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教員免許を持たない私は、今日も母校で「先生」と呼ばれてる

    今、32年前に通っていた高校で「先生」をしている。でも、教員免許はない。
    週16時間勤務の、ICT教育支援員。それが、ライターである私が持つ、もうひとつの肩書き。

    フリーランスとして独立した月、仕事のほとんどを失った。あてにしていた継続案件は終わり、契約は切れた。収入を確保するために、急いでアルバイトを探した。

    元の職場に戻ろうか。
    それとも、資格を活かした別の仕事を探そうか。

    迷走しているときにハローワークで偶然見つけたのが、ICT教育支援員の求人だった。勤務先は、かつて私が通った高校。

    求人票には、エンジニア経験もしくは同等の知識がある人を望む旨が書かれていた。私は合致していなかったけれど、もしかしたら縁が結べるんじゃないかと応募して無事採用。今年3年目を迎えた。

    たぶん私は、今この学校にいる誰よりも学力が低い。いや「たぶん」じゃない。かなりの確率でそうだと思う。
    学校にいる子ども、大人をひっくるめて。
    教科書を見ても、授業の様子をのぞき見ても、何をやっているのかちんぷんかんぷんだ。

    そんな私が、母校に勤めている。生徒から「先生」と呼ばれる。まぁ、職名からしても別に不思議じゃない。

    先生と呼ばれるとき、むず痒さを感じながらも、実はちょっと嬉しい。

    私の仕事は、学校運営をICTの面から支えること。……といっても、やっていることはWeb制作に近いかも。ホームページのテコ入れやら、写真掲載やら。ハードよりソフトの面で動くのがほとんどだ。

    支援員らしい仕事といえば、授業のサポートだろうか。
    情報の授業に入り、パソコンの前で手が止まっている生徒に「何か困ってる?」「今どんな感じ?」と声をかける。
    「昔は授業でパソコンを使うのは選択授業だけだったな」なんて思いながら。

    ログインできない。
    ファイルが見つからない。
    保存の仕方がわからない。
    教科書通りにやってるのに、なぜかみんなと画面が違う。
    生徒たちからの訴えはさまざまだ。

    「じゃあ、教科書見ながらもう一回やってみようか」

    基本的に、答えは言わない。教科書と画面を見ればわかるようになっている。どうしても進まないときは、ほんの少しこちらで操作する。私はそういう役割だ。その私を、生徒たちは迷いなく「先生」と呼んでくれる。

    先生、ね。こんな私が。

    「先に生まれて、先を生きる」のだから、あながち間違いではないけれど。それにしたって、私が先生と呼ばれる日が来るなんて。人生は「まさか」がどこから降ってくるかわからない。
    職員室で、教室で、廊下で、よく思い出す。まともに勉強していなかった高校時代を。そりゃもう、酷かった。笑っちゃうほどに。

    職員室で仕事をしていて思い出すのは、テストのことだ。
    採点していた先生方は、私の適当な答案をどんな思いで見ていたんだろう。理数系は赤点。英語もギリギリだった。真面目そうな見た目に反して、私はまったく賢くなかった。

    学校は、勉強するためというより友達と喋るために行く場所だったように思う。当時の私にとって、友人との時間は現実逃避であり、息抜きでもあった。
    家のことも、進路のことも、その先にある将来のことも、何も考えずに済む時間が私には必要だった。

    その時間の中にいても「やっぱり自分は普通じゃないな」と虚しくなったのを覚えている。

    友達が未来について語る。
    どこの大学に行きたいとか、何を学びたいとか、どんな仕事に就きたいとか、そんな話をする。

    同調も反発もできなかった。

    「いいなぁ」と言えば、自分には友人たちのような未来がないと認めることになる。
    「そんなの無理だよ」と反発すれば、友達の未来を否定することになる。

    どちらも望んでいない。だから、何となく聞いていた。
    聞いているふりをしていた。不自然に笑いながら。

    人は人だ。羨んだところで、どうにもならない。でも、完全に割り切れるほど大人でもなかった。

    私は母子家庭で育ち、弟妹はまだ小さかった。高校は奨学金で通っていて、卒業後は返済が待っている。進学という選択肢は、最初から考えないようにしていた。

    弟妹が成人するまでは、自分のことは後回し。そう決めていた。

    暴力的な父親がいた頃を思えば、これくらいの苦労は屁でもない。
    中学の終わりまで続いた、あの苦しい日々を思えば、自分を抑えることくらいなんだっていうの。

    私が我慢しなければ。
    私が働かなければ。

    でも、本当はこう言いたかった。

    何で私は好きなことができないの。
    何で私が耐え続けなければならないの。

    でも、言えない。言うべきじゃない。言ったところで何が変わるわけでもない。

    今なら思う。私はもう少し、自分の気持ちをありのまま声に出してもよかった。

    何が変わるわけでもなかったとしても。
    誰も助けてくれなかったとしても。

    それでも、言葉にしてよかったのだと思う。

    本当は、出版の世界に入りたかった。
    進学して、本や文章に関わる仕事がしたかった。
    ゆくゆくは、自分で書いたものをお金にしたかった。

    まだ自分には未来があると信じて疑わなかった頃は、作家になりたいと言っていたような気がする。高校生になる頃には、その夢を口にしなくなっていたけれど。

    どうせ大学には行けない。
    地元で就職するしかない。
    自分には、そういう人生しかない。

    斜に構えていた。悟った顔をすることで自分を守っていた。
    勉強なんてするだけ無駄。だって私の人生は決められている。ほどほどに働いて、適当に生きて、老いて、それで?どうせ自分の望みなんて叶わないんだもの、だったら楽しいことだけしてればいいでしょ?

    そんなことばかり考えていたから、高校3年生の秋、就職試験に落ちた。
    担任からハローワークの求人票を渡されたときのことは、今でもたまに思い出す。

    「学校で紹介できる求人は、もうないから」

    そう言われたとき、私は妙に納得してしまった。ああ、私って、こうしないと働き口がないくらい酷いんだ。
    悔しいというより、サボってきたツケが回ってきたのだと思った。自業自得だ。

    それでも、やはり人生は「まさか」の連続だ。
    あんなに赤点続きだった私が、40歳を超えて介護福祉士と社会福祉士の資格を取ったし、大学を卒業した。

    その事実は「頭が悪い」「勉強に向いていない」という思い込みを、少しずつ溶かしてくれた気がする。

    高校生だったころ、私は学んだ先の未来を信じられなかった。それが、40代になってようやく「学びが仕事に直結する」を体感できたのだ。僥倖と言わざるを得ない。

    さて、今の私の本業はライターだ。子どもの頃に思い描いた「文章の仕事がしたい」という夢を、形は違えど叶えたと言える。

    とはいえ、現実はそんなに甘くない。
    夢を叶えました。めでたしめでたし。とはならないのだ。

    夢は、叶ったあとも生活が続く。
    思うように書けない日がある。
    書きたいものだけを書いて生きていけるわけじゃない。

    それでも私は、書くことをやめていない。往生際が悪いなと自分でも思うけれど。あいにくと、好きなことを簡単に手放せるほどクールな女ではないらしい。クールになれなかったから、今、ライターとICT教育支援員の兼業状態なのだ。

    独立直後に仕事が一気になくなったとき、もし「ライターなんてもう辞めよう」って思っていたら、きっと母校で働くこともなかった。逆に、ライターの仕事が順調でも同じだろう。一日中パソコンに向かって書き続けていたに違いない。

    ICT教育支援員になって丸2年。少しは先生らしく振る舞うほうがいいんだろうか、なんて考えるときがあるけれど。私は変わらず、先生方とは違う目で、生徒たちを見ていると思う。

    この子たちは何に興味があるのかな。
    どんなときに怒って、泣いて、笑って、喜ぶんだろう。
    家ではどう過ごすのかな。何か好きなことってあるんだろうか。
    ちゃんと寝てるのかな。何の科目が好きなのかな。
    今、こんな態度なのはどうしてだろう。

    親戚のおばちゃん。近所のおばちゃん。それくらいの立ち位置のつもりで、生徒と喋る。喋りたい。私には、それしかできないから。

    最近だと、記憶に新しいのは学校紹介動画を作った話。最初は、大人が主体で作成する流れだった。もちろん私も関わらせていただいて。
    けれど、私の勤務時間は短くて動画制作にコミットするのは難しい。そもそも、動画を作った経験がなかった。

    だから、せめて考えてみたのだ。どうすれば、より学校の魅力が伝わるかしらと。

    大人が作るより、生徒たちに任せたほうが面白くないかな。

    学校紹介動画のターゲットは、これから進学先を検討する中学生だ。
    大人が見て「良い」と思うものと、中学生が見て「楽しそう」と思うものは、きっと違う。

    2分程度の動画でも、つまらないと思われたら離脱される。
    見てもらえなければ、届くものも届かない。

    だったら、ターゲットの年齢に近い生徒たちのほうが、より刺さるものを作れるのではと思った。何より、生徒の経験値にもなる。
    「この学校では、生徒が自分たちで考えて、作りあげたものを外に出せます」って、堂々と言えるじゃないか。

    そうは言っても、何もしないなんて大人が廃るというもの。私は動画の素材集めに奔走し、必要なカットや構成の案を出した。
    そこから先は、生徒たちが料理してくれた。なんとも頼もしい。

    素材の選定、編集作業、そして先生たちへのインタビュー。すべて生徒たちが主導で進めた。
    正直、想像していたよりずっと良い出来だった。私が作るよりも、きっと遥かに。

    若い人は、やっぱりこうした経験をたくさん積むべきだ。
    学校で勉強するのも大切だけれど、それだけでは育たないものがある。

    自分たちで考え、話し合い、共創したものを別の誰かに届ける。その経験は「自分の価値」を実感するきっかけになるかもしれない。

    私はきっと、生徒たちに自信を持ってほしかったのだと思う。自発的に動き、何かを生み出す経験を通して。

    かつて高校生だった私は、自分のすることに価値があるかどうかなんて、考えたこともなかった。毎日を生きるのに精一杯だったから。

    だからこそ思う。今の子たちは、もっと自由にやればいいんだって。
    今しかできないことに挑戦すればいいし、好きなことを遠慮なく「好き」と言える環境にいてほしいと思う。

    もちろん、何でも好き勝手にやればいいという話じゃない。
    世の中にはあらゆるルールがあって、年齢が低いうちはどうしたって見落としや逸脱がある。そこは大人の出番だ。

    とはいえ、大人の役目は子どもの成長を正解の枠にはめ込むことじゃないとも思うのだ。
    「失敗してもやり直せる」と、安心できる環境を作ること。土俵を作ると言えばいいだろうか。
    そのうえで、子どもを信じて任せて、見守る。

    ちょっと無責任かもしれないが、私はたぶん、そういう大人でいたい。
    子育てしたこともないのに、何言ってんだって話だけど。


    ──ここまで書いて、肩を回す。首から肩甲骨の辺りでゴリゴリと嫌な音がした。
    この首こりと肩こり、いつになったら治るんだろう。高校生のころは、こんな不調なかったのに。時の流れは残酷だ。

    もう22時を過ぎている。寝なくちゃ。明日も母校に出勤する日だ。
    明日は授業に出る日だったっけ。出勤したらすぐに時間割を確認しないと。なんて考えながら、布団に潜る。

    毎夜思う。
    どう考えても、理想通りの人生じゃなかった。おかしいなあ。何がどうなってこうなったのか。
    でも、いつだって何度だってやり直せたし、これからもそういう局面にぶち当たるのだと思う。

    「もうだめかもしれない」と泣きながら、それでもまた、私はみっともなく足掻いて縋って、乗り越えるのだろう。そういう生き方しかできないし、それが合っているのかもしれない。

    私が関わる生徒の中にも、似たような子がいるかな。
    だめだよ、今のうちにもっと器用に生きる術を身につけなくちゃ。って、言ってあげられたらいいのに。

    なんて。
    器用に生きる術なんて、私が知りたいくらいだ。

    私は教員免許を持たない「先生」。
    賢くないから、生徒たちを導けるわけでも、諭せるわけでもないけれど、せめて身近な大人でいられたらいいな。


     
     
    書かずにはいられない病を抱えています。泥水をすすり、枯れ枝で文字を刻む野生の物書きです。 SEO・コラム・取材・書籍など、多方面で活動しています。介護福祉や転職ジャンル多め。 介護福祉士・社会福祉士を保有。ケアの担い手らしく穏やかな視点の文章を書ければと思います。

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