メインコンテンツへスキップ
見出し画像

不思議話(3章) 人の死を予見するとき、その対応~家庭教師先のお祖父さん~

    大倉圓敎(圓満)

    今回は、不思議話第11弾。
    「人の死の予見」について記しました。
    (※これまでのツリーはこちらから閲覧できます:随時更新)

    人の死を予見する~家庭教師先のお祖父さん~

    人の死相が見える。
    そういった話は昔から聞くことがある。

    現代では特に、看護士をしている人などの中で、そうしたことが分かる人がいたりすることなどがときどき聞かれる。

    今回は、わたしが突然、
    人の死が見えたときの話とその対応について記しておく。
    これは以前にパイロットの話で見た「未来を予見する系統」にも属するものである。

    わたしは昔から、非常に稀に”少し先”がふと見えることがあった。
    あるとき体育館に向かっているときに、友人がコケる絵を先に見たので忠言したが、同時に転んでいた。1秒ほど前に見えたことであったから、忠告しても無意味であった。これが何故そのようなものが見えたのかは分からない。これはささいな一例であるが、(妄想の可能性もあるが)そういう感性があると思ってきた。

    そんな中、ときどきそれよりも長い先のことについてビジョンで突然見えるということがあった。2章2で挙げた、パイロットの話などはその代表例である。

    その強烈な記憶としてあるのが今回の話である。


    家庭教師先で、お祖父さんを見る

    2020年の春頃(道場2年目、コロナで中断した時期)。

    かつて、相談に乗ったりしていた非行少年のご家族から連絡があり、「家庭教師もしてほしい」とのご相談であったため、短期間ではあったがさせていただいていた。

    そんなある日、夏休みの頃。
    家庭教師を終えて帰ろうとしたとき、彼の祖父が見送りに出て来られたときがあった。

    このとき初対面でのご挨拶であった。
    年齢は70代であったであろうか。仕事もバリバリにされてこられて、お元気な方だとお聞きしていた。

    しかし、その姿を見た瞬間に何か”違和感”があった。
    すでにこの世の人ではないというか、何か死を感じさせるものがあった。
    (その正体は全くの不明である。)


    祖母からのご連絡

    それから1カ月経った頃であっただろうか。
    彼の祖母から連絡があった。彼の祖母は懇意にしてくださっており、彼の母以上にご連絡を取ったり、お食事をお受けしながらご相談をお聞きしたりしていた方で、彼女も元気な方であった。

    いつも孫のことでご相談されており、その日もそのような文面で送ってこられていたが、どうしても彼の祖父のことしかその文面から出てこない。不思議な体験である。
    お電話に出そびれたので折り返しして、ご相談が始まった。

    非行少年のことでお話されている。
    しかしどうしても祖父のことしか頭に浮かんでこない。
    (うろ覚えであるが)確か私の方から言い出して、「ところで、今回のお電話お孫さんの話ではないですよね。ご主人のことではありませんか」と切り出したはずである。
    彼女は非常に驚いて「そんなことが分かるのですか」と仰って、堰を切ったようにご主人のことでご相談されはじめた。

    その瞬間、(ご主人は亡くなる)という心の声がする。
    どうやら、あの日からしばらくして何かのご病気で手術されることになったらしい。
    それは大したご病気ではなく、すぐに退院するはずであった。ところが、祖母さんのお話では、医療ミスにより手術は失敗し、容体も急転して危篤になったということである。

    そこで、「主人は生きられるでしょうか」「何か手立てはあるでしょうか」とお聞きになってこられたわけである。

    (ああ。わたしには霊感などないが、今回は前回お見かけしたときに見えてしまった。ご主人は亡くなるのであろう)と思い、一瞬停止する。何と答えればよいのか。

    正直に「もうすぐ死去される」などと言って、もし助かる可能性があったのにその運命の線を断ち切るようなことは絶対にあってはならないということもあるが、どちらかというと単に「死去することが不確定ながら、確定したようなことを言ってしまってよいものか」「この方はショックで倒れてしまわないだろうか」などと瞬時に頭をグルグルと駆け巡って、瞬時に、
    「人はいつか亡くなるものですから」という言葉が口から出てきた。

    言ってしまったが、何度考えても最適解だろうという自信があった。
    この回答であれば、助けようとすることを妨げるほどのものではないし、助からなかったときにはそのショックを事前に和らげておく言葉になるであろうし、これが最適解だということが何故かはっきりわかった。
    もはや私が言ったというよりも、”真理そのものが口から出た”ような不思議な感触であった。

    「それは助からないということですか」とお聞きになる。
    しかし今言ったような理屈で最適解の回答をしているという確信があったので、回答の線が揺らぐことは一切なく、珍しいまでによい意味で堂々としていたと思う。これが、彼女のショックを最も和らげるであろうというものが、わたしを超えてわたしの奥から出ていた。

    「助かるかもしれませんが、人はいつか亡くなるものだということは覚悟しておいた方が、いつ何時もよいものです」という回答を終始徹底し、彼女の不安な心情を傾聴して終わったものと思う。

    その結果は。

    結果は、その1カ月後、ご主人の逝去という形で幕を閉じた。
    祖母さんは悲痛な思いで、何度かご相談があった。傾聴もした。
    病院への怒りを何度も口にされ、或いは生前の自身の後悔を何度も口にされていたが、これは傾聴することだけが最善の答えと心得て、事前に「人はいつか亡くなるものですから」と言っておいたことが"もし助かると思い込んで亡くなった場合に生まれていたであろう非常なる悲痛"を確実に最大限抑えたこと、それ以上に言えることはないこと、をただ実感するものであった。
    その後、ご自宅に赴いてご供養だけした。


    画像
    2020年道場2年目の夏のこと。

    これは、時期で言えば道場2年目にあたり、「2章3香姫との出会い」の最中に起こっていたことである。また後日執筆する、供養事の不思議体験をすでに何度かしたあとのことであったから、このことは僧侶となってから起こり始めた不思議体験の一つの階段として刻まれた出来事であった。

    このように、「人の死を予見する」ということが実際にあるものと思う。
    ただわたしの場合はパイロット(2章2)にも代表的に見られるように、そもそも別に予見することがあったために単なる予見の一例であるかもしれない。

    世間でもそうした話をときどき聞くのも、恐らく真実なのであろうとこの実体験を通して感じたものである。

    富山にて二回目の予見

    ところで、この死の予見は最近にもあった。

    今年2024年5月のこと。「富山県にお借りしている家」に帰ったその日、スポンサーをしてくださっている方の車で夜中にお送りいただいているときであった。


    画像

    近くの家の前に救急車が止まっていた。
    彼が「これも何かの暗示ですね」という。

    実はその発言の少し前に、その家の方が助からないことを察知していた。あのときと同じ、「人が亡くなる空気」がそこにあった。

    実際、救急車が到着していて、そこで亡くなっているケースの割合がどれほどのものかはわからないが、決してそれほど高いわけではないことと推測する。
    しかし、今回は恐らく「すでに亡くなっているか」「すぐに亡くなる」ことがなんとなく察知された。それが何故かはわからない。

    そんなところでの、彼の「これは何かの暗示ですね」といった発言であったので、これもまた察するところがあり「スポンサー契約が切れること」を意味するものだと察知した。

    翌日、その家の前を通過すると、すでに「〇〇家葬儀」といった看板が家の前に立っていた。

    ああ、やはり亡くなられたか。恐らく亡くなられた方はまだ自分が死んだことを理解されていない段階にあることが感じられた。
    ご冥福をお祈りし、わずかながら念を送り、その死後に安楽あることを念じ、あるいは説得して歩き去った。

    これでスポンサー契約が切れたら、それはそれでまた予見通りであり、そうなっても仕方がないなと思っていたところ、これもまたすぐに実現し、スポンサー契約が終結した。

    「救急車」を見るということは暗示としては普通「急遽、助かること」を意味してもよいものであるのに、或いはそれが救急車の目標地点でもあるはずであるが、また半面では「助からないこと」をも稀に意味し得るものともいえて、見事にその暗示通りに進むものであるから現象としては面白いものである。

    これが、まさに既に説明した「コード」の問題である。
    世界は上手く仕組まれている。

    占いが古代に発達したことも、これがゆえに一定理解できるものがある。「うらなう」とは「裏(或いは心を古語で“うら”と言う)を縄う(縄=コード)」という語源である。
    ※ちなみに余談/立場表明であるが、わたしは俗に見る占いは一切信じていない。ただし、現代では滅多に存在しないであろうが古代ながらの何かしらの占いには真実性もあるであろうとも思っている。まして金銭を要求するものであれば、なお私は勧めない。

    あと、もう一つ余談をしておくと、人の死は生まれる前から予め日時全て決まっているものと思う。思うと控えめに言っているが、そうであるといって差し支えない。またもっと言えば、一生のすべては決まっているものである。
    ちょうどサイコロを振る前は、どれが出るか不確定であるが、振った後から見れば一つに決定するように、どちらから見るかで様相が異なり、それが矛盾なく表裏一体で一致しているというのが、宇宙のすがたと感得する。
    これはいつか、科学的な不確定性原理との間で、より詳細なことが判明するに違いないことである。

    それ故に、「このお祖父さんのことで何かすれば助かった可能性など実はなかった」ものである。当時はこれがわかっていなかったから迷いもしたが、今はここに迷いは一切ない。確信これ也といった感じである。
    また皆さんにおいても、そう知っておけば心が平穏に進むこともあるであろうと思うものであり、そのうち執筆しなくてはならないと思っている。
    それを今皆さんが読んで、知ることも全て予め決まっていたことであり、万事はシナリオにおいて調和し進んでいるものである。かみ=法のまにまに。


    まとめ

    いかがでしたでしょうか。

    人の死を予見するという不思議話でした。

    逆にこれについて外したことはないはずと思っています。
    無理に「この人は亡くなるかどうか」と問うても私にはわからないですが、今見た二つのケースは「何かわたしの学びとして必要なもの」があって、「自発的に目の前に起こってきた事象」だと理解しています。


    【ご喜捨のお願い】

    社会の精神的な向上を願って、宗教者の道を歩んでいます。
    本物の宗教を徹底して示すべく、厳しくともご喜捨のみで歩んでいます。

    もしご縁ありましたら、以下よりご喜捨いただけましたら幸いです。
    みなさまに功徳が廻り、社会の精神基盤に寄与しますように。

    ・メンバーシップでの応援(五百圓~)
    ※ただし手数料が18%ほどかかり引かれますので、従来通りお振込みにてお施しくださる方はそのままにして頂ければ大変幸いです。その他の方はこちらからお願いします。
    ポpaypay : raikouji0216


     
     
     
    社会活動家/宗教者。つらつらと気付いたことなどを記しています。「諸宗教•科学の統合的視座に関する理論」を執筆中。メンバーシップでの共志等よろしくお願いします。 https://raikouji0216.wixsite.com/my-site-1

    あなたへのおすすめ