
エッセイに出てくる家族や友達は嘘
私のエッセイに出てくる家族や友人、実は彼らは非実在である。
あるあるネタに昇華できるまで単純化したり、複数のエピソードを混ぜたり、あるいは最初から存在していなかったりする。
嘘なんである。
何で嘘を書いているかというと、家族や友人に嫌われたくないからだ。
私はめちゃくちゃ気難しいので、友人も少ない。それでも何だかんだ自分のことを「おもしれー奴」と思ってくれる人に恵まれ、ここまで生きてきた。
人の気持ちがわからない私だが、それなりに他人に愛されたいという気持ちはある。
なので「他人について、本当のこと書いたほうがエッセイとして面白くなるかも!」と思ってもやらない。そんな欲より、好きな人に好かれたままでいることのほうが大事だ。
私は創作活動と生活だったら生活を優先するし、私のことが好きでいてくれる人がいないと生活できない。
エッセイに嘘が含まれてる。そんなこと、ものを書き、読む人にとっては当たり前、「わかっとるわ」という話ではあると思う。
嘘を混ぜているというエッセイストは少なくないし、他人からあの人のエッセイは嘘ばかりだとばらされる人もいる。
エッセイであっても文章にした瞬間から物語になってしまい、現実とは乖離する。
だからあらゆる文章は眉にツバをつけて読むことを許されている。私はそう思う。
それでもあえて言ったのは、文章には本当のことを書くべきで、読む人も文章を心から信じるべき、みたいな価値観の人が一定数いるからだ。
私はASDで、ASDの人が文章を真に受けやすいことを知っている。だからきれいごとだけを書きたくはない。社交辞令より、本当のことを伝えたほうがいいことも多い。
私は読者さんより自分自身や親しい人が大事なのでそのために嘘をつく。でも同時に、こんなん嘘じゃんね〜と思われても仕方ない。だって本当に嘘だし……。
たた同時に、文章という媒体であるからこそ嘘に値打ちが生まれるとも思っている。ついていい嘘、ついてはいけない嘘とは何だろう……と自問自答しながら書いている。
物書きはみんな嘘つきかもしれないが、嘘つきなりの誇りはあるし職業倫理もある。