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挑戦するには、周りを見ることができるぐらつかない土台が必要で、やっと挑戦できる自分になったかなと思う話| 50代 | 社会人受験生 | 葛藤と再生 | 家族の悩み | 前向きに生きる

【2026.09.28追記】
万里さんにこちらの記事をご紹介いただいたのをきっかけに
サムネイルと挿絵を変更し、推し庭を設置し、閉じていたコメント欄を開けました。万里さん、ありがとうございました。

#未来に向けた挑戦  

50代からの挑戦

50代も半ばになって 司法書士試験に挑戦している

そう聞くと、ものすごく前向きでチャレンジ精神旺盛な人のように聞こえるかもしれない。もし知人の話として聞いたならば、私も「へえー、すごいね!」って言うかもしれない。

けれども実際はそんなポジティブな人間ではなく、逃げたり回り道をしたりしながら、やっとやっとたどり着いた現在地なのだ。



ものごとに挑戦するには、ぐらつかない、しっかりした足元が必要だと思う。


そしてもう一つ、その土台に立って周りを見渡す余裕も。

周りがどうなっているのか、自分が向かいたい方角がどこなのか
見渡すことができなければ一歩は踏み出せないし
落ち着いて周りを見るには まず足元がぐらぐらしていては難しいから。

例えば濃霧の中、急斜面に立っていて足元の岩がぐらぐらしている。
そんな時にむやみに踏み出すのは危険だし
真っ暗で視界がゼロの中、周りどころか足元さえ見えないようなときは
一歩も動くことができず、その場にうずくまるしかないかもしれない。


高校時代の日課と葛藤

高校生のころ、私は足元がぐらぐらな状況だった。


追い詰められてもいたし 視野も狭かった。

高校生時代の自分のことを書こうとすると
どうしても暗い文章になってしまう。
「未来に向けた挑戦」というお題にはふさわしくないのではないか、
読んでいる人が嫌な気持ちになるのではないかと
何度も書き直してみたけれど うまくいかない。

はしょってしまえば簡単だ。
いろいろあったけど、今は司法書士試験に挑戦しています。
この一文で終わってしまう。

でもなぜもっと早くから挑戦しなかったのか。
そこを書こうと思うと 
どうしても高校時代について飛ばすことができなくて
何日も書いたり消したりしながら
いっそのこと応募をやめてしまえばいいのでは とも考えた末
開き直って、むしろちゃんと書こうという気持ちになった。
高校生のころの自分に向けて いたわる気持ちを込めて。


高校時代の日課は

朝5時に起きて家族の朝食とお弁当を作る、
自転車で学校へ行く、部活動はせず、帰りにスーパーでちょっとした食材を買ったりして夕方には家に戻り、塾の時間までに・・・・・・・家族の夕食を作る。
そんな毎日だった。


塾の時間までに。
私が塾に通っていたわけではない。
母がいつの間にか始めた 自宅でのプリント学習塾のことだ。


結婚と出産により自分のキャリアを諦めたことに強い不満を抱いていた母は
自宅開業の講師募集のチラシに応募しプリント学習塾を始めていた。


私がまだ幼いころから
いつも眉間に縦皺を寄せてイライラしていた母が
やりがいを見つけたこと自体は喜ぶべきことだったと思う。
ただ、のめり込むほどに、母は家事、特に食事の準備をしなくなっていった。

塾は平日の4日間 午後5時から9時半まで。

夜ふかし型の母は、朝はいつも起きてこない。
昼間は他の習い事や用事で出かけていることが多く
5時ぎりぎりに帰宅すると、そのまま塾が始まる。


それほど広いわけではない自宅リビングは近所の知らない子供たちで埋まり
私たちきょうだいはそれぞれひっそりと部屋にこもるしかなかった。

電話もトイレもリビングを通らないといけないのも嫌だったけれど
(携帯電話などなく家電いえでんの時代)
もっと困ったのは夕飯だ。
母は塾が終わった後も書類仕事などをそのまま続けていて
食事の用意にはなかなか取りかからない。
そのまま待っていると夜の10時を過ぎてしまう。


私だけならまだいいけれど
中学生の弟は運動部の活動を終えておなかをすかせて帰ってくるし
妹はまだ小学校低学年だった。


姉は学校とサークル、アルバイトで忙しく、家にいるほうがめずらしい。
私が食事の準備をするようになったのは自然なことだった。

もちろん料理は楽しかったし、

弟と妹が腹ペコで過ごさずにいられるのは良かった。
私はせっせと図書館で料理の本を借りたりして
安く、早く、栄養のバランスが取れる食事を工夫してみたりした。

それでもやっぱり、なぜ自分だけがとは考えてしまう。


クラスメイトが「やだ、今日のお母さんの卵焼き、ちょっと焦げてる~」なんて言うのを聞きながら「作ってもらえるだけいいじゃん」と思ったし
なぜ姉は好きなことをして好きな時間に帰ってくることが許されているんだろうとも。

ある日、どうしてもつらい気持ちになり、母と姉に言ってみた。
私だけじゃなく、母も姉もご飯を作ったりしてほしい、と。

そこで2人から異口同音に返ってきた言葉。

「こっちが頼んだわけでもないのに、あんたが勝手にやってるんだから文句を言うな」

人は、痛いところを突かれたり、正論を聞かされたりすると
反射的に反撃したくなるものだと思う。

それは私もそうだ。気持ちは分かる。
母や姉にとって、私が被害者面をして料理をする姿は
自分が責められているようで嫌な気持ちだったのかもしれないし
自分だけがいい子ぶっていると思っていたのかもしれない。

それでも、その鬼のような一言は 私の心をポッキリと折り、
病ませるのには十分だった。

料理はするけれど自分はほとんど食べないという
摂食障害におちいっていったのもこの頃のこと。

* * *

フィギュアスケートの鈴木明子さんが
以前摂食障害を患っていたことを報道で知った時
「なぜ両親にも愛されて応援されている人がなってしまったんだろう」
と不思議に思っていたのだけれど
同期に浅田真央さんや安藤美姫さんがいることで劣等感を感じていた鈴木明子さんが「自分でコントロールできる数字が体重だけだったから」とインタビューで答えているのを読んで、なるほどそうかと腑に落ちたことがある。

体重だけはコントロールできる。
ままならない現状の中、それが一つの目標になってしまったのは私も同じだ。
たとえ間違った方向だったとしても。

毎日何度も何度も体重計に乗る。
少しでも減ればうれしいし、100gでも増えれば罪悪感。
食べてはいけない物、食べていい物、頭の中はつねに食べ物のことでいっぱい。
全然食べないわけにはいかないから、自分のお弁当は
ほんの一口サイズのおにぎりを2つ3つだけ。あとは少しの野菜。

しばらくは誰にも気づかれなかった。
朝も昼も夜も、そもそも家族そろって食卓を囲む日がほとんどなくなっていたし、大学で生物学を教えていた父は いつも朝が遅く帰りも遅く、
娘の体型はもちろん、用意されている食事を誰が作っていたのかも知らなかったと思う。

やがて153cm47kgほどだった体重が41kgになり
外見も明らかにやせてきた私を見て姉が言い放ったのは
「なにあんた、ガリガリじゃん、気持ち悪い」だったし
母の言葉は「人間は少し太めなくらいが健康なのよ」だった。

ええ。そうですね。私は健康ではないんです。
SOSを出しているんです。
気が付きませんか。
足元がぐらぐらしているんです。

結局、病院に連れていかれて食欲増進剤とホルモン剤の注射を打たれることになったのだけれど、
誰も、なぜこんなことをとは聞いてくれなかった。
よくある思春期の痩せ願望だと思われたのだろう。

この時やっと母に対して本当にあきらめがついた。
ずっと心配してほしかったし気にかけてほしかったけれど
これ以上期待してもしかたない。
自分を守るためにもなんとかして家を出ようと。

なぜ母も姉も 私に対してだけ いつもきつく当たるのか
そんなに私が悪いのかとずっと気になっていて
後に心理学や機能不全家族についての本をたくさん読んだ。
そして、ふと
母は無意識に、姉に自分を、そして私に叔母(母の妹)を投影していたのではないかということに思い当たった時、喉にずっと引っ掛かっていた小骨が取れたかのような気持ちがした。
母はきっと認めないと思うけれど、成長の過程で自分の妹に嫉妬したり
脅威に感じたことがたくさんあったのだと思う。
母は姉が3月生まれで学年では不利なことをよく気にかけていたし
年子で生まれ、何でも姉のまねをしては姉より上手にこなす私を
うとましく感じていたのかもしれない。
そう気づくともやもやがスーッと晴れたような気がして
こうして私は20代に入ってからやっと
自分が全て悪かったわけではないと思うことができるようになった。

大学進学と自立

大学進学は私にとって「合法的な家出」だった。


大学進学がそもそも許されているということ自体が恵まれている。
それは分かりながらも、志望校の決め手はただ一つ
「自宅から通えない所」だった。
学びたい学科があるとか未来への挑戦でもなんでもない。
実家からの逃避である。

もう一つの条件は「国立大学であること」

そのころ姉は一浪ののち私立の音楽大学へ通っていた。
そこにかかる諸々の経費を親は決して明かさなかったけれど
自分は最低限の費用で進学するしかないと決めていた。

奨学金を申請しようとしたこともある。
だが、父親の仕事の関係で申請はできないと断られてしまった。
漫画の『セトウツミ』の最後の巻に、ウツミくんが「奨学金もらって進学する」と言うセリフがあるけれど、お父さんが会社社長だと申請できないんじゃないかな、と思ったのは余談。

卒業が近づいてきた。

なんとか無事進学できた地方国立大での4年間が過ぎ
卒業が近づいてきた。


企業で働く自分の姿がまったく想像できなかった私は
アルバイト先のレストランの社長に直談判して
正社員として雇ってもらえることになった。


周りの友達がほとんど地元に帰って就職する道を選ぶ中
縁もゆかりもなかった大学の地にとどまって就職する道を選んだのは
私の他には 大学で知り合った夫くらいだったと思う。
変わった人だな。
自分のことを棚に上げて思ったものだ。


未来に向けた挑戦といえば、

まずは結婚だったのかなと思う。
20年弱まったく違う環境で生まれ育ち、縁があって知り合った者同士が一緒に暮らしていく。
考えてみればすごい挑戦だし冒険だもの。

そして挑戦できたということは 少しだけ自分の足元が固まって
周りを見る余裕ができたということで
大学時代に関わってくれた人たちのおかげだと思うと
本当にありがたい。


そこでできた土台を基に
子育てを頑張り、自営業を頑張り
少しづつ積み重ねた結果、50代に入って司法書士の資格を取ろうと
思い立つこととなり今に至る。

そして今、50代の挑戦

かつて進学や就職で頑張らなかったことは


何となく自分の中でずっと引け目に感じるところではあったけれど
その分を今になって頑張っているのだと思うことにしている。

迷ったら挑戦してみるという気持ちをこれからも手放さないようにしたい。

そして土台を築く手助けをしてくれた夫と息子
愛すべき犬たちには本当に感謝している。



最初に #未来に向けた挑戦  というお題を見た時
ああ、若い人向けのお題なのね とスルーしかけたけれど
自分のように 若い時には挑戦できなかった分
今から頑張るという人もいてもいいかなと思い
書いてみることにしました。

愚痴っぽい文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。


ちなみに夫の大学志望動機は「山に登りたかったから」だったそうで。
五十歩百歩というか、似たもの夫婦だなと思います。
摂食障害もおかげさまで結婚後は発症しておりませんのでご心配なく。

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