31歳、いまだに「ちゃんとした大人」になれていない
31歳になったけれど…
31歳。
数字だけ見ると、もう立派な大人である。
子どもの頃の私が想像していた31歳は、もっとしっかりしていた。
仕事もできて、家事も完璧で、お金のこともちゃんと考えていて、自分の人生についてもある程度の答えを持っている。
何が起きても慌てず、落ち着いていて、人生経験豊富で。
「大人って、こういうものなんだろうな」と思っていた。
でも、実際に31歳になってみると。
全然そんなことない。
朝から「今日何食べようかな」と考えているし、可愛い服を見つけたら普通にテンションが上がる。
好きな人ができれば、相手からの一言で一喜一憂する。
新しい趣味を見つければ、学生みたいに夢中になる。
本が出版されることになったら、嬉しくて何度もAmazonを確認してしまう。
そして夜になれば、
「明日のnote、何書こうかな」
なんて考えている。
……あれ?
私、31歳だよね?
もっとこう、人生を達観している予定だったんだけど。
「ちゃんとした大人」って、どこにいるんだろう
思えば私はずっと、「ちゃんとした大人」になろうとしていた気がする。
ちゃんと働く。
ちゃんと家事をする。
ちゃんと人付き合いをする。
ちゃんと母親をする。
ちゃんとお金を管理する。
ちゃんと将来のことを考える。
「ちゃんとしなきゃ」と思うことばかり増えていった。
でも、何をどこまでできたら「ちゃんとした大人」なのかは、誰も教えてくれない。
仕事ができたら?
結婚したら?
子どもを産んだら?
家を買ったら?
自分で自分の機嫌を取れるようになったら?
じゃあ、それを全部できた人は「ちゃんとした大人」なのだろうか。
その人だって、夜中に突然不安になったり、くだらないことで落ち込んだり、誰かに褒めてもらいたくなったりするかもしれない。
たぶん、大人になったからといって、人間そのものが完成するわけじゃない。
大人になっても、私は私だった
子どもの頃は、大人になることを「完成すること」だと思っていた。
子どもは未完成。
大人は完成品。
そんなイメージがどこかにあった。
でも31歳になってみて分かった。
大人になっても、私はずっと私だった。
迷うし、失敗する。
傷つくし、嫉妬もする。
新しいことを始めるのは怖い。
誰かに好かれたら嬉しいし、嫌われたら悲しい。
自信がある日もあれば、自分が嫌になる日もある。
昔の私は、そういう部分を「大人になればなくなるもの」だと思っていた。
でも、なくならなかった。
そして今は、それでいいんじゃないかと思っている。
「ちゃんとしていない自分」を許したい
もしかすると、「ちゃんとした大人になる」という目標そのものが、少し違ったのかもしれない。
完璧になることではなくて。
迷いながらでも、自分の人生を選んでいくこと。
失敗したら、また考えること。
分からないことがあったら、「分からない」と言えること。
自分の好きなものを、年齢や立場を理由に諦めないこと。
そういうことのほうが、よっぽど大人なのかもしれない。
31歳になった私は、まだまだ分からないことだらけだ。
これから何をするのかも分からない。
どんな仕事をするのかも分からない。
noteをいつまで続けるのかも分からない。
本を書くことが、この先どうなっていくのかも分からない。
それでも最近は、少しだけ思う。
「分からないまま生きていても、別にいいんじゃない?」
子どもの頃に想像していた「大人」にはなれなかった。
でも、今の私は、今の私なりにちゃんと生きている。
31歳。
いまだに「ちゃんとした大人」にはなれていない。
たぶん、これからもなれない。
でも、それくらいでちょうどいいのかもしれない。
だって人生って、完成させるものじゃなくて、死ぬまで少しずつ更新していくものなのだから。
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