
道具が見える台所
造作キッチンにずっと憧れています。
キッチンの最高峰といえばポーゲンポールなのかもしれません。
でも、洗練されたデザインとは別に、暮らしに寄り添う温かさは造作キッチンの方があるように思います。
二十年近く前はシャビーシックが流行りました。
インテリア雑誌には、南フランスの農家の、ペンキが剥げかけた扉がよく載っていました。
一方で、日本では古民家ブーム。
太い梁、黒く艶の出た柱、飾り気のない建具。
私はどちらかというと、こちらに惹かれていました。
もし今、自分で造作キッチンを作るなら、数寄屋風の水屋や木の扉を付けたいと思います。
けれど、流しや天板は無骨なステンレスがいい。足元の扉はいらない。配管は見えたままで構わない。
鍋やフライパンはステンレスの棚に並べ、お玉やフライ返しはペン立てのような容器に立てておく。
道具は隠すのではなく、その機能が見えるように。必要なとき、すぐ手が届くように。
そんなことを考えていて、ふと気がつきました。
現代のシステムキッチンに惹かれないのではなく、「道具を隠してしまう」ことに私は違和感を覚えているのかもしれません。
そう思った瞬間、大伯母の家の台所を思い出しました。
もう取り壊されてしまいましたが、その家の台所は母屋とは別棟でした。
薪を焚くかまどは、焦茶や茶色、藍色の耐火タイルが貼られていて、いつも黒い大きな釜が据えられていました。
火を使っている時も、使っていないときも、釜の上に木の丸い蓋が載っていました。
北側の壁際には、石をくり抜いた流しがありました。
その隣には調理台。天面には、少しくすんだ水色のタイルが何色か混ざって貼られていました。
まな板は窓の桟に立てかけられ、包丁はザルに。菜箸やしゃもじも、それぞれ別のザルに放り込まれていました。それぞれに粗い木綿の布巾が掛けられています。
大小のアルマイト鍋は木の棚に並び、いつでも使えるようになっていました。
今のキッチンカタログのような明るく磨き上げられた空間ではありません。
それでも北側から入る柔らかな光が、黒く沈みそうな台所の壁や高い天井を静かに包み込んでいました。
時間によっては東や西の小窓から白っぽい光や黄色い光が差し込み、その表情が少しずつ変わっていきます。
年末になると親戚が集まり、ふだんから土間に置きっぱなしの石の臼で餅つきをしたものです。
あの台所には、飾るための物はありませんでした。
家族のために炊事をする、働くための場所でした。
だから、
必要なものが、必要な場所にある。
使ったら戻す。またすぐ使える。
今になって思うと、私が憧れているのは造作キッチンそのものではないのかもしれません。
誰かに見せるためではなく、毎日の暮らしのための台所。
道具が道具として働いていることが、一目でわかる台所。
どうやら、それが私の理想のようです。

誰かが生まれる日に備えて、湯を沸かす。
赤飯を炊く。餅米を蒸す。