自然に生きる
6月、7月の2か月間。
出張も度々ありながら、仕事に全力投球してきた。
さすがに少し疲れが溜まっていたのだと思う。
一人になりたい。
何も考えず、無心になりたい。
そんな気持ちが、無性に強くなった。
そこで、学生時代の友人が経営する箱根の宿へ、助けを求めるように向かった。
スマホは万が一に備えて持っていく。
ただし、
見ない。使わない。
そう自分自身と約束した。
嘘も真も入り混じり、溢れ続ける情報。
そして、あまりにも速く流れていく時間。
少し疲れた。
何にも縛られず、自由になりたかった。
スマホを使わないので、写真は久しぶりに古いフィルムカメラで撮ることにした。
これが、重い……。
いつもなら車で向かう箱根。
今回は何年ぶりかにロマンスカーに乗った。
しかも、事前に展望席を予約した。
新宿に着き、発車までの時間を過ごしていると、昔と変わらない景色に学生時代を思い出した。
私と同じように東京が実家で、夏休みや年末になると「帰る故郷」が特にない友人たち。
そんな仲間と、夏になると遊びに出かけた。
展望席は、都内を走っている間こそ迫力があった。
まるで自分が運転士になったようで、少しワクワクする。
ただ、この季節。
照り返しが強烈で、とにかく眩しい。
神奈川に入り、少しずつ緑が増えていく。
ようやく目にも優しい景色になった。
展望席から眺める夏の景色は、一枚一枚めくられていくアルバムのようだった。
遠くに見えるひまわりが、疲弊して尖っていた私の心を、少しずつ丸くしてくれる。
ふと後ろを振り返る。
多くの人がスマホを眺めていて、外の景色にはあまり興味がないようだった。
この時代だから仕方がない。
そう思いながら、
私は一人、展望席というVIP席から景色を独り占めした。

箱根に着き、迎えを待っている間。
無意識にポケットを探った。
「あっ、ない」
一瞬焦る。
けれど、すぐ思い出した。
使わないように、スマホは鞄の奥にジップロックに入れてしまったのだった。
長時間SNSや動画を見る方ではない。
むしろスマホの能力の半分も活かせていない、と自負しているくらいだ。
それなのに、着いて早々スマホを探している。
私も十分、スマホに依存しているのかもしれない。
そう実感した。
迎えの車では、友人の旦那さんと近況や昔話をしながら揺られ、宿へ向かった。
案内された部屋の窓からは、柔らかな木漏れ日と、鮮やかな緑が見えた。
南部鉄器の風鈴が、さらに涼を演出して迎えてくれる。
畳の上に大の字になり、目を閉じた。
冷たくて気持ちいい畳。
懐かしい畳の香り。
風鈴を介して聞こえる風の音。
遠くから、かすかに川のせせらぎも聞こえる。
何も考えず、ただそこにいた。
しばらくすると、
ビシッと和服を着こなした女性が、笑顔で部屋へ入ってきた。
学生時代の友人。
今では実家を継ぎ、女将になっている。
不思議なもので、久しぶりに会う人とは、私でも自然と笑顔になる。
お互い元気だった。
その安心感なのか。
久しぶりで照れているのか。
説明できない。
人間が持つ、本能のような感情から出てくる笑顔なのだろうか。
何とも言えない。
近況を話し、
彼女が学生時代に、日帰り――正確には機内泊で――一人パリまで行った話。
私が夏休みに一人でタイへ旅行した話。
昔話に花が咲いた。
気づけば、その時にはもうスマホの存在を忘れていた。
我慢していたわけではない。
人との会話やつながりが、スマホの存在を薄くしてくれたのだと思う。
一人で散策したくなり、部屋を出た。
木々の緑。
青い夏空。
そこに浮かぶ真っ白な入道雲。
鮮やかなコントラストが目の前に広がっていた。
そんなに遠くまで行くつもりはなかった。
けれど、ちょうどバスが来た。
せっかくだから、そのまま街まで出ることにした。
夏休みということもあり、海外からの旅行客や学生たちで賑わっていた。
私の今は、スマホという文明の力を持ってない
その代わりに人間観察を楽しみながら、アイスティーを一杯。
再び宿へ戻る。
宿の門前に打ち水がされていて風流を感じる
汗を流すため温泉へ向かった。
湯船に浸かっていると、地元の方が話しかけてきた。
「今年は、いいはちみつができそうだよ」
そんな何気ない話から、しばらく会話をした。
その方が先に出ていき、温泉は貸切状態になった。
露天風呂では、ひぐらしと小鳥の声。
風の音。
それらに優しく包まれながら、ただ湯に浸かった。
時間が、ゆっくり流れていく。
情報からも、
時間からも、
何かに追われる感覚からも解き放たれて、
ただ一人の「私」に戻っていく。
便利さと引き換えに、
自然の力や、人と感情を通わせながら話す時間を、
どこかへ置いてきてしまったのかもしれない。
でも、何もなければ、
ないなりに、案外うまくいくものだ。
家を出る時に、一冊だけ本を持ってきた。
ゆっくり読もうと思ってページを開いたものの、
数分後には昼寝。
読書はあっさり失敗した。
夕食は部屋でいただいた。
食べきれるのだろうかと思うほど豪華だった。
再び友人が部屋に来て、料理について色々説明してくれた。
一緒に、息子さんのお嫁さんでもある若女将も来てくれた。
「明日、どこか行きたいところある?」
そう聞かれた。
美術館でもない。
湖でもない。
私は、
「海」
と答えた。
山に来たのに?
と笑われた。
でも便利なものから少し離れて過ごしていると、
山や海が持つ、飾られていない自然の姿や力に引き込まれる。
山を感じたから、
今度は海を感じたかった。
理屈ではない。
あの時の私には、それが本能から出た答えだった。
翌朝。
私は早起きをして、少しジョギングをした。
朝の箱根は涼しく、空気には潤いがあった。
走りながら、
「ああ、生きているな」
ではなく、
生かされているんだな
と思った。
部屋へ戻り朝食をいただいた。
普段ほとんど朝食を食べない私には、
その食事が妙に温かく、優しく感じられた。
しばらくすると部屋の電話が鳴った。
「海、行くよ」
女将からだった。
大女将も若女将もいるから大丈夫だと言う。
とはいえ、忙しいはずなのに。
無理をしてくれたのではないかと思った。
彼女が運転する真っ赤な派手なスポーツカーに乗り、御幸の浜へ向かった。
海に着く。
目を閉じて、波の音を聞いた。
不思議と暑さも忘れていた。
海の声は、ただ静かに私に寄り添ってくれた。
自分がどうだとか。
誰がどうだとか。
そんな考えも、感情も、思いも、
全部まとめて海が飲み込んでくれる。
そして心の中にあった歪な部分を、
ゆっくり洗い流し、
丸くしてくれるような気がした。
母なる海。
すべてのはじまり。
その後、知人とカフェでコーヒーを飲みながら少し話をし、お互い無言で海を見る時間も共有し、
宿へ戻った。

そういえば。
今さら気づいたことがある。
私も彼女も、お互いを名前で呼ばない。
彼女は私を、
「坊ちゃん」
と呼ぶ。
私は彼女を、
「お嬢」
と呼ぶ。
学生時代から、ずっとそうだった。
それでいい。
お互い、そう思っている。
そして三日目の朝。
宿をあとにする時だった。
彼女が、私を名前で呼んだ。
「また来てください」
そういうお仕事だから、自然なのだが
言われた私も、
言った彼女も、
少し照れて笑った。
私も笑顔のまま答えた。
「うん、すぐに来るよ」
自然が戻してくれた
私らしい笑顔とともに、
宿をあとにした。
