メインコンテンツへスキップ

同級生が高校野球の監督になっていた

    今から20年以上前、高校生の時に中学時代の同級生が夏の高校野球の地区予選に出ると知った。
    自分は最初に入学した高校を中退して別の高校に入学していたので高校二年、中学時代の同級生はみんな三年だった。
    当時新聞に高校野球の各校の戦力を紹介した別紙があったので見ていたら、その同級生の名前があった。
    二個目の高校に通っていた自分はそこでも全然馴染めていなくて友達も全然できなかった。
    それとは違って高校野球という場所でキラキラ輝いている人間が羨ましかったし嫉妬していた。野球というものに興味があったし、実際に最初の高校では軟式野球部にも入っていた。だからこそ高校野球というものを特別視していた。
    その同級生が敗退して夏が終わったとき、たしか安堵したような気がする。
    嫉妬が終わった安心感なんだろうか。まあその感覚ももううろ覚えすぎるのでどこまで正確かわからない。

    それから約20年後のコロナ禍にテレビをつけていたら高校野球県予選が目に入って見覚えのある顔があった。
    二度目の入学した高校の一年時の担任だった。当時からその高校の野球部の部長をしていたが、今は別の高校の野球部の監督をしているらしい。その情報自体はそれ以前から知っていたが実際にテレビで顔を見るのははじめてだった。当然ながら老けていた。そして自分も老けている。その約20年前の高校時代の担任だった時よりも、今の自分のほうがもう年上になっている。

    それからさらに数年後にふと中学時代の同級生の名前を検索していたら、とある高校の野球部の監督になっている人がいた。
    それが最初に書いた中学の同級生。

    かれこれ20年かそれ以上前から思い出したように同級生探しの旅をネットでしてしまう。古くは大学生時代にmixiで。
    いや、高校時代にすでにやっていた気がする。魔法のiらんどで。

    いまでも数年に一度やってしまって今年もやってみた。
    ふとそれまでは思い出さないような人を検索してみたら、地元の企業の社長になっていた。
    社長といってもそんな大きいところではなくて地元の工場。
    社長の半生みたいなことも書いてあるのを見かけて、こいつなりにいろいろあったんだなと。順調なタイプの人生ではない。
    彼とは割と仲が良かった時期も結構あった。家は遠かったのでほとんど行ったり来たりはなかったけど、夏休みの自由研究を一緒にやろうってことになって自分の家に来たこともあった。
    その家も8年ほど前に取り壊して今はなくなっている。それまではほとんど変わらない状態であった。

    この長年やっている同級生探しだけど、田舎の公立校の中ではかなり優秀だったやつの名前がずっと出てこない。
    一人は自分が最初に入った高校に一緒に進学した同級生。ずっと情報が出てこない。そいつはちゃんと高校卒業して一流大学に入学したというところまでは知っているのだが。
    もう一人、田舎の公立に似合わぬ才女がいたけどその人もまったく情報が出てこない。女の場合は苗字が変わる場合があるから探すのも難しくなるけれど。
    かくいう自分もその「優秀だった」人間の一人ではあったんだけど。

    同級生探しの旅は昔は見つけると嫉妬してしまうことがあったが、今はそれがない。
    ネットで情報が出る人間、特に実名でSNSなんてやってる人間はキラキラしているもんだから若い頃は単純に羨ましいって思いが強かった。
    年々、月日が経過するごとにその気持ちが薄くなる。
    今はその高校野球の監督にしても、地元の企業の社長にしても羨ましいって気持ちなんかより単純に頑張れってなる。
    学校の先生なんて絶対に大変で、しかも部活の顧問なんて昔から嫌がる人間も多くて特に今なんてそれがようやく大きく問題になりはじめてる。
    社長になったやつにしても、「社長」って名前から想像するようなものではなく日々一生懸命生きてるタイプの人間。

    今改めてその高校野球の監督になった同級生を検索してみたら、数年前までは弱小校の監督だったのに、今は強豪とまでは言わないけれど中堅校の監督になっているらしい。
    あ、少しだけ嫉妬みたいな感情が現れたかもしれない。こいつ、ちゃんと人生ステップアップしているんだっていう。でも懐かしいもうこの感覚が。
    この感覚の何倍、何十倍もの嫉妬、羨望を10代後半の自分は強く感じていたんだろう。


    #創作大賞2026 #エッセイ部門


    あなたへのおすすめ