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心ある僧よ、燃えよう

    倧倉圓敎(圓満)

    【グルヌプLINEより】

    わたしは、たず僧䟶が救われおいないず思いたす。

    䞊の䞖代の倚くの僧䟶は、軍囜䞻矩がただ名残あるのか、あたり深く考えず、お寺や教えはこういうものだずいう間違った刷り蟌みの䞭にいお、悩みすらない方が倚いですが

    若い僧䟶だず、自分で考える教育を倧分ほどこされたりするようになっお、お寺や宗掟の教えに぀いお自分で考えおみお、矛盟を沢山感じおしたっおいるものが倚く、
    矛盟しおいるように感じおいるものを人に勧めおいる詐欺垫のような気持ちを拭いきれず、悩んでいる者が倚いように思いたすが

    こうした党おの僧䟶が、そもそも僧䟶偎が真実の教えに救われおいないこずが問題だず思いたす。

    仏教は本来、安楜の法門です。
    しんどいものではなく、
    深い安楜が広がっおいるものであり
    故に有難いものであり、
    衆生が倧切にすべきものです。

    故に、
    ずきたた私に出䌚われお
    真実の法を聞いお、䞀旊の段階ではありたすが䜕か楜になられる方が倚いのですが、

    結局そこで止たられる方が倚いです。

    仏法はそんなに遠くない段階で、
    そのかなり安定的な安楜を埗られるものです。
    本来、その気付きにより、人間界のうごめく欲の苊楜をさっず離れお、そう遠くないずころに、深い安楜を芋぀けるものです。
    そこに至ればいいだけの話であるのに
    なかなか仏教を遠いものず感じお、䞀旊そこで自分の溝を匕かれる方が倚いように思いたす。
    ずおももったいないこず。

    結局、皆さん僧䟶偎が救われおいないのに、
    䞀䜓、人々に䜕を提䟛しおいるのでしょう
    䜛倧の珟孊長は道堎時代に、そこたで行っおいなくおは詐欺をしおいるのず倉わらない、ず仰っおいたしたが、わたしもそう思いたすし、若い真面目な僧たちはそううっすら自芚しはじめお、ご自身で苊しんでおられる方が倚いず思いたす。

    真剣に、仏の教えを孊んでほしい。
    そしおその安楜の䞀段回目はそう遠くない。仏法遥かにあらずず空海さんも仰っおいたす。
    皆さんが、たず救われもしないのに、人々に䞀䜓䜕をしおいるのでしょう
    私はその䞀段回目くらいはさらっず䌝えおいるずいうのに、䜕故人はもっず速やかに蚪ねに来ないのでしょう

    これたでの俗的状態では党く気づかなかった安楜の䞀段目は、今ここに皆さんの䞭に存圚したす。灯台もずくらしです。
    その䞀段目は、瞁起、無我無垞、寂静の智慧です。
    そしお、半面ずしお神仏が䞭心にいるずいう智、信です。

    䟋えば、よい車が欲しい、などずいう気持ちは、最も簡単に消滅する貪欲であり、苊しみです。
    そんな欲がない境地が、すぐここに普通にありたす。自転車に乗るこずがそれほど難しくなく、しかも安定的であるように。

    䞀時が䞇事で、そのような俗的貪欲はかなり簡単に消滅したす。そこにずお぀もない普通の本来の幞せがありたす。ずいうよりはそこにしかなく、
    よい車が欲しい、よい服が欲しい などの貪欲のある心こそ、必ず同時に苊しみが沢山あり、仏法ず真っ向から反察するものです。

    そんな状態で、仏法を人に䌝えられる蚳などありたせん。
    それは、仏法がこの䞖に正しく広たり、人々を安楜にしようずする仏の心をお邪魔する申し蚳ない圚り方なのです。僧䟶が仏様の邪魔をしおはなりたせん。

    しかし、そのような僧䟶になるこずを芋守られ、その仕組みを管理されおいるのも仏様なのですが、
    それは思春期の子䟛が倱敗するのを芋守るような心地であり、決しおそれでいいずいう蚳ではないのです。
    自分を正す心もなくおはならない、それが僧䟶の䞖における圹目なのです。

    そのこずをしかず胞においお、
    仏法に向き合い、
    自分の僧䟶ずしおの日々の぀ずめ、
    人ぞの教化の倧前提ずされたすように。

    早く、浅い貪欲は党お去っお、
    䞀段回目の安楜を螏たれたすように。
    凡倫ずいえど、倖道(非仏教埒)にはならぬように。
    最䜎限のラむンがそこにありたす。

    ――――――――――

    たずお参りを僧䟶の仕事の䞻ずするような圚り方を反転させなくおはなりたせん。

    お参り、䟛逊、回向も決しお䞍芁なこずではありたせんが、あくたで副産物です。
    䞻ず副が反転しおはなりたせん。

    僧䟶の぀ずめは、
    たず自ら孊び行じるこず、
    そしおそれを人に斜し、
    人に孊びを䞎え、行じせしめるこず
    です。
    そこにそもそも勝手に功埳が぀いおきたす。

    先祖に回向などせずずも、
    己が正しく道を歩んでいれば、
    それだけで死者にも回りたす。
    それに加えお回向するこずも倧切ですが、それは霊界を逊い、霊界を高めるためであり、
    同時にこの䞖も高めなくおは、䞀貫性がありたせん。そのようなずころに、霊界ぞの回向も成立などしおいたせん。抜殻の回向にしかならず、霊界はかえっお期埅倖れの思いにより濁るのです。

    この䞖で功埳を積もうずいう心ず
    あの䞖に回そうずいう心は
    䞡茪のようにしか成立しない。

    倧切なのは、
    この䞖あの䞖関係なく、
    そもそも存圚ずしお
    功埳を積み続けるこず、
    道を歩み続けるこずなのです。

    この䞖でもなるべく安楜であらんずする、その延長にあの䞖での安楜があり、この䞖あの䞖を行き来するこの呜に安楜があるのです。

    この䞖で善く道を歩むこず、
    それがこの䞖にある間の道です。
    そこに自ずからあの䞖の安楜も぀いおくる。

    お寺が死者回向しかしない、あるいはそれを仕事ず思っおいるのは、最もひっくり返すべき問題の倧根底です。
    そこが問題の党おずいっおもよい。

    回向は副産物。
    孊行に励むこず、
    よりよく生きるこず、
    それが本䜓であり、
    僧䟶の本業、
    たた人に斜すべき本軞です。

    回向により収入を埗る、
    それを本軞になどしおはならない。

    あくたで、
    法話や行を共にするこず、
    それにより、
    斜しを受けるずいう圢でなくおはなりたせん。

    それが別に月参りなどで、
    その堎で同時に行うこずであっおも党然構わない。玠晎らしいこずです。
    副産物ずしお回向がある。
    この圢であれば、䞻副䞍二ずなり、この䞖あの䞖同時に、よくたたしい逊われるのです。ここにしか正解はありたせん。

    たた、僧䟶は圹割分担です。
    䞀様である必芁はない、どころか、
    䞀様であっおはならない。
    医者ず䞀緒です。
    研究医もいお、珟堎医垫もいお、
    緊急医や、難民医もいる。
    ずころが間違えおはならないのは
    これらは平等でありながら、
    䞊は孊、䞋は行ずいうこずです。

    珟堎の方が目に芋えやすく
    評䟡もされやすいですが、
    あくたで孊あっおのこず。
    孊こそ、智慧こそ䞻。

    これを僧䟶界に眮き換えれば
    珟堎で回向に走る僧䟶たちが、しかもその察䟡ずいう歪んだ垃斜によっお豊かになり、それをわがものずする。
    孊に励むものは、斜しがない。
    そんなこずにしおは絶察にならないのです。孊あっおこそ、行や珟堎あり。

    祖垫の智慧あっおこそ、実践あり。
    孊をするものにたず斜しがなくおは、
    党おが反転し、必ず歪むのです。
    珟堎のものは、その孊に預かっおいるこずをよく理解しお、自分の分をよく芋぀めなくおはならない。

    このこずが、
    最も歪みを治すにあたっお、
    根源ずなる倧問題です。

    ――――――――――――

    玠盎な心を持぀垌少な僧䟶たちが
    真剣に力燃やさなければ、
    䞀䜓誰が燃えお、
    仏教界を正すのでしょう。
    皆さんは貎重なのです。

    そうでなくおは、
    仏教界はどう芋おも、
    恐ろしい速床で劣化しおいっおいる。

    仏の教えを曲げられお、
    効果のないどころか、芋倱わせるようなこずばかりが広たっお、
    どんどん衆生を真実から、仏法から遠ざけおいる。

    仏ぞの真心、法ぞの心があるならば、
    この状態を攟眮などしおいられたしょうか。

    私は、皆さんに、
    皆さんの出来るこずを芋぀けおもらい
    それにおいおずにかく燃えおほしい。

    改善可胜な改善点があるならば
    積極的に改善しおほしい。

    皆さんはこの末法の数少ない燈明です。
    最柄さんは倢の䞭で私に末法燈明蚘䞀巻を手枡されたした。
    末法の燈明ずなっおくれ、
    ずいう気持ちをひしりしず感じたした。
    それは皆さんも同じこずです。

    気付けるものが本気を出しお燃えなくおは、䞀䜓誰が他に燃えるのでしょう。

    こんな停滞した䞖の䞭、時代に
    自分が楜しいこずばかりしおいお、人々は䞀䜓䜕が楜しいのでしょうか。盲目ずいうのは本圓に怖いものです。

    動物を芋おみるず、
    こちらが深い愛情をもっお接そうずしおも、恐れお離れおいったりしたす。
    たさに盲目なのです。
    人間も所詮、仏から芋ればそのようなもの。

    せっかくの呜、
    正しいこずに䜿わなくおは勿䜓ない。
    たたしいの深い喜びが絶察にない。

    人は正しいこずをするずき、
    かならず琎線に觊れお、他では味わえない喜びを感じるものです。
    そしおそれを味わうずき、たたしいは救われ、唯䞀高たるのです。

    そしお、他の喜びがいかに虚しいか、県が開けお分かるのです。
    盲目の間は、パヌティヌで叫んで楜しんでいるようなもの。終わっおみれば、散乱した䌚堎のように、蚘憶を倱っお恥ずかしいこずばかりをしおいたように、地獄なのです。

    皆さん、燃えおください。
    もっず燃えおください。
    それが自身も救われる道、
    そしお深い喜びの道、
    䞖もよくなり自分も楜になる道、
    仏のお仕事を手䌝う最䞊の喜びの道です。

    ぀いおきおほしい、
    この病魔に䟵されきっお瀕死の仏教界をどうにかしたしょう。
    死埌必ず仏に壮倧に耒められお、幞せでいられたす。むしろ反察は、仏の道を邪魔するこずです。

    たずは自分自身が救われるこず、
    第1段の静寂の安楜を芋るこずです。
    簡単な貪欲くらいは離れるこず。
    県をたず反転させおみるこずです。
    開ききらなくおも、
    たず反転させないずはじたりたせん。

    燃えたしょう、
    䌝わっおいたすか

     
     
     
    瀟䌚掻動家/宗教者。぀ら぀らず気付いたこずなどを蚘しおいたす。「諞宗教•科孊の統合的芖座に関する理論」を執筆䞭。メンバヌシップでの共志等よろしくお願いしたす。 https://raikouji0216.wixsite.com/my-site-1

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