
幸せはひとりで見つける
私は数年前、境界性パーソナリティ障害(ボーダー)と病院で言われ、何年もカウンセリングに通って今は寛解して通院はやめている。
寛解したものの、やはり時々ボーダーの気質出てんなあ〜と自分で思うことがまだある。
それは、人に対して「なんでこんなことが出来ないの?」「なんでこうしてくれないの?」「こうなればいいのに」という思いが出る時だ。
みんなそれぞれ大なり小なり、こういう気持ちになることはあると思う。だがボーダーの場合、自分と他人の境界線が曖昧だから、より強くそれを思ってしまう。
「自分なら出来るのに」「自分ならこうするのに」「自分と同じ考えになればいいのに」と、他人と自分を同一視するから、期待して失望する。
だって当たり前に、自分と他人は違うから。
違う人生があるから。
なのでこういう時に、私は頭の中でこういうシュミレーションをしている。
まず、自分が今不満に思ったのは、本当に「必要」で思ったのか、それともただの「欲望」なのか。
本当に必要なら手に入れる努力や話し合いをする。
ただの欲望なら、一旦捨ておく。
そして更に、それは自分単独で手に入るのか、
それとも相手、関わる人の協力がないと成立しないのか。
自分だけで得られる事案ならそのまま進む。
相手、関わる人、周りの人、など他者を変えたり、その人がいないと無理な願いなら、一旦捨ておく。
他人には他人の人格、人生があるから、それを曲げなきゃ自分の幸せにならないなら、
その願いに執着してもそれは一生叶わず苦しみになる。
自分だけで成立する幸せに集中する方が、圧倒的にラクなのだ。
「他人が関わらなくても成り立つ私の幸せ」
のことに思いを馳せよう。
そしてそうしないと一生他者に執着して、悩み続けることになる。
「これがなきゃ幸せじゃない」「あの人がいないと幸せじゃない」「ああしてくれないと幸せじゃない」など、
人は、条件付きの幸せを求めようとするからそれが執着になる。自分で取りにくくしてるのだ。
過去の幸せだった自分と比べて今は幸せじゃない、とか、あの人はあんなに持ってるから幸せそうだけど、私には無いから幸せじゃないとか、親は立派なのに自分はあんな風になれてないから幸せじゃない。
そんな風に、何かと比べるのも執着になるからやめた方がいい。
執着を手放して、今あるもの、今の自分、で充分幸せだし満ち足りてる、と思う癖をつけると、
めちゃくちゃ心がラクになるし毎日「ふわぁ〜!今日も幸せだ〜!」となる。
「足るを知る」というやつだ。
そして「放てば手に満てり」だ。
欲しい欲しい!何かして欲しい!変わって欲しい!
ぐぎいい!
と思ったこそ、
「与える」にシフトチェンジするといいと思う。
物でもいいけど、優しい気持ちとか、大切にするとか、ありがとうって言うとか、褒めてみるとか、
貰うことばかり考えるのではなく、外へ放ってみよう〜っとすると、不思議とぐるっと回って手の中が満ちていることがある。
まだまだ私もメンタルの修行中ではあるので、時折乱れるけれど、この考え方で、時間はかかっても自分で軌道修正できるようになった。
悟りまでは遠いけど、日々起こることが全部学びになっているとは思うので、
数年後は悟りに近づいて体が金色になっているはずと信じて進みます。
街で金色の人を見つけたらそれが私です。