
重力に抗え、私の尻
大好きなミュージカルソングがある。
2025年に日本でも上映された『ウィキッド』の『Defying Gravity』。
直訳すると、「重力に抗う」。
その曲の中で主人公エルファバは、社会から貼られたラベルや権力に抗いながら、大空へ飛び立っていく。
一方、私はこの数年、別の重力に抗っている。
たるみである。
私はここ数年、筋トレを習慣にしている。
週3回、1日15分程度。
鍛える部位は、お腹、背中、二の腕、そして尻だ。
筋トレのきっかけは、29歳の秋。
当時付き合っていた男性のひと言だった。
「お尻、下がってきたね」
今思えば無礼極まりない発言である。
なお、その男性との縁はとっくに切れている。
今なら「そんな言葉、無視すればいい」と思う。
実際、友人たちもそう言ってくれた。
ただ当時の私は30歳目前。理由もなく急に焦ったのである。
他人の言葉で「自分の身体がどう見られているか」を意識したのも、あれが初めてだった。
「お尻が下がってきた」と言われたショックは大きかった。
とはいえ、ジムに通うほどでもない。
私は傷つきながら、コスパ良く尻を上げる方法を探していた。
YouTubeで「尻やせ」「ヒップリフト」と検索すると、フィットネス系YouTuberの動画が山ほど出てきた。
私はその中から、再生数の多い4分のヒップリフト動画を選んだ。
人間の脳はちょろい。
たった4分、動画を真似して身体を動かしただけで、「今日の私はちょっと偉い」という気分になれた。
たぶん、これがドーパミンなのだと思う。
尻の動画を見ているうちに、腹筋や背中の動画もおすすめ欄に流れてくる。
最初は尻だけだったのに、気づけばお腹痩せ、背中痩せ、脚痩せ……と手を広げ、家で1時間近く運動している日もあった。
その甲斐あってか、お尻は少し上がった。
いちばん変化がわかりやすかったのは腹筋で、筋トレを始めて2か月ほどで、お腹にうっすら11字の線が浮かんできた。
正直、自分の腹筋を見てほくそ笑んだことは何度かある。
女の身体には、年齢とか視線とか、「こうあるべき」がやたら降ってくる。
ウィキッドのエルファバみたいに肌が緑色じゃなくても、女は勝手にラベルを貼られる。
ただ、筋トレをしていると話すと、「ストイックすぎない?」と驚かれることがある。
「そのままでもいいじゃん」と言われたこともある。
「そのままでいい」も本当にそうだと思う。
でも私は、鍛えている自分も嫌いじゃない。
4分だけでも身体を動かした日は少し機嫌がいいし、腹筋に線が入れば普通に嬉しい。
元カレのひと言から始まったくせに、今も筋トレを続けているのは、もう私の意思だ。
これからは、自分の身体をどう扱うかくらい、自分で決めたい。
『Defying Gravity』のエルファバみたいに、私は社会の視線に抗って空を飛ぶわけじゃない。
せいぜい、仕事から帰って15分、YouTubeを見ながら尻を持ち上げている。
年齢を重ねていくと、今度は疲弊という重力も
年々強くなる。
疲れは翌日に残るし、ソファに座ると「今日はもういいか」と思ってしまう。
疲れている日のベッドは、もはや極楽浄土である。
それでも私は、今日も重力に抗っている。
スクワットをして
ヒップリフトをして、
重力に抗え、私の尻。