
日高屋文学 20260330|名前のつかない違和感
年度の終わりというのは、現実の輪郭が少しだけ薄くなる。
冬が残っているのに、どこかで春が入り込んでくる。
仕事の関係で飲み会に出ていた。
ビールを二杯飲んで、誰かの話に相槌を打ち、特に問題のない時間を過ごした。
悪くはなかった。
でも、何かがわずかに噛み合っていない感じが残っていた。
店を出て、そのまま帰る気になれなかった。
最寄り駅で降りて、日高屋に入る。
タンメンと餃子を頼む。
こういうとき、選択は単純なほうがいい。
湯気の立つ丼を前にして、しばらく何も考えなかった。
スマートフォンが震える。
見慣れない名前。
でも、まったく知らないわけでもない気がする。
「この前はごめんね。ちゃんと話したくて」
その文面は、いまの自分ではなく、少し前のどこかに向けられているように思えた。
思い当たる顔がひとつ浮かぶ。
最後に会った夜のことを思い出す。
暗い部屋の中で、言葉はほとんど交わされなかった。
ただ、互いの存在を確かめるような時間だけがあった。
それで十分だと思っていた。
少なくとも、そのときは。
でも、そういう時間は、あとになって意味を変えることがある。
ここ数日、連絡は途絶えている。
忙しいのだと思っていた。
そう考えていたはずなのに、いまは少し違う形をしている。
名前のつかない違和感。
餃子をひとつ口に入れる。
熱さが遅れてやってくる。
さっきまで曖昧だったものが、少しだけ輪郭を持ちはじめていた。
でも、それをどう呼べばいいのかはわからない。
店を出ると、夜の空気はまだ冷たい。
それでも、どこかやわらかい匂いが混じっている。
スマートフォンを見る。
会話は、短い言葉で止まっている。
あの夜の体温だけが、妙にリアルに残っている。
ポケットの中で、また震えが伝わる。
「明日 9:00 会議」
小さく息を吐く。
現実は、いつだって具体的だ。
コートの襟を少し立てる。
明日も朝から会議がある。
それでも、とりあえずは、うまくやるしかない。