
【完結済】世界を説得する魔法:あるいは、人格融解を拒むノイズについて 観測記録II : ハインリヒ・フォン・ローゼンベルクという人間
ハインリヒが生を受けたのは、名門 ローゼンベルク家。数多の軍人を輩出し、祖父や父もまた、軍人だ。
彼らの多くは非常に優秀という評価を受けており、勲章を受けたのも1度2度ではない。
母も祖母も、「お父様とおじい様は素晴らしい人よ」と言った。二人のようになりなさい、とも。
その素晴らしい父に、母は召使いのように仕えた。
肉の1番美味しいところは父、1番暖かい部屋は父。仕事から帰った父の肩を揉み、空になったジョッキにはすぐにビールを注ぐ。父の一声で、夕食は豪華になった。
父が武勲を立てると、母は自分の事のように喜び、誇らしげに子供たちに語って聞かせるのだった。
「わきまえなさい」が父の口癖で、最も「わきまえている」のは母だと思った。
この母の姿は、ハインリヒの心に深く刻まれた。
15歳を迎えると、家族の期待に背を押されて、ハインリヒは軍学校に入学した。
当時のハインリヒは同年代の中では体が小さく、筋肉も少なかった。
声変わりをしたにも関わらずやや甲高い声を持つ彼は、入学直後から度々同級生にからかわれた。筆頭は彼より低い家柄の人間だった。
(俺より身分が低いくせに)
軍学校では、規律の元に身分に関係なく平等に扱われる。そのため家柄にコンプレックスのある彼らは、外では絶対にできない難癖をつけてくる。敬われたければ、軍の中で通用する「力」を得なくては。
からかわれた記憶、その恥辱を噛み締めながら、ハインリヒは「力」を得るために何をすべきかを一つ一つ考えて、ノートにリストを作り上げた。ノート作りは監督生の目を盗み、夜中まで続いた。
翌日からハインリヒは死ぬほどの努力をした。朝と夕は体力づくりの走り込み。日中は授業の合間、図書室にこもって勉学に励んだ。休日は魔法の鍛錬。トレーニングを始めてほどなくして、彼の体躯は驚異的な発育を遂げた。1年の間に身長は10cm以上伸びた。時々成長痛と筋肉痛が訪れたが、それさえもハインリヒにとっては福音だった。自分をからかう同級生たちを、短期間で体力的にも知力的にも追い越したとき、誰も彼をからかうことをしなくなっていた。
からかわれなくなってからも、ハインリヒの努力は続いた。そして努力すればするほど、それは結果となって表れた。教師からも一目置かれ、同級生だけでなく上級生からも声をかけられるようになった。彼の強い意志と、積み重ねられた努力をたたえて、「鉄のハインリヒ(アイゼルナー・ハインリヒ)」と呼ばれるようになった。
「よおアイゼルナー」
「おはようございます、先輩」
「下級生をしごいてやってくれよ。あいつら休暇明けで弛んでるんだ」
こうして頼られることも、最早日常になっていた。
(ここには、居場所がある)
上級生となり、規律を下級生に示す立場となってから、ますますその思いは強くなった。
軍学校の明瞭なランク付けの体制は、ハインリヒにとっては心地よく、分かりやすかった。軍学校では座学や実習の成績が、定期的に壁に張り出された。誰が上で誰が下かが一目でわかったし、そのランクに応じて次の張り出しが行われるまで、生徒たちはランクを意識して振舞った。
上級生になると、認知魔法の訓練が増えた。近代魔法史では、認知魔法による兵器の大幅な性能アップと、訓練不十分による精神汚染の弊害について習った。生徒たちは専用の個室で、瞑想の鍛錬に励んだ。実習では屋外の訓練場で、教官の号令に従って同期を行い兵器を使用した。人間と同じくらいのサイズの魔導砲は生徒たちの興奮を誘ったが、同期は一筋縄ではいかなかった。訓練も大して受けていない生徒たちの認知は中々まとまらず、結果魔導砲はそのサイズに似合わない、小さな衝撃波を放って終わった。
「実戦では速やかな同期が求められる。各自鍛錬に励め」
教官の声を聞きながら、ハインリヒは周囲の生徒の顔を見回した。明らかにテンポを乱していた生徒は、庶民出身のものが多かった。彼らから流れてくるノイズは、彼ら自身だけではなく、ハインリヒや他の者の集中を乱し、全体の乱れへとつながっていると感じた。
家柄の高い子供たちは、幼いころから家族や家庭教師から、同期の重要性を学び、実際に行ったり、同期の精度に寄与する瞑想を行っていく。また自らの家系の歴史について学ぶことが多くあり、それが自己境界の定義へとつながる傾向にあった。つまり幼いころからの精神的な教育が、同期の精度に寄与するのだ。
(やはり血統は重要だ)
軍学校のシステムの平等さとは裏腹に、ハインリヒは半ば確信に近いものを得ていた。
18歳になった年に、実践演習があった。森の中に作られた基地にそれぞれ数名の生徒が配属され、相手の基地を制圧した方が勝利だ。基地と言っても、古びた家屋を利用したものでボロボロの壁からはカビの匂いがした。
各基地には小隊が複数所属する。ハインリヒは成績上位者として、小隊長を拝命した。同じ基地に配属された小隊3つ分の生徒たちは約15名ほどで、戦闘が苦手なメンバーや銃の成績が悪いメンバーもいた。接近戦でも戦えそうな人間は、ハインリヒを含めて5名ほど。戦闘が苦手なグループの士気は明らかに低かった。
「森は広くない。総員でかかって制圧した方がいい、スピード感が大事だ」
ハインリヒと同じく成績上位者のカールが言った。彼は体格にとても恵まれており、近接戦闘ではほぼ敵が居ないだろう。
「いや、この実習では生存率を見られる。突撃して死者が多数出ると、勝ったとしても評価は低い」
ハインリヒはそう言って、森の地図を出した。大まかな基地の場所は知らされている。
カールが近接戦闘で勝利しても、他のメンバーがやられてしまう可能性が高いならコストが高い。できるだけ身内を守りながら、敵を制圧することが理想だ。
「ヨハン、マティアス。君たちは遠距離狙撃が得意だったな。防衛を頼めるか。それからフリードリヒ、君…こないだ罠に関する本を読んでいなかったか?今あるものや森の素材で作れるか?」
「で、できるけど…1人だと沢山は作れないよ」
「他のメンバーにも教えてやってくれ。ルーカスは手先が器用だから向いてると思う」
初めはおどおどしていたものたちも、ハインリヒに振られて己の役割が定まったことで落ち着いたようだった。それぞれの武器や道具を確認する中、カールが顔を上げて言った。
「じゃあハインリヒ、君に指揮を任せていいか?君の合図で突撃しよう」
「ああ」
ハインリヒは頷いた。
演習後、教官はハインリヒたちの隊に向かうと腕を組んだ。
「なぜ全員でかからなかった?相手の基地までは遠くない。戦力を分散せず全員でかかるという道もあったと思うが」
ハインリヒは教官の目を見据え、答えた。
「演習とはいえ、慣れていないメンバーもいました。覚悟の強さが勝負に影響する。得意分野を最も活かせる役割を考えました」
教官は目を閉じて、少ししてもう一度ハインリヒの隊を見回した。誰1人、ペイント弾を浴びていなかった。
「お前たちは宿舎に戻っていい。負けた隊は片付けにかかれ。」
ハインリヒはメンバーと顔を見合せて、そして足早に宿舎への道を歩き出した。静かな高揚感があった。
ハインリヒは22歳で軍学校を卒業すると、そのまま軍に入隊した。少尉を任官し、補佐についたのは45歳の軍曹 クラウスだった。クラウスは長身となったハインリヒを超える大柄な男で、声は地響きのように太かった。
「少尉、その作戦では部下は死にます」
「しかし教本では…」
「教本は戦地では開けません」
無駄のない職人のような喋り方で、会って間もない頃は威圧に屈しそうになった。クラウスの方も、ハインリヒを「現場を知らない若造」と考えているのが透けて見えた。
国境紛争、治安維持作戦、暴動鎮圧。2人は部隊と共に、各地を回った。ハインリヒが立てた作戦を、クラウスが修正する。徐々に2人の呼吸は合い始め、作戦の修正は減っていった。夜な夜な過去の報告書を読んで実戦を学ぶハインリヒに、クラウスは何も言わなかったが、少しずつ歩み寄ると決めたらしかった。ハインリヒも、クラウスの無駄のない合理的な作戦には感銘を受け、クラウスの提案の意図を汲みながら二人で戦績を積んで行った。
そうして2年が経つ頃、ハインリヒは中尉へ昇進した。その頃になると、クラウスとは訓練後に飲みに行く間柄となっていた。クラウスは大酒飲みで、ビールをしこたま飲んでは、感情的に泣き出すこともあった。普段の姿とはかけ離れていたが、ハインリヒは気にしなかった。
「息子が軍に入ったが、訓練中の事故で無くなったんだ」
「それは…気の毒だったな」
「丁度あんたくらいの年齢さ」
ある日酒に酔ってクラウスはそう告げた。ハインリヒは驚かなかった。時々現れるクラウスの気遣いや、間違えさせては指摘する父のような指導は、恐らく息子を重ねていたのだろうと思った。
「あんたは死なないでくれよ、中尉」
「君もな」
その時一緒に飲んだバーでかかっていたBGMは、ハインリヒの脳裏に鮮明に焼き付いた。帰り道に肩を組んだクラウスの筋肉の硬さも。
またこんな風に酒を酌み交わせると、信じて疑わなかった。
数ヶ月後、ハインリヒの手元には部下の辞令が届いた。開けてみると、クラウスを他の隊に異動させる旨の記載があった。
「変な時期の異動ですね」
「ああ…しかもこの隊、知らない将校だ」
「まぁ、あなたの下について2年ほど経ちますから。異動でもおかしくはありません」
クラウスは普段通りの顔をして言った。クラウスのように優秀な軍曹が抜けるのは痛手だと思ったが、辞令は覆せない。
「お別れ会は盛大にやろう」
「ビールは控えておきます、最後にチームに恥は晒せませんので」
クラウスは真顔でそう言った。その見慣れた顔がいなくなるのは素直に残念だと思った。
お別れ会から3ヶ月経った。
ハインリヒは昼食の後、たまたま見かけた掲示板に貼られた内部ニュースにくぎ付けになった。そこには、死亡者としてクラウスの名前があった。急速に体の力が抜け、その記事以外が視界からぼやけた。そのとき、彼のことを父のように慕っていたのだと、遅れて自覚した。思わず掲示板からその記事を取って、持ち帰った。部屋で何度も読み返した。
クラウスが送られたのは、近頃内戦が苛烈になったと報道された某国だった。ハインリヒがいる本国からはかなりの距離があり、なぜクラウスがわざわざその作戦に召集されたのか不思議だった。
軍にいる以上、誰にでもこうなる可能性はあったと思った。同時に、クラウスの辞令に抗う道もあったのではないかと考えて、夜も満足に眠れない日が続いた。
1週間後、自分と同じようにクラウスに世話をされていたチームメンバーの1人であるルドルフから、時間を取ってくれないかと連絡がきた。二人で、クラウスと飲んだあのバーに向かって、カウンター席についた。ルドルフの顔色は、バーの薄暗い照明に照らされてなお悪かった。
「クラウスさんの隊、新人の将校だったみたいで」
「新人?あの地域で?」
ルドルフは、軍の広報機関に友人が居ると前置きして、小声で話し始めた。新人将校は名門の出身であり、出来るだけ早く箔をつけさせようと軍の内部で暗黙の取り決めがあったらしかった。
「作戦も結構めちゃくちゃで…でも、集められたメンバーは腕利きだったらしくて、かなり持ちこたえたそうなんです」
「…そう、だろうな」
ハインリヒには、クラウスが負けるイメージが湧かなかった。深い経験に裏打ちされた先読みの力と、複雑な作戦でも実行出来るスキルを彼は兼ね備えていた。
「結局限界が来て…でも、その将校は責任を取らず、次の作戦の人員を集めているって」
「…何…?」
「俺、声がかかったらどうしようって。それでハインリヒさんに相談したくて」
ルドルフは顔を両手で覆った。彼もまた、ここ数年で経験を重ねて優秀な兵となっていた。ただ、クラウスでさえ死んだ、という事実が彼の重圧になっているようだった。
ハインリヒはルドルフを宥め、落ち着かせるための酒を勧めながら、気持ちの一部はそこから遠く離れていくような感覚がした。
クラウスは、貴族の将校の使い捨てのコマにされた。
そう考えると、腹の底がカッと熱くなった。その将校の名前を詳しく調べようとして、やめた。調べたところで、復讐をしたとしても、クラウスが戻る訳でもないとハインリヒは理解していた。それよりも、彼にはやらなければならない事があった。彼は自宅に帰ると、改めてノートを引っ張り出した。軍学校で書いていた、自分が上に行くためにやることを整理したノート。次のページは白紙となっていた。
彼は万年筆を持った。この万年筆は、中尉に上がった時にクラウスが贈ってくれたものだ。「安物ですが」と言った仏頂面が頭をよぎった。
どうすれば二度とクラウスのような犠牲を出さずに済むか。どうすれば仲間を死に追いやらずに済むか。優秀なものが死に、無能が生き残ることがあってはならない。
能力は必要不可欠だ。能力がないものは、犠牲を産む。クラウスのように。
では血統は必要無いのだろうか。いや、血統も重要だ。軍学校で学んだ認知魔法も同じだった。精神の土台は幼少期の教育に大きく左右される。そしてその教育は、家庭環境や家系の文化と切り離せない。
そして最も重要なのが、責任を背負う覚悟、仲間を見捨てない誇り。それらは一朝一夕で身につくものではなかった。家庭や伝統の中で育まれ、長い年月をかけて受け継がれるものだ。
つまり、血統と、能力を併せ持つものこそが、上に立つべきである。そして新たな犠牲を出さないためには、それがただの組織ではなく、社会の秩序として成立する必要がある。
ハインリヒはその日、ノートに記した理想の社会を実現するため邁進すると決めた。
決めたことは、やり切るのが彼だ。