
恋愛経験ゼロで婚活10年。決め手は「運命」やなかった
喫茶店のテーブルで、向かいに座ったスーツの男がメニューを開いた。
ホテルのラウンジ。ちょっとカッコつけたお店やね。お見合いやもん。こっちは初対面で緊張して、背筋を伸ばしてた。まあみんなコーヒー頼むもんね、と、いつも通りに注文しようとしていた。
男は、しばらくメニューを眺めて、店員さんにこう言うた。
「パイナップルジュースで」
……パイナップル?
いや、待って。ここ、お見合いやで。ホテルのラウンジやで。なんでこの状況でパイナップルジュース?お子ちゃまなん?
私は内心ドン引きしながら、なんとか笑顔をキープした。この時点では、まだ知らんかった。
この、空気の読めへん男と、私が結婚するということを。
しかも、その日お見合いした3人の中で、いちばん年収が低くて、プロフィールにオタクを明記する男。いままでのお見合いで唯一コーヒー以外を頼んだこの人を、自分が選ぶということを。
なんでやねん、って今でも思う。
10年。私はこの一杯のパイナップルジュースにたどり着くまで、まる10年、婚活という名の荒野をさまよった。
ちょっと、その10年、見ていく?
私の婚活の旅、はじまりは一冊の本やったと思う。
……いや、ほんまの始まりは、その少し前かもしれん。
29歳を過ぎて、「あれ?私このままやと一生お一人様?」と、立ち止まった。
根っからのオタク。私が読んできたマンガでは、冴えなくても、変人でも主人公はいつのまにか結婚して子供がいた。なんで、私にはあらわれんの? そこでようやく気が付いた、現実は待ってても結婚相手はやってこん。それで、まだ「婚活」なんて言葉も意識せんまま、趣味の集まりとか大人の社会見学みたいな、ゆる〜い出会いの場に出かけて行った。
そんなちょっと婚活に片足つっこんだような時期に、あの一冊と出会った。
その時私は30歳を過ぎていて、出会いの場に出てみたものの、恋人いない歴=年齢を絶賛更新中。年収は300万いかんくらい。休日はYouTubeとマンガで一日が溶けるオタク。婚活市場に出すには、なかなかの初期装備でございます。
そんな私が、いつもの本屋巡回中に、とんでもないタイトルの本に足が止まった。
婚活系の本やった。タイトルは伏せとくけど、要は——「恋人いない歴=年齢ですよね?」と、こちらの胸ぐらを掴んでくるようなタイトルやった。
……なんで知ってるん。
図星すぎて、心臓を撃ち抜かれた。本に名指しされた気分やった。「おまえのことやぞ!」って。
気分はエロ本を買う男子学生。恥ずかしさを抑えて何食わぬ顔でレジに持っていって、家でこっそり読んだ。
ほんで、気が付いた、世の中には恋人が欲しい人がする恋活と結婚したい人がする婚活があるということを。そして、その二つには違いがあり、私がするべきは婚活だということに。
覚悟を決めて、結婚を目的とした出会いの場に出ていく道を進むことにした。
そこで、いちばん最初に何をしたか。
とりあえず、婚活パーティーに行ってみた。
なんも考えんと、最初の一歩はかなりのノープラン。だって恋愛経験もないし、相談できる友達もいないんだもん。考えようがなかったのよ。いままで生活の中に出会いがなかっただけ、出会えれば何とかなると思ってた。
いやー、行った行った。合コン、街コン、婚活パーティー。回転寿司みたいに相手がぐるぐる回ってくるやつ、個室でじっくり話すやつ、スポーツ観戦しながら、料理しながら、猫を撫でながらの「ねこんかつ」、オタク限定の「オタコン」……。日本にこんな種類の出会いの場があるんかと感心するくらい、片っ端から制覇した。
ちなみに、この間ずっと周りには内緒。婚活してるなんて死んでも言えん。いつもの服で家を出て、外のトイレで婚活服に着替える。完全にスパイやった。ミッション:インポッシブル、婚活編。家族、友人、知人にいたるまで、「この人は一生独身を貫くんやな」って完全に思われとった。
で、肝心の成果はというと。
……まあ、惨敗ですわ。
なんで出会えへんのやろ。私は方法をとっかえひっかえした。パーティーがあかんかったらアプリ。無料アプリがあかんかったら、有料のアプリを登録してみて、あかんかったら、また別のパーティー。場所を変えたら、今度こそ理想の人に会えるかもしれん。そう思って婚活迷子になっとった。
アプリもパーティーも一通りやって、私はとうとう最終手段に出た。結婚相談所や。35歳になってた。
入会金、月会費、それなりにする。痛い。でも、恋愛経験ゼロ、いうなれば男を見る目が全くない私に的確なアドバイスをくれるプロを味方につければ、ちゃんと結婚に真剣な人を紹介してもらえて、今度こそいけるんやないかって。そう信じて。私は大手の結婚相談所に入会した。
……その時の私に声を大にして言いたい。結婚相談所選び、もっとちゃんとしいや!
入ってみたら、システムは私が苦手やった婚活アプリと、ほぼ一緒。会員サイトで申し込んで、OKが出たら連絡先交換して、あとは自分らで何とかして、というやつ。アドバイザーさんの出番は、どこなん?
一回だけ、勇気を出してアドバイザーに相談した。今会ってる人と、このまま進めていいか悩んでます、と。そしたら返ってきた答えが、
「相手の人の生年月日、教えてもらえる?」
「え?(何の関係が? ていうか担当の人、私の相手のこと把握してへんの?)……○○ですかね」
「……うん、相性ええわよ」
占い??
いや、占いを否定はせん。せんけど、私が入会金払って聞きたかったの、それやないねん。もっとこう、現実的なやつ! アドバイザーさんの知識と経験の集合体みたいなご意見が、うかがいたかったんですよ!
結局その相談所は、37歳で退会した。2年、何も掴めへんかった。
そして、ここからが、いちばん寒い時期やった。
37歳。婚活市場では、もう年齢で容赦なく切られる。アプリでは検索に引っかからへんようになり、参加できるパーティーも、どんどん減っていく。年齢って、自分ではどうにもできひんから、こたえる。正月が来たら、また年をとると思い。誕生日が来たら、また年をとったと思う。婚活中は、年齢でのダメージが一番でかいと思う。
たまにカップリングできても、そのあと連絡してくれない。年下の男の子に、お金出してくれるお姉さん要員にされる。昨日まで普通にやりとりしてた人が、ある日ぱたっと音信不通になる。
婚活、つらい。
心が、どんどん疲弊していく。
このまま、誰にも選ばれへんまま、終わるんかもしれん。私、もう婚活やめたほうがいいんかな。おひとり様も悪くないかもしれん。おひとり様関連の本を読み漁った。まあ、こんな生き方もアリかもしれん、と自分を慰めた。
でも、本当にええんかな。今ここであきらめて、未来の私は後悔しないのかな。あの時もっと頑張ってたら、って。幸せそうな家族連れとすれ違う度に、ふっと考えてしまわないかな。そんな押し問答を何度もして、ずるずると婚活の沼から抜け出せずにいた。
終わらせる勇気もないまま参加していた、婚活パーティーの帰り際に、声をかけられた。
元気で、やたら可愛い勧誘のお姉さんやった。別の結婚相談所の人やった。正直、相談所は一回痛い目見てるから、乗り気やなかった。でも、私がこれまでの婚活でくたびれ果ててるのを察したのか、親身に話を聞いてくれて、「大丈夫ですよ!アラフォーでも結婚できる人いますよ!」と言ってくれた。——気づいたら、2社目に入会してた。今思えば、まんまと勧誘の手腕にやられてる。でも、藁をもすがる気持ちやった。大丈夫ですよ、って言ってくれたお姉さんを、信じたい気持ちになった。
結果から言うと、これが正解やった。
担当になってくれたアドバイザーさんが、ある意味、私の運命の人やった。前回のアドバイザーさんは田舎の世話好きおばさん風。今回は都会のバリキャリ風。
ある日、私が仮交際に進んで、一回目のデートが終わったあと、アドバイザーさんから電話がかかってきた。
「どうでしたか?」
「……はい、とてもいい方で」
正直、私は乗り気じゃなかった。でも、条件は完璧やった。そんで「いい人」やった。お断りする理由が、みつけられん。
「清潔感のある方で、お話もちゃんとできました。……とてもいい人です」
歯切れの悪い私の言葉を、アドバイザーさんはちゃんと聞いてくれてた。そして、こう聞いた。
「次に会う約束、もうしてる? ……その日、楽しみ?」
私は、正直に答えた。「……いや、ちょっと、気が重いです」
そしたら、間髪入れずに、
「ほな、次いきましょ!」
……え? いいの?
気が重い相手と、無理して続けんでええんや。その一言で、肩の荷がすーっと降りた。この人は、私の気持ちを見てくれてる。相談所の方針の違いなんやろうけど、プロフィール写真を撮りに行くのにも付き添ってくれて、お見合いの時も基本的に付き添って、お相手に会って二人でお店に入るまで見守ってくれた。ほんまの意味で、初めて"伴走者"に出会えた気がした。
心強い味方ができて、私は、ようやく自分の婚活ができている気がした。もやもやと手探りで進んでいた道が、ようやく開けた気がした。
——でも。伴走者ができたからって、すんなりゴール、とはいかへんのが婚活や。
37歳過ぎのおばさんと、結婚相談所でお見合いしたい人とかいるの? って思いますよね。本当にね! 月に10人以上に申し込みしても、1件組めればいいほうなんですよ!
そんなおばちゃんでも、この人と結婚できるかなって思える人は、何人かいたんよ。
一人は、自営業で大柄で優しい。話してても楽しい。ええ感じやった。けど、何度か会ってるうちに、結婚するなら親と同居してほしい、田舎の不便なとこに引っ越して、それでも働き続けてほしい、と言いだした。
私は、なんとか折り合える点はないかと、話し合った。お願いやから、どこか一個でも歩み寄ってもらえへんか、と。でも彼は、最後まで何ひとつ譲ってくれへんかった。
泣きながら、別れた。
ようやくたどり着いたと思った道は、行き止まりやった。今更、この年齢で何わがまま言うてんねん、って思うよね。折れて、結婚したらいいやん、って。
でも、私な、気が付いてん。ながーい婚活生活で、私の理想の結婚は、自分の日常の延長やって。
結婚て、女がいろいろ変えなあかんやん。名前、住んでるところ、働き方。そんなんいややなって。それって、我慢する必要あるんかなって。私はなるべく、今の生活を守りたい。マンガ読んだりアニメ見たり、今の仕事も好き、飼ってる猫とも別れたくない。
私の日常も大事にしてくれる人が、私の理想の人なんやって。
そしてもう一人。女性に慣れていないのか、会話は途切れがちやったけど、ちゃんとコミュニケーションをとろうとしてくれて、一緒にいて穏やかに過ごせた。今度こそ、と思ってた矢先、アドバイザーさん経由で、お断りの連絡が来た。理由は、
「話してて楽しいけど、友達みたいにしか思えない。もっと女性らしい人がいい」
……でた。女に面白さは求めてない、の進化版や。
落ち込んだ。めちゃくちゃ落ち込んだ。正直、体重落ちた。「その男、絶対あとで後悔するわ」と負け惜しみを言うてみたけど、心は普通にへこんでた。(※後日談:その彼、ほんまに後悔したらしい。私以上に楽しい人には、出会えへんかったって。ふふふ)
こうやって、ええなと思う人は現れたけど、そのたび別れがやってくる。年齢のリミットは刻一刻と迫ってるのに、進んでは戻り、進んでは戻り。
——そんな私のところに、ある週、3件のお見合いが舞い込んでくる。
その週は、なぜかお見合いが3件も組めた。婚活後半は、月に1〜2件あればいいほうやったから、3件は奇跡みたいな豊作や。
お相手は、年収700万の銀行員、年収500万の店長、そして年収400万の、技術職の人。
……正直に言います。年収、見ますよ。そら見ます。10年がんばってきて、現実的にもなってる。順当にいけば、本命は700万の銀行員のはずやった。
でもね、銀行員さん、言うたらスネ夫みたいな人やった。マザコンではないで。趣味の話になったんやけど、「いえ、多分ご存じないと思うので……」って、一切教えてくれへんかったん。私みたいなやつには理解できへん、高尚なご趣味だったんですかね?
そんで店長さんは、言うたらジャイアンやった。人の上に立つ人や、そら強気ですわね。体育会系!という感じやった。嫌いじゃない。でも、オタクの私は、毎日この熱に耐えられるのか?
そんで技術者さんは、のび太くんやった。ちょっとぼーっとしてるような。
そして、私が最終的に選んだのは、いちばん年収の低い、その人やった。
なんでか。話を、あのお見合いの日に戻します。
その日、お見合いの前に、私はホテルのロビーで相談所のアドバイザーさんと最終の打ち合わせをしてた。今日はこういう人で、こういう経歴で、と確認しながら、さあ気を引き締めて——という、その時。
「あの、すみません」
打ち合わせの真っ最中に、当の本人が、横から話しかけてきた。
……え。今?今、話しかける?
普通、わかるやん。あ、相手の人まだ打ち合わせ中やな、ちょっと待っとこ、って。空気を読んで、タイミングを計るやん。それを彼は、一切せえへんかった。打ち合わせ中のテーブルに、ふつうに参戦してきた。
第一印象、最悪……いや、最悪は言いすぎやけど、「うわ、この人、空気読まへんタイプや」と、しっかり身構えた。
そして、席についてからの、あのパイナップルジュースである。
みんなコーヒーか紅茶を頼む、ホテルのラウンジ。お見合いという、人生でもトップクラスに気を遣う場面。そこで彼は、メニューをじっくり眺めて、なんの迷いもなく「パイナップルジュースで」と言い放った。
もう、私の頭の中は「???」でいっぱいや。
この人、緊張してへんのかな。いや、緊張はしてるんかもしれん。でも、緊張してもなお、自分の飲みたいもんを頼む。周りがどうとか、お見合いだからどうとか、そういうのを一切、計算に入れてへん。
……あれ。
そこで、ふと思った。
私は、真逆や。
私はいつも、空気を読みすぎる。周りに合わせて、その場の正解を探して、自分の「ほんまは」を引っ込めてしまう。お見合いでも、相手に合わせて、笑顔を作って、コーヒーを頼む。──ずっと、そうやって生きてきた。
この人は、その正反対やった。誰が見てようが、どんな場やろうが、自分は自分。パイナップルジュースが飲みたいから、パイナップルジュースを頼む。
空気を読まへん、と最初はドン引きしたけど、裏を返せば、
「自分を持ってる人」やった。
——あ、でもな、ここ間違えたらあかんとこやから、ちゃんと言うとくね。
「自分を持ってる」と「自分勝手」は、ちゃう。私が泣いて別れたあの人も、「自分」を持ってる人やった。でも彼のそれは、私に引っ越せ、同居して、働き続けて、と相手の人生を変えてまで守る「自分」やった
パイナップルジュースは、誰の人生も変えへん。彼の「自分」は、自分のグラスの中だけで完結してた。人に合わせろとは言わへん。ただ、自分の「飲みたい」に正直なだけ。自分の好きな事に正直な人。
運命は、感じてへん。あの日の私はただ、「変な人やな」と「でも、ちょっと気になるな」のあいだで、首をかしげてただけや。お高く留まったスネ夫でもなく、強気のジャイアンでもなく、空気の読めへんのび太くん。
でもね。あとから思えば——
その「気になる」こそが、答えやった。
そこからは、不思議なくらい、とんとん拍子やった。
あんなに「なんかちゃう」を繰り返してきたのに、この人とは、それがなかった。すごい運命を感じたわけやない。胸が高鳴ったわけでもない。ただ、一緒におって、変に気を張らんでよかった。空気を読まへん人の前では、こっちも空気を読まんでよかったんやと思う。
何回か会って、お互いの親に会って、プロポーズされた。
プロポーズの言葉、知りたい?
「一緒にいて疲れないから」
一瞬、何言ってるかわからんかった。でもね、私も一緒やった。
成婚退会。決め手は?と聞かれても、「これや!」という劇的なもんは、正直ない。平坦な道を、すーっと歩いてたら、いつのまにかゴールに着いてた。そんな感じやった。
そして、39歳10ヶ月で、入籍した。
10年——いや、足かけ10年。私の婚活は、終わった。
結婚してしばらく経って、ふと、あの日のことを思い出す。
30歳の私が、本屋でドキッとして、踏み込んだ婚活の道。条件を並べて、ああでもないこうでもないと検索して、会った相手には「なんか違う」を繰り返した。
理想の人、なんて、お高くとまった言葉は、私には似合わんかった。一緒に日常を過ごせる相手。いつもの日々に、気が付いたら隣にいてくれる人。それが、私の結婚相手やった。
今、目の前でメニューを開いている男。店員がすっと近づいてくる。
「ご注文は?」
「え〜、ケララフィッシュとナンのセットで」
「私は、バターチキンとナンで」
店員が注文を確認して去っていく。私はついつい聞いてしまう。
「ケララフィッシュってなに?」
「わからんけど、気になったから」
気になったからと、初めて来たインドカレー屋で、わからんメニューを頼むこの人は、私の夫である。相変わらずや。
空気も読まず、自分の頼みたいものを頼む。
「一口ちょうだいね」
「え〜」
うん。今日も通常運転。