メインコンテンツへスキップ
見出し画像

20年越しの夫よ、これからも末永くよしなに

    「学ぶ(まなぶ)」という言葉がある。これは「真似ぶ(まねぶ)」が変化してできた言葉だそうだ。たしかに何かを習得するとき最初に行うべきは、教わったことを真似ることにある。武道や茶道は師匠から受けた教えを真似して習得するし、ピカピカの新卒社員は一斉研修を受けて叩き込まれる。先人の教えを真似て身につけていき、手慣れたらそこで初めて自分独自の「応用」につなげられる。歴史もそうだ。医療も。何も身につけないままオリジナリティがあるといっても説得力はないし社会で通用しない。

    だから何かを始めるときにも生きていくうえでもまず必要なのは、真似ぶことにある。そして実際に真似ぶことが上手な人は、実践の場で応用がうまい。

    私には夫がいて、子どもはいない。ふたり暮らしを始めてかれこれ6年である。先ほど真似ぶ話をしたが、夫は真似ぶ能力が高い。なんてことはない話から始めると、スーパーで30%オフのシュークリームをカゴに入れていると、夫もそれを見て30%オフのシールが貼られた同じシュークリームを持ってくる。私が美容レーザーを始めると彼も通いだす。「このタイプの靴が今流行っている。自分もほしい」という希望を電車内の客を分析して抱く。よくよく周囲を見ている。だから協調性が高いのだろう。仕事やプライベートを問わず飲み会によく誘われるのも納得がいく。

    順調に生きているように見えるが、健常者にも健常者なりのスキルが必要なのだろうと思う。

    *****

    夫とは高校入学時、机の並びが前後だった。夫が前である。

    彼は入学してすぐに学級委員に指名され、時限ごとに「起立、礼」と号令をかけていた。どこか生きる世界のちがう人だなとうっすら思っていたので席の前後で会話することはほとんどなかった。今でも彼の背中しか記憶にない。

    ある日の終礼時、担任が突然「服装チェックをします」と言い放った。なんだと!?私は前から3番目だ。ピアスを外す暇はない。しかも前2人は真面目な生徒なので審査も簡単に終わりさっさと自席に戻ってくるだろう。案の定だ。くそ・・と思いながら担任へ髪の毛をかき上げ耳を見せると即座にピアスは没収された。このあいだ開けてようやく定まってきたところだったのに。心の中で舌打ちをしたが、所有権は購入者の私にあると気づき、終礼後すぐに職員室に取りにいった。「ピアス返してください。」するとなんてことはない、「次から気をつけるように」とだけ言って担任はあっさりと返した。スキップをしながら教室へ戻る。

    この一連をみて「あ~あ、またこんなことやって」と夫は思っていたらしい。私はとにかく他にも色々と繰り広げていたそうで、そのたびに「そんなことやらなきゃいいのに」と彼はあきれていたという。

    真似ぶ能力の高い夫と私は、真逆だった。

    *****

    大学3年生のころ、一度つき合った。遠距離恋愛である。数回会って3ヶ月で終わった。その後も地理的な距離は離れて暮らしていたが、なんとなく連絡は続いていて、いつのまにかFacebookでもつながったし、出張でこちらにきたときには飲みに行った。お互い結婚していて、恋愛関係がどうとかは一切なかった。

    とはいえ喧嘩はしていた。夕食後カフェでお茶をしていたとき、あまりにも彼がスマホをずっと見ていて私の大学院のグチなんぞからっきし聞いていない。腹が立ち「もういい!帰る!」と鞄をひっつかんで外にでた。まるでパターン化されたドラマのようであるが、私が振り返らずにダッシュで帰ったので、会話はそれっきりだ。彼はすぐに会計をして外に出たものの、まったく見当たらないので本当に途方に暮れたという。その後何度も彼はFacebookだのLINEだのでメッセージを送ったが返信が来なかったので、もうあきらめていたらしい。

    それでも今に至るまでつながっていたのだから、縁とはそういうものなのだろう。

    *****

    彼はお笑いが好きだ。実生活にもそれは活きていて、たとえば飲み会を終えると声をガラガラにして帰ってくる。あらゆるボケを拾ったりツッコミを入れるからだそうだ。幼少期からの吉本新喜劇で培ったスキルを存分に発揮している。ある種の才能であり彼の努力の賜物でもある。

    ただ一方で、彼には弱点がある。それは「ツッコまれると戸惑う」ことである。彼は中学時代、生徒会長をやっていたし高校でも野球部のキャプテンに指名された。しかも彼は三人兄弟の長男である。率先してみなを引っ張るリーダー、信頼が寄せられる親方、兄貴。社会でも家庭でも「上」としてそれ相応の役割を担ってきたのだろう。だから、ふだんの会話で私がツッコミを入れると、そのたびに彼はおどおどしている。さらには私に「それは適切なツッコミではない」と斬られてしまう。これは外ではなかなか見せない彼の隠れた特性だろう。

    優等生と、アンチ優等生のにぎやかな戦いが家庭内で繰り広げられている。

    *****

    「昇進の話がきた」とスープを食べながら報告してきた。どうやら管理職に就くらしい。私は会社の組織構造やしくみがわからないから「おめでとう」と心から祝ったのだが彼は複雑な表情を浮かべていた。なぜかと尋ねると、「労組で意見が言えなくなるから」だった。彼曰く、これまでは雇われた立場だったから会社側に要求を出せたが、管理職になると会社側の人間になるから意見をむしろ聞きいれる立場になってしまうらしい。
    ふむふむ。そんな理由、即刻却下であろう。業務や評価などへの影響力が強いのは労組ではない。圧倒的に管理職だ。自分の意見も通りやすいだろう。

    管理職という言葉に戸惑いがあるのか、その後何年経っても彼は慣れていない。労組がどうとか、そんなのは表面上に言語化しただけだろう。部下の世話もなぜか遠慮しがちだ。「部下が飲み過ぎて到底帰れないからタクシーに一緒に乗って家まで送る。ごめんなさい」と朝5時にLINEで連絡してくる。部下を送るだのなんだのよりも、こちらとすれば5時に起こされたほうが腹立たしい。部下はタクシーで送ったが、自分は電車に乗り、朝7時過ぎにふらふらしながら帰ってきてベッドにもぐりこんだ。

    管理職のスキル習得はなかなか大変そうだ。

    *****

    夫はよく、もらいもんを持ち帰ってくる。出張や旅行のお土産もあるが、意味不明なもらいもんもある。例えば飲み会のあとに上司から呼ばれ、コンビニに連れていかれて「好きなもん買え」と言われたりする。この間は先輩の送別会でちょっとしたクッキーを餞別で渡したら感動され、これまたコンビニに連れていかれてパンパンに詰め込まれた袋を先輩が「ありがとう」と言いながら渡してくれた。中には納豆巻き、おにぎり、カップラーメン、ブロッコリーサラダ、チョコパン、ポテトチップス、サラミ、チーズケーキ、ポカリが入っていた。冷温、主食副菜、間食、飲料のすべて網羅されていた。ポカリは1.5Lだった。そうとうな重量で帰ってきたのだ。

    部下だけでなく上司や先輩との付き合いも中間管理職として重要なのだろうとは思うが、ほんわかした彼の人間性がそうさせるのかもしれない。とりあえず私はそんなプレゼントをもらったことはない。それを伝えると彼はひたすら照れていた。

    *****

    びっくりしたことに夫は勉強が嫌いだ。信じられない。なにせ高校時代は毎日宿題をこなしていて、やってこなかった生徒が休憩時間に彼の周りを取り囲み教えてくれとせがんでいたからだ。それが今はどうだろう。会社でTOEICの定期的受験が強制されているそうだが、てんで対策を取らない。問題集は手がつけられないままどんどん溜まってゆき本棚から溢れ出している。私が「いつでも教えるよ」と提案してからかなり日が経っている。

    ある日、TOEICの結果が郵送で届いた。いつの間に受験していたのだろう。彼はいつも通り封を開けないまま仕事部屋に持っていったが、すぐ満面の笑みでキッチンまで来た。「見てみて!すごい上がった!」のだそうだ。どれどれ、と見てもどれくらい上がったのかまったく分からない。なにせ今までの点数を教えてもらってない。それでも嬉しいのなら良いだろう。今後の勉強のきっかけになればなお良い。「この調子だね!これからも応援してるからね!」と伝えた。完璧な回答だろうと思いきや、むふーとなっていた。なんとも言えない表情だ。

    しかし私は知っている。お風呂に入ると彼の声で英単語が聞こえてくるのだ。これはまちがいなくDuolingoだ。彼が勉強するのは私がいないという条件が必要なのだ。

    つまりは勉強している姿を見られるのが嫌いなのだろう。青春真っ只中の反抗期の息子でしかない。

    *****

    大学を卒業し社会人2年目、私は医師から病名が伝えられた。海馬硬化症および左脳側頭葉てんかん。海馬とは記憶を司る脳の部位だという。
    その数か月後に脳に手術を受けた。左脳海馬切除術。一年後、研究職を目指し大学院に進学した。そして博士号を取得する前、医師から脳に負荷がかかるため夢をあきらめるよう伝えられた。

    その頃彼とは連絡を取っていなかったが、私が研究職をあきらめるというFacebookの投稿を見て驚いたそうだ。

    数年後、共通の友人と3人で飲む機会があった。2人とも気を遣ってくれたのだろう。病気の話は一切出ず楽しい時間を過ごすことができた。友人がトイレのため席を外したとき、彼が「体調は大丈夫?」と聞いてきた。大丈夫だと答えると、そうか、と返ってきた。それだけだった。

    彼は私の状態を見破っていたのだと、今は思う。
    私は当時、精神的にも身体的にもぐらぐらと不安定だった。SNS上では知人友人たちの輝かしい功績が舞い踊り、胸が締め付けられた。もはやなにもかも、人でさえも信じられなくなった。ごっそりと自信がなくなっていた。体重はみるみる減り、化粧をする気もない。日々死んでもいいとさえ思っていた。顔色も悪かっただろう。毎日身体が重く横になっていたのに、夜は眠剤がないと眠れなかった。

    彼は「体調は大丈夫?」と聞いた。彼とは地理的な距離も関係性も離れていた時間のほうが長い。長いのだが、彼はおそらく高校生、大学生、社会人、大学院生の時々のポイントの私を線でつないだうえで、私に問いを放ったのだろう。もしくは、健常者だった私と障害者の私であるとか、あるいは気の強い私と落ち込んでいる私を比べていたのかもしれない。どれが当てはまるのかは読み取れないが、とにかく彼の言葉数は少なかった。しかし、そこにこそ色々な気遣いが含まれていた。友人がトイレから戻ると、何もなかったかのようにツッコミ役を担い、友人をいじって笑いを取っていた。

    *****

    その後、つき合うことになった。大学以来2回目だ。お互いバツイチ。遠距離恋愛だ。日中のやり取りはLINEで、夜は電話で会話をしていた。それでも私の病状は伝えきれていない。その日の出来事を話すだけで眠剤の時間が来てしまう。彼も残業が多いので電話できる時間は短い。そもそもそんなことより楽しい話をしたい。だから病気についてはあらゆる情報を整理して提供した。ほかにも私のブログを読んでねと伝えていた。

    彼はそれを、まったく読んでいなかった。あんぐりと口をあけたが、その理由は「調べたけど、たくさんありすぎて何が当てはまるかわからなかった。だから一緒に住み始めて、直接見て病気を知ろうと思った」のだそうだ。最初はなんて奴だと怒りさえ覚えたが、冷静になって考えると納得がいく。かつて私が学生の頃、調査方法として習ったではないか。目の前で起こっていることをデータにする方法だ。参与観察といったか。彼は既存の情報や世の中の偏見を捨て去り、私と向き合うと決めた。そこで見たり聞いたりして得た最新のデータを分析する方法を選んだのだ。

    その手法に納得した私はその後、自分のありのままを披露した。一緒に住むようになってもだ。なにかあれば、すぐに口頭やLINEで報告する。「てんかん発作があった」「身体が重い」「起きられない」「食欲がない」「ウォーキング行った!」「買い物行った!」「掃除した!」「洗濯した!」といった具合に、なにもかもすべてだ。彼はそれを受け入れてコメントを返してくれる。「あらまーゆっくり寝てね」「ご飯作らなくていいからね」「買い物えらいね!」「掃除、洗濯ありがとう」などである。

    病気の知識は準備していなかったが、私とは真っ直ぐに向き合ってくれている。

    *****

    その後結婚が決まった。しかし心は落ち着かない。なにせ本人の了承を得たとはいえ田舎に住む彼の両親に私の病気を伝えていないからだ。さらに彼は長男だ。ゆくゆくは家を継ぐことが期待されているだろう。どうしようか。
    私は自分の大叔母にてんかん患者だと話したとき、とてつもない差別を受けた。思い出したくないほどだ。それが不安の原因だった。
    結論が出ないため彼に恐る恐るたずねると、すぐに答えが返ってきた。「言わなきゃいいじゃん」え?言わない?家族に?どんなにかみ砕いても理解しきれない。地元はいわゆるイエ社会だ。イエ社会では障害者であることを隠す場合もある。結婚が破棄になる可能性もある。彼はそれを一蹴した。

    結婚後も義父母、義妹・義弟やその子供たちなどすべての親戚に伝えていない。それでも関係性はうまく回っている。夫によると家族の目の前でてんかん発作が起こったらそこで話せばよいのだそうだ。

    あとから知ったが彼の実家で暮らす義祖母は身体障害者だった。小さい頃から障害者は身近な存在だったし、それは家族も同様だ。しかし彼は安直に「うちのおばあちゃん障害者だし大丈夫だよ」とは言わなかった。

    つまり今回私の迷いを真っ先に受け止めて、優先し判断してくれたのだ。
    私が傷つかないように。

    *****

    毎週末に食料品やら生活用品やらをまとめて買いに行く。クーポンや価格を比較した結果、ドラッグストア1店、スーパー2店に落ち着いた。これを一気にめぐる。

    私には数字の概念が入ってこない。理解できないのだ。なにせ同じものなのに、先週と今週で金額が変わるというのは、いったいどういうことか。金額とは、そのものの価値ではないか。くるんくるんと変わるなんて、どういう扱われ方なのだろう。価値の低い(=安い)ものを優先して選ぶとは、なんとかわいそうなことだろう。食べ物たちは。

    ということを熱弁しても乾いた笑いしか返ってこないので、それきり話していないが、それはともかく私は値段が覚えられないので3軒回る買い物は彼がいないと成立しない。クラッカーはイオンが安いかドラッグストアか、はたまたローカルスーパーかと彼に聞く。牛乳は、コンソメは、鶏もも肉は、という具合である。広告やこれまでの店頭での数字が頭に入っているのは摩訶不思議だ。夫は理系で私は文系だからだろうか。

    夫はカートを押しながら前を歩く。私はあえて「嫁なので三歩下がります」と言ってついてゆく。それなのに夫はよく振り返る。昭和の男なら堂々と胸を張って先を歩けばよろしい。しょっちゅう振り返るのはなぜかと問うと、私がちゃんと付いてきているかどうかの確認が必要だからだという。気づいたらいなくなっているからとも宣う。失礼極まりない。ただそこに、美味しそうなデザートが並んでいて、そういえば桜餅の季節だからそれと比べてみよう、桜餅は和菓子コーナーか。見てみよう。そういや明日のパンも選びたいからパン屋コーナーに行こう、くらいである。かわいいもんであろう。

    私たちは昭和生まれだ。いわゆる古くさい一家の大黒柱を演じきっていただきたい。私はいずれ戻ってくる。

    *****

    家で突然踊り出すのが夫の習慣である。どの民族の踊り?と聞くと「オレ」と返す。アフリカあたりにオレ族という民族がいるかもしれないが、そうではなさそうだ。先日あまりにも楽しそうでやめないので、なかなか夫婦間では起こりえない発言をしてしまった。「いつまでも踊ってないで、早くお風呂に入ってきなさい」

    最近になって年齢を重ねていることを実感している。それはいわゆる親父ギャグが止まらないという現象である。なにかつながるワードがあればそれを当てはめて楽しそうにしている。日々加速しているような気さえする。ついにそのときが来たか。周りの後輩や部下は戸惑っているのではないかと、もはや憐れみしかない。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

    ついこないだ枕カバーをはずしたとき、夫の枕を何の気なしに嗅いでみた。それなりの匂いである。それはそうだ。中年である。しょうがないなあ明日洗ってやるかと思いながらニヤリとする。ふと思い立って自分の枕も何の気なしに嗅いでみる。こちらもまた、それなりの匂いである。そうかそうか、春めいてきたからだろう。暖かくなって汗もかくはずだ。毛布もそろそろとってもいいかもしれない。よし明日洗濯しよう。

    そうではない。分かっている。夫には口が裂けても言うまい。

    *****

    車が好きらしい。結婚するまで知らなかった。どうやら大学の専攻分野もそういう関係で選んだそうだ。知らなかったのも無理はない。クラスが一緒だったのは高校1年時だけで、2・3年時は別だった。それどころか1年生のときはまったく話をしなかった。大学生の頃つき合ったが、車のことを話していただろうか。いっこうに思い出せないが、私は記憶を司る左脳の海馬がないからしょうがない。

    運転することも好きだそうで、おかげで車でどこへでも連れて行ってくれる。今度の連休でどこに行こうかという話題になったときになかなか決まらなかったので、「どこまでなら運転できる?」と尋ねた。すると「うーん、どこまででも」と返ってきた。そうか。彼は温和でやさしい。上司からも部下からも慕われている。小さい頃から責任ある役割を担ってきた。それならこちらの希望もかなえてくれるはずだ。確信した。「私、台湾行きたいんだよね」と純粋に伝えたところ、速攻で却下された。

    *****

    夫がたびたび口にするのだが、私がそのうちふわふわといなくなるのではないか、置いていかれるのではないかと心配になるらしい。具体的な理由はなく、どこか遠いところに行ってしまうのではないかという、なんともあいまいな不安を抱くそうだ。たしかに大学時代には将来海外で生活したいと話していた。しかし大丈夫だ。そんな心配は要らない。訳あって自由には動けない。定期的に薬をくれて、何かあればとっさに診察してくれる病院がないと生きられない。診察費や薬代に上限を設けてもらうためにも、役所にお世話になる。なんちゃら手帳もそうだ。かつて身につけた英語も今となっては語彙が思い出せない。

    そもそもいつの話なのだ。海外生活というのは、20年以上前にみた儚い夢だ。

    しかもそのときと今とでは、私たち2人の距離が全然ちがうことも、忘れないでいただきたい。

    *****

    海馬切除後の特徴のひとつに、うつになりやすいという後遺症のようなものがある。振り返ってみると、私はたしかにうつが頻繁に起こっている。しかも数年ごとにくる。社会に出ては家に引っ込み、回復して社会に出てはまた引っ込むという具合である。回復までは1年以上かかるから生産性なんてこれっぽちもない。

    夫はこれまで「うつ」がどんなものか理解しきれなかったらしい。会社にはうつで休職したり辞めていく部下もいたそうだが、彼は部下がどんな状態なのか想像がつかなかったという。そんななか結婚前に同居したのは、うつ版の私だった。毎日毎日とにかく覇気がない。食べる、外出、テレビを観るといった欲がない。さんざん寝ているのに睡眠欲が強い。かと思えばふと表情が明るいときもある。それは天気とか気温とか風邪を引いたとか動き回って疲れたとか、そういうことが原因ではない。「うつは謎だったのがさらに解明できない謎だ」と悟ったそうだ。

    *****

    夫も私も料理が得意ではない。なんというか、好きではない。はっきり言おう。嫌いだ。だから私は仕事をバリバリやろうと思っていた。家事だのなんだの苦手なものをお金で賄おうという魂胆だ。私は中学の担任から太鼓判を押されていた。「スーツをかっちり決めて眼鏡をかけてカツカツ歩いてそう」

    それがだ。この20年あまりでもろもろを組み換えることになった。体調も不安定で精神面も落ち着かない。頭脳は使わないほうがいい。夫婦とはいえ私は脚を引っ張る以外の何物でもない。しかし夫は前向きだった。

    優先すべきなのは、お互いが柔軟に役割を変容させることだという。いわゆるジェンダー論での男女の役割とかそういうことは必要ない。そんなものは後回しだ。この家は人間と人間が生き抜くために、互いの能力をよく見て戦略を立てる舞台だ。出るところは出る。下がるところは下がる。昭和の家父長制文化の概念は捨てるべきだ。健常者だから社会に出て金を稼ぎ障害者がご飯を作る、そういうことでもない。身体も大切だし精神も重視すべきだし、家のことはどっちかがやれる時にやればいい。もちろん好き嫌いも考慮すべきだ。
    医師から車の運転が規制されてる?いいじゃないか、俺は何時間でも運転できる。運転が好きだ。「国内なら」どこへでも連れて行ってやる。
    英語はまあ、そのうち俺がやる気になったら教えてくれ。
    イエ社会?義父母?結婚しているのは俺たちだ。結婚を申し込んだのは俺だ。お前が遠慮していたのにゴリ押ししたのは俺だろ?まず考えることは、俺たちが楽しく生きることだ。
    脳の海馬がない?少なくとも俺は記憶できる。商品の価格もまかせろ。
    それが俺たち夫婦の協働というものだ。これこそ俺たち夫婦の望ましい姿だ。

    これまでお前が紡いできたキャラはずっと忘れずにいる。高校から今までの、すべてだ。俺は、お前を見つめ続けて今があるし、この先も見ながら歩んでいく。安心しろ。

    彼のこれまでの言葉の端端をつなぐと、こういうメッセージが完成する。

    *****

    どうやら私が脳の病人であることが、彼の役に立ったようだ。
    会社にミスが多くコミュニケーションがうまく取れない部下がいたという。それまでなら「もうこの仕事は頼まないようにしよう」とあっさり割り切っていたそうだ。それが私と暮らすようになってから「ちょっと工夫して別の仕事をふってみよう」という考えに変わったようだ。上司の変化はぜったいに部下に伝わっているはずだ。対応をポジティブに変えたことで、部下も前向きに仕事に取組むことができただろう。
    ほかにも「うつ状態かもしれない」と感じた部下がいたら面談をするようにしているらしい。夫は医師ではないし本人の希望もあるから「一度産業医に相談してみたら?」という提案に留めているそうだが、これはもう大きな進歩だろう。彼は言う。「病気かもしれない人のことを、「病人の夫」当事者として考えることができている」と。

    夫だけではなく夫の周りの人たちのためになっていると思うと、私も感慨深い。病人であり障害者であることで他の人の役に立てたのだ。夫から部下へ、部下からさらに周りの人へ、こうした気遣いが少しでも広がっていきますように。

    *****

    日本の政治家の名言のひとつに「記憶にございません」がある。「ああ、出たよまったく・・」という雰囲気が全体を包み込む。私はこれを堂々と借用する。「こないだそこに行った?いえ、記憶にございません」なにせ記憶を司る海馬がないのだ。政治家より信ぴょう性が高い。夫は毎回「えええぇ!」と目をまんまるにして返す。これはベストアンサーだ。彼は私の手術前のキャラを思い出し、現在の病状もふまえて「今の妻」という人間を見ている。それは過去の事例から真似ぶという方法ではない。彼なりに私を観察し、そこから対処法をひねり出した。「こないだ言ったじゃん」ではない。それでは喧嘩を勃発しかねない。私も悲しさゆえ涙があふれるだろう。だから「えええぇ!」とぼやかす返答が好ましい。これは人を見つめて自分なりに考えて行動に移すれっきとした対処方法だ。

    彼が学生時代に得意としていたのは、誰かを「真似ぶ」ことだった。しかし今の彼は「真似ぶ」という方法に留めない。一人のサンプルを見つめ、彼が独自の手法で対応を創り出した。さらにいえばそれを部下の対応へと反映させた。立派な「応用」だ。

    てんかんには、さまざまな発作がある。障害もそうだ。同じ人でも時間によって症状がちがう。だから夫が未知の状態から観察によって状況をふまえ、対応をじっくりと考え創り出す手法は、真に正しい。

    これはなにより、ありがたい。おかげで私は楽しく日々を過ごすことができている。

    20年越しの夫よ、これからもどうぞ末永くよしなにお願いしたい。

    *****

     
     
    障害者が楽しく生き抜いていく戦略を考え中*てんかん・ADHD*精神1級・障害年金2級*左脳海馬切除手術後、国立大大学院博士課程修了*障害者雇用で東証プライム企業勤務後(3年)、退職*自己紹介はこちら→https://note.com/epilab/n/nca8f8a4ed85d

    あなたへのおすすめ