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Photo bylively_crow9290

故郷

    ゴールデンウィークに岐阜の実家に帰った。私は小さな農村地帯で生まれ育った。人口は1万数千人程度で、町民はみな知り合いといった感じの、小さなコミュニティだった。わたしは地元の高校を卒業したあと、他県の大学へ進学し、卒業後は地元へは帰らず東京で就職して結婚し、今は埼玉県で静かに暮らしている。

    帰省1日目、自転車に乗ってコンビニへ向かった。一番近いコンビニでも1キロほど離れている。田畑が広がる一本道を自転車で漕いでいく。農家が田植えの準備を始めていた。多くの田んぼで田起こしがおこなわれていて、すでに水を張った田んぼもある。空気中に砂埃が舞い、田畑特有の酸っぱいにおいが漂っていた。なつかしいにおい。遠くまで広がる田畑、その向こうに薄青く見える山々、その上に広がる青空を見ながら、老後はここで過ごすのも悪くないと思った。都会の慌ただしい生活に疲れてもいた。

    帰省2日目。燃えるゴミの回収日だったので、ゴミを出しに行った。朝8時前にゴミ収集所へ行くと、ゴミ当番の女性が二人立っていた。「おはようございます」と軽く挨拶してゴミを置き、立ち去ろうとすると、
    「もしかして……久美ちゃん?」と呼びかけられた。懐かしい響きだ。わたしはこの町でみんなから「久美ちゃん」と呼ばれていたことを思い出した。

    驚いて振り返ると、当番の一人がいぶかしげにわたしを見ていた。40代後半ぐらいのぽっちゃりした体型の女性。見覚えのない顔だ。小学校の後輩かな? と思いながら、とりあえず「は、はあ……お久しぶりです」とあいまいに答えると、
    「いや、初対面やけど……」と女性は遠慮がちに言った。

    こんないなかに引っ越してくる人はめったにいないので、地元の人と結婚して移って来た人だろうか? しげしげと相手の顔を見ると、女の目が意地悪く光った。「でも、あんたの噂は聞いてるよ」と言いたげな表情を浮かべている。好奇心むき出しの目で、わたしがしゃべり出すのを待っている。噂話のネタを探しているのだろうか? 好奇の目にさらされたくなくて、わたしは「失礼します」と言ってゴミ収集所を後にした。

    どうしてわたしの名前を知っているのだろう? もしかしてわたしは噂になっているのか? 一体何と言われているのか? 近所の目が気になり始めた。

    角を曲がるときに、チラリと後ろを振り返ると、女がこっちをじっと見ているのがわかった。家の敷地に入ってようやくほっとした。ここなら人目を気にする必要もない。

    30年以上前に、後足で砂をかけるように故郷を出て行ったことを思い出した。いなかに埋もれるのが嫌で、農業で人生を終えるのが嫌で、「女のくせに生意気や」と言われながら東京へ向かったのだった。あれから年月が経過し、わたしは遠い関東で戦いに敗れ、パッとしない人生を終えようとしている。そういえば、前日に、老後はここで過ごそうと思ったのだった。もしわたしが帰ってきたら、あの女は何と噂するだろうか。わたしを笑い者にするのだろうか。

    まだ8時なのに日差しが強かった。太陽が容赦なく照りつけ、都会暮らしのよそ者を追い払おうとするかのように、白い肌をジリジリと焼こうとする。空は高く、青く、果てしなく広がっていて、わたしの居場所はどこにもないようだった。


    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    時間があるときに日々のことを綴っていきます。

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