
本当の希望は、自然から教わった
数年前、栽培していたトルコギキョウを全滅させたことがあります。
植え付けたあと、苗はほとんど成長しませんでした。毎朝ハウスに入り、葉の色を見て、水を確認し、土を触りました。それでも、花たちは少しずつ弱っていきました。
もちろん、収入面での痛みもあります。けれど、それ以上にこたえたのは、自分がトルコギキョウの声を聞きながら、何もできなかったことでした。農家としての力のなさを、畑の前で突きつけられているようでした。
しばらく、何も言えませんでした。
栽培が終わり、畑を片づけ、土を戻し、緑肥の種をまきました。
数日後の朝、ハウスに入ると、土だけの景色に戻った畑で、小さな緑が顔を出していました。緑肥の新芽です。土の粒の間から、遠慮がちに、でも確かに頭を上げていました。
その新芽を見た瞬間、不思議な気持ちになりました。
「次は、もう少しうまくできるかもしれない。」
根拠はありません。
それでも、数日前まで沈んでいた気持ちが、少しだけ前を向いていました。まるで、一つのサーカスが終わり、新しい場所で、次のサーカスが始まるように、夢から夢へと流れているようにリセットされていたのです。
そして実際、その翌年から、私は少しずつ栽培を立て直すことができました。
あのとき、絶望していた私を少しだけ前に押し出してくれたものは、何だったのでしょうか。
単に、人間は忘れやすいからでしょうか。
景色が変わると、痛みの記憶も少し薄れるからでしょうか。
その答えは、繰り返す季節のリズムの中にありました。
希望は、自分の心の中から生まれていたのではありません。
自然が毎年見せてくれる循環から、私は少しずつ受け取っていたのです。
花は終わっても、土は終わりません。土の中では、根や葉が分解され、微生物が働き始めます。その営みは、やがて次の花を育てる力になります。
自然には、そもそも「終わり」という出来事がないのかもしれません。姿を変えながら、次へつながっていくだけです。
栽培の失敗は、人間の時間の中では大きな出来事です。畑の前に立てば、もちろん絶望も感じます。
でも、自然の循環は、私の落ち込みとは別の命の歯車の中で、静かに次の秒針を刻んでいます。新芽は、循環のシンボルです。土の中で静かに始まった「新しいパーティ」の、最初の号令のようなものです。
すごいな、と思います。
自然の時間と空間は。
農業を続ける中で、私が自然から教わった一番大きなこと。
それは、終わりは消えることではなく、次の始まりへ姿を変えることでした。