ直せる人だ。
    noteも同じだ。
    才能で走り切る人もいる。
    だが、多くの人はそうではない。
    生活に削られ、比較に削られ、沈黙に削られながら、それでも戻ってくる。
    私はその戻り方を、修理の現場でも、noteでも見てきた。
    続けるとは、無傷で進むことではない。
    止まりかけた自分を、もう一度起動させることだ。」

    これで良いのかと迷っているあなた。
    もうだめかも知れないと思っているあなた。
    もうやめようと思っているあなた。

    この記事を読んでどう思い、向き合い、考えるのか?
    それぞれのnoteを目指して頑張ってみてください。

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    このnoteは、EX-FAX-CEというロスジェネ氷河期第一世代である一人の50代男の「人生劇場」です。 介護、仕事、50代の失敗、昔の記憶、笑える脱線。 まだ人生を間に合わせようとしている日々を残しています。 ✨Kindle著者|note連続投稿810日超

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