メインコンテンツへスキップ
見出し画像

未来は、あの一歩目の中にあった

    未来がなかった理由

    54歳になって、やっと夢ができた。

    「野生のホッキョクグマに会いに行く。」

    笑わないでほしい。
    私は今まで、「将来の夢を書きましょう」という紙を、ほとんど白紙で出してきた人間だ。
    夢がなかったんじゃない。
    未来がなかった。
    未来という言葉は知っていた。でも、その未来に自分がいる感覚だけが、どうしても分からなかった。
    「十年後の自分を想像してください。」
    そう言われても、「その時になってみないと分からないじゃん」としか思えなかった。
    その時が本当に来るとも思っていなかった。

    だから、勉強する意味も分からない。努力する意味も分からない。貯金する意味も分からない。
    私は五十四年間、今日を終わらせることだけを考えて生きてきた。

    そんな私が今、お金を貯めている。
    英語を勉強しようとしている。
    歩いて体力をつけようとしている。

    全部、「ホッキョクグマに会いたい」という気持ちから始まった。
    たった一つの「会いたい」が、私の中へ未来を連れてきた。
    自分でも不思議だ。

    でも、どうして私は54年間も未来を思い描けなかったんだろう。
    そう考えると、いつも最初に浮かぶ景色がある。

    保育園の砂場だ。
    私の一番古い記憶は、砂の感触だった。
    ある日はひんやりしていて、ある日は太陽に温められて、むぉんっと生ぬるい。

    何を話せばいいのか分からなかった。
    どうやって友達になるのかも分からなかった。
    だから砂を触っていた。

    向かいには、同じように黙って砂を触る女の子がいた。
    一言も話さない。
    でも気がつくと、二人で一つの砂山を作っていた。
    それで十分だった。

    ところが、ふと顔を上げると、そこには別の世界があった。
    元気に走り回る子。
    大きな声で笑う子。
    追いかけっこをする子。
    私は、その世界の入り方が最後まで分からなかった。

    「私なんか見つからないほうがいい」そう思っていた。

    そんなある日、蟻の行列を見つけた。
    一匹の蟻がもう一匹と出会った瞬間、二匹とも前足をものすごい速さで動かし始めた。

    私には聞こえた。
    「キャキョピュぴょきっちょぺっぴ!」
    高い声で、ものすごい早口。絶対にしゃべっている。そう思った。

    私は人間で、蟻は蟻。姿は全然違う。でも、同じ世界を生きている。
    「あ、えっちゃん(私)と同じだ。」そう感じて、それだけで胸がぽっと温かくなった。


    夕方になると、私はブランコに乗って母を待った。
    キィ、キィ、と鎖が鳴る。
    風が頬を通り過ぎる。
    どこかの家からカレーの匂いが流れてくる。
    私はあの時間が好きだった。

    ところが、小学一年生のある日、友達が言った。
    「えっちゃんは不良だから、お誕生日会に呼んじゃダメって〇〇ちゃんのお母さんが言ってたよ。」

    え?
    私は何をしたの?
    ママの帰りを待っていただけだよ。。

    その日初めて知った。
    私が気持ちいいと思っていた時間を、誰かは「かわいそう」と見ていた。
    そして、その誰かの見方が、少しずつ私自身の見方になっていった。

    あの日からだった。
    私は、自分がどう思うかより、人からどう見えるかを気にするようになった。


    家には誰もいない時間が多かった。
    ある日、お腹が空いた。
    引き出しを開けると、一万円札があった。私はそれを、お菓子が買える紙だと思った。二枚持って外へ出た。
    いつも遊んでくれる近所の男の子に、一枚渡した。
    「はい。」
    それから駄菓子屋さんへ行って、お菓子を買った。おばちゃんがお釣りを渡してくれた。私は目を丸くした。
    「増えてる!」
    お金って増えるんだ。私は本気でそう思った。

    でも、その日の夜。
    母が文房具屋のおばちゃんに何度も頭を下げていた。私は、その背中だけを覚えている。

    父も母も私を怒らなかった。誰も責めなかった。
    でも、その夜、私は自分で自分に言った。
    「私はダメな子なんだ。」
    私は失敗したんじゃない。私自身が失敗なんだと思った。

    それから何かあるたびに、「私は何をしたんだろう」ではなく、「やっぱり私だからだ」そう思うようになった。


    しばらくして、ガチャガチャのお釣りを見た。また思った。
    「あれ、増えてる。」
    その瞬間、向こうから大人が歩いてくるのが見えた。私は走った。
    道路脇のドブまで走って、握っていた小銭を全部落とした。
    じゃら、じゃら、じゃら。
    小さな音を立てて沈んでいく十円玉を見ながら、私は少しだけ安心した。

    今なら分かる。
    あのとき私が捨てたのは十円玉じゃない。

    「私は悪い子じゃない。」
    そう言えなかった、小さな私だった。

    自分をとにかく否定して、誰かに文句や嫌味や馬鹿にされないように
    先に自分を馬鹿にして下に落として、傷つくのを受け身で守っていた。

    自分のやることなすこと、すべて価値のないことだと思い込んでいた。

    そのあとも人生はいろいろあった。
    自己破産もした。離婚もした。あれもこれもたくさんした。
    人生がひっくり返ることも、一度じゃなかった。

    でも、そのたびに私は未来を考えたわけじゃない。

    今日を終わらせる。明日を乗り切る。
    それだけだった。

    だから54歳になるまで、夢は一つもなかった。

    いや、違う。
    夢を書けなかったんじゃない。
    未来を書くことができなかったのだ。


    世界が広がった日

    そんな私にも、一つだけ好きなことがあった。
    絵を描くことだ。
    理由なんてなかった。ただ、描きたかった。
    不思議なことに、絵を描くときだけは、自分の感覚を100%信じられた。
    どんなに下手くそでも、自分の描いた絵が大好きで、お気に入りで、「私って天才!」と純粋に思えた。
    そこだけが、私の世界で唯一、誰にも侵されない聖域だったから、ずっと描き続けていた。

    お金もかからないからと、ずっと水彩絵の具だけを持って。
    動物の写真を見て、その動物の姿や、目から溢れる命の勢いに感動すると、
    その子が描きたくて、動物の絵をたくさん描いた。

    描き続けていくうちに、水彩画ではなく、重ね塗りができて厚みと深みが表現できる「アクリル絵の具」にデビューした。
    その一作目が、たまたまホッキョクグマだった。

    仕事の空き時間に、チビチビと三ヶ月かけて描き上げた。
    三ヶ月ずっと、同じホッキョクグマの写真と、自分の絵を見つめ、対話し続けていた。
    そうしたら、心の中から一つの言葉が浮かんだ。

    「本物に会いたい。」

    私は東山動物園へ向かった。そこにホッキョクグマのフブキがいた。

    初めて見たとき、フブキは室内の狭い場所にいて、同じリズムと同じ格好で、
    何度も何度も、ずっと行ったり来たりしていた。

    大きい身体に驚いたと同時に、その行動に胸が詰まって、見ていられなかった。
    なんなら、涙すら出そうになって、私は一度その場を離れたほどだった。

    「かわいそう。」
    そう思った。

    でも、その瞬間だった。

    待って。
    私は今、何を見ているんだろう。

    私は、フブキを見ているんじゃない。
    「かわいそう」という、自分の考えを見ているだけじゃないか。

    そのとき、子どもの頃のブランコが浮かんだ。
    母を待っていた、あの夕方。
    私は風が好きだった。
    ブランコが好きだった。
    カレーの匂いも好きだった。
    でも、大人は私を見て「かわいそう」と言った。
    私は違った。

    なのに今度は私が、フブキを勝手に「かわいそう」にしていた。

    フブキは何も言っていない。ただ、生きていた。

    またしばらくして戻ると、次は外に出ていた。
    フブキが大きな身体で水へ飛び込む。
    その姿を見ていたら、ただただ、自然とそのすべての雰囲気に魅了されてしまい、心の中にズッポリと入ってきた。

    水の中の彼は、驚くほど静かだった。ただ、一頭の命がそこにあった。

    私がシロクマに恋をした理由

    それから私は、ホッキョクグマのことを調べ始めた。
    ホッキョクグマを調べる。すると北極が出てくる。
    北極を調べる。すると海氷が出てくる。
    海氷を調べる。すると地球温暖化、風、海流、地球が出てくる。

    そうして彼らの情報を知れば知るほど、見た目が可愛いからだけではなく、その生き様そのものに魅了されていった。

    野生のホッキョクグマが生きる北極の環境は、本当に厳しい。
    マイナス数十度の極寒、獲物に出会えない飢え、牙を剥く大自然の厳しさ。
    彼らは常に、生と死の境界線にいる。

    その環境の中で、誰の目も気にせず、
    ただ「今」を生ききっている姿を見たとき、私はそこに自分を重ね合わせていた。

    誰かに何かを言われないように自分を責め、
    今日を終わらせるためだけに必死に生き抜いてきた私の54年間。

    形は違えど、私もあの厳しい環境のシロクマのように、必死に命を繋いできたんじゃないか、と。

    知れば知るほど、知らないことが増えていく。
    54年間、私の世界は私の頭の中だけだった。
    「私はダメだ」「私は人と違う」「私はちゃんとできない」
    その狭い部屋の中で、何十年も同じことを考え続けていた。

    でも地球は、そんな私のことなんて知らない。
    北極では今日も風が吹いている。海は流れている。ホッキョクグマは歩いている。

    私が泣いていた日も。笑っていた日も。自己破産した日も。離婚した日も。世界は止まらなかった。

    世界は私の苦しみだけでできているわけじゃない。
    私の外側には、こんなにも大きな世界が広がっていた。

    そんなことを考えていたら、日本にいるシロクマもだけど、
    北極の厳しい環境に身を置く野生のホッキョクグマを、
    その姿も環境も、体感として私も感じてみたくなった。

    現実を見れば、問題はたくさんある。

    地球温暖化問題、絶滅危惧種問題、そして自分のお金の問題、体力の問題。
    正直、私にはあまり時間がない。焦りもある。

    でも、いい感じだ。

    「いってみたい」という夢や目標、希望になった瞬間、
    私の中から54年間味わったことのないような活力や気持ちが湧いてくるのだ。
    時間がないから諦めるのではない。
    時間がないからこそ、今が愛おしい。

    お金を貯めよう。英語を勉強しよう。歩こう。仕事を頑張ろう。もっと絵を描こう。

    54年間、一度も続かなかったことが、少しずつ続くようになった。
    全部、「会いたい」から始まっているようだ。

    ホッキョクグマの今日を生きている
    その姿を見ていたら、思えた。

    私も今日まで生きてきたんだ。
    砂場で砂を触っていた私も。ブランコで母を待っていた私も。一万円札を握りしめていた私も。ドブへ十円玉を捨てた私も。全部、ちゃんと今日までつながっていた。どれか一つ欠けていたら、今の私はいない。

    これからの残りの人生は、誰のためでもない、自分のために使いたい。
    自分の「好き」を、
    行きたいという「目標」を、
    自分の「感覚」を信じて、自分を大切に日々を過ごしてみたい。

    未来ってどこにあるの?

    昔の私は、本気でそう思っていた。
    でも今なら分かる。
    未来は遠くにあるものじゃなかった。

    「会いたい」そう思えた日の中にあった。

    未来は、北極にあるんじゃない。
    朝、目を開けて、
    「今日は何をしよう。今日は何を描こう。」
    そう思えた、その一歩目の中にあった。

    私は今日も歩く。
    野生のホッキョクグマに会う、その日のために。

    そしてたぶん、本当に会いたかったのはホッキョクグマだけじゃないようだ。

    54年間、未来を信じられなかった私自身に。
    ようやく、会えたんだな。

    #創作大賞2026
    #エッセイ部門

     
     
    54歳。 ようやく自分と遊ぶ楽しさを知っちゃいまして 仕事して、絵を描いて、車を走らせて、 シロクマに恋してます。 夢はカナダで野生のホッキョクグマに会うこと。 間に合うかな。でも、やってみたい。

    あなたへのおすすめ