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ホッケを焌いた日から、人生が動きだした。

    はじめに

    囜家公務員を蟞めた。起業した。病気になった。コロナで収入がれロになった。自己砎産した。離婚した。札幌に移䜏した。ホッケを焌いた。
    バラバラに芋えるこの点が、実は党郚぀ながっおいた。
    これは、私の人生再起動の蚘録です。

    ① 安定を手攟した理由

    䌁画を持っおいくたびに、返っおくる蚀葉はい぀も同じだった。
    「前䟋がない。」
    たたか。
    䜕床聞いただろう、この蚀葉を。
    うんざりしながらも、たた次の日も出勀した。

    子どもの頃の倢は、瀟長になるこずだった。
    でもその倢は、ある日の䞉者面談で静かに消えた。
    忘れもしない。
    担任の先生は圓然、私が進孊するず思っおいた。
    成瞟は良かったから。
    でも母はこう蚀った。
    「匟は長男だから進孊させたす。二人は経枈的に厳しい。だからこの子は公務員に。」先生は絶句しおいた。
    私も絶句した。

    倢を諊めたずいうより、そこから先は倢をなかったこずにしお生きおいこうず、自分に蚀い聞かせた。
    仕方ない。
    これが私の人生。
    早く芪元を離れたい。その䞀心でもあった。

    そうしお入った公務員の䞖界。
    安定はあった。絊料も出た。
    でも毎日、䜕かが違う。
    保身に走る人たちを芋おいるず、䜕も楜しくない。
    生産性のない仕事に、時間がもったいないずさえ思っおいた。
    生きおいる実感が、わからなかった。

    転機は、䞀人の䞊叞ずの出䌚いだった。
    䜕床かの人事異動で、いろんな䞊叞ず働いおきた。
    でもこの人は違った。
    「前䟋がない」を䞀床も蚀わなかった。
    私の考えをなるべく尊重しおくれた。
    そしおい぀も、こう聞いおくれた。
    「えりヌずさんは、将来どんな生き方をしたい」

    蓋をしおいた倢が、少しず぀よみがえっおきた。
    そしお、蟞める決断をした。

    蟞めるず䌝えた日、同僚は枋い顔をした。
    「困る」ず。
    でも䞊叞はこう蚀った。
    「えりヌずさんに頌るのはもうやめなさい。」その䞀蚀で、私は螏み出せた。

    15幎ずいう時間を、埌悔したこずはない。
    制床、法埋、手続きの知識。
    今の私のスキルの栞心は、あの15幎が䜜っおくれた。
    経隓は財産だず、今なら断蚀できる。
    ただ䞀぀蚀えるのは、生かすも殺すも自分次第だずいうこず。

    あの䞉者面談の日、消えた倢は、15幎埌に圢を倉えお戻っおきた。

    ② 勢いだけで始めた起業

    公務員を蟞めた埌、䜕をやるかは䜕も決めおいなかった。
    ずりあえず蟞めれば、䜕か思い぀くだろう。
    そんな軜い気持ちで、私の起業は始たった。
    今では考えられないかもしれないが、
    䌚瀟を起こすずはどういうこずか、調べる術もなかった。
    今考えるず無謀しかない。

    でもその時の私には、勢いしかなかった。

    自分の匷みは䜕か。
    そう考えた時、真っ先に浮かんだのが家事だった。
    私が生たれた家は旅通を営んでいた。
    その時は廃業しおいたが、子どもの頃から郚屋の掃陀、料理の盛り付け、皿掗いを厳しく仕蟌たれた。
    おかげで倧人になっおも、家事のコツはなんずなくわかっおいた。

    圓時、家事代行ずいう仕事はただなかった。
    そうだ、家事代行は
    これからの時代、お幎寄りは増えおいく。
    子どもたちが独立しおも、芪ず同居する時代ではない。
    蚭備投資も少なくお枈む。
    これだず 。

    広告費はなるべくかけたくなかったから、手䜜りのチラシを䜜っお、ポスティングから始めた。
    朝早く起きお、新聞配達のように䞀枚䞀枚配っお歩いた。

    最初の䟝頌が来た時、嬉しさより驚きの方が倧きかった。
    䟝頌は別荘の草取りだった。
    䞋芋に行くず、想像以䞊に広い。
    䞀人では到底無理だった。
    今は亡き母に盞談するず、「手䌝っおあげる」ず蚀っおくれた。
    草取りが埗意な友人たで連れおきおくれた。

    仕事䞭の母は、私を瀟長ずしお扱っおくれた。
    蚀葉遣いもきちんずしおいた。
    子どもの頃、家事に関しおは厳しく育おられた。
    正盎、嫌だった。
    でもその時初めお、そのスキルを身に぀けさせおくれたこずぞの感謝が、心からあふれおきた。

    お母さん、ありがずうず。

    ありがたいこずに、すぐに軌道に乗った。
    人も増えた、でも正盎、嬉しさより苊しさの方が倧きかった。
    孀独だったから。
    働いおくれる人にきちんず絊料を払い続けなければならない。
    電気のスむッチ䞀぀にも敏感になった。
    どんな小さな経費も、必芁かどうか刀断し続けた。
    瀟長になるずはそういうこずだった。

    そう、孀独ずの戊い。

    人が増えるず、新しい課題も生たれた。
    それは、芪切ずおせっかいの境界線だった。
    「Aさんはこうしおくれたのに、Bさんはしおくれない。」
    そんなクレヌムが来るようになった。
    さらに䌚瀟を通さず、埓業員が盎接お客様ず契玄する裏切りにも遭った。

    でもその経隓が、私を動かした。
    契玄曞の内容は十分か。
    法埋的な知識は足りおいるか。
    そこから孊び続けたこずが、今の私の党おになっおいる。

    ありがたいこずに、5,000軒ものお宅に䌺った。
    家の䞭身は、たさに人生そのもの。
    敎理されおいる家、そうでない家。
    モノの倚さ、少なさ。
    クラむアントの暮らしを通しお、人の生き方が芋えおきた。
    思考の敎理ず家の敎理は、぀ながっおいるずいうこずを、思い知った。

    そしお5,000軒を通しお共通するこずは、
    家事の䞭で䞀番困っおいるこずは、食事だずいうこず。
    その気づきが、次の章ぞず私を動かした。

    ③ 料理教宀ずいう遞択

    忙しすぎお、頭がフリヌズした。
    刀断できない。
    でもお客様はどんどん増えおいく。
    䜓は正盎で、限界だず、悲鳎をあげおいた。
    そしお、ずうずう、私の䜓は壊れた。

    蚺断はバセドヌ病ず蚺断されおいた。
    甲状腺機胜亢進症。
    足が動かなくなり、声も出ない、食べおも食べおも䜓重が激枛しおいった。䜓は限界をずっくに超えおいた。

    業務を枛らす。苊枋の決断だったけど、自分の䜓が䞀番だず、ようやく気づいた。

    䜓を䌑めながら、考えた。
    自分が動くのではなく、各家庭で料理を䜜れる人を増やしたら料理を奜きになっおくれる人を増やしたらそのアむデアが、頭から離れなかった。

    カルチャヌスクヌルを運営しおいる友人に盞談した。
    「普通の料理教宀じゃなくお、デモンストレヌション圢匏にしたら」友人のアドバむスは的確だった。来る人も気軜に来れる。知らない人ず䞀緒に調理するハヌドルもない。

    コンセプトはシンプルで、家庭料理を、少しだけ奜きになる。
    料理が苊手な人、家事が埗意でない人が、気軜に参加できる堎所を䜜った。

    料理教宀を続けおいお、䞀番嬉しかった蚀葉は「料理が少しだけ奜きになりたした。」䞊手になったではない。
    そう、奜きになった。
    その蚀葉が、私のコンセプトず完党に䞀臎しおいた。
    この仕事をやっおいおよかったず、心から思えた瞬間だった。

    私が料理教宀で䌝えたかったのは、テクニックではない。
    料理が少しだけ奜きになるだけで、未来の健康ぞの投資ができる。
    料理健康。
    これが私の料理ぞの信念だった。

    料理が少しだけ奜きになるず、䞍思議なこずが起きる。
    工倫をするようになる。
    家族に耒められる。
    䞊手になりたいず思う。
    自分で努力する。
    楜しくなる。
    このポゞティブルヌプが回り始めるず、料理は矩務ではなくなる。

    でも、このルヌプが䜜れない人もいた。
    それは、怠け者だからではない。
    ゚ネルギヌ切れを起こしおいるだけ。
    その理由は人それぞれ、家庭のこず、仕事のこず、お金のこず。
    だからこそ、そこに気づくこずが倧切だず知った。

    ④ 分子栄逊孊ずの出䌚い

    料理教宀に、お医者さんが生埒ずしお通っおきおいた。
    ある日、その方が芋違えるほど矎しく痩せおいた。
    理由を聞くず、こう蚀われた。
    「糖質制限食をしたんです。先生もやっおみたせんか」
    圓時は糖質制限ブヌムの真っ只䞭。
    しかも勧めおくれたのはドクタヌだ。
    迷わず、すぐに始めた。

    最初は順調だった。
    䜓重も萜ち、䜓が軜くなった気がした。
    でもしばらく経぀うちに、おかしなこずが起き始めた。
    疲れやすくなった。
    頭ががんやりする。䜓が重い。やる気が出ない。

    これは、普通じゃないこずは容易に想像぀いた。
    セミナヌに参加し、そこで初めお、自分の䜓の異倉の正䜓を知った。
    LOW T3症候矀。
    甲状腺そのものに病気があるわけではない。
    でも血液䞭の掻性型甲状腺ホルモンが䜎䞋しおいた。
    糖質を極端にカットしたこずで、䜓が「゚ネルギヌが足りない」ず刀断し、省゚ネモヌドに切り替えた。
    ダむ゚ットの぀もりが、䜓にずっおは「飢逓状態」だったのだ。

    同じ糖質制限をしたのに、なぜドクタヌは矎しく痩せお、私は䜓調を厩したのか。
    答えは䜓の぀くりの違い、そのドクタヌは運動が奜きで、筋肉がしっかり぀いおいた。
    筋肉はグリコヌゲンの貯蔵庫。私は違う。
    運動はりォヌキング皋床。貯蔵庫がない状態で糖質をカットしたから、䜓ぱネルギヌ枯枇に陥った。

    人は十人十色。同じ食事法でも、䜓の぀くりが違えば、結果はたったく違う。これが珟実だった。

    この䜓隓が、私に䞀぀の確信を䞎えおくれた。流行りの方法を安易に取り入れる前に、たず自分自身を知るこずが先決だ。
    この経隓があったからこそ、私は分子栄逊孊にたどり着いた。
    流行りの食事法ではなく、自分の䜓の䞭で起きおいる化孊反応を、分子レベルで理解したかったから。

    孊べば孊ぶほど、わかるこずがあった。
    食事は䜓だけでなく脳にも盎接圱響する。
    セロトニンもドヌパミンも、やる気も、䞍安も、すべお食事から䜜られる。「正解の食事」は䞀぀じゃない。
    自分の䜓を知るこずが、すべおの出発点だった。

    â‘€ 自己砎産ず離婚

    コロナが来た。仕事が、れロになった。たさかこんな時代が来るずは、想像もしおいなかった。
    でも珟実は埅っおくれなかった。

    その頃、甲状腺機胜亢進症で仕事をセヌブしおいた。
    動悞、手の震え、䜓重枛少、異垞な疲劎感。
    芋た目では䌝わらない消耗が毎日続いおいた。
    収入はれロに近くなり、蓄えもない。
    元倫は前の家庭ぞの逊育費を払っおおり、生掻費はほが私頌りだった。
    収入れロ×病気×生掻費は私持ち。
    䞉぀が重なっお、家蚈は䞀瞬で厩れた。

    元倫は、問題から逃げた。無関心だったのか、向き合えなかったのか、今ずなっおはわからない。
    でも責める気持ちはない。
    だっお、遞んだのは私だから。

    離婚の決断は、実はそれほど難しくも苊しくもなかった。お金のこずを考えるだけで粟䞀杯だった私には、党郚を枅算したいずいう気持ちしかなかった。
    ただ䞀぀気づいたこずがある。
    逊育費のこず、お金のこず、䞀緒に生きる人のこず。
    ちゃんず考えるこずを、私は雑にしおきた。
    その結果が、あの状況だった。

    圓時の私は、自分を責めおいた。
    自己砎産した私には䟡倀がない。
    病気になった私には䟡倀がない。
    離婚した私には䟡倀がない。そう思っおいた。

    でも今は、䞀ミリも思っおいない。

    自己砎産は、法埋が認めた再出発の手段だ。病気は、自分の䜓が限界だず教えおくれたサむンだった。離婚は、自分の人生を取り戻す決断だった。

    どれも、私を壊したんじゃない。私をアップデヌトした。

    ⑥ ホッケを焌いた日

    党郚リセットしたい。思い切っお移䜏を決断。
    遞んだ堎所は札幌。

    誰も私を知らない土地で、1からやり盎すために。
    今たでの人間関係も、䜏み慣れた土地も、党郚眮いおきた。

    䞀人で暮らす時間が、特別だった。
    今たで気づかなかった。
    自分がどれだけ、元倫に気を䜿っお生きおいたか。
    食事䜜りがその象城だった。
    今たで私は、自分の食べたいものを䞀床も䜜っおこなかった。
    家族が喜ぶもの、矎味しくお健康に良いもの。
    それだけが基準だった。
    自分のこずは、い぀も埌回しだった。

    匕っ越しおきお最初に甚意した食事は、ホッケの干物だった。
    北海道のスヌパヌで芋たホッケは、今たで芋たこずがないくらい倧きかった。
    しかも驚くほど安い。
    生のホッケたで売っおいた。干物は焌いお、生のホッケはフラむにした。
    たさにホッケ尜くしの莅沢な食卓。

    その時の感動は、今でも忘れられない。
    誰かのために䜜るのでも、誰かに合わせるのでもない。
    自分のために、自分が食べたいものを、自分のペヌスで䜜る。
    人生で初めお、そう感じた瞬間だった。

    自分のために甚意したご飯を食べる時、「あ矎味しい、ごちそうさた。ありがずうございたす。」䞀日が無事に終わっお垃団に入る時、「あ幞せ、ありがずうございたす。」

    たったそれだけだった。でもこの瞬間が、次の日の掻力になった。

    これが私の再起動スむッチだった。

    SNSで芋る「䞁寧な暮らし」は、こんなむメヌゞだず思っおいた。
    綺麗に片付いたキッチン。
    むンスタ映えする噚に盛り付けられた料理。
    早起きしおゞムに行っお、アロマが銙る湯舟でゆっくりバスタむム。
    それも玠敵だず思う。

    でも私が気づいた「䞁寧な暮らし」は、違った。
    自分のこずを䞁寧に扱う。
    気持ちに向き合う。
    ほんの䞀瞬のざわ぀きも芋逃さない。
    無理やりポゞティブにもっおいかない。
    自分を劎い、慰め、安心させる。
    どんな時にも自分に寄り添う。
    お颚呂に入る時間も、寝る時間も、起きる時間も、党郚自分次第。

    䞉幎経った今でも、同じ気持ちで過ごせおいるこずに、感謝しかない。

    おわりに

    SNSでよく芋る「人生再起動」「成功ずは」ずいう蚀葉。
    特別なこずをするわけじゃない。
    日々の暮らしの䞭の、圓たり前じゃないに気づくこず。
    感情の倉化は、人間だからあっお圓然。
    でも、こうしお生きおいる。
    䜏む家がある。
    ご飯がきちんず食べられる。
    あったかいお垃団で眠れる。
    そんな䜕気ない小さなこずが幞せだず気づく積み重ねが、私の考える人生の成功です。

    ホッケを焌いた日から、私の人生は動き出した。


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    61歳で、すべおを捚おお札幌ぞ移䜏。公務員→起業→自己砎産・離婚を経お人生を再起動。家事代行䌚瀟を経営し、䜕千軒もの「暮らしが回らない珟堎」に向き合っおきたした。お金・健康・食・片付けから、人生を立お盎す「暮らしの教科曞」を曞いおいたす。今、動けないあなたぞ。

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