答えは出てないはなし
仕事をしている。
朝起きて、仕事に行って、帰ってきて、寝る。
わたしはどうも不器用なので、仕事をすると、生活がほとんど仕事になる。
仕事をしながら趣味を楽しんで、休みの日には出かけて、家のこともして、これからのことも考える。
そういう器用なことが、どうもできない。
働き始めると、仕事をする人になる。
でも毎日、首を傾げながら働いている。
仕事が嫌なのかと言われると、それも少し違う。
ただ、ずっと心に引っかかっているものがある。
「わたし、ほんまにこういう生活がしたいんやっけ」
理想の生活、という言葉もしっくりこない。
理想なんて、そんな立派なものではない。
ただ、ずっと頭の片隅にあるくらしがある。
いろんな土地を転々としてみたい。
しばらくそこで暮らして、働いて、また違うところへ行く。
大きな荷物はいらない。
その土地のスーパーに行って、その土地の電車に乗って、その土地の人たちが普通に歩いている道を歩く。
そして、また次の場所へ行く。
寅さんみたいな生活がしたい。
そう思っていた。
でも、最近気づいた。
寅さんには、帰る場所がある。
柴又がある。
とらやがある。
サクラがいる。
どれだけ遠くへ行っても、ふらっと帰ってくる場所がある。
旅をして、好き勝手やって、またどこかへ行く。
わたしが羨ましいと思っていた寅さんの自由は、帰る場所がある自由だった。
わたしは今、その帰る場所をなくそうとしている。
同居する母が施設に入る話がある。正確にはまだ決まっていない。そこに至るまでまだ色々と課題がある。
もし母が施設に入れば、今の家に住み続ける理由もなくなる。
ずっと身軽になりたいと思っていた。
家なんかなくてもいい。
荷物も少なくていい。
仕事だって、ひとつの場所にずっと通わなくてもいい。
どこへでも行ける人になりたい。
そう思っていたはずなのに。
いざ、それが現実になりそうになると、また首を傾げている。
わたしは、どうなりたいんだろう。
考えれば考えるほど、わからなくなる。
自由になりたいと言いながら、帰る場所を気にしている。
安定した生活を手に入れれば、その中で息苦しくなる。
かといって、全部手放して知らない土地へ行く勇気があるのかと聞かれたら、それもわからない。
そもそも、こんなことを考えていられること自体、贅沢なのかもしれない。
働く場所があって、帰る家があって、それでも「違う生き方がしたい」と首を傾げている。
自由なわたしは、贅沢だ。
だったら、もう何も考えずに飛び込んでしまえばいいのかもしれない。
家をなくして。
荷物を減らして。
知らない土地へ行って。
そこで仕事を探して。
飽きたら、また次へ行く。
やってみて初めてわかることもあるのだろう。
でも、まだ怖い。
何かを捨てることより、
捨てたあとで「欲しかったのはこれじゃなかった」と気づくことが怖いのかもしれない。
わたしは自由になりたい。
でも、その自由がどんな形をしているのか、まだわからない。
どうなりたいんだろう。
今日も答えは出ていない。
だからたぶん明日も、
少し首を傾げながら仕事に行く。
