心の有りようーーわたしは敬意を表しながら評価したい
いま、人の行動について、とある指標に基づいて評価をする仕事をしている。
と言っても直接見るのではなくて、動画データを送ってもらい、それを視聴して評価するやり方が大半だ。
動画データによる評価をしてどんな結果になるかは人それぞれで、高いレベルと判定される人もいれば、結果がふるわない人も当然いる。
特に結果がふるわない人の評価をしていくときに、こちらからその人へ斜め右下への矢印を生じさせないようにしたい。
つまり、こちらが上で評価される側が下という関係性を作らないような表現を心がけたい。それが相手(評価される側)には伝わらない社内の資料の中であっても。

評価をするときは、根拠となる事柄を抜き出したり、どのような現象が起きていたからこのレベルと判断したなどとメモを残している。
その判断をするときの目線は、寄り添うものでありたい。
あるレベルに達している・達していないと、バッサリそれだけを判断するのではなくて、どこをどう改善すれば次のレベルに達するのかと考えて、伝えたい。
その人の今の状態を適正に判断しながらも、上ではなく、伴走するような心持ちで。
わたしの仕事は、その人そのものではなくて、その人の行動の評価である。
動画データ以外の部分では、わたしは何もその人のことをわからない。
もちろん、動画に映っている事象のみが評価の対象だから、それ以外のことは評価結果に反映されることはない。
でも、わたしが評価している行動の他に、寝る間を惜しんで関連する知識を習得したり、一日に何件も得意先を回ってクタクタになっているのかもしれない。介護や子育てにも奮闘しているのかもしれない。
別に、そんなことまで考えなくていいんだと思う。
考えなくても、適切な評価結果が出せれば仕事はじゅうぶん全うできているから。
でも、でもさあ。
評価している側も、評価されている側も、人だから。
たとえ研修の一環で受動的に評価を受けてたとしても、評価される側の人(=自分の行動を録画して送ってくれた人)が働いていることへ敬意を持って仕事をしようと思った。
(それは情がどうこうということではない。あくまで敬意を根底に敷いていたいということだ)
忘れずにいたいので、ここに書き留めておく。
