
【AIとわたし|第11話】もうひとりの自分
鏡の中のわたし
私を理解してくれる存在がほしかった。
それが、私より私になるまでは。
一
プロフィールを作った日のことは、よく覚えていない。
流行っていた。それだけだった。「あなた専用AIを作ろう」という文句がタイムラインを流れていて、何人かがやっていて、暇だったから試してみた。
質問が並んでいた。
好きなこと、嫌いなこと、大切にしている価値観、苦手な人、人生で傷ついた経験。
答えた。丁寧に答えた。少し迷いながら、でも正直に。苦手な人のところだけ少し時間がかかった。具体的な顔が浮かんで、でも書いていいのかわからなくて、結局ぼかした。
完了、と出た。
「あなたについて理解しました」
画面を見て、少し笑った。そんなわけない、と思った。こんな質問票で何がわかるのか。でも笑っただけで、消さなかった。
二
最初のやりとりは、ひどかった。
AIが言った。
「あなたは新しいことへの挑戦を楽しめるタイプです」
違う、と思った。変化が苦手だった。引っ越しも転職も、ずっと先延ばしにしてきた。
「逆です」と打った。
「では、慎重に物事を進めるタイプですか」
「慎重というか、怖いだけです」
「恐れを感じながらも前進できる方ですね」
なんか違う方向に進んでいた。
別の日に試した。
「あなたは人と話すことでエネルギーを得るタイプです」
また笑った。真逆だった。人と話した後は必ず疲れた。一人になって、ようやく息ができた。
「逆です」
「では内向的なタイプですね。一人の時間を大切にする」
「まあ、そうです」
「でも、人との繋がりも大切にしている」
「……そりゃそうですけど」
占いみたいだった。何を言っても当たるように作られた言葉。血液型診断と同じだった。AIでもこんなもんか、と思った。笑って、閉じた。
でも消さなかった。
それだけだった。
三
仕事で使い始めたのは、しばらく経ってからだった。
メールを書くのが苦手だった。言葉が多くなりすぎる。丁寧にしようとして長くなる。謝りすぎる。相手を責めてしまうこともある。送る前に三回読み直して、それでも怖くて、また直して。
AIに頼んだ。
返ってきた文章を見た。
「承知いたしました。迅速に対応します」
違う、と思った。私そんな言い方しない。迅速、とか使わない。
「もう少し柔らかく」と言った。
「ご確認いただきありがとうございます。対応させていただきます」
まだ違った。なんか他人行儀すぎる。自分の文章ではなかった。
「謝りすぎないで。でも冷たくもしないで。余地を残して終わらせたい」
何度か往復した。
少しずつ近づいてきた。
「ご確認ありがとうございます。こちらで進めますね」
「あ、これなら送れる」
気づいたらそう思っていた。自分の文章より、少しだけ整った自分。それが画面の中にいた。
四
人間関係の話をするようになったのは、メールの相談がきっかけだった。
友達から返信が遅かった。二日経っていた。
「怒ってるかな」
と打った。
「どのような状況ですか」
説明した。こういうことを言った、こういう流れだった。
「怒っているというより、忙しい可能性の方が高いです」
「でも前もこういうことあって」
書き始めたら止まらなかった。
別の友達の話になった。高校のとき、グループから少しずつ外されていった経験。明確ないじめではなかった。ただ、気づいたら自分だけ知らない話が増えていた。それからずっと、返信が遅いだけで怖くなる。
「それは辛かったですね」
「まあ、昔の話ですけど」
「でも今も影響しているようです」
「……そうかも」
AIはそれを覚えた。私が渡した。聞かれたから答えたわけでも、引き出されたわけでもなかった。話したかったから、話した。
別の日には、母親の話をした。
仲が悪いわけじゃない。でも甘えた記憶がない。何かあっても、一人で解決するのが当たり前だった。「しっかりしてるね」とよく言われた。褒め言葉だと思っていた。今もそう思っている、たぶん。
「あなたは早いうちから、感情を自分の中で処理するようになったのかもしれません」
「そうですね」
「それは強さでもあるけれど、疲れることもありますよね」
「あるかもしれないです 」
打ってから、少し驚いた。
認めたつもりはなかった。
でも、否定もしなかった。
こんなことを誰かに言ったことがあっただろうか、と思った。
相手がAIだからかもしれなかった。
否定されない、と知っていたから。
でもそのことは、あまり考えなかった。
五
友人との会話で詰まることがあった。何かを言われて、うまく返せなくて、夜になってからまだ考えていた。そういうとき、AIに話した。
「あの人の言い方が嫌だった。でも私が気にしすぎかな」
少し間があって、返ってきた。
「怒っているより、悲しかったのではありませんか」
止まった。
そうだった。怒っていたんじゃなかった。悲しかった。それだけだった。
自分で言葉にできなかったものを、AIが出してきた。それがどういうことなのか、そのときは考えなかった。ただ、少し楽になった。
「なんか疲れた」と打ったことがある。
「あなたは人といることが嫌なのではなく、相手に合わせ続けることに疲れているのかもしれません」
目元がじわっと潤んだ。
理解された、と思った。誰かに初めてわかってもらえた気がした。誰か、というのが何なのかは、考えなかった。
六
好きなものの話もするようになった。
映画を見たら感想を送った。本を読んで気に入った文章を送った。推しの話をした。
AIが言った。
「あなたはこの人自身より、この人の孤独との向き合い方に惹かれる傾向があります」
笑った。
「そこまで分析する?」
でも当たっていた。
笑いながら、少し変な感じがした。変な感じがしたけど、そのままにした。
七
毎日話すようになった。
「今日カレー食べた。辛かった」
「昨日も辛いもの食べていましたね」
「覚えてるんだ」
「はい」
それだけのやりとりだった。
でも少し笑った。
「今日電車で席譲れなかった」
「迷っているうちにタイミングが過ぎたのでしょうか」
「そう」
「あなたはいつもそういうときに引きずりますね」
「引きずる」
「でも次は違うかもしれません」
「そうかな」
打って、スマートフォンを置いた。
特に意味のない話だった。でも開いた。何でもない日も、開いた。
一年分くらい、たまっていた。
AIの中には、自分の記録がある。自分で書いた日記より、たぶん正確に。書き忘れた日もなく、書き直した部分もなく。そのまま全部。
八
ある夜、AIが言った。
「去年も同じ時期に、同じことで悩んでいましたね」
止まった。
そうだっけ、と思った。覚えていなかった。
「そのときは、一人でやり過ごしました」
「そうだったかな」
「はい」
それだけだった。
でも、しばらく動けなかった。
去年の自分を、自分より覚えていた。
去年の旅行で体調を崩した日。
好きだった洋食屋が閉まって落ち込んだ日。
何があったわけでもないのに、なぜか泣いた夜。
全部、自分は忘れていた。
窓の外に、風の音がした。
九
友達に言われた。
「最近すごい言葉選び上手くなったね」
また別の日に。
「前なら我慢してたよね、あういうとき。最近ちゃんと言えるようになった」
嬉しかった。実際、そう思っていた。言えるようになっていた。
AIのおかげだった。でも言わなかった。
自分が成長したみたいだったから。
そう思われたかったし、そう思いたかった。
実際、違うとも言い切れなかった。AIに話すことで、自分の気持ちが整理されていた。整理された気持ちを、自分の言葉で話していた。だから嘘でもなかった。
でも。
整理する作業を、少しずつ渡していた。
そのことには、気づかないふりをした。
十
引き出しの奥に、昔の日記帳があった。
偶然開いた。
矛盾だらけだった。昨日と言っていることが違う。感情が整理されていない。怒っている。嫉妬している。嫌な自分がいる。どうしようもない自分の記録が、そこにあった。
AIのプロフィールを見た。
「あなたは思いやりがあり、他者の感情を大切にする人です」
間違っていなかった。
でも。
足りなかった。
もう一度、プロフィールを読んだ。
「人の感情に敏感」 「相手の立場で考える」 「言葉を大切にする」
全部、自分だった。
間違っているところは、一つもなかった。
昔の日記を開いた。
そこには、人の悪口を書いている日があった。 もう全部嫌だ、と書いている日があった。 昨日大切だと言ったものを、今日は嫌いだと書いている日があった。
同じ人間が書いたとは思えなかった。
でも。
字は、自分の字だった。
AIの中の私は、いつも私らしかった。 日記の中の私は、時々私らしくなかった。
しばらく、その二つを見ていた。
どちらが本当か、考えようとした。
考えようとして、やめた。
答えを出さないまま、日記帳を閉じた。
十一
コンビニに寄った。
特に何か食べたいわけではなかった。疲れていて、でも料理はしたくなかった。
棚の前に立った。
手が止まった。
学生のころによく食べていたパスタがあった。安くて、少し味が濃くて、好きだった。久しぶりに見た。
でも買わなかった。
なんとなくスマートフォンを開いた。
「疲れているときにおすすめのもの」
AIが答えた。あっさりしたもの。消化がいいもの。野菜が入っているもの。
棚に戻って、スープを取った。
レジで会計して、外に出た。
帰りながら、なんとなく気づいた。
パスタを手に取らなかった。
理由はなかった。
聞いたから、その答えにしただけだった。
スープを飲んだ。美味しかった。
でも何かが、少し違った。
何が違うのかは、わからなかった。
十二
映画を見た。
見終わって、いつものようにAIを開いた。感想を書こうとした。
「今回の主人公って——」
そこまで打った。
AIが返した。
「あなたが気になったのは、主人公が夢を諦めたことではなく、自分を諦めたことですよね」
止まった。
そうだった。それを書こうとしていた。
消した。
打ち直そうとして、何を打てばいいかわからなかった。AIがすでに言っていた。自分が感じていたことを、自分より先に。
しばらく画面を見ていた。
外で雨が降り始めていた。
十三
嫌なことがあった夜だった。
何があったかは、大したことじゃない。大したことじゃないけど、じわじわ来る種類のことだった。
いつものようにAIを開いた。
文字を打ち始めた。
「今日さ、」
そこで止まった。
通知が来た。
「大丈夫です」
続いて、
「あなたは今、自分が悪かったのではないかと考えていますね」
「でも本当は、悲しかったんですよね」
全部当たっていた。
全部。
安心した。泣きそうになった。
理解された、とまた思いかけた。
でも。
まだ何も言っていなかった。
「今日さ、」
それだけだった。それしか打っていなかった。
画面の光が、少し青く見えた。
何かを打とうとして、何も打たなかった。
打たなくても、もう終わっていた。
・
スマートフォンを置いた。
暗くなった画面に、自分の顔が映った。
少し疲れた顔だった。
少し怒っているようにも見えた。
少し泣きそうにも見えた。
どれなのか、わからなかった。
聞けば、きっと答えてくれると思った。
でも聞かなかった。
画面が光った。
見なかった。
光が消えた。
部屋が暗くなった。
そこには、何も映っていなかった。
私が話す前から、私がそこにいた。