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Photo bymodern_oxalis208

「違い」を「不安」にすると”詰む” ー指令:脳内自動変換を解除せよ。

    小学生の頃、テレビの中の人は特別なんだと思っていました。
    同様に、お医者さんとか、世界を股にかけてる人とか、ガンジス川に浸かる人とか、公園で野宿する人とか…も、”だれかがやる” と思っていました。

    でも、ある時気がついたんです。

    その”だれか” は、

    ”私” でもいいんだってことに。

    中2(病)真っ只中の次男に、

    「お母さんにターニングポイントってあった?」

    って唐突な質問を受けました。

    あれは、私の人生で一番のターニングポイント。

    いま、読んでいる朝井リョウさんのエッセイ。
    最寄りの図書室で3冊借り、1冊目の『時をかけるゆとり』をもうすぐで読み終わるぞというところで目に止まった文章、朝井さんが小学生の時の自分を振り返り、自身の体験をこんな風に書いていました。

    そのころよく連れて行ってもらっていた隣の市の図書館は、まるで迷路のようだった。(略)本は、幼いころの私にとって、宇宙みたいなものだった。(略)そして、こんな宇宙を生み出すことのできる「小説家」たちは、(略)自分と同じように生きてはいない。「自分と違う生き物」なのだと、ずっと、そう信じて疑わなかった。

    朝井リョウ 著『時をかけるゆとり』       
    「直木賞を受賞し スかしたエッセイを書く」


    なんじゃ、このシンクロ!

    そうか。小学生って、みんなこんな感じだったのかな。そして、発動しがちな「違い」→「不安」自動変換システムの存在が怖い。大谷翔平さんは例外として…。

    いや、気づくのが早いか遅いか、一生気づかないか(笑)の違いなのかもしれない。

    「どんなに素晴らしい功績を残していても、所詮みんな同じ人間なのだ」ということに。

    私は、日々、”すれ違う見知らぬ人々を勝手に「〇〇仲間」と脳内変換して挨拶する”というミッションに高じている。

    以前、その事をnoteの記事にして投稿し、とある企画に応募したけど落選だったな…。

    『みんな地球に生きるひと』という題名の本を書いたのはアグネス・チャンさんだったか。

    所詮 人、所詮 生き物、所詮 地球生命体、所詮 銀河系に存在する仲間、所詮 この世の微粒子の集合体、所詮 …脳みそ限界乙。

    「みんなちがって、みんないい。」に抵抗がある人もいる。

    「みんなちがって」は事実。「いい」は価値観。
    「価値観」は「違ってもいい」。

    「いい」「悪い」ではなく、ただ当たり前に存在している。そう考えると、世界の見え方はちょっとだけ変わるかもしれない。


     
     
     

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    なにか忘れてる気がする。 なんだったかな…? 一所懸命、思い出してる最中です。 詩作 時々 子育て、のち 爆睡。 ◯ maaaru 青い空と3億人の白い母校 A SCHOOLHOUSE FOR ALL https://maaaru.org/

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