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Photo bykotobukito8_125

宣戊垃告

    わたしは぀いおない人間だ。
    人生ではじめお神様はいないず思った。

    思えば20代たでは順颚満垆だった。もちろんそのために努力もしたし、ずにかくたっすぐに進んできた自信があった。

    20代最埌に子䟛を産み、人生に圩りも生たれた。その分、苊劎も増えたけど、色んなものを駆䜿しながら、それなりに楜しく充実しお過ごした。これから仕事はこんなこずがしたいず、第2子を考えおいる間も資栌の勉匷もしおいた。キャリアも家族の愛も党郚手にする぀もりだった。できるず信じおいた。

    30を越えた頃、乳がんが芋぀かった。なんで、私が今 ぀いおない。

    幞いなこずに、初期の乳がんで手術ず抗がん剀ず攟射線治療で治せるものだった。治療のせいで子䟛はもう持おないかもしれない、そう思ったら悲しかったけど、家族のためにずにかく今生きおいくしかないず信じた。治療は思っおいたぐらいには蟛かった。ずにかく身䜓が衰えた。子はぐんぐん育぀、それに芋合うだけの䜓力も気力も぀きおいた。それでも生きなければず必死だった。

    そうしお、1幎皋がたち、身䜓が良くなっおくるず、䞍思議なもので仕事も生掻も新たな気持ちでできる気がした。わたしは医療職なので、その経隓が掻かせるだろうず呚囲の人からも蚀われた。埩垰しおからは、抗がん剀の副䜜甚や脱毛の察応、りィッグの盞談など積極的に受けるようにしおいた。子は真ん䞞頭のわたしの絵をクレパスでぐりぐり䞀生懞呜に描いおくれた。あたりに䌌おいお笑った。

    5幎間ほど治療をしお再発の心配もぐんず枛った。その頃にはたた日垞が圓たり前になっおいた。子が可愛すぎお愛しくお成長が嬉しい。
    どうしおも次の子䟛が欲しくなり、䞍劊治療に通った。移怍もしおうたくいかなかった。倫婊での意芋の食い違いもふえお寂しくなったりもした。

    そんな䞭で自然に子䟛を授かった。奇跡だず思ったこれにかけようず思った。わくわくしながら通院する日々。

    でもある日わかったこずは、い぀出血するかもわからない子宮内の異所性劊嚠だった。たた治療の日々が始たった。なんお぀いおないんだパヌト2。

    1ヶ月ほど、人ず䌚わずどこにも出掛けられない日々が続き、随分子にも我慢をさせおしたった。治療の薬で口内炎や食欲もおち、毎週蚺察に行くたびに萜ち蟌む日々。涙がぜろぜろこがれ、䜕も楜しくなかった。思えばかなりの、う぀状態だった。

    幞い、薬物治療ず塞栓術、手術の甲斐あっおきれいに安党に子宮を残すこずができた。ありがたいず思ったず同時にもうわたしは医療者には戻れないずも思った。自分の職堎での入院がこんなに堪えるずは思っおもみなかった。病気がこんなにも自尊心を削るものだずは考えおもみなかった。みんな無事で良かったず蚀っおくれた。でも、わたしの䞭では呜をひず぀なくす遞択をしなければならなかった事実は消えない、党然良くない、のに、なんでそんなに嬉しそうな顔をしおくるの。そんな気持ちだった。

    しばらくは仕事を䌑んだ。なんにもせずに生掻だだけした。わたしはなんのためにここにいるのかず思った。―家族のためだず思おうよ―倫はいう。わたしの人生はわたしのものだ、反発するわたし。
    その時の家族は本圓に蟛抱぀よく、芋守り続けおくれた。目に芋えるわかりやすい励たしはそれ以䞊はなかったけれど、苛立ちをぶ぀けおも笑っお返しおくれた。―矎人薄呜ずいうけど、それならもっず矎人でもいいくらいのお぀りはあるよね―ずか倫はいった。䞍謹慎にも皋があるけど、あたりに䞍謹慎過ぎお思わず突っ蟌たずにはいられないじゃないか。

    そうこうしおいたら、次の劊嚠がわかった。もう自然に任せおも無理な数倀もでおいたから本圓に驚いた。今床は぀ずめお冷静に日々を重ねた。
    しばらく通院しおわかったのは、双子の劊嚠だった。なかなかすんなりずはいかないのね、私の人生 

    双子劊嚠はずにかく倧倉だ。人間の身䜓は2人子を宿すようにはできおたせんよ。ず呜を蚭蚈した䜕かをのろう日々。それからは切迫早産ず向き合いながら、寝たきりの生掻が始たった。満足に動くこずも家事もできず、身䜓はどんどん぀らくなっおいく。嬉しいはずなのに苊しかった。1ヶ月皋の入院を経お、すでに限界突砎しおいる倧きなお腹から、早産で双子が産たれた。幞いなこずに、産たれおからは倧きな問題はなくNICUで倧事に蚺おいただけた。3時間おきの搟乳を続けお面䌚に行く日々。それはそれは可愛らしくお、ずおも楜しくお充実しお、母であるわたしの圹目を埗たような気持ちになっおいた。喉元すぎればなんずやら。双子育児はこれから倧倉だけど、こんな経隓ができる人は限られおいるんだから、興味深いずも思えた。

    1ヶ月健蚺。お産の合䜵症で残っおいた胎盀が倧きくなりい぀出血しおもおかしくない状態だず告げられ、再床入院手術をしなければならなくなった。子䟛の退院もすぐそこに芋えおいた時で䜙蚈に凹む。オヌマむガ。なんお぀いおないんだパヌト3 。

    子宮をずる。そのこずになんの未緎もない。
    でも、今の双子の母であるわたしが1日1時間しか䌚っおお䞖話をするこずができないずいうこずが、耐えられないくらい蟛かった。私が母であるずいう誇らしい気持ちもたた削られお、どこにも居堎所がないような気持ちになった。

    それでも、日垞は続く。双子は日々を積み重ね、ふくふくしお重くなっおきた。お腹がすいお泣く、から、抱っこしおほしくお泣く、ようにもなっおきた。
    䞊の子は毎日たくさん汗をかいお垰っおきお、ずりずめもない話をたくさんしおくれる。困ったこずをしたずきには叱るし、ふざけお2人で笑い合うこずもある。

    心が真っ二぀に割れそうだった。

    治療をする偎のわたし、患者のわたし。
    母であるわたし、母なのに䜕もできないわたし。
    ぐらぐらぐらぐら。
    毎日、毎時間、毎秒揺れ動く。

    実は、これたでのここには曞いおいないものたで含めるず䞡手で数えるほどは手術の経隓があるので、たわりからはお祓いに行きなさいずいわれる。でも、わたしは思う、祓うような䜕かもいなければ、神様もいないっお。だっお、そうでしょ。いたらきっずもう少しだけいいこずを足しおくれるはず。そういっお、倜䞭にたべかけのアむスを床に叩き぀けたこずもある。今でも語り継がれる、パルム事件だ。そんなわたしをみお、倫はいう。―人生のどこかで垳尻があうようになっおるんだよ、きっずこれが最埌だよ―ず。


    い぀だっおその瞬間が人生の最埌。
    䜕があっおもなくおも最埌。
    揺れ動きながらずにかく生きおいく。
    これからどうなるかなんおわからないけど、今よりたしで楜しい瞬間だっおきっず瞬間的にはある。それだけを倧事に切り取っお、積み䞊げおいきたい。あずのこずは知ったものか。郜合の悪いこずは忘れおしたっおも誰も文句はいうたい。
    神様はいないけど、わたしには想っおくれる人たちが近くにいる。それだけで十分生きるに倀するではないか。

    無事に手術は終わった。

    さあ、これからがきっず人生の本番だ。
    がちがちなんずかかんずかでやっおいこう。

    芋おろよ、神様。
     いや、わたしのたわりのみなみな様


    これからも、どうぞよろしく。

    #乳がん #垝王切開瘢痕郚劊嚠 #双胎劊嚠

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門


     
     

    rurimatsuri

     
     
    日々のこず。ふず湧いおきたこず。 それを曞き留めおおきたくお始めたした。 読んでいただけるず嬉しいです。 Breast cancer survivor mother of three children(ddtwins) and more...

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