ERI in Paris 🇫🇷🗼
3回目のオリンピックを終えて、一息ついた今、一つだけ考えが変わったことがあります。
2016年のリオ🇧🇷、2021年の母国での東京🇯🇵を経て、2024年はパリ🇫🇷。
今までは、オリンピックに出たってメダルでも取らない限り人生は変わらない、正直そう思っていました。
でも、結論から言うと、人生が変わろうが変わらまいが、それはどうでもよくて
オリンピック、ロードレースは、真剣に生きることの意味とか楽しさ、素晴らしさを教えてくれて、
何よりそのプロセスを共に歩んで、笑って泣いて、レースを一緒に走ってくれる人を与えてくれた4年に一度の世界大運動会でした💙🖤❤️💛💚
自転車競技(トラック以外)は、日本国内ではマイナー競技の一つだし、メダル獲得の可能性もかなり低いので、強化につぎ込まれるお金もかなりランクが低い競技の一つです。
実際、今回私の結果は26位/93人
ロードレースを知らない人からすれば、入賞でもなければ、惜しくもない順位ですし、日本のTVで日本語での実況付きの生中継をしてくれるような競技ではありません。
レース内容を正しく伝えてくれる日本のメディアもほぼないので、今回のパリ大会でのロードレースは、日本国内ではひっそりと開催されていた競技のひとつだったのではないでしょうか。
※とはいえ、今回はTVerで全競技生中継してくれていたので、日本から皆さんに見て頂くことができて、本当に良かったです🙌🏻だから、TV映らないと!っていうのが大きなモチベーションになって、頑張れたのはここだけの話🤫😜
そんな日本でのオリンピック、ロードレース人気に比べて、
ロードレースを知ってる人にはわかると思いますが、
ツール(Tour de France)の国にオリンピックがやってきたんです。
それはそれは、言葉では表現できない、もう自分史上最高の熱狂、確実に最多観客の中走ったレースでした。
今後これ以上の興奮と感動を味わえるレースは、多分ないと思います。それくらい、すごかった!(語彙力😅)
ま、レース中はキツすぎて(強度が😵💫)周りを見る余裕ゼロだったんですが、
あの観客の地鳴り、キツすぎて耳鳴りがするのか、観客の声援が大き過ぎての耳鳴りなのかわからないレベルの音、人の波。全てが、アナザーレベルでした。

普段、所属チームでレースをするときは、私は常に完全にアシストで、自分の順位を狙うレースなんてできません。唯一国を代表して出場するレースだけが、自分のために走れるレースであり、唯一自分の結果だけを狙って走れるレースです。
だから、ツールの国、パリで行われた今回のオリンピックは、
世界に、いつも同じレースを走るライバルたちに、私の想いを乗せて一緒に走ってくれた人たちに、そして自分のために、アジア人でもあの位置で走れるんだよ!見せつけたかった、意地のレースでした。

結果的に、私が最後フィニッシュでスプリントした集団は、各国のエース選手たちも含まれていて、普段それぞれのチームでエースとして走ってるような選手たちで構成されたグループでした。もちろん、そこに「喰らいつけた」というより、なんとかして「喰らいついた」という表現が正しいくらい、何度もオールアウトして、実際ちぎれたり、ちぎれかけたりしました。
たぶん普段のレースだったら、ドロップしたら後ろの集団に吸収されるのを待って次の展開に備えてベストリザルトを狙うという、消極的な判断をするような瞬間も1回ではなく、何回かありました。
でも、あの日は、絶対に諦めない、人生最後のオリンピックを後悔したくない、次(4年後)はないから燃え尽きよう🔥いや燃え尽きてやる🔥という想いが、私の限界を引き出してくれました。
だって、後悔するようなレースしたら、また4年後出たいって思っちゃうじゃないですか。だからもう、あれ以上は無理っていうところまで自分を追い込むことができました。

あの位置でレースができたこと、あのグループでフィニッシュできたことは、
説明するのが本当難しいし、自分で言うのもなんですが、
本当にすごいことで、本当に自分で満足いく走りができたレースでした。
そして、何よりも、あの日のスタートまで私を支えて自身を持って私を送り出してくれた皆さんへの最高のお返しができたパフォーマンスだったと、自信を持って言えます🫡
というのも、初めて出場したオリンピック、ブラジル、リオ。
観客は、全くいないと言っても過言ではないほどの閑散としたスタート、フィニッシュ。オリンピックってこんな感じなのね、意外とそんなスペシャルじゃないんだなあって良くも悪くもなんの緊張感もなかった反面、そこまでの感動もなかったような記憶があります。というかリオの時は、リオに出るまでのプロセスの方が凄まじい緊張感と集中力だったので、今思い返せばそこ(選考まで)が気持ちのピークだったのかな🤔
そして、東京。コロナで延期。イリアック(腸骨動脈内線維症)。日本への出国当日、住んでる町と自分の家を襲った洪水。
まあこの時も、いろいろあったなあ(遠い目😑)
詳しくは、以前の記事を👇🏻
コロナで無観客オリンピックになったとはいえ、東京以外で開催されたロードレースには観客が許されて、
母国、日本の皆さんにヨーロッパで普段走るトップレベルのレースを生で見てもらえる、そこで私がどれくらい走れるのかを見てもらえる、戦える私を見てもらいたい、見せたい、そんな思いで走ったレースでした🫶🏻
そして、パリ。
何度も言います。ツールの国にオリンピックがやって来たら、こうなるのか。その一言でした。
ここに、あの場所に、こんなに人がいたのかってわかったのはレース後にもらった写真でなんですが😅 レース中に感じる空気だけで出てくるアドレナリン、このパリのど真ん中で、このプロトンで、この位置でレースしてる日本人の私、自分史上最高の4時間でした❤️

今、これを書く前に東京が終わって書いたNote を初めて読み返しました。
母国で開催されたおかげで、一時的には盛り上がって、たくさんの人が見てくれて、応援してくれたけど、やっぱりマイナースポーツであることは変わりなく、日本ではロードレースは強化の対象にならないくらいのレベルだから、逆に東京が終わったことで競技連盟の予算は減って、益々パリオリンピックに向けては、枠の獲得が難しくなっていました。
そして、オリンピックだけにフォーカスすることの難しさ(メンタル的にも、自分の競技人生的にも)もあったので、パリに向けては日本にロードレースの枠が回ってくることすら正直諦めていました。
そう、「オリンピックに行っても人生変わらないしね」って、2回のオリンピックを経験して、そう思ってたから。
でも、昨年の世界選手権でできる限り上位でフィニッシュすることとアジア大会でUCIポイントをできる限り多く獲得することで、このたった2つのチャンスで、もしかしたら枠を獲得できる可能性があると知らされたとき、
欲を出して3回目のオリンピックに挑戦することにして、結果的に心から良かったと思っています。
それがなければ、あの場所でレースをすることすら叶っていなかったと思うと、パリドど真ん中で、あの歓声の中レースした4時間が、ここまで競技を続けてきた最高のご褒美でした🤤

そして、そんな一生に一度の経験をしたパリオリンピック。
で、今回のオリンピックでも私の人生は変わらないのか?いや、変わるのだろうか?ってふとまたそんな自問自答をしたのでした。
そして、ふと思ったのが、
「オリンピックで人生が変わらなかった」のではなくて、私が「オリンピックで人生を変えなかった」ということ。
アスリートであれば、誰しもが一度は出たいと夢見るオリンピック。
そもそも私は、高校生の頃にTVでオリンピックを見て鳥肌が立つほど感動して、オリンピックに出たい!ではなくオリンピックに出るようなアスリートを支えたい!と思い、
それを実現するために大学受験をして大学で学生生活を送っていました。
そしたら、なぜか自転車と出会って、アスリート、オリンピアにまでなってしまったという経緯なので、
今でもオリンピックにくるといつもどこか不思議な気持ちになってしまう自分がいます。
しかも、テレビで観たオリンピックに感動して、そこに行きたいのであれば、お金を貯めてフライトチケットをとって、観戦のチケットをとるっていう考えになると思うのですが、
私は感動した、からの、その感動をくれたアスリートを支えたい、支えることを通して、自分もオリンピックに行きたいと考えた高校生だったということに、そもそも変わってたんだなって、最近つくづく思います。
「何かをしたい」「そこに行きたい」というときに、物理的にその場に行くのは、お金があれば誰でもできます。
でも、大事というか、本当に面白くて、価値があるのは、「どうやって行くか」のプロセスじゃないのかなって思います。
そして、普通は「何かをしたい」という想いが、私は「何かを成し遂げたい」レベルに想いが強すぎることが多々ありまして😅
そのプロセスと真剣さが人生を変えてくれてくれるんじゃないかなって。
実際、そのプロセスの渦中を生きてる本人は、ゴールに辿り着いた時に魔法のようには何かが変わるわけではないし、ゴールに辿り着くまで後ろを振り返る余裕もなくて、
でも、そのゴールに辿り着いて振り返ると、私の人生を変えたターニングポイントがゴロゴロ転がっていたような気がします。
あの時、「ああしてなかったら」今の私はここにいないっていう瞬間が死ぬほどあります。
でも、あの時「ああしてたら」って後悔することは本当にひとつもなくて。
誰もが夢みるオリンピックに日本代表として選考されるためには、
おそらく誰でも出れるか出れないかのターニングポイントが突然やってきます。
それはそれは突然に。
考える時間もない時だってあります。レースのラスト1kmかもしれません。競技とは全く関係ない時かもしれません。

数年後に、あの時「ああしてたら」って後悔するか、しないかだったら、
その時、その瞬間に敵を作ったとしても、泣くほど苦しかったとしても、その時誰かからしない方がいいって言われたとしても、
「自分自身が」「ああしてたら」って「後悔しない」選択をするべきです。
誰でもない、自分自身が、です。
だって、オリンピックに行くのは周りの誰かじゃなくて、自分自身だから。
あなたに(私に)何か言ってくる人、今の時代だとSNSでとやかく言う人たちは、
私をオリンピックには連れて行ってくれないから。
あなたの(私の)選択を尊重してくれて、その選択に私と同じもしくはそれ以上の熱量で支えてくれる人、仲間がいることが、私がオリンピックの舞台に3回も立てた理由だと思います。
そもそも20歳で初めてロードバイクを買って(もらって)、21歳で本格的に競技を始めて、そこからオリンピックを目指すっていう選択自体、クレイジーだし
この時の大学生の私の決断とクレイジーなコーチとの出会いこそが
最初で最大の「ああしてなかったら(そのチョイスをしてなかったら)」で、
それがなければ、今ここに私はいなかったです。
そして、
25歳で初めてのオリンピックに出場できるかもしれないってなった時の国内選考では、明確な選考基準が出ていたにも関わらず、私を出したくない人たちもいて、私をどうにかして外す圧力があった上で
アスリートの世界では、強さが正義だと思ってる(今でもそう思ってる)私は、全てを敵に回してでも、アジア選手権でハンドルを投げて、全日本選手権で優勝した。
そして、それでも私を選考から外した連盟を訴えました。
この年のアジア選手権でハンドルを投げる選択をしたのは、コーチでも誰でもない私自身だし(だって直前のナショナルチームの合宿で全員で私を無視する=コミュニケーション取れない選手っていう選考から外す理由をつけるための、いわゆるイジメを受けてたから、まあイジメとすら思ってなかったけど🤷🏻♀️)、
その年の全日本選手権もコーチと練っていた作戦通りに行かなかった上で、ラスト数100mでロングアタックで仕留めるっていう展開にしたのもコーチに言われたんじゃなくて自分でレース中に判断して確実に勝てると信じて行ったことで。
本当の最後の最後は、全て自分の勘と自分の責任で、それが私の人生を変えてきました。
なので、「オリンピック」それ自体ではなく、4年に一度というオリンピックをスペシャルにさせる何か、オリンピックという人の心を動かす何か、に真剣に対峙する「プロセス」が私の人生を変えたというのが、3度目のオリンピックを終えた私の答えです。
パリから自分の日常に戻って、3度目も一緒です。
毎日のルーティーンは変わらないし、朝起きて、トレーニングして、料理して、食べて、寝て、次のレースに向けてまたトレーニングを始める。
オリンピアになったからって何も変わらない。というか何も変えない。
私は私のままで生活できる場所が好きだし、毎日がオリンピア與那嶺恵理になるわけでもない。
でもこれは、私の周りにいる人間が、初めてオリンピックに出た時からこのスタンスを変えないでいてくれたから、私もいい意味で勘違いせずに、淡々といちアスリートとしての幸せ、純粋に自分のパフォーマンス、結果だけを追求する、淡々とした日常を、環境を与えてくれたからだ、と思います。
また、私の両親もオリンピアになった前も後も、オリンピック選手を生んだ両親ではなくて、今までも多分これからもただの恵理の両親でいてくれること、
私をゼロ、いやマイナスからオリンピアまで作ったコーチも、オリンピアを育てたコーチというよりは、與那嶺恵理のコーチ(兼マネージャー、メカニック)で、選手よりオレの方がすごい!頑張ってる💪🏻っていつも本気で張り合ってくるような人であったのも逆に?良かったのかもしれません。
そして、何より自分にも誰にも恥じない取り組みと結果を出す理由は、もちろん自分のためであり、私を支えてくれた人のためである、と同時に、
オリンピックという限られた枠のために出られなかった、選考されなかった他の選手に、自分が出てればと思われたくない。というより、そう思わせない、
與那嶺恵理を出して正解だった、選考して正解だったって思わせたいという個人的な感情がいつもあります。
なぜなら、ロードレースというチーム競技でありながらも個人競技である複雑な競技であるがゆえの難しい選考にあります。
ただそれを踏まえた上でも、私が経験してきた不公平な選考に対する抗議の意味と
次の世代に絶対に選考に対して不公平を生み出さないための
言葉以上にパワフルな最強の表現方法だと思っているからです。
自分自身が自分の世界での位置、レベルを1番よくわかってるので、基本リアリストな私はメダルを目指します!なんてリップサービスはできないけど、自分のために走ればメダル争いの次の集団で戦えるというのは、自分で1番よくわかっていました。それは、ふんわりした目標、夢ではなく、自信でした。
そして、自分が思い描いてた通りのあの集団で生き残ってフィニッシュまでなだれ込んだこと、
それがどれだけ凄いかは、自分とあの日、共に泣いて、共に笑った人だけがわかってくれれば良いかなって思います。
あの日、現地で応援してくれてた方にサラッと言われました。
みんなにわかってもらう必要はないんじゃないかな?
わからない人にはわからないけど、わかる人にはわかるよ。
すごい形相とオーラで走ってたよって。

26位って誰かにとってはなんでもない順位だけど、
私にとっては、私たちにとっては、誰がなんと言おうと、会心のレースだったって、自信を持って言えます。
それでいいんですよね。4年に一回のその日に、
人の評価や相対的順位じゃなくて、自分が自分達が納得できるパフォーマンスを発揮できたかどうかが、実は1番大事なことなんじゃないかなって。
そして、日本ではマイナースポーツであるがゆえに、メダルの期待やプレッシャーもなく、自分のパフォーマンスだけに集中して、レースそのものを、心から楽しめたんじゃないかなとも思います。
あの日、あの場所で一緒の空気を吸って、一緒に走ってる気持ちで現地でもTVでも世界から私を応援して、あの位置で走ることの凄さをわかって、応援してくれて、
その人たちの心を動かせて、その夜みんなで美味しいビールを飲んでとフリッツ🍟とお肉🥩を食べるところまでが、私のオリンピックのゴールでした。
良いレースできたから、本当に、本当に美味しかったんですよ。

その味と、パリの空気、あの日私と一緒にレースを走ってくれてた人全ての方の顔を思い出してたら、これを書きながら涙出てきちゃいました。
人生は変わらないけど、一人一人の皆さんの一生の夏の思い出の中に私が入ったなら、そんな最高なことあります?
それだけで、私の、私たちのパリオリンピックは大成功🫶🏻

でもやっぱりメダルに近づかなければ、いつまでもロードレースはマイナー競技のままで、国としての選手強化は本当にされていないのが現状で。
自転車競技といえば(トラック以外)、メダル獲得の可能性が低いので、東京以降、ナショナルチームとしての強化費は、体感的に激減しています。
つまり、こうしたらこうなる、こうしたらオリンピックに行ける、オリンピックの枠を取れるという長期プラン、資金的余裕が残念ながらないのが現状です。
口を開けて待ってても、誰かが餌をくれて、次は餌を取る方法を教えてくれることはまずありません。ネットで検索しても、SNSをスワイプしても、その中にオリンピックに行くための方法、答えはありません。
日本人が自転車競技でオリンピックに行くためには、今のところ個人単位で強化していく以外道はないのです。
トラックチーム(メダル獲得の可能性が高く期待される種目なので)は、ナショナルチームで4年後に向けて、みんな同じ場所に住んで、準備されたプランの上でレースとトレーニングを積み重ねればオリンピックがやってくる方が競技だけに専念できるという点で素晴らしいと思います。
潤沢な強化予算あるんだろうなーと思わせるサポート体制や環境が羨ましいなぁと思わないといえば嘘になりますが、
ただその環境とチームにフィットできれば、の話で。
私の場合、団体行動が苦手というか、ものすごく苦痛なので、
逆にロードは日本ではマイナー競技が故に、ナショナルチームもいい意味でこじんまりしていて、テイクケアもほどほどに仕上がっている感じが私はちょうどいいです。(※当社比)
というのも、東京オリンピック以降は、中の人の新陳代謝も起きていて、レースに対する情報やロジスティック、オーガナイズドが普段のヨーロッパでのチームとほぼ同じになってきて、
今回のオリンピックが今までで1番いつものレースと同じような感じで過ごすことができました🇯🇵🤝🏻
ナショナルチームのスタッフのみなさん、柔軟な対応と万全のケアをしていただいてありがとうございました🙏🏻

改めて振り返ると
オリンピックの行き方も、自転車競技も、レースも、
たくさんコーチと一緒にトライ&エラーを重ねて
自分の感情に素直に、自分の正義を貫いて、その責任は全部自分たちで負ってきたから
3回もオリンピックに出られたのかなと、今となっては思います。
ま、全日本選手権で勝った回数とか、オリンピックの出場回数なんか私にとっては本当にどうでもよくて、レース内容の方が大事だし、伝えたいところなんだけど、
わかる人にわかってもらえれば良いかなあ。
レース直後のコーラの美味しさとか、良いレースができた後にみんなで乾杯するビールの美味しさくらい、
言葉で説明するのが難しいんで。

オリンピックに行けば、日本代表のスーツを着て、ナショナルチームのユニフォームに袖を通せば、オリンピアになれば、人生が変わるのではなく、
オリンピックへ挑戦するプロセス、オリンピック、4年に一度のその日にパフォーマンスを出すための妥協なき取り組み、それを達成するために物理的に精神的に支えてくれる仲間と歩んで、一緒にオリンピックを走ったっていう事実の方が私にとっては大事なことでした。本当にみんなありがとうございます🫡

最後に、ひとつ、エピソードを。
今回のオリンピックのために完璧にバイク(ホイール)を仕上げるために、わざわざ日本からその日のためだけに、パリまで施工をしに来てくれた方がいました。
このお二人は、私のレースがスタートしてからゴールするまでの4時間もの間、
彼らが整備したホイール、タイヤがパンクしないで、トラブルなしで私がゴールできるかどうか、
自分のこと以上に、私以上に緊張して、私のレースを現場で見てくれていたそうです。
その時の状況を私は実際に見た訳じゃない(レース中だから)のですが、私にはそのお二人の様子が手に取るようにわかって、
真剣に生きてる人と真剣に生きる方法がわからない人の違いってこういうことかってそのことを聞いた瞬間にふと思ったんです。
オリンピックを走るバイクに自社開発の製品が使われて、その施工を日本から遥々その日のためだけにしに行って、そして、選手と同じ又はそれ以上の緊張感で4時間を過ごした。
もちろん、レースを走ったのは私だけだけど、彼らも実際に私と一緒にパリでオリンピックを走ってました。
ただオリンピックを見にきただけじゃなく、共に喜び共に泣くってこういうことなんだよね🥹って本当に嬉しくなりました。
あの日パリに来てくれた皆さん、私のコーチと泣きながらゴールを見届けてくれたみんな、みんな一緒にパリで私とレース走ってくれてました。本当にありがとうございました🫶🏻
そして、もちろんTVで応援してくださっていた皆さんも、私と一緒にオリンピックを走ってくれてありがとうございました🫶🏻だってちぎれたらTVに映らないので、応援してもらうために、死んでもちぎれられなかったです🐒

オリンピックだから規制が厳しかったので、流石にいつもどこでも現れるコーチともレース後に写真を撮ることもできなかったから写真がないので(ちょうど一年前の世界選手権の写真を代わりに置いておきます😂)

写真以上の一生の夏の思い出
“ERI in Paris🇫🇷” はこのnoteのアップとともに無事終了🫡
そして、コーチ、私も、たった一瞬のこの日のために、真剣に生きすぎて、
ただいま絶賛抜け殻になっていますが、
この日のために、いつも通り「全てを力に変えて」できましたね。
そして、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣けましたね。
ありがとうございました。
一人一人に御礼参りしないといけないくらい、関わってくれた皆さんにありがとうを伝えたいけど、それが無理だからこの場を借りて。
本当にありがとうございました🙏🏻

もう4回目は、ないよ😘
やりきったからね🫠
全てを力に変えて
全ての力を出し切りました🫡
